赤 い 波(8/49)PDFで表示縦書き表示RDF


赤 い 波
作:凪沙 峻





次の日、朝食をすませた鷲武は村を下りる準備をしていた。準備といってもたいした物があるわけではない。村の長老の源助に預けておいた拳銃を入れた皮のバックだけだ。
「準備はできたか?」
伊達が上着を着ながら奥の部屋から出てきた。
「荷物があればおれが持とう」
玄関に来た伊達の後ろには奈美子と美子が立っている。
「何のつもりだ」
鷲武は伊達を睨んだ。
「おれも一緒にいくのさ。あんたの主治医としてな…」
伊達はそう言って靴をはいた。
「冗談ならやめておけ」
「冗談のつもりはない」
「だめだ。おまえはここにいろ」
鷲武は伊達が持ったバックを乱暴に取り上げた。
「まあそう言うな。だいいち、その左手で何ができるんだ」
伊達はギブスで固められている鷲武の左手を見ながら言った。
「やめておけ。素人が警察の捜査に首をつっこむな。これはおれの仕事だ」
靴を履いた鷲武はそう言って立ち上がった。
「おれは一緒に行くと決めた」
「だめだ!」
鷲武が怒鳴った。
「どうしようとおれの勝手だ。何も悪いことをしていないおれが、あんたに指示される覚えはない」
伊達は笑って自分も靴を履いた。
「表へ出ろ」
鷲武が小さな声で伊達に言った。鷲武の目が光っていた。
「美子、ママと中にいなさい」
伊達は奈美子にウィンクして玄関を出た。駐在所の陰に回ってみると、鷲武が右手に拳銃を持っていた。
「おれを撃つのか?」
「どうしても来るというなら撃つ」
鷲武は親指で自動拳銃の撃鉄を起こした。   「なら撃てばいいだろう。おれを撃ち殺してゆけ」
そう言って伊達は鷲武を見つめた。その伊達の目に、鷲武の後ろから近づく奈美子の姿が見えた。両手でしっかりとフライパンを握っている。
 伊達は奈美子の姿を見て笑いを浮かべた。
「二度とその手にはのらん。おとなしくおれの言うとおりに…」
そう言った鷲武が、がっくりと地面に膝を付いた。後頭部に衝撃を受けたのを鷲武は知った。
「これでも手加減したのよ!」
奈美子は拳銃を落として頭を抱えている鷲武を見下ろした。奈美子は拾い上げた拳銃を伊達に渡した。
「クソ…」
鷲武は頭を抱えて立ち上がった。鷲武に睨まれた奈美子は、鷲武を睨み返してまたフライパンで殴る仕草をした。
「やめろ!。二回もやりやがって…。クソ女め!」
奈美子に殴られた後頭部をさすりながら、鷲武は気が遠くなりそうな頭をゆっくりと振った。
「クソ女でわるかったわね。何度でも叩くわ!」
そう言った奈美子は、まだフライパンで叩くしぐさをしている。
「聞かれなかったから別に言いもしなかったが、おれは射撃もやる。年に三回はアメリカの拳銃射撃の大会に出て、二年前にロス市警でマスターの称号を受けた。特にこのベレッタ系の銃は扱い慣れている。一緒にいてもそれほど邪魔にはならないと思うがな」
伊達は鷲武を見ながら拳銃を両手で持って弾倉をぬいた。銃口を空に向けてスライドを引いてみた。薬室に弾は装填されていなかった。伊達は笑って弾倉を入れ、撃鉄をたおした拳銃を鷲武に手渡した。
「おれの話を聞いてくれ」
伊達は駐在所の横に置いてあった木の椅子を出して座った。鷲武は黙ったまま拳銃を腰のホルスターにおさめた。
「奈美子と話し合ったのだが、あんたの言うとおりに世界が消滅する危機が訪れようとしているのなら、これは重大なことだ。もちろんこれは警察の仕事だということも理解はできる。だが、娘があの三個の球体を手に入れたのも、あんたがおれのところやってきたのも、これは何かの縁だと思う」
伊達はそう言って煙草を取り出して火を付けた。一本を鷲武に渡した。鷲武は黙ったまま煙草を受け取った。
「もしも制御ボックスの時限装置が作動して、九十六時間で[あかしお]に搭載している二十発の核ミサイルが爆発するのなら、あんたと一緒に行こうとここにいようと、それは同じことだろう。ならばおれは自分の手で妻や娘を守りたい。守るためにはあんたと行動を共にして制御ボックスを取り戻すのが一番だと考えた。いきさつを知ったからには、おれは座して死を待つ気はない」
伊達は大きく煙草の煙を吐き出した。
「勝手な判断をするな。これは警察と政府の問題だ。きさまの出る幕じゃない」
鷲武は伊達を睨んだ。
「そうか…」
伊達は立ち上がった。
「なら勝手にするといい。おれも勝手にする。だが、おれはここで死ぬのを待つ気はない。妻と娘を守るために、おれは自分で制御ボックスを捜し出す。これは妻と話し合った結論だ」
 伊達はそう言って駐在所から小さな手荷物を持ってきた。奈美子と美子が駐在所の玄関まで出てきた。  
「気をつけてね…」
奈美子が長身の夫を見上げて言った。
「ああ…」
伊達はそう言って、娘の美子を抱き上げた。
「出かけてくるからね。いい子にしてるんだぞ。村のお爺ちゃんやお婆ちゃんと仲良くして、ママの言うことをよく聞いて留守番しててくれ」
伊達は美子の頬に唇をつけた。
「くすぐったいよ。パパ、すぐに帰ってくるの?」
美子はそう言って笑いながら伊達に抱きついた。
「うん、すこし長くかかる用事だ。美子はいい子だ。留守番できるかい?」
伊達は美子の顔を覗き込んだ。
「よしこ、いい子でお留守番してる。鷲武のおじちゃんは?」
美子が椅子に腰をおろしている鷲武を見た。
「もちろんパパといっしょだ。鷲武のおじちゃんはおまわりさんだから、パパも安心さ。なあママ」
伊達は鷲武をチラッと見て言った。
「そうね。おじちゃんは強くてやさしいから、きっとパパと一緒にいてくれるわよ」
奈美子はまだ後頭部を擦っている鷲武を笑いながら見つめた。
「それじゃ奈美子、いってくる」
伊達はそう言って妻を見つめた。
「ええ…」
奈美子も夫を見つめた。妻に抱かれている娘の美子の額に伊達はまた唇を付け、妻の唇にも軽く唇を合わせた。無邪気に手を振る娘と妻に背を向けて、伊達は御母衣村の入り口に通じる道路を下りていった。
 二度と戻ってこれるかどうかは伊達にはわからない。だが行かなければならないと心に決めていた。何をあてに制御ボックスを捜せばよいのかも伊達にはわからない。
鷲武は自分とは一緒に行動はしないだろう。足手まといになるからだ。ましてや鷲武は一匹狼らしい。自分一人のほうが動きやすいにちがいない。しかし自分には何もあてはない。制御ボックスの行方を捜すといっても自分はまったくの素人だ。伊達に頼りがあるとすれば鍛えた武道くらいだ。いくら拳銃やライフルの射撃が得意だといってもここは日本だ。銃など手に入るはずはないし、そんなものを持っていたら警察に逮捕される。しかし伊達は動きだしていた。
娘があの球体を手に入れたことからすべてが始まった。何でもない玉だった。
 美子にしてみればキラキラと七色に輝く宝物を手に入れただけだ。だが突然鷲武という刑事が家に乗り込んできた。ビリーの前足に絡んでいた錦織の袋に入っていた三個の球体が、核ミサイルを発射する原子力潜水艦の制御ボックスのキーだという。
 偶然に手に入れた美子のお守りのせいで、正体不明の四人の男たちに医院が襲われた。   さいわい鷲武がいたおかげで自分や家族は無事だったが、この理不尽は許せない。核ミサイルや戦略型の原子力潜水艦を作った政府もだ。
 日本の立場がどうのこうのと、そんなことは伊達にとってはどうでもいいことだ。政府や国会議員などをあてにして今まで生きてきたわけではない。自分と妻が力を合わせて生きてきたのだ。その政府が核ミサイルや原潜を作ったせいで、妻の奈美子と娘の美子が危険な目にあった。
下手をすれば九十六時間で地球の半分がふっ飛ぶと鷲武は言った。
 原子力潜水艦の[あかしお]には、五十メガトンの核弾頭を搭載したSLBMが二十発装備されているという。それが本当だとして、もしもその二十発の核ミサイルが一度に爆発したら、鷲武の言うとおり地球の半分は宇宙の藻屑と消えるだろう。科学が専攻ではない伊達だが、地球の半分が無くなるような爆発が起きたらどうなるか、それくらいの想像はできる。
伊達が村の入り口に近づいた。村の住民が集まっている。ここに着いたときに鷲武から紹介された村の長老の源助が伊達に深く頭を下げた。
「伊達先生、どこかに出かけるだかね?」
顔を上げて源助が聞いた。伊達を先生と呼ぶのは、鷲武が伊達を医者だと紹介したからだ。
「用事があって、しばらく留守にします。妻と娘のことをよろしくお願いします」
伊達が源助に頭を下げた。
「そりゃあええだよ。奥さんと娘さんはわしらがちゃんと面倒見るから、なんにもしんぺえはいらねえだ。んだども、わしら先生のことがしんぺえだよ」
源助は皺の深い顔を伊達に向けていった。二十人ほどの年寄りが伊達を見上げている。言葉には出さないが、だれもが心配そうな表情だ。
「先生、わしらは無駄に歳をとっちゃいねえだ。駐在さんや先生の顔を見れば、てえへんな事が起きるんでねえかと察しはつくですだ。先生、きっと帰ってくるだかね?」
源助が眩しそうに伊達を見上げていった。
「…………」
源助の言葉に伊達は無言で立っていた。
 帰ってこれるかどうかは、伊達にはわからない。今の時点では帰ってこれない可能性のほうが大きいだろう。制御ボックスを捜し出さなければ、この村はもちろん、地球の半分が消えてしまうのだ。
 嘘の約束は簡単だ。だが、伊達は源助の問いに答えられなかった。
「必ず戻ってくる」
後ろで鷲武の声がした。鷲武は伊達と並んで源助を見つめた。
「源さん。先生もこのおれも、必ずこの村に戻ってくる。約束する」
鷲武は二人を心配そうに見つめている源助や村人たちに大きな声で言った。
「本当だか?」
源助が鷲武に聞いた。
「おれが源さんに嘘を言ったことがあるか」
「いや、ねえだ…」
「そうだ。みんなに嘘は言わん。おれと先生は用事を済ませて必ず戻ってくる。それまで先生の奥さんと娘さんをたのむ。みんなの力が必要だ。わかるな源さん」
鷲武は源助の左肩に手を乗せた。
「よくわかっただ、駐在さん」
源助は鷲武の言葉に納得したようにうなずいた。
「んだども、また鉄砲を置いていってほしいだ」
源助は言った。
「わかった、置いてゆく」
鷲武は皮のバックに入った拳銃を源助に渡した。
 手帳の切れ端に何かを書いて、その紙切れも源助に渡した。源助はその紙切れをじっと見てから何度もうなずいて鷲武を見上げた。
 集まっていた年寄りたちは源助の合図で道を開けた。
鷲武に続いて伊達も村の入り口を出た。年寄りたちは黙って二人を見送っている。
 駐在所に通じる坂道に奈美子と美子の手を振る姿が見えた。伊達は奈美子と美子の姿を絶対に忘れまいとするかのように、じっと見つめていた。
村の入り口を出ると、どこからか二人を見ているであろう自衛隊員や鷲武の部下たちの気配を伊達は感じた。
「村の人たちに好かれているんだな」
伊達は歩きながら鷲武に言った。
「年寄りにも好かれると言ったはずだ」
鷲武がふと笑った。
「一緒に行ってもいいのか?」
伊達が鷲武に聞いた。
「しょうがあるまい。きさまを一人にしておいたら何をしでかすかわからん」
鷲武が煙草をくわえたのをみて、伊達が火を付けた。
「足手まといじゃなかったのか」
「足手まといだ」
「どうしてその気になった?」
「やられそうだった…」
鷲武は煙を吐いた。
「なんのことだ?」
伊達も自分で煙草に火を付けて鷲武に聞いた。
「フライパンだ!。あのクソ女…」
鷲武はいかにも面白くないという表情で煙草を吸った。
 まさか女や子供に拳銃を向けるわけにはゆかなかった。それをいいことに「主人を助けないつもりなら、村のみんなに、駐在さんは伊達先生を見殺しにしたって言いふらすわよ」と、フライパンを構えた伊達の女房の顔を鷲武は思い浮べた。その母親を見て娘の美子がケラケラと笑っていた。
「そうか…」
伊達は、村の入り口を振り向いて笑った。
「クソッタレめ…」
前を見たまま、鷲武が小さな声で毒づいた。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP


小説家になろう