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三月二十日。
日本の原子力潜水艦[あかしお]は、北緯二十九度一分、東経一四三度五十分の小笠原海溝、深度一五〇〇メートルの海中に停止していた。
この海域は内閣総理大臣の鹿部静夫から示された場所だった。
[あかしお]はこの場所で待機し、鹿部総理からのマンハッタン島攻撃の命令を待っているのだった。
[あかしお]に搭載されている一千メガトンの核ミサイルの自爆装置を止め、小笠原海溝に到着してから四十一日目だった。
鹿部総理から〈大至急横須賀へ入港せよ〉という暗号が入りしだい、[あかしお]はニューヨーク沖に浮かぶマンハッタン島に向けて、気化弾頭を搭載したSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射する。標的は、アメリカのシンボルである自由の女神像だ。
[あかしお]から発射するミサイルが、一度補足した目標を外すことは百パーセントありえない。発射されると同時に、人工衛星によって目標まで誘導するからだ。
迎撃ミサイルを発射しても[あかしお]からの誘導で自在に回避できる。日本という独立国の存亡をかけた戦いが始まろうとしていた。
日本はアメリカの宣戦布告を受けてたった。受けたからには戦争になる。
第二次世界大戦以来、アメリカは二度目の日本の敵国となったのだ。そのアメリカは、四月一日をもって日本に攻撃をかけると通告してきた。
いまは日本時間で三月二十日午後九時五十二分だ。
鹿部総理は三月二十日以降、いつでもミサイルを発射できるように準備を進めておくように言った。今日からは[あかしお]も臨戦体勢に入っている。乗っているのは鷲武、伊達、国分、達川の四人だ。
こんなことになろうとは…。誰もがそう思った。
たった一隻の潜水艦が、アメリカという大国を震えあがらせる。アメリカが震え上がるのも無理はない。この船はただの原子力潜水艦ではない。どこの国の潜水艦もかなわない性能と装備を持っている。アメリカが誇る第七艦隊と太平洋艦隊を全滅させた怪物だ。
世界中が敵国となろうとも、その気になれば全世界を征服することも可能だ。
その第一の敵国は、日本に対して宣戦を布告したアメリカ合衆国だ。
世界無敵の原子力潜水艦[あかしお]は、その名のとおり、アメリカに向かって一気に押し寄せる巨大な赤い波となるのだ。
世界に先がけて開発した無人航行可能、人工衛星誘導装置搭載の戦略型原子力潜水艦で、全長は二百メートル。総排水量は二万四〇〇〇トン。
船体は特殊熱処理とハニカム構造で強化した超硬チタン合金で覆われている。それにより、潜水可能深度は二〇〇〇メートル。世界中の原潜では絶対に到達不可能で、魚雷や爆雷も通じない深度だ。
十万馬力を発生する二基の原子炉タービンで動く、回転直径二十メートルの二本の七枚スクリューにより、実に五十ノット、時速に換算すると九十キロを超える水中速力が出る。今までの常識では考えられない速力だ。
浮上時の最大速力は四十二ノット。足の速さではクルーザーボートなみだ。
そして海水濾過装置とミクロフィルターによって作られる酸素と水により、七年間・八十四か月間は潜水したままで航行可能だ。放射能除去装置も装備されている。
この原潜には二十発の長距離弾道ミサイルが搭載されている。そのミサイルは五十メガトンの核と通常炸薬、局地を限定して攻撃できる気化弾頭の積み替えが可能で、たった一発の水爆でも日本を灰にする威力がある。
それだけではない。一〇〇発積まれている〇四式長魚雷は、通常弾頭のほかに、〇・一メガトンの核弾頭とも切り替えが可能だ。
〇四式長魚雷は水流推進式で、推進音を最小限に押さえる装置をはじめ、熱と音響追尾式の高性能カメラを先端に装備していて、二〇〇〇メートルの深海からでも発射できる。その〇四式魚雷には拡散弾頭も積んでいる。
一度ロックされた相手は、この魚雷からは絶対に逃れる事はできない。艦橋からも発射できるハープーンを改良した海対空迎撃ミサイルも五十発装備する。これも先端にアクティブレーダースキャナを搭載している。
名前は[あかしお]と付けられた。まさに世界最強の原子力潜水艦だ。
その世界最強の原子力潜水艦[あかしお]は、独立国日本の最後の切札だ。
この原子力潜水艦[あかしお]は、いま警視庁刑事局の伊達英章警視長によって操艦されていた。
人工衛星の[つばき]が、小笠原海上の映像を送り続けている。
海上にはアメリカの艦船がひしめきあっていた。[あかしお]に全滅させられた第七艦隊と太平洋艦隊の、わずかに生き残った艦船と、大西洋を警戒水域とする第三、第四艦隊がパナマ運河を越えて太平洋に進出してきたのだ。数にして六十隻近い艦隊だ。その艦隊を率いるのはジェシー・ヒルダー中将だ。
ヒルダーは[あかしお]に向けて総攻撃をかけたくてうずうずしている。だが、相手が一五〇〇メートルの深海ではそれもできない。魚雷や爆雷の効き目がないからだ。
万が一、一発でも魚雷や爆雷を発射したときは、[あかしお]の自動攻撃システムを入力して艦隊を全滅させる。そのことは衛星回線を使って通告してある。
[あかしお]の自動攻撃システムは正確無比な攻撃能力を発揮する。最小限の動きで海上のアメリカ海軍を一隻残らず殲滅するだろう。
「日本とアメリカは、いったいどうなっているんだ?」
鷲武秀介が[あかしお]の艦長席でつぶやいた。
できればSLBMなど発射したくはない。それが本心だ。
だが戦争に突入したら躊躇はできない。発射しなければ、日本はアメリカに占領される。 一億三〇〇〇万の日本国民はアメリカの奴隷にされる。
男は労働で酷使され、女は白人や黒人に暴行されて殺される。狂暴な肉食人種が、自分の愛する妻や娘に襲いかかる。そんなことは許されない。
「おれは…」
伊達はレーダーを見つめながらつぶやいた。
「日本とアメリカがどういう関係になろうとも、おれの知ったことではない。例え日本がアメリカに占領されようともだ。だが…」
鷲武と国分を伊達は振り返った。達川博士も黙って伊達を見つめている。
「だが、日本がアメリカの攻撃を受けて占領されれば、一億三〇〇〇万人の日本国民は、アメリカの奴隷になってしまう。男は強制労働させられたり、女たちは白人や黒人に暴行されて殺されても、奴隷は、主人に対して文句も言えないだろう。占領されるということはそういうことだ」
伊達はじっと三人を見つめた。
「おれは、そんな肉食人種の白人や黒人から妻や娘を守るためなら、ためらいなく[あかしお]の核ミサイルのボタンを押して、アメリカ合衆国を、この地球上から消してやる」
伊達の低い声が[あかしお]の艦内に響いた。
三月二十七日午後四時、日本政府から[あかしお]に電報が入電した。
《衛星回線を使用して、アメリカのワトキンス大統領と、日米開戦に関する最終会談を実施せよ。気化ミサイル発射の判断は[あかしお]の鷲武警視長に一任する。不測事態が発生した場合の責任はすべて日本政府が負う。なお、[あかしお]に乗船している三人の刑事は、臨時の海上自衛隊員に任命する。鷲武警視長と伊達警視長は、艦長と副長の海将補、達川博士と国分警視は、技師長と、戦闘責任者の一等海佐に任命する。合衆国大統領との会談に際しては、警視長刑事局の刑事としてではなく、海上自衛隊の海将補、一等海佐として臨んでもらいたい》と、鹿部総理からの電文にはそうあった。
「あのタヌキおやじめ。とうとうおれたちに責任転嫁しやがった。おまけに臨時雇いの自衛隊だと?。クソッタレめ!」
鷲武が毒づいた。
「そう言うな。鹿部総理が一任するということは、それだけ、日本とアメリカの関係が悪化しているということだ。この[あかしお]の指揮官であるあんたが、直接アメリカ大統領と会談することで、[あかしお]の脅威を示せという意味だろう」
伊達は笑いながら鷲武を振り返った。
「バカをいえ!。第一、おれにそんな器用なことができると思うのか」
鷲武は鼻で笑った。
「できると思ったから総理は打電したんだ。会談はいつはじめる、艦長殿」
伊達は笑いながら国分と顔を見合わせた。
「日米の運命を決める、世紀の会談になりますね」
国分は真剣な表情で鷲武と伊達を見た。
「こんな場面に同席できるとは、わたしはなんと幸せな人間でしょう。学者なんてつまらん商売ですが、この原潜に乗っていたおかげで、わたしは二十一世紀で最大の日米会談を、この耳で聞くことができます。興奮で身体が震えていますよ」
達川博士は顔を輝かせながら三人を見つめた。
「意外と、子供っぽいところがおありなんですね」
国分は笑って達川に言った。
「何と言われても、わたしは興奮しています。この世紀の会談の一句洩らさず、生涯わたしの心の中に刻みこんでおきます」
達川博士はそう言って艦長席の鷲武を見た。
考えてみれば、自分は何と強い運命のもとに生まれたのか。
天涯孤独の自分が人類滅亡という最大最後の危機の中で、三人の警視庁刑事と知り合った。その三人の刑事も強運の持ち主だった。
原子物理学と電気工学のことしか知らない自分が、世界最強の原潜の中で核ミサイル発射を制御する装置に没頭した。
そして見事、制御装置を停止させた。自分の生涯で、これほど燃えたことはない。
三人の刑事と一緒に地球人類滅亡の危機を救ったのだ。
そしていま、日本に宣戦を布告してきたアメリカ合衆国を相手に、鷲武という刑事が、合衆国大統領と日本の命運をかけた最終会談をするという。
自分たちが乗っているこの[あかしお]は、誰が何と言おうと世界最強の原子力潜水艦だ。その最強の原潜を、警視庁刑事局の伊達英章刑事が操艦している。
その鷲武刑事と伊達刑事に、日本国総理大臣の鹿部静夫は、日米開戦の全権を委託したのだった。ワトキンスと会談をしろということはそういうことだ。
考えてみれば、鹿部総理がワトキンスと会談をするよりも、現実に核ミサイルを搭載している日本の原子力潜水艦の艦長が、敵国の合衆国大統領と会談をするほうが信憑性は大きい。、最終戦争で雌雄を決する段階では当然のことかもしれない。
日本国を、世界に対して堂々と物を言える強い国にするため、世界一強い国と自負するアメリカに大きな脅威を与える。鹿部総理はそこまで先を読んでいるのだ。
こんな重大な場面に立ち合える自分の心臓は、いままでになく高鳴っていた。
達川は、自分を仲間で戦友だと認めてくれた三人の刑事を改めて見つめた。
思慮深いが、どちらかといえば猪突猛進型の鷲武刑事。冷静で紳士的な伊達刑事。もう一人は聡明で美しい国分刑事。この三人がいたからこそ地球は救われた。
「あんたの命をもらいたい」と、鷲武刑事は自分にそう言った。「この制御装置に、あんたの命を賭けてほしいのだ」と…。初めてこの[あかしお]に乗り込んだとき、そう言った鷲武刑事が思い出される。
そして、伊達刑事は[あかしお]を操艦して横須賀から出航させた。その[あかしお]を国分刑事がヘリコプターで追ってきた。
研究ばかりしていた自分には考えられない人種だった。
命をくれと言った鷲武刑事。マニュアルだけで原子力潜水艦を動かし続ける伊達刑事。その二人の刑事と生死を共にすることを決心して、ヘリコプターで、東京から小笠原まで無着陸で[あかしお]を追ってきた国分刑事。
世の中にこんなメチャクチャな刑事がいた。
この三人を見ていると、達川は羨ましくさえ思った。自分はその三人に仲間で戦友だと言われた。その三人が、刑事として仲間として信頼しあっているように、自分も三人に全面的に信頼されて制御装置を任された。
この三人がいたからこそ、自分は制御装置に全神経を注ぐことができたし、信頼できる仲間だと思われていたからこそ、最後の最後に制御装置を止められた。
その仲間とともに、自分は一五〇〇メートルの深海で、日米開戦の前夜を迎えている。
そしていま、日本の未来のために、鷲武刑事は、日本に宣戦布告した合衆国大統領と最終会談に臨もうとしているのだ。
「鷲武、回線をつなぐぞ」
伊達は衛星回線のスイッチを入れた。
[あかしお]の通信回線は、通常の極超短波の無線と、人工衛星の[すずらん]と[つばき]を介する衛星通信回線がある。
通常の極超短波を使用する回線のワイヤーアンテナは、天神の会の大神士郎と池月英津子が乗り組んで、[あかしお]に接近してきた潜水艇を沈めるために切り離してしまった。[あかしお]のことを詳しく知らなかった段階での伊達には、衛星通信回線までは頭が回らなかったのだ。
だが、いまは[あかしお]の事はほとんど把握している。
「つなぐぞ…」
伊達が無線機のスイッチを押し上げて、アメリカ国防総省への回線を開いた。
達川と国分は無言で伊達と鷲武を見つめている。
「こちらは、日本国原子力潜水艦[あかしお]だ。この回線を、コードAでワトキンス大統領につないでもらいたい」
伊達が英語でマイクに言った。
コードAとは、最優先の緊急事態の連絡を表す。世界共通コードの優先順位は[あかしお]のマニュアルに書かれていた。
『こちらはペンタゴン(合衆国国防総省の通称)だ。ホワイトハウスの大統領につなぐ。このままで待て』
伊達が通信を開始してすぐに国防総省から返信が入った。
「さあ、鷲武艦長。あんたの出番だ」
伊達はレーダーを見つめたまま言った。
「おい、伊達…」
鷲武が腕を組んだまま低い声で言った。
「なんだ?」
「たのむ…」
「何をだ?」
「きさま!。おれに恥をかかすな!」
「だが、全権を委託されたのはあんただぞ」
伊達は振り向いた。
「おれは外交にはむかん。だいいち英語を知らんのだ。いまからの全権は、副長のきさまに委託する。これは艦長としての命令だと思え」
鷲武はそう言ってそっぽを向いた。
「やれやれ…」
伊達は苦笑いをしながら達川博士と顔を見合わせた。達川博士も笑って肩をすくめた。
「国分…」
伊達が国分を振り向いた。
「はい」
国分も鷲武と伊達の会話を聞いて笑っていた。
「英語は話せるか?」
「はい。日常会話程度ですが…」
国分は伊達に答えた。
「よし。アメリカ大統領と話をさせてやる。鷲武は艦長としての職務を放棄した。いまから、おまえが[あかしお]の艦長代理だ」
伊達がそう言って笑った。国分はポカンと口をあけている。
『合衆国大統領の、ジョージ・ワトキンスだ…』
[あかしお]の司令室に、アメリカ合衆国第五十七代大統領のジョージ・ワトキンスの太い声が響いた。
「日本国原子力潜水艦[あかしお]の副長、伊達英章海将補だ。日米双方の最終会談を、我々は鹿部総理大臣から委託された。いま国分京子艦長代理と代わる。こちらから呼び出しておいて申し訳ないが、もう少々待ってもらいたい」
伊達はそう言ってマイクを国分に渡した。国分はまだポカンとしている。
「国分。おまえの思うとおりにやってみろ。鹿部総理を説き伏せたように、おまえの全身全霊をこめて、アメリカに[あかしお]の脅威を与えてみろ。どうしてもだめなら、その時は、ミサイル発射の最終通告をワトキンスに突き付けろ」
伊達はそう言って国分を見つめた。
どうせ一度は滅亡した地球だ。その滅亡を救ったステラコイルのヒントを見つけたのは国分だった。そして、自ら核ミサイルの制御装置を停止させる役目をしたのも国分だ。
国分がいなかったら今の地球の姿はない。国分の強運に伊達は賭けたのだ。
艦長の鷲武がワトキンスと会談をしても鷲武は怒鳴っているだけだ。会談など成立するはずもない。
「…………」
国分はみんなの顔を見渡した。鷲武も達川博士も黙ってうなずいた。
国分は伊達が差し出したマイクを握った。手が汗ばんでいる。国分は大きく深呼吸して、ゆっくりと立ち上がった。艦長席に座っている鷲武と達川博士の間に立った。
国分はあきらめた。
また伊達と鷲武にめんどうを押しつけられた。総理大臣とのときもそうだった。
こうなったら、とことん[あかしお]の艦長代理になりきってやる。そしてアメリカ大統領と渡り合ってやる。
自分が本当に日本国の代表になりきらなければ、この局面は打開できない。
自分は、世界最強の核ミサイルを装備する原子力潜水艦の艦長代理だ。国分は心のなかで何度もそう言い聞かせた。
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