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エピソード5:名杙兄妹ラブコメディ②

 まさか、櫻子の方から……ユカに関する話をふられるとは思っていなかった。

「山本が、どうかしたんですか?」

 統治は意識して冷静に問いかける。そんな彼に、櫻子はまだ躊躇しながらも……その詳細を呟いた。

「そ、その……足が動かない原因は、今は分からない、とか、万が一容が態急変した時のために、仙台市内で受け入れてくれる病院を探して、根回ししておく必要がある、とか……大変申し訳ないんですけど、近々に健康診断を受ける人だとは思えないような内容で……山本さん、大丈夫なんですか?」

「……」

 櫻子の言葉に、統治は内心、「そういう話は人に聞かれないところでしてくれ」と毒づいたが……彼女は病院内部の人間でもあるので、普段は人がいないところで話をしていた、の、かもしれない。

 ここで彼女に対して曖昧なことを言って誤魔化すことも出来た。ただ……彼女は遅かれ早かれ、ユカと会うことになるだろう。特に根拠はないが、統治にはそんな確信めいた予感があった。

 だから……周囲の雨や車の音に紛れるように、少しだけ声を潜めて……彼女にだけ聞こえるように、言葉を選ぶ。

「その、山本は……事情があって、常に体が本調子ではない状態で生きることしか出来ないんです。詳しくは本人に会ってもらうと分かるかと思いますが、彼女は……」


 彼女にそんな負債を背負わせた一旦は、自分だと思っている。

 あの時――ユカが倒れた時、ただ見つめるだけで、何も出来なかった自分。

 そんな自分を引っ張ってくれる政宗と、復活して共に歩いていくれているユカの存在は、今の統治にとって、心の支えの1つと言っても過言ではない。


 だから、ユカが倒れた時は――自分でも驚くほど、動揺してしまった。

 そして同時に、政宗の部屋に長くいられないという謎の現象に悩まされているせいで、思うように2人の力になれないことが歯がゆく、悔しくて仕方がない。


 ただ、そんな統治に……ユカは昨日、笑いながらこう言ってくれた。

「統治のご飯は食べやすいし、本当に美味しかよ。凄かねぇ……あ、明日は鶏肉食べたか!! っていうか何でもいいけんがお肉、お肉食べたい!!」

 そんなユカの様子を見ている政宗もまた、楽しそうに笑っていて。

 その後、自宅に帰った統治へ、政宗からこんなメールが届いた。


『統治、お疲れ様。今日もありがとうな。ごちそうさまでした。

 仙台支局はここが正念場だと思ってる。頑張って一緒に耐えてほしい。』


 彼らは彼らの戦場で、必死に戦っている。

 統治が今やるべきことは、己の体に生じた不調を嘆くことではない。

 ユカと政宗との居場所を――3人の夢を、約束を、守ること。


 統治は真っ直ぐ前を見つめて、自信を持ってこう言った。


「彼女は……本当に強い女性です。俺も毎日様子を見に行っていますが、日に日に回復していますので……近いうちに、健康診断でお世話になると思います」

 そう言って右隣を歩く櫻子の方を見下ろすと、彼女もまた統治を見上げ、力強く返答した。

「分かりました。当日は、しっかり対応させていただきます」

 本当はもっと詳しく気になるだろうに、それ以上詮索せずに心強い返事を返してくれた櫻子が、今の統治にはとても、頼もしい味方に見えて。

 彼女に声をかけようとした次の瞬間――傘をさしたままで走ってきた自転車が、櫻子に向けて突っ込んできた。


「――危ない!!」


 統治は思わず大声を出して、櫻子の左腕を掴み、力任せに自分の方へ引き寄せる。バランスを崩した彼女は思わず傘を手放し、統治の体にもたれかかった。


挿絵(By みてみん)


 あちらの前方不注意で危うくぶつかりそうになった自転車は、櫻子へ謝罪をするでも、特に立ち止まることもなく、他の人並みをかき分けて直進していく。

 統治はそんな自転車の態度に激しい苛立ちと怒りを感じつつ……努めて冷静に思考を切り替え、自分の真下にいる櫻子を見下ろした。

「大丈夫でしたか?」

「大丈夫……です……ありがとうございました」

 半ば放心状態で呟く櫻子に、統治は自分が持っている傘の位置を調整し、彼女が濡れないようにした。傘から滴り落ちる雫が統治の背中を濡らすけれど……今はしょうがない。

 一部始終を見ていた通りすがりの女性が、歩道に転がっている櫻子の傘を拾って手渡してくれた。櫻子はそんな彼女に深く頭を下げると、改めて自分の傘とカバンを持ち直そうとして……。

「あ、あの……名杙さん……」

「はい、何でしょうか」

「そろそろ、その……手を離していただけるとありがたいんです、けど……」

「っ!?」

 ここで初めて、統治はまだ自分が櫻子の左腕を掴んでいることに気づき、慌てて手を離した。

 そして、慌てて頭を下げる。

「す、スイマセン気づかずに……!!」

「いえ、こちらこそ本当にありがとうございました。おかげで怪我をせずにすみました」

 傘とカバンを持ち直し、櫻子もまた、頭を下げる。

 そして、2人して同時に顔をあげて……思わず、笑ってしまった。


 気を取り直して再び歩き始めると、櫻子が反対車線を疾走する自転車を見やり、首かしげる。

「それにしても、危ないかたでしたね。傘をさしたまま自転車なんて……バランス感覚によっぽど自信があるのでしょうか?」

「いや、それは違うと思う……思いますが……」

 彼女の大分ズレた言動に思わず素で突っ込んでしまった統治が慌てて言い直す。そんな彼を櫻子は横目で見上げ、こんな提案をした。

「あの……もしご迷惑でなければ、私に対しては敬語を使わなくて構いませんよ」

「え? ですが……」

「勿論、名杙さんが話しやすい話し方で構わないんですけど……私に対しては、あまり気を遣わないでください。そのほうが、私も気が楽になりますから」

 そう言って柔らかく笑う彼女に、統治は少し思案してから……。

「……分かった。じゃあ、透名さんも俺に対しては……」

 統治の提案を察した櫻子は、目を見開いて小刻みに首を横に振った。

「そ、それは無理です!! 年上ですし、先生ですし、それに……」

「それに……?」

 統治の問いかけに、櫻子は傘で顔を隠してから……はぁ、と、一度ため息を付く。

「……何でもないです。それに、私はもともとこういう性格なので、このままの方が話しやすいんですけど……ダメでしょうか」

 そう言って再び傘を動かし、斜め上の統治を見上げる。信号待ちになった2人は、そのまま立ち止まって見つめ合い……折れたのは当然、統治だ。

「分かった。それでお互いがストレス無く付き合えるなら、それでいいと思う」

「ありがとうございます」

 櫻子が笑顔で会釈をしたところで、傘を持った人が信号待ちのために一箇所に集まってきて……周囲がにわかに混み合ってきた。

 時刻が17時を過ぎたことで、仕事が終わって周辺の建物から出てきた人も増えたようだ。2人はそんな人混みに押されるように、互いに一歩つづ内側に近づく。

 そして、折しも2人の左右と前にはカップルらしき男女が親しそうに話をしていて……今日はこれからどこへ行くとか、前日のデートでどこへ言ったか、など、楽しそうに喋っている声が聞こえる。

 そして、統治は、自分たちの前にいるカップルが腕を組んでいること、その様子を櫻子が凝視していることに気付いてしまった。

 何だろう……これは、もしかして何か期待されているのだろうか。

 彼が真顔でどうするか考え始めた瞬間、信号が変わり、傘の花が一斉に動き始める。遅れずに一歩踏み出した櫻子から数歩遅れた統治は、歩数を調整して慌てて彼女の隣に並んだ。

 横断歩道を渡り終わったところで右折し、大通りの喧騒からは少し離れた路地裏を歩く。車道側を歩く統治を、傘を動かして櫻子が見上げた。

「名杙さん、私……歩くの早いですか?」

「いや、特にそんなことは……ちょっと考え事をしていて……」

「そうでしたか。あ、先程信号待ちで前にいたお2人、見ましたか?」

「え……?」

 まさか櫻子から話をふられるとは思っていなかった。そりゃあもう見てましたよだって貴女が見てたから、と、言いそうになり、統治は慌てて口をつぐみ、言葉を組み替える。

「何となく……何か気になることでも?」

「ええ。だって、お2人それぞれに傘をさしているのに、腕まで組んでいたんですよ。それで転ばずに歩くなんて、器用な方たちだなぁって……きっと、息がピッタリの恋人同士なんでしょうね」

「……」

 彼女の感覚は統治と根本的に異なっているので、やっぱりまだよく分からない。

 けれど……事務所内で垣間見た、仕事を一人前にこなしている立ち姿。そして、先程歩きながら感じた心強さ、それも紛れもない、透名櫻子という1人の女性の姿なのであって。

 ――分からないなら、知っていけばいい。自分なりのペースとやり方で、彼女のことを、もっと。

 統治は肩をすくめた後、純粋に感激している彼女にジト目を向けた。

「……いや、それは違うと思う」

「えぇっ!? この間読んだ本にはそう書いてあったんですよっ!?」

 本気で驚く櫻子に、統治は「やっぱり無理かもしれない」と一瞬で挫けそうになりつつ……歩幅を合わせて、駐車場を目指す。


 『仙台支局』から15分ほど歩いたところにある路地裏の一角、建物の隙間に位置する狭いコインパーキング。櫻子が、とある車の前で足を止めた。

 そこに駐車してあるハッチバック型の軽自動車は、パステルピンクと白のツートンカラーという女性らしい色合いが特徴的。櫻子は運転席のドアノブ近くにあるセンサーに手を触れて、ロックを解除する。そして統治の方に向き直り、改めて謝辞を述べた。

「今日はありがとうございました。あの、それで……ご迷惑でなければ、なんですけど」

「?」

「よければ、事務所の近くまで車でお送りさせてください。通り道ですし」

 統治は一瞬、「彼女の運転は大丈夫なのだろうか」と、非常に失礼なことを考えてしまった。そしてそれがうっかり表情に出てしまったらしく、櫻子に苦笑いを向けられる。

「信用できないかもしれませんが……毎日車を使っていますし、ここまで無事故で運転してきましたよ?」

「あ、いや、その……」

 言葉を見失って狼狽する統治を、櫻子は実に楽しそうに眺めながら……目線を上にあげて、鉛色の空を仰いだ。

「まだ雨も降っていますし、名杙さんが今は責任者なのですから、早く事務所に戻ったほうが良いと思います。それに……もう少しでもお話が出来ると、私も嬉しいです」

 ここまで言われると、断る理由がない。統治は泳いだ視線を櫻子にあわせてから、傘を動かさずに軽く頭を下げた。

「よ、宜しくお願いします……」


 普段から仕事で車を使っている櫻子なので、わずか5分ほどで、危なげなく『仙台支局』周辺まで戻ってきた。

 仙台駅1階のロータリーは、その上にあるペデストリアンデッキが屋根の役割を果たしており、乗り降りもしやすい、雨を抜けて一台分空いたところに滑り込んだ軽自動車は、助手席の統治に負担をかけることなく、静かに停車する。

 サイドブレーキを引いた櫻子が、シートベルトを外す統治に問いかけた。

「ここで大丈夫ですか?」

「ああ、助かった。ここから気をつけて」

「はい。名杙さんもお仕事頑張ってくださいね」

 車から降りて扉を閉める統治。櫻子は運転席から軽く会釈をすると、他に待っている車にスペースをあけるため、再び雨の降る世界へと車を走らせる。

 その後ろ姿を見つめながら……統治は今日、彼女と特に、スマートフォンに関する話をしなかったことに気付いたのだった。

 告白どころか手も繋ぎませんでした。まぁ、これがこの2人のペースなのだと……思うことにします。

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