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序章~記憶の海
序章
 『記憶』・・・それは過去に経験した事や、一度覚えたことを時間の経った後までも、大体その通り思い出せること。また、「心」に残って消えないこと。

 青空。どこまで行っても、見渡しても青い、空。
 別段いつもと変わることもなくそこにある空に、彼は心を奪われる。
 この時間が好きだと思う。
 一人誰もいないビルの屋上に佇み、ただ好きなだけ空を見つめる。平和で長閑(のどか)な時間。
 時折、風が頬を擽り(くすぐ)誰かの訪れを知らせる・・・。丁度今のように。
(せつ)ー、せーつー?」
 遠くから聞こえる声に耳を澄ませながらも、彼は自分から声をかけるような事はしない。
 それは現実逃避というか・・・声の主が持ってくる面倒事を知っているからである。
 決して狭くもない屋上を声の主はくまなく探す。それこそ鼠が通るような細かな隙間でさえもだ。
 そうしてようやく自分の足元に長い影が出来ている事に気付くと、探していなかった「頭上」を見上げた。
「雪。こんなところにいたのか」
 息切れしながらも、ようやく見つけたとでも言いたそうな声の主に、彼は内心”俺はネズミか!?”と僅かな憤りを感じながら「(るい)。そんなに慌てて、ど~した?」と惚けた返事をしてみる。
「ど~した?・・じゃないでしょ。」
 分かり切った答えに塁は半ば溜息混じりに応えると「また(ジェイ)が迷ってたよ。」と要件を伝えた。雪は「あ~」と予想通りの面倒事に頭を抱える。
 
 ここは閻魔庁直属の『記憶(ノスタルジア)管理事務所』。
 人は死後、現世での記憶を持ち閻魔庁を訪れる。それは事故・寿命・自殺いずれによっても同じように扱われ、水先案内人(いわゆる『死神(デス リッパー)』)により川を渡りて辿り着く。
 その後、現世での行いを裁判官ならぬ、閻魔大王様に裁かれ行き先を決められる。まあ、これは空想の様なホントのような・・・実際見たことも会ったこともない自分には、まるで遠い出来事なのだが。
 その過程で、時折記憶を落としたり、紛失する奴がいたりするから性質が悪い。
 そういう奴の面倒をみるのが『記憶管理事務所』内「管理局」の仕事だったりする。そして、その管理局で働いてるのが自分と、『(るい)』である。
 大まかに云ってみたものの、実のところ他にも仕事はあるし、メンドクサイ組織図やら省庁同士の関係やら表に出てるのは氷山の一角でしかない。
 とにもかくにも、そんな『記憶管理局(ところ)』で働いてたりする。
 
 「雪、独り言?」
 そんな彼の説明空しく、隣で一部始終を見ていた塁が唐突に、割り込んだ。
 「アホか、そんな寂しくないわ!これは読んで下さってる方々に対しての最低限の・・」
 「読んで下さってる?・・最低限?」
 塁は訳が分からないという顔で(いぶか)しがり、雪はそれを見て更に落胆すると「もうええわ・・・」とぼそぼそ呟き「先行くで」と平和で長閑なビルの屋上を後にした。

 時、同じく記憶管理事務所内・階段。
 「せーつ、雪さーん」
 螺旋階段内に男の声が響き渡る。男というよりは少し若い『青年』という言葉の方が当てはまる、その風貌はしきりに一人の名を呼んでいた。
 屋上からゆっくりとした足取りで、その人物は現れる。
 「おいっ、そこの」
 突然、頭上からかけられた声に反応して青年は上を見る。そこには吹き抜けの螺旋階段から見える青空と陽の光を背負った小柄な人物がいた。
 「雪さん!」
 青年は急いで階段を駆け上り、また雪はそれに構わず階段を下りていく。青年の様子を眺めながら(犬みてぇ・・)なんてぼんやりと雪は思い、そんな自分の考えに自嘲気味に苦笑した。
 「あ~良かったぁ。一瞬マジで迷子になったかと思いましたよ。」
 そんな風に明るく笑う青年を見て「立派な迷子だよ」と呟いては見たものの、目の前の人物はそれを気にする風でもなく笑顔を向けている。
 (尻尾と耳が見える・・・)
 お尻にふさふさと機嫌良さそうに揺れ動く尻尾と、犬耳が見えた気がして雪は微かに頭を抱えると「ところで・・」と話を切り出す。
 「記憶(おとしもの)の在処は見つかったのか?」
 急に真面目に問われ、青年はその佇まいを直すと「さっぱり」と殊更明るく返答した。
 (笑い事じゃねえよ、おいっ)
 雪はその場に座り込み、心の中で一人突っ込みをして落胆する。目に見える見事なまでの落胆ぶりに青年も「あれ・・すいません。なんか・・」と言葉を付け足して雪の様子を気遣った。
 この青年は『(ジェイ)』。
 推定年齢16歳。男。何故に推定なのかといえば、自分がどこの誰で何で記憶管理局(ここ)にいるのかも覚えていない『名無しの権兵衛』さんだからである。
 ここまで記憶のない人間は特例以外の何者でもない。殆どの人は記憶を紛失(おと)しても自分の名前や年齢、家族構成などある程度の事は覚えている。ところが彼に至っては名前はおろか、自分の生死でさえも覚えていなかった。
 これは『記憶探し』において致命傷といえる。
 本来なら、個人の持っている情報をもとに閻魔庁の『記憶の海(マザーコンピューター)』に問い合わせし、それをあるべき場所に拾いに行くのが仕事だが・・彼には検索にかけられるような情報が一つも無い。
 
 その為、普段なら管理官が探す記憶(もの)も本人同行を許可し、些細な情報をパズルのピースをつなぎ合わせる様に集めることになったのだ。
 (全く、厄介なのを連れてきてくれるよなぁ。メンドクサイ事この上ないね・・)
 雪は心の中で憎まれ口を叩きながらも、真剣に考えていた。彼がここに連れて来られたのが三日前。もし彼がお亡くなり(・・・・・)になっているのなら、葬儀にしろ告別式にしろ何処かで何らかの動きがあってもいい頃合いだ。
 管理局内には様々な人間がいる。情報探索のスペシャリストと云って過言ではない者も。
 だからこそ地上でその様な動きがあれば、それは逐一報告され、否応にも管理官の耳に入る仕組みになっている。ところがその報告が無いのだ。いや、正しくは(かれ)に当てはまりそうな情報がない。
 「とりあえず一旦、局に戻るか・・・」
 ここにいても出来る事は何もない。雪は情報を求めに管理局のある事務所に戻ることにした。
 空は青く、澄み渡る・・・長い長い「記憶」探しの始まりだった。

 
 
 
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