エピソード5:名杙兄妹ラブコメディ④
そして、18時過ぎ。定時に仕事を終えた華蓮は、心愛と共に、仙台駅内の商業施設『S-PAL』内にある、オーガニック系のセレクトショップにいた。
2人で出ていくことに驚いた様子の統治だったが、分町ママが「あの2人はもう大丈夫よ。統治君は統治君のやるべきことをやりなさい」と言って、ウィンクしてみせる。恐らく2人の様子を陰ながら見守ってくれるのだろう。統治はそんな分町ママと目配せで意思疎通を完了させてから、心愛に「あまり遅くならないようにな」と声をかける。「山本には必ず渡しておくから」と、再度念を押して。
木材のナチュラルな色合いが優しい店内は、学校帰りの高校生や仕事終わりのOLなど、先程心愛が来店したときよりも、更に多くの若い女性で賑わっている。その場の雰囲気に少し萎縮している華蓮に気づかぬふりをしながら、心愛は率先して先を歩き……アロマオイルが並んでいるコーナーで足を止めた。
「多分、実際に匂いをかいでみて……自分が一番落ち着けるものを選んだほうがいいと思いますよ」
「そうですね……」
華蓮はコクリと首肯して、ラベンダーの香りをかぐことが出来る小瓶を手に取った。そして、反対の手であおぎながら香りを確認して……一度、呼吸を整える。
その横顔に特別な表情変化が感じられなかったため、心愛はビクビクしながら見守っていたのだが……華蓮は小瓶を所定の位置に戻してから、心愛の方を向いて、どこかはにかんだような笑顔を向けた。
「この香り……私、好きです」
その表情や仕草があまりにもたおやかで、あまりにも女性らしかったため、心愛は一瞬彼女の本当の性別を忘れる。その後、慌てて我に返ってから、何とか愛想笑いを向けることが出来た。
「そ、そうですか。それは……良かったです、うん、良かったです!!」
「申し訳ないですが、これに……割引券を適応してもらってもいいですか?」
「分かりました。じゃあ、心愛も一緒にレジに行きますね」
そう言って2人は並んで歩き、連携プレーで会計を済ませる。
店舗外に出てきたところで、華蓮は改めて心愛に向き直り、軽く頭を下げた。
「今日は……ありがとうございました。早速試してみます」
「いえ、お役に立てて嬉しい、です……」
心愛がどこか緊張しながらも返答し、2人並んで、仙台駅の改札口を目指す。
Suicaをかざして改札を抜けたところで、華蓮が「では」と、声をかけた。
「私は東北本線ですので、ここで」
そう言って、改めて頭を下げる華蓮。彼女は東北本線を使って利府まで帰り、心愛は仙石線を使って塩釜まで帰るため、乗り場が大きく異るのだ。普段ならばここで別れるのだが……。
「わ、私も今日は、本線で帰りますから……!!」
心愛はカバンをギュッと握りしめ、華蓮より先にホームへ続く階段を降りていく。一瞬面食らった華蓮だったが、慌てて彼女の背中を追いかけた。
「な、名杙さん、いいんですか……?」
階段下で追いついた華蓮が心愛に問いかけると、立ち止まった彼女はチラリと視線を向け、少し躊躇いがちに……こんなことを呟く。
「いいんです。4月は……何回か、一緒に帰ったりしたじゃないですか」
「……」
こう言われると、華蓮は口ごもるしか無い。
4月、華蓮がまだ周囲に『女性』だと思われていた頃。
同時期に研修を始めることになった心愛と華蓮は、何度か一緒に帰ったことがあった。
一緒に帰ると言っても、華蓮は心愛が降りる駅より手前の岩切駅で乗り換えることになるため、正味15分ほどではあるけれど。
しかし、あの時の華蓮は――来るべき『その時』のために、心愛を利用しようとしていただけだった。そして『その時』が来て、心愛を裏切り、悲しい思いをさせてしまった。
5月、華蓮として贖罪をすることに慣れ始めた頃。
一旦は分かりやすく華蓮を拒絶した心愛だったが、彼女に関わる問題が解決した後、心愛は華蓮にむけて、こう、言ってくれた。
「片倉さんのこと……正直、まだ少し怖い……かも、しれないけど……でも、今はお兄様達が信じて仕事を任せている人だから、心愛も……心愛も頑張って、また、信じてみようと……思ってる、ところです」
この言葉にどれだけ驚き、どれだけ心が軽くなったのか……今はまだ、はっきり伝える勇気はないけれど、でも、いつか謝罪以外の言葉も、伝えなければならないと思っている。
華蓮が言葉を探していた次の瞬間、ホームに電車が滑り込んできた。仙台駅を終着駅にした4両編成の電車は、折り返し、再び北を目指して走り出す。
扉が開いて人が入れ替わり、ホームが少しごった返した。2人は冷静に人の波をくぐり抜けて、7人がけの長い座席、その中央あたりに並んで腰を下ろす。帰宅時間ということもあって混み合ってきた車内。自ずと2人も体を縮め、肩がふれあい、近づくことになる。ほぼ同時にカバンを膝の上で抱え、愛想笑いを交換した。
「そういえば片倉さん……ケッカの具合とか、伊達先生から聞いていないんですか?」
心愛の質問に、華蓮は眉をひそめ……ため息をひとつ。
「私は本当に何も聞いていません。一応昨日、伊達先生に頼まれて、佐藤支局長の部屋に荷物を届けに行ったんですけど……」
「そうなんですか!?」
「はい。佐藤支局長は思ったよりも元気そうでした。ただ……山本さんとはお会い出来ませんでした。伊達先生に詳しく聞いてもはぐらかされるので……もう、諦めたところです」
そう言って何かを思い出し、顔を不機嫌にしかめる華蓮に、心愛はこれ以上何も言えないまま……少しだけうつむいて、ポツリと呟く。
「ケッカや佐藤支局長がいなくて、お兄様1人で……『仙台支局』はこんなに広かったんだな、って、思いました。ケッカが仙台に来たのだって、今年の4月なのに……もっと長い間、一緒にいたような気がします」
先日心愛が改めて垣間見た、あの3人の関係性。
この10年間では、顔を合わせた時間の方が圧倒的に短かったにも関わらず……ユカ、政宗、統治の3人は、それぞれの場所で戦い、実力を身につけて……この地に集まった。
心愛は時折、ユカや政宗が本当に羨ましくなる。自分には見せないような兄の表情を、あの2人はいとも簡単に引き出してしまうのだから。
心愛は顔をあげると、カバンを両手で握りしめて……心からの本音を呟いた。
「早く元に戻るといいなって……思います、本当に」
その数分後、電車は動き出し……人が多いことで程よく熱された車内の空気と、定期的に揺れる走行音と振動が、学校で疲れた心愛をあっという間に眠りの世界へ誘った。
最初は頭が左右に揺れており、隣の華蓮もハラハラしながら見守っていたのだが……電車がゆるいカーブを曲がった瞬間、心愛の頭がガクリと倒れ、華蓮の肩にもたれかかってくる。
「名杙さん……?」
今の衝撃で起きたのではないかと思って、恐る恐る呼びかけてみるが、心愛からの反応はない。その代わり、規則的な寝息が華蓮の耳に届いた。
よくもまぁ、こんなにすんなり眠れるものだ。そのたくましさを……少しでも良いからわけて欲しいと思ってしまう。
華蓮はズレた眼鏡の位置を直し、息を吐いた後に、蓮の声でひとりごちる。
「……しょうがない、か」
このまま起こすのは可哀想だと思って数分後……電車はあっという間に岩切駅に、華蓮が降りる駅まで到着してしまった。
扉が開き、降りる人と乗る人が入れ替わる。華蓮は座ったままでその光景を眺めつつ……自分の隣で無防備に眠る彼女を、起こすことが出来なかった。
何も出来ない自分も含めて溜息をつき、カバンからスマートフォンを取り出して、時間を潰すことにする。
そんな、降りそこねてしまった華蓮と、スヤスヤ眠る心愛を乗せた電車は、順調に駅を通過して……塩釜の1つ手前、国府多賀城駅を定刻通りに発車。
さすがにそろそろ起こさないとマズいだろう、そう判断した華蓮は……スマートフォンを鞄の中に片付けてから、心愛の肩を揺らし、そっと、声をかけた。
「名杙さん、名杙さん?」
「ん……?」
意識を取り戻したがまだ半覚醒の心愛が、肩を揺らしている華蓮の腕を無意識のうちに両手で掴んで――
「――っ!?」
現状を理解した心愛が、慌てて体の位置を調えた。そして、周囲をキョロキョロと見渡して……隣にいる華蓮を大きな目で凝視する。
「あ、あれ、心愛……あれ……?」
「おはようございます。次が塩釜ですよ」
「え、あ、そうですか……ってえぇっ!?」
次の瞬間、車両内に心愛の大声が響いた。乗客全員からの注目を集めた彼女は慌てて愛想笑いを浮かべ、隣で引き笑いをしている華蓮を小声で問い詰める。
「ど、どうして岩切で起こしてくれなかったんですか!? 片倉さん、降りられなかったじゃないですか!!」
「タイミングを計りそこねました。それに……少し戻るだけなので大丈夫ですよ」
「でも……!!」
心愛が言葉を続けようとした次の瞬間、電車が減速して、窓の外にホームの情景が広がる。人が動き始めたことを感じた華蓮は、カバンを持って立ち上がった。慌てて心愛もカバンを持って彼女に続く。
そして、電車が完全に停車して……扉が開き、外の湿気と中の冷気が、人の流れとともに交錯した。
北へ向かう電車を見送った華蓮は、同じホームの反対側に移動して、ベンチに腰を下ろした。小雨が降り続いている外の世界は、湿度が高めのジメジメした空気がはびこっている。特にスカートがまとわりつく感じが、慣れない華蓮には不快でしょうがなかった。早く、ここよりもいくぶん快適な電車内に戻りたい。
降りた乗客は出口を目指しているため、ホームに残る人影はまばら。スマートフォンで電車の時刻表を検索すると、仙台行きの電車は約15分後にやってくるらしい。あまり待たずに戻れることに安堵していると、心愛が華蓮の隣に無言で腰を下ろした。
「名杙さん?」
彼女の行動に首を傾げる華蓮に、心愛は視線を泳がせながら、頑張って言葉を紡ぐ。
「心愛も……一緒に待ってますから」
「はっ?」
これまた予想外の展開に、華蓮は思わず素の――蓮の声で返答してしまった。慌てて口をつぐむ彼を、心愛が先ほどとは一変した、ニヤニヤした表情で見つめている。
「……今、ちょっと戻りましたね?」
「仕事も終わったので……気が抜けました」
先ほど、電車の中で既に気を抜いていたからだろうか。すぐに華蓮の声に戻して呟き、いつか人前でやると思っていた失態を改めて自覚した彼は……目を伏せて、大きなため息をついて猛省した。そんな初めての失態を目撃してしまった心愛は、どこか楽しそうに話を続ける。
「そうだ、今のうちにお願いしたいことがあるんですけど!!」
「お願い……?」
いきなり何を言い出すのかと心愛を見やる彼に、彼女は意気揚々と更に続ける。
「そうです!! 片倉さん、心愛のこともお兄様のことも「名杙さん」って呼ぶので、正直分かりづらいんですよね。どっちか変えてもらえませんか?」
「え……」
言われて気づいた。確かに今の『片倉華蓮』は、統治も心愛も共に「名杙さん」と呼んでいる。しかし、それで不都合を感じたことはないので、このままで大丈夫なのだろうと思っていた。
しかし、その当人から苦情を申し立てられると……流石に、少し考えてしまう。とはいえ、年上であり上司でもある統治を下の名前で呼ぶのは気が引けた。ならば年下の……目の前にいる、心愛?
彼は改めて、心愛を見つめた。彼女はツインテールを揺らしながら、その大きな瞳で彼を見据えて、「どうするんだ?」と無言で問いかける。
「じゃあ……今度から、妹さんと呼ばせてもら――」
「それ、お兄様の添え物みたいで嫌なんですけど。却下です」
不機嫌な顔でバッサリ切り捨てられ、彼は逃げ道を失った。これはもう、答えは1つしか残っていないじゃないか。
……慣れないこともしょうがない。だって人生罰ゲーム中。これくらいのペナルティなんか、どうってことないはずだ。
彼は諦めた顔で苦笑いを浮かべてから……改めて、彼女の名前を口にする。
「じゃあ、今度からは……心愛さん、と、呼ばせてもらいます。それでいいですか?」
その答えに、心愛は満足そうな表情で頷いた。
このエピソードでは、過去にひのちゃんから頂いたイラストを挿絵として挿入しております。これは第1幕の動画を作って貰った時に描いてもらったものですね。この華蓮の悪そうな顔が!! 良い!!
そんな2人が久しぶりに一緒に帰って、心愛が電車でうっかり寝ちゃうのです……動揺しつつ最終的に呼び方を変えさせる心愛強い。なお、終盤で華蓮の三人称を『彼』にしているのはわざとです!! 誤字じゃないですよ本当だよ!!