39
十四時間
達川博士が未完成のステラコイルに全力を傾けている。
核ミサイルの爆発まであと十四時間二十一分に迫っていた。
「伊達…」
鷲武は、食料倉庫から持ち出してきたウィスキーを飲みながら伊達に声をかけた。
「なんだ?」
伊達は操舵席に座ってレーダーを見たまま返事をした。
「何とか、日本と連絡をとる方法はないのか」
「今のところはないな…。ワイヤーアンテナは池月や大神たちと小笠原海溝に沈んだ。浮上すれば簡単に無線は通じるんだが」
伊達はそう言ってレーダーを見つめている。
「勝手に動き回る今の[あかしお]では、どうにもならんというわけか…」
鷲武がつぶやいた。
「それにしても静かだ…」
そう言った鷲武に、伊達は無言で司令室の天井を見つめた。
時間は刻々と過ぎてゆく。
コーン、コーンと、規則正しいソナーの探査音だけが聞こえていた。
この頃になると三人は無口になっていた。何も話すことがないのだった。
国分も伊達の並びの椅子に座ったまま黙っている。静寂だけが[あかしお]の司令室を支配していた。
「伊達警視長。奥様とお嬢様のことは気になりませんか?」
静寂を破って国分が伊達に声をかけた。
「気になるさ…」
伊達はレーダーを見つめたままで言った。
「おれも鷲武とさえ知り合わなければ、今頃は少しは静かな生活をしていただろう。医者をしていたころが懐かしい。考えてみれば、医院の待合室が近所の老人の溜り場になって、奈美子がお茶やお菓子を出して、娘が年寄り達の相手をしているような生活がいちばん平和なんだろうな」
「その平和な生活を、鷲武警視長が壊したんですね?」
国分が笑って鷲武を振り返った。
「ふん、何とでもほざけ」
鷲武が笑って煙草に火を付けた。
「しかし、鷲武に動かされたにせよ、それも生まれたときから決まっていたおれの運命だ。後悔はしていない」
伊達も笑って煙草を取り出した。
「でも、奥様とお嬢様は伊達警視長と一緒にいたかったでしょうね」
「ああ…。それはおれも同じ気持ちだ」
国分の言葉に、伊達は妻の奈美子と娘の美子の顔を思い出した。
人間の運命とは不思議なものだと、伊達は思った。
ただの町医者だった自分が、たった三個の球体を美子が手に入れたために大きく生き方が変わった。
もしもあの球体を手に入れなかったらと、伊達はいまでも思う。
もしも手に入れていなかったら、今も北海道で町医者をしていただろう。
そのただの町医者だった自分が、今は警視庁刑事局の刑事となって、日本が開発した原子力潜水艦のなかにいる。あと十四時間を切った地球の運命を背負ったまま、南太平洋の海の中にいるのだ。
鷲武との出会い。鷲武との喧嘩。医院が天神の会の殺し屋に襲われて闇に紛れて北海道からの脱出。御母衣村の年寄りたち。
刑事局の刑事になり、鷲武と捜査した東北自動車道。そして鷲武の手がかり発見。岩手県警での国分との出会い。弘前警察署の宮島の締めあげ。[おおとり]での墜落。御母衣村と粟島での天神の会との銃撃戦。乗り込んだ[あかしお]。
自分の四十七年間の人生で、これほど激しく生き方が変わったことはない。人生とは不思議なものだと伊達は思った。
「国分は、本当に後悔はしていないのか?」
伊達は国分に聞いた。
「後悔はしていません。だって、両警視長と一緒にいたおかげで、普通の女性警官では絶対に経験の出来ないような緊張感を味わいましたし、今もこうして、地球が最後になるかもしれないというなかにいます。もしも地球が達川博士によって救われるのなら、このわたしも少なからずそのお手伝いが出来たということでしょう?。すごいことじゃないですか」
国分は目を輝かせながら笑っている鷲武と伊達を見た。
「それに…」
国分は前を見た。
「それに、わたしが[あかしお]を追ってきたおかげで、お二人はわたしのヌードを見られたんですよ」
国分はそう言って笑った。自分の顔が赤くなるのを感じた。
「何だおまえ、自分の裸を自慢したいのか?」
鷲武がそう言って笑った。
「だって、男性に見られたのは初めてでしたから…」
赤く染まった顔で国分が言った。
「自慢の裸を見せる相手はいなかったのか?」
鷲武が意外だという表情で国分を見た。当然男はいると思っていた。
女のことにはうとい鷲武にも、国分はとびきりの美人だとわかるし、性格も問題なくいい。年も二十九才だというから男がいないほうがおかしい。
「いません。付き合いはじめた人も何人かはいましたが、どの人もうわべだけ格好を付ける人ばかりで、本気で好きになるような相手では…」
国分はそう言って下を向いた。
「じゃあおまえ、その年で、まだ男と寝たことはないのか?」
鷲武はあきれたような表情で、座ってうつむいている国分の後ろ姿を見た。
どこか悪いんじゃないのか?。鷲武は口からそう出かかったが、その言葉をあわてて飲み込んだ。怒らせるとえらいことになる。
「はい…」
国分はふてくされたような返事をした。
「独身だとは聞いたが、本当に彼氏がいないとはな…」
伊達も国分の横顔を見つめた。うつむいた国分の横顔が赤くなっていた。
「わたしのヌードは、きれいでしたか?…」
国分はうつむきながら伊達と鷲武に聞いた。
気を失っている自分を全裸にした伊達と鷲武だった。
鷲武は上半身を裸にした。伊達は下半身だ。おまけに伊達は自分に人工呼吸までしたという。
人工呼吸のためとはいえ、初めて男性と唇を合わせたのだ。そのあとに伊達と鷲武にお湯で温めたタオルで裸の全身をマッサージされたうえ、ごていねいに鷲武は自分の服や下着まで洗濯した。
胸も、そして下半身も、この年になるまで一度も男性を知らない国分京子という女の全てを鷲武と伊達に見られたのだった。
「ああ、きれいだった」
伊達が言った。
「本当ですか?」
国分は前を見たまま、赤く染まった顔をあげた。
「嘘はいわん。おまえを生き返らせるのに必死でゆっくりとは見られなかったが、見事にバランスのとれたきれいな身体だった。あんなにきれいなヌードは久しぶりに見た」
伊達は腕を組んで国分を見つめた。
伊達の頭に、タオルでマッサージした国分の全裸の身体の感触がよみがえった。
「久しぶりということは、一番きれいなヌードは奥様でしたか?」
国分はそう言ってうつむいたまま笑った。
「まあな。だが、おまえのヌードは本当にきれいだった。なあ鷲武」
伊達は笑って鷲武を見た。
「ああ、おれは独身だし、女には詳しくはないが、そのおれも、思わず素手で触れたくなったほど、きれいで形のいい胸だったぞ」
鷲武も頬を染めて下をうつむいている国分に言った。
「よかった…。そう言っていただいて女として嬉しいです。少し恥ずかしいですけど…」
国分はそう言ってまた下を向いた。
このまま地球が一千メガトンの核ミサイルで消滅したとしても、国分は満足して死ねると思った。
たとえお世辞としても、鷲武も伊達も、自分の身体はきれいだったと言ってくれたからだ。
鷲武と伊達が顔を見合わせて笑っていた。
十二時間
時間だけが静かに過ぎていた。
達川博士はステラコイルの完成に全力を注いでいる。
ステラコイルが地球を救う唯一のものだと博士は言った。博士の言葉からして、おそらく完成は時間ギリギリだろう。
そのステラコイルが地球を救うのであれば博士に賭けるしかないのだ。ただ、タイムリミットがギリギリなら、果たして間に合うかどうかはわからない。
[あかしお]は衛星誘導によって勝手に航行している。どうやっても[あかしお]を止める方法は見つからない。日本との連絡の方法もない。
浮上できれば通常の無線で日本との通信回路を開けるが、ワイヤーアンテナがない現在では、どうにも方法が見つからなかった。
今は二月七日午後八時三十五分。
あすの午前八時三十三分に、[あかしお]に搭載されている一千メガトンの核ミサイルが爆発する。衛星誘導で[あかしお]が自動航行しているいじょう、どこの海域でミサイルの爆発を迎えるのかは誰にもわからない。
もしも大陸近くで爆発したら一瞬にして数億人が死亡し、さらには、通常では計測不能なほどの放射能によって数十億人が死ぬ。
その放射能汚染はじわじわと地球に広がり、爆発から一ヵ月後には、全世界規模の気象異変で地球上の大半の人間や動植物が死滅する。
そして、太陽の活動でさえも狂わせるほどの一千メガトンという水爆が一ヶ所で爆発した地球は、その衝撃によって地軸が狂い、気象の大異変をもたらす。
そうなった地球は、人間はおろか動物や植物も住めない星となる。そればかりか、地球の半分が宇宙の彼方にふっ飛ぶほどの爆発で、地球そのものが軌道を外れて宇宙をさまよう死の星となるのだ。
「十二時間か…」
鷲武が誰にともなくつぶやいた。
「おい、伊達…」
「なんだ?」
鷲武の言葉に、伊達はレーダーを見たまま返事をした。
「制御装置の分解も絶望で、[あかしお]のコントロールもできないとなったら、おれたちに出来ることは何だと思う」
鷲武が言った。
「…………」
伊達は鷲武の言葉に黙ったままだった。
「お手上げということか」
鷲武は無言の伊達に言った。
「この[あかしお]よりもすごい原潜がどこからか攻撃をしかけて、[あかしお]を二千メートル以下の深海に沈めてくれると、この問題は解決するんだがな…」
鷲武が投げ出すように言った。
「はかない希望だな。あんたの意見には同意するが、あの第七艦隊でさえ、ものの三十分もしないうちに全滅させた[あかしお]だ。どこの原潜がこようと、こいつには歯がたたん」
そういう伊達の言葉にも半分あきらめが混じっていた。
この[あかしお]を、もしも葬れるものがあるとすれば、それは自爆しかない。しかしその自爆も六十億以上の地球人類を道連れにする自爆だ。
「せっかく、世界最強の原子力潜水艦を手に入れたというのに、自分たちの思い通りにならないなんて…」
国分がそう言って笑った。
国分ではないが、この[あかしお]さえ自由に操ることができたら世界を征服できるだろう。
鷲武、伊達、国分、達川博士の四人は、その気になれば、世界のどこの海からでも相手国に核ミサイルを撃ち込める。
[あかしお]に搭載されているミサイルは最大射程が一万五千キロだ。この南太平洋から北アメリカやロシアのほぼ全域を射程内に捕らえることが可能なのだ。
一発が五十メガトンの核ミサイルを撃ち込むと警告すれば、たとえ大国のアメリカでも震え上がる。
「もしもこいつが思い通りになったら、おれたち四人で世界を征服してみるか」
鷲武がそう言って笑った。伊達も笑っている。
国分は笑っている鷲武と伊達を見つめた。
自分はともかく、鷲武と伊達、最後の希望といえるステラコイルの完成に全力を注いでいる達川博士の三人がいれば、この[あかしお]を自由自在にあやつり、世界を征服することも夢ではないと国分は思った。
「まさに、世界最強無比の潜水艦だ…」
伊達は自動航行で南南西に進む[あかしお]のレーダーを見つめながら言った。
何年か前に見た映画を伊達は思い出した。
世界でもっとも力を持っているのは、アメリカ大統領とロシア大統領、そして原子力潜水艦の艦長だと、映画の中の字幕に出ていた。
アメリカとロシアは二大核大国だ。世界を何十回も灰にできるほどの核兵器を持っているし、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦も持っている。
アメリカの原潜はロサンゼルス級で、ロシアの原潜はビクター級と呼ばれ、いずれも核弾頭を搭載可能のSLBMを積んで世界の海に散らばり、お互いに牽制しあっている。
もしも全面戦争が起こって世界が消滅するような事態になっても、海の底深く潜っている原子力潜水艦は残る。そして相手国をめがけて核ミサイルを発射する。
原子力潜水艦の艦長こそが、全面戦争の最後の決着をつけるのだ。
その原潜のなかでも世界最強の原潜に自分たちは乗っている。
自由に操艦することができるのなら、今の自分たちは無敵だ。誰をも、どこの国をも恐れることのない絶対の神だ。
例えアメリカやロシアの原潜が何十隻で攻撃してこようとも、この[あかしお]には歯がたたない。ものの数分か数十分で全滅させる戦闘能力を持っている。
[あかしお]は世界最強の原子力潜水艦なのだ。
|