SA-117 マデニアム王国の終焉
山道続いていた街道の前方が急に開けると、街道の先に砦の見張り台が見えてきた。
石作りの立派な砦だ。トーレルさんに任せているシルバニア側のふもとの砦よりも遥かに大きく見える。
尖塔に翻る旗は紛れもないアルデンヌ聖堂騎士団の旗だから、ザイラスさん達は中でのんびりくつろいでいるのかな? いくつかある煙突からは煙も上がっている。
街道を下って、左に折れると砦の門が見える。穏やかに下っていく裾野は、荒地では無く草原のようだ。
こんな大地ならマデニアムの農作物の収穫量はさぞかし多いんだろうな。
高望みをしなければ、それなりに裕福に暮らせる王国だったんじゃないか?
俺達の姿を確認して、砦の門が開かれる。
中庭にソリを止めると、軽装歩兵の案内で俺達は館に入って行った。
「やって来たな。ごらんのとおり誰もいない砦を頂いた。次は、柵作りだな。指示を出してくれれば、一気に作れるように資材は揃っているぞ」
広間に入った俺の姿を見たザイラスさんが、挨拶もそこそこに話を始める。
「一応考えをまとめてきました。今から始めますか?」
「数本打って戻って来てくれ。いま状況を纏めているからな」
「私が一緒に行きます!」とグンターさんが席を立つ。
グンターさんの副官が先に広間を駈け出して行ったから、柵作りの資材を乗せたソリを準備するのだろう。
俺とグンターさんの2人で中庭に出た時には数台のソリが杭を積んで待機していた。
「まず、砦の石塀から東に2M(300m)に杭を打ちます」
「4Mまで1M(150m)刻みに杭を打っています。2本目が2M(300m)ですね。次は?」
「この杭を元に南北にきちんと杭を打って行きます。その為の道具も準備しました」
目印の杭の上に磁石を乗せると、南北の方向を確かめる。元々測量用に作った磁石だ。ケースには照準用の照星と照門が作られている。きちんと直線状に合わせているから、北に狙いを付けて200D(60m)程先に杭を打った。同じように磁石を使って南に杭を打つ。
「北は精々30M(4.5km)で良いですから、杭と杭が重なるように打って行けば十分です。南は距離が長いですから、今俺がやったようにこの道具できちんと南に向かって杭を打ってください」
「おもしろい道具ですね。北と南の方向を見ることが出来るのですか」
グンターさんに磁石を預けると、使い方を実地でもう一度教授してあげる。目分量で柵作りを行うと、長距離では少しずつずれていくからな。
南北とも数本が打たれたところで、再度磁石で基準点からのずれを確認する。
少し北側は東にずれているが、大きくずれてはいないようだ。南側はキチンと方向が執れている。
後はよろしくと、グンターさんに伝えて砦に引き上げることにした。
引き上げる道すがら丸太や杭をたくさん積んだソリとすれ違う。本格的な柵作りが始まるようだ。
広間にはザイラスさん夫妻に3つの騎馬隊の分隊長、それにラディさんが席に着いている。戦と言う事でマリアンさんはミューちゃんと一緒にサディの後ろに下がっている様だ。
サディの隣に腰を下ろしたところで、テーブルに広げられた地図を眺める。
地図は、この砦にあった物らしく、マデニアム王国を中心に描いている。どの王国も自分達の領地の地図を持っているのだろう。
南の3つの村の名前が戦で消されているのと、南側にうねった線が描かれているのは、割譲した領土なんだろうな。
「これがマデニアム王国の地図になる。街道を歩いて王都に行くには2日ほど必要になるが、馬なら半日も掛からんだろう。途中に町が1つに集落が1つだ。マデニアム王国の町は王都周辺に限られている」
「すでにトルニア軍はマデニアム王国の東の国境線を超えていますが、まだこの位置で停まっています。明らかに王都の騒乱が終わったところでの介入と思われます」
ザイラスさんの言葉に続けてラディさんが報告してくれた。
王都を取り巻く民衆から、少し離れた位置にある2つの駒が気になるな?
「これが、南の2つの王国の援軍です。昨日には、この位置まで来ていたのですが、今日の昼にはこの位置まで下がっています」
王侯貴族の救出が済んだと言う事だろうか?
となると、残った2個大隊は民衆の目を引き付ける為のものになる。
マデニアムの国境を越えてニーレズムに入るのは明後日の昼近くになるだろう。
その段階で、王都に残った2個大隊が南に逃走すると言う事なんだろうな。
少しでも訓練された兵士ならばニーレズムとマンデールは欲しがるだろう。
その後の戦に備えることが出来る。
王都を逃げ出した王国貴族の足が少し遅いのが気になるところだ。兵士の多くが徒歩だとしても……、財宝を持てるだけ持ったと言うところかもしれないな。
「たぶん3日後には王都に民衆が入って略奪が始まります。更に3日もすればトルニアが動きますよ」
「難民の逃げる方向も問題じゃな……」
「街道のこの位置に騎馬隊を並べれば南に逃げてくれるでしょう。シルバニアに逃げ込まれても住民感情が彼等を哀れと思うかどうかが疑問です」
圧政で子供達を奴隷にせざるを得なかった住民も多い。彼らが入って来ても村八分にされないとも限らないからな。
そんな差別化は良くないけれども、住民のしこりとなっていつまでも続く気がする。
「柵作りは間に合うのか?」
「間に合わせなければなりません。すでにグンターさん達が2個分隊で始めていますから、通信兵に尾根の監視所にいる重装歩兵も明日から動員してください」
「了解だ。北は騎士達にやらせよう」
先ずは新しい国境を明確にするところから開始する。
それが終わったところで関所と100D(30m)の柵を砦周辺に作れば良い。
北の柵は、3日目に山麓部まで入った事で終了する。問題は南側だ。まだ10kmも進んで行ないようだ。
急きょ、狼の巣穴から民兵を2個分隊派遣して貰って、急ピッチで柵を延ばす事にした。
ラドネンさんが一緒に来てくれたので、街道に関所を作って貰う。
小屋を2つ併設して貰ったから、ここで相手を迎え撃つ事も可能だろう。
ミクトス村で新たに作られたカタパルトも3台運ばれてきた。荷車に積んだものだから移動も容易に行える。これで攻城兵器が運ばれてきても燃やすことが出来そうだ。
この砦にやって来て4日目の朝。
ドンドンと乱暴に扉を叩く音で目が覚めた。
装束を身に着け、扉まで歩くと何事かを確認する。
「マデニアム王都に煙が上がっています」
「分かった。直ぐ広間に向かう」
ジッと俺を見ていたサディに、始まったようだと伝えると、サディが慌てて着替え始めた。
一足先に、俺は広間へと歩いて行く。
広間の扉を開くと、すでにザイラスさん夫妻とラディさんが武装した姿でお茶を飲んでいる。
「王都の2か所から煙が上がって、王都の守備兵が一気に民衆の壁を破って南に進んでいるとの事だ」
「今日は略奪で周りを見る者もいないでしょうね。あえて王都から逃げ出した部隊を襲う民衆もいないでしょう。この2個大隊は、出来るだけ王都から遠ざかったところで一休みして南に向かうと思います」
「これではのう……。二度とマデニアム王国を再興することは出来ぬぞ」
サディが目をこすりながら、地図を眺めて呟く。
再興は可能だろうが、そうなるともっとひどい圧政をすることになるだろうな。このまま持ち出した財宝を元手に、ニーレズムかマンデールで地方領主の口を探した方が無難だと思うな。
「これからは?」
「柵を延ばし続けます。まだまだこちらにはやって来ませんよ。この部隊が王都に入るまでは安心して柵を作り続けられます」
少なくとも、後3日はそれ程心配しなくとも良いだろう。
街道に焚き火の用意をして、こちらにやって来る者達に、俺達の存在を知らせれば向こうから避けてくれるだろう。
あれだけの事をした以上、その報いを受ける事も理解出来るに違いない。
「柵はどうにか予定の半分程だ。今はキューレの手の者達も動員している。あれでは、終わるのに10日は必要だぞ」
「民兵と機動歩兵は3日後に引き上げさせてください。こちらも手薄状態ですからね。関所の方はどうですか?」
「すでに終わっている。さすがに床は張れなかったが雨露は凌げるだろう。暇な時に少しずつ床張りすれば問題なかろう。2個分隊は寝られそうだ」
「移動式の阻止具も3つほど作って小屋の東西に並べてある。あれなら騎馬隊も突破できん」
ザイラスさんの言葉にリーダスさんが続けてくれた。
機能的に問題ないと言う事だろう。後は、トルニア軍が驚いて交渉にやって来そうだ。
翌日。王都の火災の様子がラディさんから報告された。
大きな火災にはならなかったようだ。荷車を引いた住民達が王都を続々と出ていっているらしい。
王都の住民も見限ったのかも知れない。
どこまで荷車を押していくのか分からないけど、皆が南へと向かっているとの事だ。
やはり西には来れないようだな。
来たとしても、根深い恨みが残っている場所には近付きたくないらしい。
トルニア軍が動いたのは、その報告の翌日だった。
ゆっくりと隊列を乱さずに街道を歩いて来るとの事だ。王都から逃げ出す者は後を絶たないが、トルニアのマデニアム占領はどんな形で行われるのだろう?
まだ逃げずに王都に残っている者達は、今より悪くはならないと諦めているのかも知れないな。
そんな心配をしている時に通信兵が入って来た。
「南への杭打ちが終了したそうです。機動歩兵1個分隊が帰ってきます。柵は引き続き重装歩兵と山岳猟兵が担当すると言っていました」
「ありがとうと返信を打っておいてくれ。これで、何とかトルニアの先を越せた」
烽火台から南に続く尾根全体が、俺達の柵として利用できる。このアドバンテージは大きいぞ。
さらに、長く続く街道の山道の途中に補給所になる狼の巣穴と広場がある。
兵站は万全だな。戦力の少なさは、弓と石弓で敵を近付かさないようにすることで対処できるだろう。斬り結ぶようなことは俺達の戦ではないからな。