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「或るものが、何者かによって盗まれた…」
その高柳が、警視総監の薗村と顔を見合わせながら言った。
「ふん。或るものと何者かじゃ、話にならん」
鷲武は村人が差し入れてくれた岩魚の干物に噛み付きながら笑った。
高柳が立ち上がって玄関から外を見た。すでに外は真っ暗になっている。
「誰かに尾けられるような覚えでもあるのか。村の連中なら心配はいらん」
鷲武は玄関にいる高柳の背中に言った。
「もっとも、おれが連れ出されるのを心配する村の連中が、おまえや総監を殺そうと、ナタやカマを持って村の入り口で待ち構えているだろうがな」
そう言って鷲武は大声で笑った。
「くだらん冗談だ」
小さく笑いながら高柳が戻ってきた。
「まあ、そう思ってろ」
鷲武が言った。
座った高柳に薗村が酒を注いだ。
「それで、盗まれた或る物とは何で、盗んだ何者かとは誰だ」
鷲武の言葉に高柳と薗村は顔を見合わせた。
「核だ…」
高柳が小さな声で言った。
「なに…」
飲みかけた酒を、鷲武は口の手前で止めて高柳の顔を見た。薗村も真剣な表情で鷲武を見ている。
「盗まれたのは、核ミサイルの制御ボックスだ」
高柳はそう言うと薗村が注いだ茶わんの酒を一気に飲んだ。
「どこの国の核だ」
「日本の核ミサイルだ」
押し殺すような声で高柳が言った。
「どうして日本が核ミサイルなど持っているんだ」
鷲武は思い出したように手に持っていた茶碗の酒を飲んだ。
「おれが知ったことか!」
高柳は吐き出すように言って薗村の顔を見た。
「事のなりゆきは、わたしが総理から聞いている。きみがこの任務を引き受けてくれるかどうかは、この事件の全てを知った上で判断すれば良いことだ。だが、これは国家の最高機密だ。もし受けないと言うのなら、事が自然と公になるまで絶対に口外しないと約束してもらいたい。もっとも、いずれは日本はもちろん、世界中で大騒ぎになるだろう」
薗村はそこまで言うと煙草に火を付けた。
「世界中はおろか、場合によっては地球が消えて無くなるかもしれん…」
薗村は大きく吸った煙草の煙を天井に向かって吐き出した。
何者かに盗まれたのは、十日前に完成したばかりの核ミサイルの制御ボックスだった。制御ボックスといっても、ただコンピューターが組み込まれたボックスではない。
この研究は八年前から防衛省が政府の依頼で秘かに進めていたもので、研究スタッフは科学技術庁と自衛隊の技術研究所から出向という形で優秀な人材を引き抜き、ほかに東京大学や弘前大学の工学博士も数人含まれている。
研究の主な内容は、アメリカ、ロシア、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮といった国が持つ核兵器よりも更に強力で、イギリスやフランスほどの広さの国ならば、たった一発で全滅させられるという、まさに超強力な破壊力を持つ核弾頭の開発と、その核ミサイルを搭載して世界中の海をかけめぐる人工衛星誘導の戦略型無人原子力潜水艦の開発だった。もちろん研究は超極秘の国家機密事項だ。
太平洋戦争はアメリカが広島と長崎に原子爆弾を投下し、日本を無条件降伏に追い込んで終結した。日本はそれ以来[持たず、作らず、持ち込ませず]という非核三原則を守り通してきた。
その日本が非核三原則を破って核弾頭と戦略型の原潜を開発したなどと世界に知られては大変なことになる。しかし日本も核兵器を持たなければならない時代が訪れた。
日本は西側諸国と冷戦状態になりつつあった。敗戦以来、日本は急速な経済発展をとげて世界一豊かな国になった。しかし、世界は日本に対して良い感情は持っていない。経済で世界を侵略する国と恐れている。
世界は日本を敵視している。資源のない日本は材料を輸入し、その材料で製品を作って世界に輸出する加工貿易と観光が経済の主体だ。あらゆる製品に対して改良を行い、日本の製品は丈夫で長持ちするという高い評価を受けている。
初めのうちはそれで良かった。
だが最近はその日本製品が世界から煙たがられはじめた。煙たがっているのはアメリカ、イギリス、フランスなどの国だが、アメリカはその中でも日本叩きの先頭に立っている。 自動車、電気製品、繊維など、どれをとっても日本の製品は世界のトップレベルだ。日本製品は売れるが自国の製品は売れない。アメリカは先頭に立って、日本に対して様々な嫌がらせを始めた。
先進国は日本の製品をボイコットし、あくまでも自国の製品の使用を大きくアピールした。韓国などはその良い例だ。二十年以上も前から韓国国内は外国車が極端に少ない。ほとんどが韓国で作られた車ばかりだ。
日本に追い付け追い越せと、韓国も経済活性化に必死になり、自分たちの国で作った車だけを走らせている。どこの国でも日本の製品はボイコットされつつあった。
近い将来、世界は日本の製品を買わなくなり、日本は孤立して経済が破綻する。政府はそのことを見越していた。
経済ばかりではない。日本の防衛態勢も崖っぷちに立たされていた。
在日米軍も今は厚木にしか残っていない。日本各地に駐留していたアメリカ軍は、各都道府県が行なった数十回におよぶ住民投票により、アメリカ本国に撤退するはめになった。
唯一残っている厚木基地も住民の九十パーセントの投票で、圧倒的に居残り反対の結果が出た。
厚木基地から米軍が撤退すれば日本には米軍はいなくなり、近い将来日米安全保障条約も自然消滅への道をたどることになる。
そうなれば日本の防衛態勢も根本から組み立てなおす必要がある。すでに厚木基地からは米軍が撤退を開始して、今年中には日本から米軍の姿は消える。
日本という国が、これから先も世界の先進国としてアメリカ、イギリス、フランスなどと同等か、それ以上の立場を保持してゆくためには果たして何が必要か。
世界に対して強く物を言うためには、それなりの構えが必要なのだった。では世界に通用する構えとはいったい何か。それは世界が黙るほど強力な国家防衛態勢を確立することだった。
世界が日本を無視すれば日本は破滅する。あらゆる物の原料となる、鉄、石油、パルプなど、日本人が生活してゆくために絶対に必要な資源は今の日本には無いからだ。
それらの原料の日本への輸出を各国が拒んだら、たいして国力のない日本は指をくわえたまま飢え死にするしか道はない。
第二次世界大戦後、日本を占領したアメリカは、自国の小麦を輸入させようと日本にパンを持ち込み、それを日本人の主食にしようとくわだてた。
食料が戦略物質の最大たるものだということを日本人は知らなかった。アメリカは日本の食糧を押さえてしまおうとしたのだ。
パンが多く食べられるようになると、日本は昭和四十年代から全国の農家に対して減田政策を推し進めてきた。日本の国民にとって一番大切な食糧となる米の生産を減らし続けてきたのだ。
いざ世界が日本から顔をそむけたら、米の備蓄も大して無い日本国民は飢え死にの道をたどる。そうなる前に何とかしなければならなかった。
日本は核を保有することにした。もちろん超極秘にだ。
いずれは日本の核保有は世界中に知れわたる。だから大々的に知れわたる前に、全ての開発が完了していることが大事だった。
巨大原潜は、海底油田の試験発掘を名目に掘られた八丈島の地下ドックで極秘のうちに建造された。そして全ての開発は完了した。
日本がその持てる技術を結集し、五年五ヶ月をかけて開発した原子力潜水艦は[あかしお]と名付けられた。
どんなに世界が騒ごうとも知らん顔をしていればいい。
世界中の反対の声を無視して、フランス、中国、北朝鮮が核実験を続けたように、日本も無視し続ければ良いのだ。一度核兵器を保有した国は強くなる。世界が何と非難しようとも核兵器を持っていることに変わりはないからだ。現実に存在する核兵器保有国に対して、相討ちを覚悟で手を出すような国はない。
「原潜は、厳戒態勢のうちにタグボートで横須賀に引き入れられた。その大きさだけでも海上自衛隊の潜水艦の、ゆうに三倍近くはあるらしい。装備も世界最強だという。だが、その核弾頭ミサイルを搭載して世界の海を縦横無尽に駆けめぐるはずの原子力潜水艦が、制御ボックスが盗まれたために出航できなくなったのだ」
薗村が茶碗の酒を眺めたまま言った。
「…………」
鷲武は黙ったまま薗村を見つめていた。すでに夜の十一時を過ぎている。どこかで鈴虫が鳴いていた。
「つまり、日本が打ち上げた通信衛星の[すずらん]と[つばき]が、無人の原潜と搭載している核ミサイルの発射を制御するためには、絶対に必要なのが制御ボックスだ。原潜が出航するためには、その制御ボックスを積み込まなければならん。制御ボックスはミサイルの発射を制御するだけではなく、原潜の航行も制御する役目を持っている」
薗村はそう言ってまた酒を飲んだ。
「制御ボックスのほかに、もうひとつ大事なものがある…」
話を続ける薗村に高柳が無言で酒を注いだ。
十月十二日深夜、青森県の弘前大学工学部で完成した制御ボックスは、青森の黒石インターから東北自動車道にのった。行く先は海上自衛隊の横須賀地方総監部だ。
輸送された制御ボックスは地方総監部で政府上層部の点検を受けたあと、横須賀水雷整備所で無人原子力潜水艦[あかしお]に搭載され、太平洋に出航するはずだった。
途中まで輸送は順調だった。
制御ボックスを積んだ大型バスは四台の乗用車に前後を守られ、深夜の東北自動車道を時速百キロで南下した。そして午前四時、盛岡インターを過ぎて上飯岡にさしかかった時、事故を装った武装集団に襲われてバスに積載していた制御ボックスを奪われたのだった。
輸送警護していた青森県警の機動特捜隊員十六名が機関銃で射殺された。そしてバスの二名の運転手も殺され、制御ボックスが奪われた。
だが、制御ボックスを可動させるキーがどこにも見当らなかった。キーは三個で、一個のキーには三百六十ものマイクロ回線が埋め込まれている。三個のうちどれか一つが無くても制御ボックスは作動しない。
キーは弘前大学工学部の美川博士が制作した。その美川博士はキーが完成して三日後、原因不明の死をとげた。超機密の研究のため、キーの完成と同時に設計図は処分された。美川博士が死んだ今となっては、二度とキーや制御ボックスを作ることはできない。
三個のキーは輸送警護にあたった青森県警機動特捜隊の宗川巡査長が携帯していた。
宗川巡査長は警護車の最後尾の乗用車に乗っていた。
襲われた東北自動車道路上で宗川巡査長の死体が確認された。だが宗川巡査長の死体からはもちろん、乗っていた乗用車からもキーは発見されなかった。
三個のキーが武装集団に奪われたとは考えられない。奪った武装集団は、積荷が原潜の制御ボックスと知っていて奪ったと思われる。もしも制御ボックスとキーを手に入れたならば、当然制御ボックスに三個のキーをはめ込むはずだ。
キーがはめ込まれて制御ボックスが作動し始めたら、原潜[あかしお]のメインコンピューターがなんらかの反応を示すはずだ。
キーが無ければ制御ボックスは作動しない。世界初の通信衛星を使用しての無人原子力潜水艦は、世界最強の装備を搭載したまま横須賀から出航できないのだった。
このままでは、せっかく打ち上げた二基の通信衛星も世界のニュースや天気を送ってくるだけで本来の機能を発揮できない。
原潜[あかしお]が受信できる電波は日本の電波ばかりではなく、世界各国の通信電波はもちろん、各国が打ち上げている通信衛星や軍事偵察衛星の電波も受信できるし、それら各国衛星の通信回線を強制制御する能力も備えている。
原子力潜水艦[あかしお]を制御するため、赤道の上空四万キロのところに[すずらん]と[つばき]の通信衛星があるが、そのふたつの衛星が、もしも他国の軍事偵察衛星によって破壊されたとき、[あかしお]のコンピューターが自動的に他国の衛星を強制的にコントロールして[あかしお]の制御を続ける。
誰であろうと、どこの国であろうと、いったん太平洋に出た[あかしお]を止めることはできない。それを止められるのは日本という国だけなのだ。
[あかしお]の攻撃能力はずば抜けている。搭載する武器は、一発に五十メガトンの核弾頭を搭載した最大射程距離一万七千キロメートルのSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を二十発と、熱及び音響追尾水流推進式の〇四式長核魚雷が百発。そしてアメリカの原潜に搭載されているハープーンを改良したアクティブレーダースキャナ装備の九七式海対空迎撃ミサイルを一五〇発だ。
[あかしお]は全長二百メートル。浮上時排水量は一九〇〇〇トン、潜水時総排水量は二万四〇〇〇トン、水中最大速度は五十ノット。最大可能潜行深度は二千メートル。
外殻は超硬チタン合金で、圧力分散式のハニカム構造の三層外殻で、その構造が2千メートルという潜航深度を可能にしている。
対潜戦闘能力も他国の原潜の比ではない。アメリカやロシアの原潜のソナーが[あかしお]を探知するはるか前に[あかしお]のソナーとレーダーが相手を補足して〇・一メガトンの核弾頭を搭載した〇四式長魚雷を発射する。
[あかしお]の〇四式核魚雷には、東大工学部が総力をあげて開発した超高性能の熱及び音響探知レーダーが組み込まれている。最大の特徴は、取り込んだ海水を吐き出して回転しながら進む水流推進式ということで、カツオやマグロの泳ぎを研究しつくした推進装置だ。ほとんど推進音がせず、速力も速い。レーダー波を吸収する塗料が塗ってあるから、現在の各国の原潜が搭載しているソナーでは、三百メートル手前に[あかしお]の魚雷が来るまで探知不能なのだ。
それに加えて〇四式魚雷には拡散弾頭も積める。拡散弾頭は一本の魚雷の弾頭の中に二十発の小型魚雷が入っている。相手の潜水艦が大きな岩陰に隠れていて通常の魚雷では役にたたない場合、拡散魚雷は相手の潜水艦が隠れている岩の上や横を通過したとたんに破裂し、破裂した弾頭から二十発の小型魚雷が四方八方に飛び出し、相手を撃沈するのだ。
一度[あかしお]のレーダーにロックされた船や潜水艦、そして航空機には絶対に逃げ道はない。たとえ相手が魚雷を発射しても、半分も来ないうちに五十ノットの最大速力で[あかしお]は二千メートルの深海に潜っている。
最新装備を搭載したアメリカの対潜哨戒機やイージス艦も[あかしお]にはオモチャ同然だ。
日本の海上自衛隊が装備する最新型の潜水艦[はるしお]型や[ゆうしお]型のディーゼル艦と比べても[あかしお]の大きさはとび抜けている。
海上自衛隊の潜水艦は全長が約八〇メートル、総排水量は二百トンだ。速力も水中で二〇ノット。潜水能力も二〇〇から三〇〇メートルがせいぜいだ。[あかしお]がいかに高性能潜水艦かが理解できる。[あかしお]は世界無敵の動く核ミサイル基地なのだ。
その核ミサイル基地は日本の手によって動かされる。しかし、その《動く核ミサイル基地》の制御ボックスは何者かによって奪われた。キーの行方もわからない。
「バカな物を作りやがって…」
薗村警視総監の長い説明のあと、鷲武は腕を組んでつぶやいた。
「まったくだ…。制御ボックスとキーが別々らしいというのが唯一の救いだ」
高柳警視監も腕を組んだ。
「それで?…」
鷲武は二人の顔を見ずに自分で酒を注いで飲んだ。
「その制御ボックスとキーを、このおれに取り戻してこいと言うのか」
鷲武は顔をあげて二人を睨んだ。
「それを頼みにきた」
薗村警視総監が顔をあげて言った。
「手がかりは?」
鷲武が聞いた。
「ない…」
薗村が答えた。
「ないだと?」
「そうだ。今のところは皆無だ」
「だったらこの事件は解決だ」
鷲武が笑った。
「きさま!。事によったら世界が消滅するかもしれんのだぞ!」
高柳が持っていた茶碗を乱暴にテーブルに置いて鷲武に怒鳴った。
「なぜだ」
「なぜだと!」
「高柳、よく考えてみろ」
鷲武が笑って酒を茶碗に注いだ。
「制御ボックスは何者かに奪われた。キーもどこにあるかわからん。キーが無ければ制御ボックスも作動しないのなら、核ミサイルが発射されることもないはずだ。何を心配することがある。そんなものはほうっておけ」
「鷲武、そうはいかんのだ」
薗村が自分で茶碗に酒を注いで鷲武を見つめた。
「なぜだ?」
鷲武が聞いた。薗村は冷めた酒を鷲武の茶碗に注いだ。
「たしかに、放っておけば核ミサイルが発射される心配はないかもしれん。だが、万が一、制御ボックスを奪った奴らがキーが無くても[あかしお]の核ミサイル発射装置を作動させる方法を考えだしたら、これは大変なことになる。可能性が無いことではないのだ。ならば、奪った奴らが制御ボックスを改造する前に[あかしお]の発射装置を壊せばよいときみは言うだろうが、それはできん。総理も防衛大臣も、日本がこれから世界を相手に同等以上の意見を言うためには、絶対に[あかしお]は必要だと言っている。それに、制御ボックスの、たった一回線でも切ったり改造したりすれば恐ろしいことになる…」
強い口調で語る薗村警視総監の額にうっすらと汗がにじんでいた。
「というと?…」
鷲武は薗村を見つめた。
「分解はできん。いや、分解したら九十六時間で[あかしお]は自爆する。[あかしお]には五十メガトンの核ミサイルが二十発搭載されているんだ。一千メガトンの水爆が一度に爆発したら、地球の半分が宇宙の彼方にふっ飛ぶ…。もしも制御ボックスに異常な改造をしたり分解したりすれば、制御ボックスがその異常を探知して、制御ボックス自体が[あかしお]に自爆装置作動の電波を発進する。その電波の到達距離は、条件によっても違ってくるだろうが、おおむね半径八百キロだそうだ。[あかしお]はいま横須賀に係留してある。沖縄や北海道の最北からでも電波は届く。もしも[あかしお]の自爆装置が作動したら、我々の手には負えなくなる」
薗村はハンカチを出して額の汗をふいた。腕を組んで薗村の話を聞いていた鷲武の両手と脇の下は戦慄の汗で濡れていた。
「パンドラの箱か…」
鷲武はつぶやいた。
「その制御ボックスは、誰でも簡単に分解できるのか?」
鷲武が聞いた。
「いや、ヤスリもはねかえすくらいの超硬チタン合金だと聞いている。酸素でも簡単に焼き切ることはできんだろう。だが…」
薗村はそこで言葉を切った。
「だが、どうした?。何か仕掛けでもあるのか」
鷲武は汗でぬめる手で煙草に火を付けた。
「しょせんは人間が作ったものだ。虫メガネくらいでは見えないが、継目があるらしい。その継目が見つけられて、中を改造しようと奪った奴等が考えたら、その時に世界消滅のカウントダウンが始まる…」
「キーはどうなっている。壊れることはないのか」
「壊れることはない。キーも制御ボックスと同じ材質で出来ている。キーに埋め込まれている三六〇のマイクロ回線を保護するためにエックス線も通さない」
「………」
鷲武は立ち上がって玄関を開けた。晩秋の風が駐在所のなかに吹き込んできた。緊張の汗が風で冷やされて心地よい。薗村も高柳も黙って鷲武の後ろ姿をみていた。
「制御ボックスは、どんな形をしているんだ?」
外を見たまま鷲武が聞いた。
「一辺が一八〇センチの正方形で、重さは七〇〇キロだ。外側は焼き付け塗装で黒く塗られている」
「その塗装がはがれたら、継目が見えてしまうというのか?」
「虫メガネでも見えないくらいだというが、塗装のはげ具合によっては見えてしまうかもしれん」
「キーの接続はどうなっている?」
「制御ボックスの上の面に、直径二十センチの円形の蓋がある。この蓋には精密なネジが切られているが、市販されているような工具でも簡単に開けることができる。その中にキーを収める穴があって、それぞれ大きさが微妙に違う三個のキーを正確に収めることにより、制御ボックスの回線が構成される仕組みになっている」
「…………」
薗村の話を聞きながら、鷲武は腕を組んだまま玄関に立っていた。静寂があたりを支配した。初秋の御母衣村に鈴虫が鳴いていた。薗村も高柳も黙って酒を飲んでいる。
深夜の四時を過ぎていた。真夏ならとっくに夜が明けかかっている時間だ。
「建造に携わった科学者や技術者たちはどうした。直接作ったやつらなら、原潜や制御ボックスとやらの構造も熟知しているはずだ。そいつらに改造でも何でもやらせたらいいだろう」
鷲武は暗い外を見ながら言った。
「日本の国家機密だ。その機密を知っている人間を、政府が生かしておくと思うのか」
高柳は鷲武の背中に言った。
「…………」
鷲武はその言葉にため息をついた。
「車か?」
鷲武が言った。
「村の入り口に止めてある」
高柳が答えた。
「夜が明けたら出発する」
外を見たまま鷲武は言った。
「恩にきる…」
薗村はそう言って高柳に酒を注いだ。
「ところで…」
鷲武が振り向いた。
「そのキーというのは、どこにでもある普通の鍵の形をしているのか?」
「いや…」
薗村が顔を上げた。
「鍵の形はしていない。直径八ミリほどの、三個の丸い球体だ」
そう言って薗村はまた酒を飲んだ。
御母衣村に朝がきた。鷲武は私服で駐在所を出た。高柳と薗村もいっしょだった。
駐在所から村の入り口までは歩いて十分ほどだ。一番近くの民家までは二百メートル以上ある。村の入り口から駐在所までは上り坂で砂利道のうえ、道幅も狭いから車は駐在所まで来ることはできない。
もっともこの御母衣村には、ふもとから生活物資を運ぶための軽トラックが一台しかない。駐在所の警察官の足は五十CCのミニバイクだ。
「おい、あれはなんだ?」
先頭を歩いていた高柳が村の入り口を見て鷲武を振り返った。
「ナタやカマを持って、おまえや総監を待ち構えていると言っただろう」
鷲武がそう言って笑った。
「冗談だと思っていたが…」
「誰が冗談なんか言うか。八つ裂きにされるのを覚悟しておくんだな」
鷲武が煙草をくわえて笑った。
「村人に好かれているらしいな」
薗村が村の入り口に集まっている二十人ほどの年寄りを見ながら言った。鷲武が言ったように、村人たちは手に手にナタやカマを持っている。
「まあな。駐在署員はここでは大事にされる。年寄りばかりだが人間性を見る目はある」
「人間性か…」
薗村が鷲武の言葉を聞いて苦笑した。
「おはよう」
高柳が集まっている村人たちに大きな声で言った。だが村人たちは無言で高柳を睨むだけだった。
「おい、なんとかしろ」
高柳が鷲武に言った。
「知らん」
鷲武は高柳を無視して煙草を吸った。高柳と薗村は困惑したように顔を見合わせた。村の年寄りたちが高柳と薗村を取り囲んだ。
「駐在さんをどこさ連れてゆくだ」
八十才くらいの老人がそう言って高柳を見上げた。その老人は御母衣村の長老の源助だった。源助は大きな草刈りカマを持っている。
「駐在はちょっと用事があって東京へ帰る。道を開けてくれ」
高柳は老人に言った。
「なんねえだ。御母衣村にとっちゃ大事なお人だ。あんたたちの勝手にはさせねえ。村の話し合いで決まっただ。駐在さんに用事があるんならここで済ませばええだ」
高柳の肩ほどしかない老人だったが、一歩も引かないという迫力があった。
「んだ。きのう駐在さんは相談があって来ただけだと言ったでねえか。どこにもいかねえと、おらに約束しただ」
駐在所に酒や料理を用意してくれた昨日のトミばあさんが大声で叫んで前に出てきた。
「そうだ。確かにおばあちゃんの言うとおり駐在に相談があって来たんだが、相談の上で東京に帰ってもらうことにしたんだ。駐在がいなければ東京の警察が困るんだ」
高柳がトミばあさんに必死で説明しているが、村人たちはがんとして動かなかった。
「鷲武。たのむ、なんとかしろ」
老人たちが相手ではまさか手を出すわけにもいかない。
かといって、どう考えても道を開けそうな雰囲気ではなかった。薗村も老人たちに囲まれて困惑していた。村人たちがいかに鷲武を大事にしているかは知らないが、手に手にナタやカマを持って取り囲むとは何という村だとあきれた。
煙草を足でもみ消した鷲武は笑って前に出た。
「源さん、トミさん、そしてみんなも聞いてくれ」
鷲武が大声で言った。
村人が一斉に鷲武を見た。
「この二人は、東京から総理大臣の代理で来ている。総理大臣が困っているから、このおれに助けを求めてきているんだ」
鷲武は言った。
「みんなに約束する。おれは必ずこの村に戻ってくる。長くても三ヵ月くらいだ。おれはみんなが好きだしこの村も好きだから絶対に帰ってくる。それまでみんなで村を守っていてくれ」
鷲武の言葉に源助が近づいてきた。
「きっと帰ってくるだかね?」
「ああ、絶対に帰ってくる」
「約束するだか?」
「約束する」
鷲武は源助を見つめながら力強く言った。
「何か、駐在さんの大事なものを置いていってほしいだ」
源助が言った。
「何でも置いていく。何がいい?」
鷲武は真剣な表情で源助に言った。
「駐在さんの服と鉄砲がいいだ」
「服というと、警察の服か?」
「んだ」
源助たちの表情も真剣だった。村人の全員が泣きだしそうな顔をしている。
「わかった、一番大事な警察の服と鉄砲を置いていく。ただし危ないから鉄砲の弾は抜くが、それでいいか」
鷲武は上着を脱いで両肩から吊していたホルスターごと拳銃を外して、弾倉から弾丸を抜き取り、空の弾倉を付けて源助に渡した。
「警察の服は駐在所に置いてある」
鷲武はそう言いながらまた上着を着た。
「駐在さん、ほんに帰ってくるだな?。駐在所を毎日掃除して待ってるだよ」
トミばあさんが鷲武にすがりつくようにして言った。
「トミさん、必ず帰ってくるよ。約束する」
鷲武は今にも泣きだしそうなトミばあさんの肩をたたいて笑った。
「さて、おれは帰ってくると約束した。警察官としての大事な服と鉄砲も源さんに預けた。だから道を開けてくれ」
鷲武の言葉に村の年寄りたちは仕方がなさそうにして道を開けた。
広場には高柳と薗村が乗ってきた黒塗りの乗用車が止まっていた。
後ろの席に鷲武と薗村が乗り、運転席には高柳が乗った。エンジンをかけて車はゆっくりと御母衣村の入り口に向けて動きだした。
「おい、変だぞ…」
高柳が走りだした車を止めて運転席からおりた。
「なんてこった…」
両手を広げた高柳の仕草を見て、薗村と鷲武も車からおりた。
右の後のタイヤがひしゃげたように潰れている。誰かが空気を抜いたらしい。
「駐在さん、おらがやっただ…」
そう言ってトミばあさんが下を向いた。
「トミさん…」
鷲武はあきれ顔ですまなそうにしているトミばあさんを見つめた。
「おい…」
薗村が高柳の顔を見た。
「おれ達はそんなに罪なことをしているのか?」
「そうらしい…」
高柳は鷲武とトミばあさんを見つめながら笑った。
「しかしだな。おれ達は、おれとおまえが左遷した、ただのろくでなしを連れ戻しにきただけだぞ。タイヤの空気を抜かれたり、ナタやカマで脅されたり、何でこんな目に合わなきゃならんのだ」
薗村はとうとう泣きだしたトミばあさんを懸命になだめる鷲武を見ながら大きなため息をついた。
「おれが知るもんか…」
高柳は空気を抜かれたタイヤと鷲武を見比べながら煙草に火を付けた。
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