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煙のひと

作者: ミズキシホ

――こんなもん、か……。


あっけない。

人の死とはこうもあっけないものか。

悲しみがないわけではない。

でもなぜか、今日に至っても、まだ、泣けないでいた。


――いまどきの火葬場ってこんなんなんだー。


近代的な建物、明るく清潔で、モダンな造り。


荼毘に付されたその煙を見たら、

ひともいつかは煙になるのだ、と、

さすがにその時こそはジーンと来るだろうと思っていたのだが……。


――煙、出ないんだ。

――それも、そうよね。


夫は55歳で旅立って逝った。


煙にもならず逝ってしまったのだ。


そう考えると、フッと笑いが込み上げる。

いつも、ひとを煙に巻いては、ニヤニヤしていた。


いまもきっと、してやったりと、ほくそ笑んでいるのだろう。


二人とも25歳で見合い結婚。

淡々と、

しかし、順調に話は進み、

大恋愛とまではいかなかったが、

いま、振り返ってみれば、

これこそが順風満帆、という結婚生活ではなかったか。


過ぎ去った30年に思いを馳せ、空を見上げた。

抜けるように青い空、雲ひとつない。


そこへ……、

白く一筋……。


――あれは……

――飛行機雲……


まるで荼毘の煙のように。


夫の最後の「してやったり」だ。


――ふふふ、やられたナ。


見送るその目の端から、一筋、涙がツーッと流れた。




あれから三年。


私はふと手を止めると、

窓辺に寄った。


今日も三年前のあの日と同じ、抜けるような青い空。


――アッ……。

――飛行機雲……!


私は思わず声に出して笑った。

「また、ヤラレタ……。 フフフフフ」


「さ、て、と、サッサとやっちゃいましょう!」


大声を出して自分に気合を入れると、

私は荷造りを再開した。


いまのこの家は持ち家だが、

子供たちは巣立ち、夫もいないいまとなっては、

ただ、だだっ広く、その広さが寒々しい。

年数も経て、あちこちにガタが来ている。


そこで、思い切ってこの家を離れ、

単身ライフにちょうどよい広さのマンションに移る事にした。


この空間には、子供たちや、夫の思い出がたっぷり詰まっている。

いざ、ここから立ち去るとなるとやはり少し寂しい。

だが、これから先、思い出ばかりに埋もれるのは辛い。


過去は過去として、

私はこれから第二の私の人生を歩むべきなのだ。


私はもう一度、窓辺に寄ると、空を見た。

夫の煙は、すっかり空に溶け入っていた。


――夫は、さよならを言いに来たのだ。


なぜかそう確信した。


もういいね、大丈夫だね、と。


――God be with ye オット。


私は空から視線を外すと、

窓の横の壁に掛かっている額縁を外そうと手をかけた。


ヒラリ、

何かが落ちた。


古びた絵葉書。


――京都、広隆寺、弥勒菩薩半跏像……

――これは……、高校の修学旅行で行った時の……。


ざわざわと、時が音を立てて戻った。



私はその頃、

隣のクラスの野球部のキャプテンの水澤君にほのかな想いを寄せていた。

でも、その想いを本人に告げるなどと、考えた事もなかった。

時折、彼の姿を見かけてはドキンとし、ただただ、ひっそりと想っていた。


その年、修学旅行で京都へ行った。


水澤君も私も班長だった。

班長会議の後、私は水澤君に呼び止められた。


「前野、ちょっといいかな。」


「えっ……。」


ひそかに見つめる事はあっても、

面と向かったことも、話したこともない。

急に話し掛けられ、

ドギマギしてしまって、まともな受け答えすらできなかった。


「これ……。」


といって、水澤君が何かを差し出した。

私は、相変わらず、口がきけないまま、

条件反射で無意識にそれを受け取った。


差し出す水澤君の手もぷるぷると震えていることに私は気付いた。


「……、あ、あのさ、

 明日の自由行動のとき、

 広隆寺のこの仏像の前に来いよ。

 俺、待ってるから。」


「え……。」


水澤君は、言うだけ言うと、

私の返事も待たずに、サーッと行ってしまった。


何気なく受け取ってしまったそれは、

仏像の写真の絵葉書だった。

弥勒菩薩半跏像、と書いてある。


いままで、仏像には興味がなかったが、

そんな私ですらが、

その像は「美しい」と思った。


その夜、

私は結局、

友人たちにもその出来事を打ち明けられないまま、

東の空が白み渡るまで友人たちの語らいに付き合った。

一人眠り、二人眠り、とする中で、

わたしはまんじりともしなかった。できなかった。


朝食の時間となり、

そこで水澤君の姿を見かけた私の心臓は早鐘を打った。

顔が上気するのが自分でも分かる。


――どうしよう……。 どうしよう……。


「行く」と決めているにも関わらず、

なぜか「どうしよう」という想いがこだまする。


やがて、

自由時間となり、

わたしは友人たちに適当な理由を告げると、

ひとりで広隆寺へ向かった。


その美しい像を探し当てると、

水澤君はもう来ていて、

ジッとその仏像を見つめていた。


気配で気付いたのか、

水澤君がフッとこちらを向いた。


「おぅ……。」


一瞬、ホッとしたような顔をしたが、

すぐに、

顔を強張らせ、目を伏せた。


「……、え、えっと……、な、なに……?」


私はやっとの思いで言葉を絞り出した。


水澤君は、さらになお、目を伏せて視線をさ迷わせていたが、

やがて、何かを決意したように、

クッと顔を上げると、

私の目をしっかりと見据えた。


――ドキドキドキドキ……。


「俺さ、前野の事が好きなんだ。」


――ガンガンガンガン……。

心臓が脳ミソで鳴っているかのようだ。


水澤君は、視線を外さず、さらに、私の目をじっと見つめる。


「……、わ、わたしも……。」


そう呟くのが精一杯だった。


水澤君は、

ふっと目元で笑うと、

目の力を緩めた。


そして、少し視線を外すとこう言った。


「俺さ、大学へ行くのに、地元を離れるんだ。

 でも、ここへは毎年来るよ。

 毎年、今日、来る。

 毎年、必ず来るよ。

 

 だから、前野、」


水澤君はもう一度私の目に視線をしっかりと合わせた。


「だから、前野、

 いつかの『今日』ここに来いよ。

 ここで会おう。」


「……、う、うん……。」


気が付いたらなぜか、

涙が溢れていた。


「泣くなよ……、ヘンなヤツだなあ、お前!

 さ、みんなのところへ戻ろう、変に勘ぐられてもアレだからな!


 ところで、この仏像、いいだろ。

 俺、これを見てると、心がスーッとなるんだ。」




卒業した翌年、

私はしっかりと約束を覚えていて、

その日に京都へ向かおうとしたのだった。


が、

その日……。


母が倒れ……。


母はそのまま帰らぬひととなった。


それ以来、

いつかの『今日』は、母の命日であった……。


きっと、これは水澤君とは縁がないのだろう、とか、

母が会わないほうがいいと言っているのだ、と思っているうちに、

わたしもは結婚、

子育てと生活に追われ、

その約束をすっかり忘れてしまっていた……。


手元の、

古びた絵葉書に目を落とす。


――オットの置き土産だわ。


夫はそういうひとだった。

粋なひとだった。


わたしは絵葉書を裏返した。

そこには、いつかの『今日』の日付が書かれていた。


知っていながら、

カレンダーに目をやる。


――まさに、『今日』。


私は急いで身支度を整えると、家を飛び出した。

絵葉書をにぎりしめて。



* * * * *


わたしたちは、58歳になっていました。

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