第1章
僕は昔から<可哀想>という言葉が大嫌いだ。何故かといえば口先だけで「可哀想」と連発する奴に限って何もしないのが多いからだ。
小学生の時の卒業文集で、嫌いな言葉の欄に僕は<可哀想>と書いた。そして好きな言葉の欄には<自由意思>と――。
僕は今も昔も、人から可哀想がられるのも、誰かのことを「可哀想」と口にだして言うのも嫌いだ。哀れみや同情なんて欲しくない。それくらいならいっそ、カッターナイフで心臓を抉られて死んだほうがましだと僕は断言しよう……。
中学一年の時の自分の日記を読み返し、僕は思わず苦笑した。確かこの頃は受験勉強で忙しく、とにかくなんでもいいから捌け口が欲しいと切望していた頃だった。べつに日記にこんなことが書いてあるからといって、僕は誰かにいじめられていたわけでもなければ、誰かに殺意を抱いていたというわけでもなかった。ただ受験勉強の合間合間にそのようなことを空想していたという、それだけのことだった。
たとえば――それはつまりこういうことだ。
今僕は飢餓に見舞われているというわけでもなく、物質的にとても豊かで高水準な生活を送ることができているけれど、もしたった今、明日にも飢え死にするとしたらどうするか――僕は多分、他人の食糧を盗む機会があったとしたら、少しも迷うことなくためらうことなく、それを盗むと思う。そして腹いっぱいになったあとで、良心が痛むようなこともまったくないだろう。
また、たった今自分が死ぬか殺されるかという状況に陥ったとしたら――そして自分の手に武器となるようなものが握られていたとしたら――目の前にいる人間を殺すのに、迷いやためらいが果たして必要だろうか?
いや、断じてそのようなものは必要でないはずだ。間違いなく僕は刃を抜いて、眼前の敵を倒すだろう――それはあまりにも当然なことだ。
もちろん大人になった今の僕は、そう簡単に割り切って決断を下せるものではないと、十分に理解しているつもりだ。でも中学生の時の僕の思考回路はそんな感じだった。
つまり、学校の退屈極まりないお経のような授業中に、僕は死ぬだの殺すだのという状況を自分に設定しては、常に生きのびるための最善の道を迷うことなく選びとっていたということになる。
シャープのカチカチという音は時限爆弾の音で、定規はロケットの発射台――そして消しゴムが手榴弾やロケットとして空想世界に発射されることになる。
――ヒュー、ドガーン!
「大尉、敵陣爆破しました」
「うむ。全軍突撃!前へ進め!」
大尉の怒号が飛ぶ。僕は一兵卒だが、この戦争による勲功によって二階級特進することがすでに決定済みだった。ただし、このまま生きて無事祖国へ帰れればの話だが……。
「じゃあ次の問題は甲斐に解いてもらおう。甲斐瑞穂!黒板の前にでてきなさい」
「はい、先生」
僕はしぶしぶ黒板の前へでて、白いチョークを握る。三角比の証明。この問題のパターンはすでに先週塾で叩きこまれたばかりだ。
「流石だな、甲斐。将来は数学の学者にでもなるつもりか」
「ええ、まあ」
こんなものを証明できたからって、一体なんだというのだろう。もし勝浦先生――通称カッツ――が僕が本当になりたいものを知ったとしたら、彼の鬘は十メートルくらい後ろにすっ飛んでいたに違いない。
そしてそれから四年後、僕は漫画家になりたいという自分の夢を叶えることができていた。
僕の中学の三年間と高校の三年間は、明るくもなく暗くもなく、至極普通だった。偏差値の高いエスカレーター式の私立で、まわりには比較的お嬢さんお坊っちゃんが多く<いじめ>というようなことは、よほどのことでもなければ起きなかった。ただそのかわりハメを外すような生徒もほとんどなく――当然内申点に関わるためだ ――僕にはその六年、激しく勉強したというような記憶しかない。
そもそも僕が何故勉強ができたかといえば、それは教育ママゴンである母親を抜きにしては語れない。僕は四歳の頃から英会話の塾にやらされ、七歳の時からは公文式に通わされていた。僕の妹の美月はピアノにバレエだ。でも僕も妹も、母さんのことを一度も恨んだりしたようなことはないし、ある意味ではそうした境遇を与えてくれたことを感謝してもいる(妹もおそらくそうだと思う)。
ただ僕はあの六年、青春の光も影も味わうことなく灰色だったことを、今も後悔しているという、それだけなのだ。
僕の家庭は決して、人並み外れて裕福というわけではなかった。親父の職業は新聞記者で、中の上の生活くらいは家族にさせてやれるというような収入だったと思う。それにも関わらず母さんは少し背伸びをし、子供を塾に通わせたり習いごとさせたり、私立の学校へ入れたりするための努力を家計簿と睨みあいつつしていたというわけだ。
僕は先ほど自分の中学と高校の六年間が灰色だったと言ったが、自分の精神状態を<灰色>と認定するには、他の精神的な着色料について知っている必要があるのは言うまでもないだろう。ここからは、僕が小学生だった頃の話を少し長くしたいと思う。僕にとって、素晴らしく輝いて思えた子供時代の記憶のことを……。
僕は小学二年の三学期という極めて中途半端な時期に、札幌から釧路へと引っ越すことになった。理由は父の転勤によるものだ。二年ほど地方に出向したのち本社へ戻って出世――いわゆる栄転というものだったらしい。でも当時子供だった僕には、そんなことはどうでもよかったし関係なかった。とにかく仲のいい友達と離れたくないと、そうとしか思えなかった。べつに父さん、このまま平の新聞記者だっていいじゃないかって、そんなふうに思ってた。
しかしそんな息子の胸中を知ってか知らずか、母さんは極めて上機嫌だった。それというのも、中古とはいえ一軒家に住むことができる予定だったからだ、釧路では。いや、正確には一軒家の半分、半軒家といったところだったろうか。
釧路の鳥取、という場所にあるその家は、昔はラーメン屋さんだったらしい。ところがラーメン屋の主人は女を作って蒸発してしまい、残された奥さんは自分ひとりで店を切り盛りするのが難しくなって手放したということだった。
そしてこの青い屋根に白い壁の二階建て一軒家は、実に構造が奇妙だった。つまり、以前ラーメン屋をやっていた部分と、自宅にしていた部分が完全に別れていて、二世帯住宅のような形になっているのだ。昔ラーメン屋だった部分を今は、黒い顔をしたC型肝炎の男が借りて住んでおり、僕たち家族が――残りの半住居を一月三万七千円で借りるということになったわけだ。
僕と妹と母さんは、その庭と物置のついた中古の家を見るなり、目を輝かせた。母さんは団地の人づきあいからやっと解放されたことを喜び、僕と妹はその家の妙ちきりんな構造に狂喜した。
「隣に住んでるおっさんはちょっと頭おかしそうだけど、関わりあいにならなければいいだけだもんね」
「そんなふうに言うなよ。案外、話してみたら面白い人かもしれないだろ」
「まあたそーやって優等生ぶる。隣のおっさんは絶対イカレてるって。あの鳥が巣を作ってるみたいなボサボサの頭、お兄ちゃんだって見たでしょ?」
「うん……まあな」
ふたつ年の離れた妹に、口で勝った試しのない僕は、美月と共同で使うことになった部屋を見渡した。ほんの十畳ほどの部屋ではあるが、以前は七・五畳の部屋をふたりで分けあっていたことを思えば、ずっと広くなったように感じる――もちろん、それはまだ荷物が運びこまれていないせいでもあったけど。
僕は今でも、八歳から十歳まで過ごしたこの家の二階からの景色を、よく思いだすことがある。あれから一体、何度この家のことを夢に見たことだろう。夢の内容はいつも他愛のないことが多かった。机に向かって勉強していると、下からカレーの匂いがしてきて「今日の晩ごはんはカレーか」と思っている夢や、美月が「えっち!のぞかないでよ!」とピンク色のカーテンをシャッと閉めたところで覚める夢とか――そうだ。僕はこの部屋の中央を仕切るカーテンの色のことで、引っ越してきた日そうそう、妹と大喧嘩した。
そもそも僕は狭い部屋をカーテンで仕切るという妹の案からして気に入らなかった。何故なら十畳という畳敷きの部屋が、ことさら狭くなったように感じられるだろうからだ。
「もしピンクのカーテンで仕切ってくれないなら、下の部屋をひとつ美月にちょうだい。下には居間と寝室の他に、もうひとつ部屋があるんだからいいでしょ」
「そうねえ……」
荷ほどきをしていた母さんが、隣のずんぐりむっくりした亭主にちらと視線を送る――ようするに「あなた、なんとかしてちょうだい」ってことだ。
「ウォッホン」父さんは埃っぽい部屋を掃除しながら、咳をひとつした。「そうだなあ、美月。下の部屋をひとつやってもいいが、居間と寝室の間の部屋だぞ。茶の間にお客さんがきてる時は丸見えになるし、何かとバタバタしてせわしないぞ、きっと」
「べつにいいもん、それでも」
妹はおもちゃの人形の服をねだる時と同じ要領で、それからもねばり続けたが、引っ越しの作業で何かと忙しい両親にいくらつきまとっても無駄だった。最後には母さんに「今忙しいんだから、あとにしてちょうだい」と邪険にされて終わった。
「部屋が片付け終わったあとじゃ遅いじゃないのよ」
むくれながら階段を上ってきた美月は、隣の家とを隔てる壁を何度も足で蹴っている。
「大体隣のおっさんには二階なんて必要ないじゃない。どうせわびしい独りもんなんだから。二階にもうひとつ部屋さえあれば、お兄ちゃんと一緒じゃなくてもいいのに……」
まだ子供だった僕は、妹のその言葉を聞いてムッとした。
「言っとくけど美月、カーテンの色は絶対ブルーか緑だからな。ピンクなんてカーテン、僕は絶対絶対死んでも嫌だ」
美月は茶色の壁からくるりと振り向くと、今度はわあわあ泣きだしている。
「やだもん。カーテンは絶対ピンクなんだもん。そう決まってるんだもん」
妹が泣こうがわめこうが、僕は容赦する気はなかった。大体美月はいつもずるいのだ。達者な口を利くくせに、最後は泣いて自分の一番欲しいものをとろうとするのだから。
「カーテンがあろうとなかろうと」僕は泣きじゃくる妹に宣戦布告するように言った。「この線からおまえは入ってくるな。一ミリでもはみだしたら、げんこつ食らわせてやるからな。それが嫌なら罰金百円だ」
心持ち、少しばかり僕が多く領土をとると、妹はそのラインとなっているダンボールのひとつをぐいぐい押して寄こした。
「ずるい、そんなの。あとでお父さんに言いつけてやるから」
「うるさい、ガンコ。僕のほうが兄貴なんだから、おまえの部屋のほうが狭くても、それは当然なんだ」
僕とガンコ――『パーマン』の妹のガンコに、彼女は性格がそっくりなのだ――はお互いにダンボールをぐいぐい押しつけあい、最後にはその中身をとりだして互いに投げつけあった。そして上の騒ぎに気づいた母さんが、僕たちを怒鳴るために二階へ上ってくるまでそれは続いた。
美月に甘い父さんはといえば、石黒ホーマまでカーテンのリールを買いにいっており――当時は社名がまだホーマックではなく、石黒ホーマだった――二階の天井を巻尺できっちり測った中央に、それをとりつけた。カーテンの色は結局のところピンクだ。でも僕はもうそれ以上何も文句を言う気はなかった。
引っ越しそうそう喧嘩をすると、家族に悪いことが起きるという母さん言葉を信じたからではなく――結局のところ、僕は本当はカーテンなんかどうでもよかったのだ。ピンク色っていうのは確かに少し嫌だったけど、根本的なことはそういうことじゃない。僕は妹が自分のことを邪魔者みたいに扱ったのが許せなかっただけなのだ。
僕たち家族が釧路へ引っ越してきた、大晦日まであと一週間というその日の夕食は、とても豪華だった。お寿司にケンタッキーにケーキ、それにシャンメリー……ダンボールのいくつかをテーブルのかわりにして御馳走を並べ、TVのまだない部屋で家族の団欒を心ゆくまで楽しんだ。そして夜は茶の間に四人で川の字になって眠った。
これは僕が大人になってから思い至ることだけど、父さんと母さんは多分、何があろうと絶対に美月に部屋を与えることはなかったと思う。何故なら彼らは、子供ふたりを二階へ追いやっておいて、夜は夫婦のセックスライフを満喫する予定のようだったからだ。
確かこれも、釧路へ越してきて間もない頃のことだったと思う。母さんと僕と美月が三人でTVを囲んでいると、美月がおもむろにこう聞いた。
「ねえお母さん、せっくすってなあに?」
ちなみにTVではドリフターズの『8時だよ!全員集合』をやっていて――べつにいやらしいような漫才を志村けんや加藤茶が繰り広げているわけでもなかった。
「三浦くんがね、最近よく美月や隣のミカちゃんにこういうの。『おまえら、せっくすが何が知ってるか?』って」
「ミウラって、斜め向かいのひまわりマンションに住んでる奴だろ。せっくすかあ。お兄ちゃんもなんか、聞いたことはあるような気がするんだけどな……」
セックスが何かまったく知らないこの時の僕は、妹の疑問に答えようと一生懸命だった。
せっくす、せっくす、せっくす、せっくす……。
「ああ、そうだ!」僕はぽんと手のひらを叩いた。「確かせっくすっていうのは男が格好つけることを言うんだよ」
「ええー?そうかなあ。美月はなんか違うような気がするけど。ミウラくんの口ぶりだと、なんかちょっといやらしいことのような……」
「大丈夫だよ。僕が言うんだから間違いないって。明日ミウラに会ったらこう言ってやれよ。せっくすっていうのは、おまえみたいに変に格好つけてる奴のことをいうんだって」
「うん。じゃあそうする」
ソファーから転げ落ちんばかりにして笑っている母さんを振り返り、僕と美月はふたり同時に首を傾げた。母さんは一生懸命笑いをこらえながら、声もたえだえに、
「……父さんが、帰ってきたら……聞いてごらんなさい」と言った。そして実にタイムリーなことに、ちょうど父さんがその時帰ってきたのだ。美月は玄関に父さんを迎えにでると、早速とばかり疑問を投げかけた。
「ねえお父さん、せっくすってなあに?」
父さんはソファーの上で笑い死にしそうになっている妻を見て、大体のところ事情を察したのだろう、書類鞄を置いてネクタイを緩めると、美月の肩に両手をおいてこう言った。
「美月ちゃん。セックスっていうのはな、男の人と女の人が愛しあうことをいうんだよ」
「ふうん……」
まだよくわからないといった雰囲気の娘に、父さんは噛んで含めるように言い聞かせる。
「瑞穂が生まれたのも美月が生まれたのも、父さんと母さんが愛しあったからだ。おまえたちは父さんと母さんの愛の結晶ともいうべき存在なんだよ」
「愛の結晶……」と美月が口の中で繰り返す。「でもお父さん、なんかそれってダサくない?」
父さんは立ち上がりながら、苦笑している。
「そうかもしれないね。でも本当の愛っていうのは、実は結構ダサイものなんだよ」
笑い死に寸前から立ち直った母さんは、父さんの答えに満足したのだろう、夕ごはんのカレーを温めたり、冷蔵庫からビールをだしたりするために、のれんをくぐってキッチンへ向かった。
僕はといえば、セックスという言葉の意味を間違えたことが恥かしくもあったけど――何故か父さんの答えに、妙に納得してもいたのだった。