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エピソード6:結果④

 翌日曜日、雨は今日も絶え間なく降り続ける。トータルでの降水量が多くなってきたため、排水が間に合わず、一部冠水する道路なども出てきたようだ。

 そんな週末、いつもと変わらない、でも、2人にとっては特別な時間になるはずだった日曜日。

 ユカの具合が最初に悪くなったのは、15時を過ぎた頃だった。


 床の上に並んで座り、イヤホンをシェアして音楽を聞いた時……急に彼女が体を抱え、苦しそうにその場に転がったのが、終わりの始まりだった。

 昨日、彩衣に用意してもらった服を嬉しそうに着て、ずっと笑顔で、政宗の側から離れなかった彼女。

 ずっと繋いでた手が、容赦なく離れていく。

「ユカ!?」

「――っ……がはっ……!!」

 力なくその場に転がるユカは、口を動かしながら何かに耐えるよう、背中を丸め、必死に体を小さくする。不規則な荒い呼吸で必死に空気を求め、全身が小刻みに震えており、状態がおかしいのは一目瞭然だった。

「ユカ……おい、ユカ!!」

 イヤホンを外して自分を覗き込む政宗に、ユカは肩を大きく上下させて必死に呼吸を繰り返していたが……横顔で薄く笑いながら、視線だけを政宗に向けて、こんなことを言う。

「だい、じょっ……大丈夫、これ、くらいっ……ぁっ……っ……!!」

「何言ってるんだ!! 大丈夫なわけないだろうか!!」

 息も絶え絶えな彼女の様子をもっと詳しく確認しようとして、政宗がその肩に触れた瞬間――目の前が、唐突に、グニャリと大きく歪む。

 体が床に崩れ落ち、平衡感覚が麻痺して、気が遠くなるような――そんな、既視感。

「また、かっ……!!」

 政宗は唇を噛んで何とか意識をつなぎとめようとしたが、それも無駄な徒労に終わる。

 体を震わせて必死に荒い呼吸を繰り返す、そんな彼女の背中を見つめながら――政宗は、気を失った。



「――っ!?」


 そして、再び意識が覚醒した政宗は、慌ててその場に体を起こした。

「ユカ!!」

 薄暗くなった室内、隣で力なく倒れている彼女を見つける。政宗はすぐに彼女を抱きかかえ、呼吸と脈を確認した。顔色は青白いものの、先程のように苦しそうではない、規則的な呼吸は……ぐっすり眠っているようにも見る。

「良かった……」

 とりあえず彼女が生きていることに安心したが、事態は何も解決していない。政宗はそのまま彼女を抱きかかえると、客間に移動して、ベッドの上にそっと横たえた。そして改めて、現状を整理する。


 これまでに政宗の意識が飛んだのは、覚えているだけで3回。

 最初にユカが苦しんだ時と、初日に10年前の話を終えて、彼女をこうして寝かせた時。そして、今回。

 今回の感覚は、初回とよく似ていた。2回目はスッと意識が遠くなるような感覚だったけれど、初回と今回は、世界がぐにゃりと歪む強烈な不快感で、強制的に意識をシャットダウンされるような、抗いきれない大きな力を感じる。

 初回と今回の共通点、それは……。

「ユカに触ると……余計にダメなのか?」

 初回と今回は、ユカの体に直接触っている。2回目は確かに直前までは触れていたが、意識を手放した時は、直接触れていなかった。

 と、いうことは……自分の意識を少しでも保つためには、ユカに触れてはいけないことになる。もしかしたら、物理的に遠ざかったほうがいいのかもしれない。

「そういえば……」

 そういえば昨日は結局、彩衣の残してくれた情報を、最後まで確認しなかった。あれから色々あって、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 政宗は一旦客間から出ると、リビングの電気をつけて、部屋の隅に置いてあるバインダーを手に取った。

 そして、後半に記載されている情報を確認して……眉をひそめる。


『山本さんの影響力について

 山本さんの周囲には、生きている人間の生命力を奪うものが漂っている。恐らく山本さん本人が放出しているものと思われる。原因は不明。ただしこれは、体調不良の改善とともに軽減されている。本日は基本的に、その気配を感じず。

 ただ、彼女が体に支障をきたした際に多く放出されている様子。対処法としては、その気配を感じたら、彼女が落ち着くまで物理的に遠ざかること。扉1枚隔てるだけでも、それなりに効果はある。』


「……生きている人間の生命力を、奪う……?」

 彩衣が一体何を感じて、どういう意味でこれを書いたのか……今の政宗には到底理解出来ないけれど。

 でも、これではっきりした。自分がユカに触れることで生じていた異変は、彼女が出しているという何かに原因があったのだ。恐らく統治の体調不良も、これに起因するのだろう。

「放出……どうやって……」

 今の政宗には、彼女がどうやってそんな物騒な物質(?)を放出しているのか、ちっとも理解出来ない。むしろ自分に何の違和感もないのが恐ろしいくらいだ。

 ただ、次にもし、彼女が苦しみだしたら……すぐに手を出さずに、むしろ遠ざかるほうが懸命なのだということは分かる。

 頭の中では、冷静にそう考えられる。でも……理解出来ても、納得することなど、出来るはずがない。

「そんなこと……俺に出来るわけないだろうが……!!」

 政宗は固く拳を握りしめ、心の底から吐き捨てた。結局自分は何も出来ない。彼女が苦しんでいる様子を眺めながら、意識を手放すことしか出来ないのだ。


 ――本当に、それだけだろうか。

 自分に出来ることは、何もないのか?


 政宗は何かヒントがないかと思い、バインダーをその場に置いて、再度、ユカが眠っている客間に戻った。そして、軽く目を閉じて――視える世界を切り替える。

「……ん?」

 そして、ベッドに横たわる彼女の『縁』を注意深く観察して……一箇所、気になるところを見つけた。


 ユカの『生命縁』の色は、数日前に見たときよりも、大分、色が暗くなり始めていて……こちらの方が見慣れているとはいえ、抗いきれない現実を見せつけられたようで、胸が痛くなる。

 でも、気になるのはそこではない。『生命縁』の一部に、少しだけささくれているところを見つけたのだ。写真を拡大しなければならないほど小さくて、政宗のこれまでの経験がないと気付けなかったような……そんな、小さな違和感。

 名杙直系は例外だが、『縁故』はどうしても、『縁』に干渉するとストレスが蓄積されていく。そのストレスは無意識のうちに積み重なっていき……ある日突然、限界点を突破してしまう。そして、10年前の政宗のように突然倒れてしまったり、同じく10年前のユカのように記憶障害が発生したり、と、体や脳の不具合として表面化するのだ。情緒不安定になったり、性格が急変したりすることもある。

 そしてその原因となっていたり、症状を深刻化させているのが、ささくれた『関係縁』だ。普段は真っ直ぐの、一本の紐のように相手と繋がっている『関係縁』だが、ストレスの蓄積や相手との関係が悪化するにつれて、表面がささくれたり、枝毛のように飛び出てしまうことがある。その枝毛部分がアンテナのように更にストレス源を受信して、結果、自分がパンクしてしまう……ということもあるのだ。

 ただ、仮に縁がささくれていても、この場合は受信するアンテナの役割を果たす。発信する側になることなど、ありえないはずなのだが――


「――ひっくり返った存在、か」


 政宗は昨日のユカとの会話を思い出し、とりあえず、自分が持っている思い込みを全て捨てることにした。

 これまでの常識や思い込みが全てひっくり返った存在が、自分の目の前にいるユカであるならば。普段は受信の役割を担っているところが、何かの間違いで発信の役割を担っていたとしても……決して、おかしくはない。

 当然のようにまだ分からないことの方が多いけれど、ユカ自身もまた、自分の放出しているもので苦しんでいるのだとすれば。

 もしかしたら、この違和感を何とかすれば、ユカの体が少しは楽になるのではないだろうか。


 とはいえ、当然だが気が引けて及び腰になる。さすがの政宗も、生きた人間の『生命縁』には、これまで干渉したことがないのだ。

そもそも『生命縁』は簡単に異常が発生するような『縁』ではないため、扱い方もよく分からない。名杙や名雲直系でなければ素手で触れることは出来る、ということは座学で聞いたことはあるものの、実際に触ったことなどない。

 ましてや、干渉するにあたって、何か特殊な道具が必要なのか、それともこれまで通りでいいのか……『統括縁故』という、『縁故』の中でも一番上の資格を取得している彼だが、『生命縁』の扱い方までは、詳しく教えてもらえなかった。

 少しでも間違えると――相手の生命を一瞬で、簡単に奪ってしまうのだから。


 政宗の手元が少しでも狂うと――ユカは、確実に死ぬ。


「……キツイな、これは」

 苦笑いを浮かべた政宗は、その場にへたり込んでため息を付いた。しかし、迷っていると時間はあっという間に過ぎてしまう。ポケットに入っていたスマートフォンで時刻を確認すると、間もなく18時になろうとしているところだ。ユカが起きる気配はまだないが、今のところ、容態は安定している。

 聖人や彩衣に連絡をして支持を仰ぐか、それとも――


「――いや、ここは同業者だよな」


 政宗はポツリと呟いてから立ち上がり、自身のスマートフォン内にあるアプリを起動する。そして、ユカの頭上近くまで近づいてから、写真を1枚撮影した。

 そして、踵を返してから再び客間を出て、自室へ向かう。室内に適当に置いていたメモ帳とボールペンを手に取ると、リビングに立ち寄ってバインダーもひっつかみ、再び客間に戻った。

 室内にある座卓の前に腰を下ろし、メモ帳とボールペンを置く。そしてスマートフォンを操作して、バインダーに記載さてれている内容も写真におさめた。そして、先程撮影した画像と一緒に送信してから……電話をかける。


「――佐藤、どうかしたのか?」


 コール音1回で電話に出た統治に、政宗は単刀直入に、努めて冷静に問いかける。

「なぁ統治、一般人の『生命縁』への干渉方法って……聞いたことがあるか?」

「『生命縁』への干渉だと……!?」

 電話の向こうの統治が、あからさまに動揺したのが分かった。そんな統治へ、政宗は努めて冷静に事情を説明する。

「さっき送った画像の1枚目を見て欲しいんだが、ユカの頭上近く、一箇所、怪しいところがあるんだ」

「怪しいところ……確認してみる、待っていてくれ」

 そう言って電話口から一旦離れた統治は、自身のスマートフォンを操作して、政宗から届いた画像を拡大表示した。そして、彼が言っていることを理解して……深く、深くため息をつく。

「……確認した。確かに気になる箇所ではあるが、ここに干渉して、山本が何か変わるのか?」

「正直、俺にはさっぱり分かんねぇよ。ただ……ユカが3時間くらい前に、急に苦しみだしたんだ」

「なっ……!?」

 電話の向こうの統治が、非常に珍しく声で動揺を示す。政宗はそんな彼を落ち着かせるように、冷静に言葉を続けた。

「今は落ち着いたけど、多分まだ、もっと大きな山場はあると思ってる。正直、見ていられないんだ。もしも、その原因の1つがコレだとするならば……ユカが少しくらい、楽になるかもしれない」

 恐らく、彼女が元に戻る──身体が再び小さくなってしまうことは、止められないだろう。

 ただ、それに伴う苦痛が、この処置を施すことで……少しでも軽減されるなら。


 脳裏によぎるのは、苦痛で顔を歪め、必死に耐えようとしているユカの姿。

 仙台に来てから、決して涙を見せなかった彼女が初めて見せた顔が、忘れられない。

「い、たい……政宗、痛いっ……!!」

 そして、耐え難い苦痛と戦い、それでも笑顔を向けようとしてくれた痛々しい姿が、瞼に焼き付いている。

「だい、じょっ……大丈夫、これ、くらいっ……ぁっ……っ……!!」

 もう、あんな顔は見たくない。あんな声は聞きたくない。

 ユカには……笑顔でいて欲しいから。


「……分かった。早急に調べて、また連絡する」

 統治はそう言って電話を切った。政宗は電話の切れたスマートフォンを机上においてから、ユカの様子を見るために立ち上がり、ベッドの方へ近づいた。


 すると……彼女の瞼がピクリと動き、ゆっくりと目を開いて……自分を覗き込む政宗を見つけた。そして心底安心したように目を細め、少し乾いた唇で言葉を紡ぐ。

「政宗……どげんしたと?」

 そう言われた政宗は、思わず脱力してしまった。

「それはコッチのセリフだ。大丈夫か?」

「うん、何とか……うん、もう大丈夫だよ」

 そう言いながら体を起こすユカを、ベッドのヘリに座って背中から支えつつ……政宗は改めて視え方を切り替え、先程の違和感の位置を確認した。

 ユカの『生命縁』に生じた違和感は、彼の目の前にある。しかし、今はまだどうしようもない。

 政宗は軽く目を閉じて視え方を元に戻すと……とあることを思いつき、彼的にはさり気なく、傍からみるとぎこちなく、ベッドの上に、ユカの背後に座り直した。

「政宗……?」

 ユカが首だけを動かして彼を見上げる。政宗は不自然に視線をそらしながらもベッドの上に自分の足を伸ばして……顔に疑問符を浮かべているユカに、改めて、笑顔を向けた。

「よしケッカちゃん、俺にもたれかかっていいよ」

「へっ!?」

 唐突な提案に、ユカが目を見開いて間の抜けた声を出す。

「大丈夫大丈夫、お兄さん、もう大人になったから」

 そして、すぐに彼の言動を察して……顔の位置を正面に戻すと、とても楽しそうに言葉を返した。

「知ってますけど……だ、大丈夫ですよ」

「いいから。あーもう年長者の言うことを聞くっ!!」

「はいはい……って……!?」

 あの時は、政宗が強引に自分の方へ引き寄せたけれど。

 今回は……政宗から彼女に近づいて、後ろから抱きしめる体勢になる。

「ちょっと政宗ー、あたしの中にある思い出と違うんやけどー?」

 彼の腕を抱えるようにつかみ、ユカが腕の中で肩をすくめる。政宗は腕の位置を調整しつつ、そんな彼女にいけしゃあしゃあと返答した。

「ここからは新しい思い出だ。俺がなけなしの勇気を振り絞って頑張ったんだからな」

 そう言って、政宗は少しだけ腕に力を込める。

 今、自分に出来ることは……彼女のことを、少しでも多く記憶しておくこと。

 例え、未来のユカが覚えていないとしても、ここにいる政宗がしっかり覚えていれば……きっと、その先の未来へつながっていくはずだから。

 頭ではそう理解している。でも……胸によぎるのは、未来への不安。どうしようもなく弱い自分が、そっと、顔を出す。

「……あー……ダメだ、離れたくないな」

 政宗は彼女の肩に額をつけると、心からの本音を口に出した。

 言葉に出すつもりなんかなかった。こんな弱い自分を見せたくなかった。でも……ここで一度ガスを抜いておかないと、肝心な時に迷ってしまうかもしれないから。

「政宗……」

「ゴメンな、ユカ。今だけ……今だけでいいんだ。弱音を全部吐き出させてくれ」

「……うん。じゃあ、あたしも同じことしてよか?」

「ああ。お互いに嘘をつくのはナシだ」

 政宗の言葉に、ユカは……自分を抱きしめている彼の両腕を、自分の両腕でギュッと強く握りしめる。

「自分でも分かっとるよ、あたしはもう、あんまりこうして……このままの姿じゃいられないって」

 この言葉に、政宗は重たいため息をついた。

「だよなぁ……どうしてこのままでいられないんだろうな」

「それは本当に分からん。どうしてあたしがこんな姿なのか、とか、詳しいことは何も分からんけど……ただ、悔しかね。むかつくよね。意味が分からんね」

「そうだな」

「仙台のラーメン、食べたかったな」

「今回は流石に連れていけなかったな」

「ごぼ天うどん、食べたかったな」

「……ユカ、それ、宮城にないから」

「嘘ぉ!?」

「残念ながら事実だ。統治にも聞いてみれば分かる」

「食文化の違いってやつやね、残念……そうだ、統治に作ってもらおう」

「ああ、それが手っ取り早いな」

 2人は互いの顔を見ないで会話を続けた。そして、互いに無言になった後……ユカの声が、政宗に届く。

「もっと……一緒にいたかったね」

「そうだな」

「やっぱり忘れちゃうんやろうか、この時間のことも、政宗のことを好きだって気持ちも……」

「その可能性が高いだろうな。正直、忘れた後のユカとどう接したらいいのか……俺は今から不安だ」

「アハハ……が、頑張ってね……」

 もはやユカはそう言ってねぎらうことしか出来ない。そんな彼女の肩から政宗は頭を起こすと……穏やかな表情で、もう一度彼女を抱きしめる。

「ああ、その時は頑張るから……出来るだけ、忘れないでくれよ」

 ユカは一度だけ首を縦に動かすと……前を見据え、力強く返答した。

「……うん。あたしは絶対に忘れんよ、政宗」

 統治からの電話がかかってくるまでの間、2人はこのままの体勢で……それぞれに、覚悟を決めた。


 統治から政宗へ電話がかかってきたのは、18時30分を過ぎた頃だった。

 ユカのもとから離れた政宗は、メモやペンを置いたところまで移動して、電話を取る。


「もしもし、統治――」

「――昨日はお疲れ様、佐藤君」


 返ってきたのは、統治よりももっと低く、落ち着いた声。

 政宗の背筋が、条件反射でピシリと伸びる。


「当主……お、お疲れ様です……」

 急に緊張する政宗に、当主――名杙領司は、淡々とした口調で話を続けた。

「時間が惜しいので用件にはいろう。統治から大体の事情は聞いている、『生命縁』に干渉したいということだが……間違いは無いかな?」

 政宗は口の中にたまったつばを飲み込むと、一度、呼吸を整えて――はっきりとした声音で返答した。

「そうです。ユカの『生命縁』に生じたささくれを整えたいんです。方法はありますか?」

 政宗の言葉に、ベッドの上のユカが息を呑んだのが分かった。彼はそんな彼女に笑顔を向けると、メモに一言書きなぐり、彼女の方へかざす。

『大丈夫だから。きつかったら寝ていてくれ』

 そのメモにユカは首を横にふると、ベッドの上に座ったまま、政宗の方に笑顔を向けた。

 ユカから視線をそらしたところで、電話の向こうにいる領司が話を続ける。

「私も写真を見せてもらったが……この場合であれば、毛先を切って、傷口を10秒ほど手で抑えれば、何とかなると思う。気をつけなければならないのは、傷ついていない『生命縁』に『縁故』の力が干渉すると、対象者に影響が及ぶかもしれないこと。そして……佐藤君に反動がくることだ」

「俺に……反動?」

「そうだ。君の体がどうなるのかは分からないが、必ず何かしらの反動がくると思ってくれ。もしかしたら……『縁故』としての能力が、消えてしまうかもしれない」

 『縁故』としての能力が消える――それは、彼が『佐藤政宗』でいられなくなることを指す。

 ただ、今の彼の中では……ユカの苦痛を軽減すること、これが全てにおいて最優先事項なのだ。

「その程度のこと、問題ありません」

 政宗ははっきり言い放つと、手元のメモに視線を落とし……領司に問いかける。

「当主……これだけですか?」

「ああ」

「そうですか……」

 他にもっと特別な道具や儀式などが必要なのかと思っていた政宗は、少し拍子抜けしてしまった。

 そんな彼の心を見抜いた領司が、変わらぬ口調で釘を刺す。

「情報が流されていない意味を考えて欲しい。今回は非常事態でもあるし、私が君を信用しているから、こうして話をしているんだ。『生命縁』への安直な干渉は、生命(いのち)への冒涜にあたる。強い覚悟をもって、対処にあたってほしい」

「はい、分かりました」

 君を信用している――この言葉に再び背筋を伸ばした政宗に、領司が少しだけ優しい声で、こんな言葉をかけた。

「落ち着いたら、酒でも飲みながらゆっくり話をしよう。昨日は佐藤くんがいなくて、ちょっと物足りなかったよ」

 そういう彼の声は、名杙家現当主ではなく……お酒を飲むことが好きな、親友のお父さんのものだったから。

 政宗は肩の力を抜き、笑顔で返答した。

「……分かりました。是非、お付き合いさせてください」


 その後、電話の向こうが領司から統治に変わった。

「佐藤、俺もそっちに行ったほうがいいか?」

 こう尋ねられ、政宗は一瞬思案してから――

「いや、統治は明日の朝に様子を見に来て欲しい。もう暗いから、道路の冠水に気付けないかもしれないし……2枚目の画像を見てもらえれば分かると思うが、ちょっとコッチも異常事態なんだ。統治までここで倒れたら、明日の『仙台支局』は誰が鍵を開けるんだ?」

 本当は、統治にも側にいて欲しかった。3人、同じ空間で……乗り越えたかった。

 しかしここで、全員が共倒れになるわけにはいかない。全ては3人の居場所となった『仙台支局』も守り抜くため。

 そのための最善の方法は、今、3人がここに集まることではない。

「……そうか。分かった」

 統治もそれを分かっていた。そのため、あっさりと引き下がる。

「悪い、俺のワガママで……」

「今に始まったことでもない。それならば……少しだけ、3人で話をしても構わないだろうか」

「あ、ああ。スピーカーフォンにすればいいか?」

 統治の提案に、政宗はあわてて通話の設定をスピーカーに切り替えた。そして、ユカの方へ近づき、二人して電話を見つめる。

「……山本、聞こえるか?」

「統治!!」

 電話越しに聞こえる統治の声に、ユカが嬉しそうに彼の名前を呼んだ。そして。

「ねぇ統治!! 宮城にごぼ天うどんってなかと!?」

「ご、ごぼ……?」

 電話の向こうの統治が、唐突な質問に口ごもる。政宗はユカに「落ち着けー」と苦笑いを浮かべ、彼女の言葉に補足した。

「ごぼう天うどんのことだ。統治、知らないか?」

「ごぼう天……ああ、そういえば福岡で一度食べたような……それがどうかしたのか?」

「ユカがどうしても食べたいんだとさ。ただ、宮城で提供している店を探すより、統治に作ってもらったほうが早いし美味いって結論に達したんだ」

「……俺を何だと思ってるんだ」

 電話の向こうの統治が、呆れ声と共にため息をつく。ユカは心配そうな表情で、電話の向こうの彼に問いかけた。

「統治……作れん?」

「要するに、ごぼうのかき揚げを作ってうどんにのれせばいいんだろう? 分かった、少し調べてみる」

「本当!? じゃあ、次に会った時に……絶対食べさせてね!!」

 この言葉に、統治は一度息を呑んだ。しかしすぐに呼吸を整えて、力強く返事を返す。

「分かった」

「うん……ありがとね、統治」

 電話の向こうにいる統治は、再び少しだけ沈黙した後……ユカに向けて、こんなことを言う。

「鶏肉を南蛮漬けにしたものが、冷蔵庫に入っているはずだ。よければ夕食にでも食べて、また……感想を教えてほしい」

 これが、彼らなりの未来への約束。再び顔を合わせて、一緒に話をする……そのための布石だ。

 ユカは電話口で何度も頷きながら、声に震えを出さないように言葉を変える。

「うん、分かった。絶対美味しいって分かっとるけど、どこがどげん美味しかったのか……絶対に、直接伝えるけんね」

「ああ、必ず直接教えて欲しい。あと、次までにごぼう天うどんだな」

「そうそう。忘れたら……承知せんけんね」

 ここまで言って、ユカが目尻に浮かんだ涙を拭った。ユカの言葉が途切れたことを悟った統治が、今度は政宗に向けて声をかける。

「佐藤、食べた食器はちゃんと片付けておくんだぞ」

「分かってるよ。ここ最近はちゃんと片付けてるだろうが」

「その程度で威張るな」

 統治は再びため息をつくと、電話の向こうで呼吸を整え……はっきりと、こう言った。

「明日必ず、2人のところへ行く。佐藤、山本を……頼む」

 電話越しの統治の声が、少し震えていたように聞こえたのは……きっと、雨で電波の状態が不安定になったのだろう。

 政宗はこみ上げてくる涙を必死にこらえ、電話に向けて笑顔を作り、右手を握って前に突き出した。

「ああ。頼んだぞ、統治」


 その後、電話を切った2人は……空腹に耐えられるはずもなく。統治と彩衣が作り置きしてくれていたおかずを、夕食として一緒に食べる。

「ねー政宗ー、汗でベタベタするからお風呂入りたいんやけどー。折角やけん一緒に入ろー」

「無理だから!! 濡れタオル渡すから自分で拭いてくれ!!」

 というやり取りの後、政宗がユカへタオルをぶん投げたりして、あっという間に時間が過ぎた。


 時刻は20時を過ぎたところ。体を拭いて、ゆったりしたパジャマに着替えたユカが、ビーズクッションの上でゴロゴロしていた時……2度目の異変が発生する。

「ぐっ……!!」

 ユカが目を白黒させながら、背中を丸めて体を震わせた。

「ユカ!?」

 キッチンで飲み物を用意していた政宗は、慌てて彼女に近づこうとして……その場で踏みとどまる。そして、一度自室に戻ると、仕事用のカバンの中にいれておいたハサミを手に取り、再び、リビングに戻った。

 そして、軽く目を閉じてから視え方を切り替え……意を決して、彼女に近づく。

 一歩近づくごとに、肩や両足、瞼に至るあらゆるところに、ズシリと疲れがのしかかってくるような、容赦ない疲労感を感じた。ふらつきそうになる足元にまずは神経を集中させて、ユカの『生命縁』に手が届くところまで近づく。

「……いくぞ、ユカ」

 背中を丸めて小刻みに震えている彼女に声をかけてから、政宗は片膝をついて、ユカの『生命縁』を左手で掴んだ。一瞬、指先が軽く痺れたような感覚に襲われたが、耐えられないほどではない。


 死神の足音が、久しぶりに聞こえたような気がする。

 しかし、今の政宗には、以前のような恐怖心はなかった。

 恐怖を感じている暇などない。今、自分がやるべきことは――余分な『縁』を清算して、目の前の彼女を生かすこと。

 その『縁』を切って――ここで全てを終わりにするのだから。


政宗は彼女を死神に奪わせまいと、『生命縁』を握る手に更なる力を込めた。そして、注意深く『生命縁』を観察して……違和感の元凶を、ささくれている部分を確認する。



 ――迷いを、断ち切る。

 必ず、結果を、未来へ繋げる。



「――っ!!」



 政宗は全神経を研ぎ澄ませ、右手に持ったハサミを、注意深く、その根本に近づけた。そして、直感で角度や位置を調整してから―― 一気に、切る。



 次の瞬間、ハサミの刃にヒビが入り……切った『生命縁』の欠片と共に霧散した。



「え……?」

 事情が飲み込めない政宗だったが、すぐに我に返って、右手に残るハサミの柄をとりあえず床に放り投げると、切ったところを右手で10秒ほど抑える。

 すると……足元で苦しんでいたはずのユカが、段々と呼吸を落ち着かせていくのが分かる。そしてそのまま仰向けになり……汗の残る表情で、政宗を見上げた。

「政、宗……?」

 その声に、先ほどのような苦しさは感じられない。信じられないと言いたげな表情のユカに、政宗が優しく問いかけた。

「ユカ、何か変わったか?」

「……うん、なんか、苦しいのはおさまった、けど……」

 呼吸を整えるユカが一度言葉を切って、目を細め、苦笑いを向ける。


「多分、ここで目を閉じたら……あたしはもう、終わりだと思う」


 その言葉に、政宗は一瞬目を見開き……彼女と同じく苦笑いで受け入れた。

「……そっか」

 政宗もまた、自分を取り囲む異常なほどの倦怠感が、ずっと消えずに、彼の意識を奪おうと、必死に攻撃を仕掛けてきていることに気付いていた。

 きっとここで、ユカに触れてしまったら……自分は、意識を失ってしまう。

 彼女の苦しみを取り除くことは出来た。けれど……彼女を完全に開放するには、至らなかった。

 政宗の中には、『生命縁』を無事に処理できた達成感以上に――悔しさが、残る。

そんな彼の感情を察したのか、ユカは満足そうな表情で、政宗へ向けて右手を伸ばした。

「ありがとう、政宗。苦しくないや……顔……ちゃんと、見えるよ」

 一瞬その手を繋ごうとして、慌てて思いとどまる。ユカは「それでいい」と言わんばかりに頷いてから、右手の小指を立てて、いたずらっぽく笑った。

「政宗……約束、忘れんでよ。いっぱい……政宗とやりたいこと、3人でやりたいこと……あるんやけんね」

「当たり前だろう。ちゃんとメモしてあるから、心配するな」

「さすが……頼りになるなぁ……そういうとこ、大好きだよ……」

 ユカがそう言った直後……自分の頬に落ちてきた涙の主に、苦笑いを向ける。

「もぉ……大人になったんやし、そげん泣かんでもよかやんね……あたしは……元に戻るだけなんやから」

ユカはここまで言ってから……苦笑いを、いつもの笑顔に変えた。

「でもね、きっと……きっとまた、すぐに……政宗と統治に会える。政宗が、迎えに来てくれる……それまで、この10年間のこと、ちゃんと『ケッカ』に聞いとくけんね。1人で頑張りすぎないで……ちゃんと、『ケッカ』や統治にも頼らないとダメだよ……?」

「ああ……分かった。ユカこそ、食べ物以外の話も、ちゃんと……覚えて……っ……!!」

 政宗は自分に向かっているユカの右腕をつかむと、そのまま力任せに自分の方へ引き寄せた。為す術無く起き上がった華奢な体を抱きしめた瞬間――更に強烈な倦怠感と睡魔が襲ってくる。

 それで良かった。遅かれ早かれ、自分はきっとユカと共に気を失ってしまうだろう。

 だったら、せめて……ユカと一緒に、眠りにつきたい。

「政宗……」

 もう、彼の背中に腕を回す力は残っていない。ユカは指の先にあった彼の服を掴むと……静かに、その目を閉じた。

「絶対に迎えに行く。約束も……全部、果たしてみせる。今度は絶対に、10年も待たせないから」

「うん……うん……」

「そしたら……ちゃんと、家族になろうな。約束だぞ。忘れたら承知しないからな」

「うん……」

「……お疲れ様、ユカ。よく頑張ったな。そういう頑張りやなところ……大好きだ」

 政宗はそう言って、ユカの頭を優しくなでた。そして、最後にもう一度彼女を強く抱きしめてから……腕の拘束を少しだけ緩めて、彼女と真正面から向かい合う。互いの額をくっつけあい、重たくなってきた瞼をこじあけて……彼女の顔をしっかりと確認した。


 そこにいたのは、目を閉じて……笑顔を向けてくれるユカ。政宗がずっと想いを寄せて、想いが通じ合った……大好きな女性の、大好きな笑顔。

「……敵わないな」

 政宗は彼女の唇にそっとキスをしてから、未来への誓いを口にした。


「――愛してる。必ず、未来で逢おう」



挿絵(By みてみん)



 そして、彼もまた――目を閉じる。

意識を手放す直前……唇に何か、暖かいものが触れたような気がした。














 翌日、雨があがった月曜日の午前7時過ぎ。

 政宗の部屋に3人分の朝食を持って訪ねた統治は、リビングで抱きあうように倒れている2人を見つけて、荷物をその場においてから慌てて駆け寄った。

「佐藤!! やまも……」

 そして、ユカが見慣れた――12歳前後の彼女に戻っていることに気付き、全てが終わったことを悟る。


 安心すると思っていた。

 でも、改めて見慣れたはずの彼女を突きつけられると、自分たちはまだまだなんだということを思い知らされる。

無意識のうちに、右手を──ユカと『関係縁』が繋がっている手を、強く握りしめていた。

 心の中に残ったのは――安堵感と敗北感。


「……そうか」

 幸せそうな顔で眠っているユカを確認した統治が、そう呟いた次の瞬間……政宗の体がピクリと動いた。そして、瞼をひらいて……自分を見下ろしている統治と、隣にいるユカを交互に見やり、統治と同じく現状を理解する。

「統治……おはよう、今何時だ……?」

「朝の……7時過ぎだ」

「そっか……そろそろ起きないと、遅刻するな……」

 政宗はそう呟いてから、隣で眠っている彼女の頬に、そっと、自分の手を添えた。

 刹那、違和感を感じた彼女が顔を歪ませるが……特に起きるわけでもなく、また、幸せそうな顔で眠りに身を任せる。

 昨日はサイズがピッタリだったパジャマも、すっかりブカブカになっていた。きっと、目を覚ました本人は混乱するだろう。さて、どんな言い訳で誤魔化せばいいのやら。

 そんなことを頭の片隅で考えながら……政宗は優しい声で、彼女の名前を呼ぶ。


「……おかえり、ケッカ」




 カーテンを閉め忘れた窓からは、眩しい朝の光が差し込んでいる。

 雨が上がり、夜が明けて――また、いつも通りの、新しい1日が始まった。

 長くなりましたが分割しませんでした。お疲れ様でした。

 このエピソードで、『エンコサイヨウ』という物語に幕を引くことも出来た……と、今でも思っています。

 ユカの『生命縁』に政宗が干渉して、統治がなんか手助けとかして、なんか色々理由をつけてユカを19歳のままで固定して、なんか色々理由をつけて記憶も戻して、大団円――でも、間違いなく何とかなったんです。

 でも、霧原は一旦、19歳のユカとは別れる決意をしました。正直ちょっとしんどいです。(笑)2人がちゃんとした恋人だったのは約24時間だけ。これがきっと、今の3人の実力の限界なのでしょう。ってことでまだまだ続きます。ずっと一緒への道のりは遠いのです。


 加えて『エンコサイヨウ』はもう、3人だけの物語ではなくなってきたんですよね。心愛や里穂、蓮(華蓮)、仁義、分町ママ、伊達先生、彩衣……他にも色々と動かしたいキャラクターがいます。中学生や福岡組なんて、掘り下げがまだまだ足りません。

 霧原がまだまだこの作品を通じて伝えたいことがあるので、これからも続けることにしました。


 あーーーでも、政宗に感情移入しすぎました……そしてキスなんかさせるつもりなかったのになー超悔しい!!

 霧原の脳内で、「愛してる」という言葉を使っていいキャラクターには、それはもう厳しい査定があるんです。これまでの創作において、今のところ言わせたのは2人(共に女性)くらいです。政宗が約10年ぶりの3人目だっておめでとう。しかも男性キャラで初めての可能性があるなんて……もううろ覚えだよ。悔しい。(こればっかりだな)

 とはいえ、彼が次もこの査定をクリアするかどうかは分かりません。引き続き頑張ってもらいましょう。


 69%と言われ続けて約1ヶ月(2017年7月時点)……少しは、7割に到達出来たでしょうか。ユカの相手役として、ふさわしくなったでしょうか。

 霧原としては、ちょっとくらいはいい男にしてやった感はあります。少しでも彼のカッコよさが伝わるといいなぁ……。

 あ、余談ですが、ボイスドラマ『隙間語』では、この日曜日の午前中くらいの2人を音声化します。ええ、一番くっついたであろう時間帯ですね。どうなるんでしょうね。編集しながら霧原さん溶けるでしょうね。頑張って生き残ります。

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