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私の声で

作者:溟犬一六
 夏の、ひどく蒸し暑い夜のことだった。
「あんっ、あんっ……」
 如月杏奈きさらぎあんなはベッドに横たわったまま、ボイスレコーダーに吹き込んだ自分の声を何度か繰り返し聞いた。長い髪をかき上げると、彼女の唇は妖しく湾曲し、その割れ目から舌先が、いたずらするようにくねった。体が火照って、汗ばんでいた。
 ベッドをきしませ、杏奈は体を起こす。つい先ほどまで小動物になった気持ちでいたが、吐息をひとつつくと、はだけたバスローブの前を合わせる。すそから覗き見える脚をそろえて立ち上がり、ベッドを見下ろす。
 そこにはもう誰もいない。人の温もりと重みとをなくした、白いシーツがあるだけだ。
 ――誰にも理解されないかもしれないけれど、でも私はこれで良いの。たくさんの人に、必要とされているもの。
 杏奈は心で呟き微笑むと、鼻唄まじりに、遠足へ向かう小学生のようなきらめく瞳で、机に向かった。
 机上のノートパソコンを起動させる。
 杏奈は録音したデータファイルをパソコンへ転送した。慣れた手つきで、すぐさまデータファイルをSNSサイトへアップロードした。
 すぐに反応があった。ユーザーからのコメントが返される。
『たまらないです』
『まじでファンだわ』
『考えてみたらやばいよな』
『ラギアン様、もっとください』
 ――そう、もっと私を求めて。
 杏奈はぶるぶると体を震わせると、両肩を自分で抱いた。続けて、自分がアップロードしたファイルを再生した。
『あんっ、あんっ……あーんっ……あんっ……』
 パターンは無数にあり、杏奈は自分でも良い出来映えだと思えた。イヤホンから響く自分の声が頭蓋を揺する。続々と寄せられるコメントに胸は満たされ、笑みを隠せない杏奈だった。しかし次には、ある種のむなしさが、胸の底に積もる砂をかき乱して、煙のように立ち上った。
 ――こんなことを続けてどうなるのかしら。もし、こんなことをしていることが家族に知れたら? 数少ない友だちに知れたら? 私はその後どうするの?
 しかしその煙は、すぐにどこかへ消えた。いや、杏奈はその煙をかき消そうとした。
「私はこれでいいの。これが私の生き方。たとえ、なんにもならなくても……」
 その言葉に嘘はなかった。嘘はなかったからこそ、彼女は迷い続けていた。「なんにもならなかった」時の恐怖が、いずれまた、彼女の背にナイフを突き立てにやって来るだろう。
 杏奈は頭を抱えた。長く豊かな髪を振り乱した。
「分からない……。私は何がしたいのか分からない。一体、どうすればいいの?」
 その時、彼女にとって小さな奇跡が起こった。
 彼女の悲痛な叫び、その直後に投稿された一件のコメントが、彼女の表情を一変させた。
 頬は赤みを失い、口元は凍り付いた。そして彼女は自分を恥じた。
「なんてこと……その通りだわ。私は、『私の生き方』なんて言葉で逃げていた。一人よがりだった! やるべきことは明確だったのよ! 求めてくれる人を満足させること、それが大事なのよ!」
 凍り付いていた表情はしかし、その次には生気を取り戻し、瞳には爛々と炎が灯っていた。
 彼女を打ちのめし、そして奮い立たせたコメントはこうだ。

『たしかにお上手ですし、シーンが浮かび上がってくるようです。ですがやはり前フリがあった方が万人が分かりやすく楽しめるでしょう。パターンごとに区切って、シーンを説明してはどうでしょうか? ジャムおじさんについていく時のチーズ、ばいきんまんに歯向かう時のチーズ……タイトルを言ってから始めるようにすると、誰でも思わず笑ってしまう、楽しいものまね芸になると思いますよ』

 杏奈は椅子を倒しながら立ち上がると、右拳を天井へ突き上げ叫んだ。
「ものまね女王に、私はなるっ!」
 バスローブがはだけた。背後では扇風機が首を振っている。力強い潮風が背中を押してくれているように、杏奈には感じられた。
 如月杏奈、十五才。のちにものまね界に名を馳せる少女の、忘れられない夏の夜の出来事だった。



(おわり)

読んでいただきありがとうございました。

少女が夢に立ち向かうことを決心した夜。
そんな情景から熱いものを感じていただけたら幸いです。

というのは冗談で、「小動物」にくすりとしてくれたら満足です。

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