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赤 い 波
作:凪沙 峻



36


[あかしお]はいまその機能を停止させている。
 艦内の照明や必要な装置は、予備として積んでいるバッテリーで稼働させていた。そのバッテリーは今の調子で消費しても八十時間は持つ計算だ。
達川博士が二十三時間三十分以内に自爆装置を分解できない場合、[あかしお]は再び原子炉を稼働させて今の一五〇〇メートルから、さらに潜航して海溝の底をめざす。
[あかしお]の可能潜航深度は二〇〇〇メートル。
 制御装置の分解ができないとき、二〇〇〇メートルを越えて[あかしお]は潜航する。
 みずから耐圧限界深度を越えた[あかしお]は、一平方センチメートルあたり約二トンという強力な水圧で瞬時に押し潰される。
そして四人の人間を乗せたまま圧潰した[あかしお]は、小笠原海溝の九六五六ートルの海底にその巨体を沈めるのだ。搭載している核ミサイルも水圧で押しつぶされ、爆発はまぬがれる。
この海溝の底には、すでに天神の会の大神士郎と池月英津子が沈んでいる。
 大神と池月は航空自衛隊のF・18迎撃戦闘機の攻撃から逃れて、殺された仲間の復讐と、彼らの最終目的である[あかしお]の強奪のため深海探査艇で追ってきた。
 だが伊達と国分の連携で、[あかしお]のワイヤーアンテナを射出し、大神と池月が乗ってきた深海探査艇[キャップ]にからませて操縦不能に陥らせた。
 制御が効かなくなった[キャップ]は、ワイヤーと自身の重さで沈降を続け、今[あかしお]が停止している海溝の六四〇〇メートルで、その耐圧限界を越えたため一瞬で圧潰し、海溝の底に沈んだ。
コーン、コーン、というソナーの音だけが司令室に響いていた。
鷲武は艦長席に座ったまま腕を組んで目を閉じている。
 伊達は操舵席でレーダースクリーンを見つめていた。
 国分は食料庫から持ち出してきた罐詰で朝食を作っている。食べるか食べないかはわからない。達川博士はおそらく食べないだろうと思う。残された時間は二十四時間〇一分となった。
最後の段階で博士はその一歩を踏み出せないでいる。
 その一歩を踏み出すきっかけを探しているのだ。その博士の邪魔をするわけにはゆかない。食事に気持ちを向けるということは制御装置から気をそらすということだ。全神経を制御装置に集中している博士の気をそらすことはできない。
二十四時間〇一分という時間は、博士にとって貴重な時間なのだ。そしてそれは、六十億の地球人類にとっても貴重な時間だった。


ヒューン、という音が艦内に響いた。
「なに…」
伊達は驚いて顔を上げた。突然[あかしお]のメインスイッチが入ったのだ。
 伊達は急いで[あかしお]のメインスイッチを切った。だが稼働をはじめた原子炉は止まらなかった。目の前の青と赤の棒グラフが左から少しずつ中心線に向かって伸びはじめている。
「なぜだ、なぜ原子炉が稼働したんだ!…」
伊達は自分の目が信じられなかった。
「きさま、ねぼけてスイッチを入れたんじゃないのか!」
鷲武が怒鳴った。
「そんなことはない。今までカバーがかかっていた…」
「なら、どうして原子炉が動いたのだ!」
鷲武が伊達の隣に駆け寄ってきた。
「わからん…。だが、何かの力で[あかしお]は動きだそうとしている」
「クソッタレめ!。なんてこった!…」
鷲武と伊達は勝手に作動をはじめた計器盤を睨んでいた。
計器盤を見つめている三人の目の前で、重い響きとともに[あかしお]の原子力エンジンが始動した。
「浮上をはじめたぞ…」
伊達は誰にともなくつぶやいた。
 深度計が一五〇〇メートルから一四八〇、一四五〇と、ゆっくりと[あかしお]が浮上しているのを示している。
「人工衛星…」
国分が二人の顔を見た。
「人工衛星が、[あかしお]を制御しはじめたのでは…」
そう言った国分を鷲武と伊達がにらみつけている。
「そうだ、国分の言うとおりかもしれん。エンジンがかかったのは、自爆までちょうど二十四時間だった…」
伊達がそう言って二人を見つめた。
[あかしお]は、眠っていたその巨体をみずから破滅に向けて始動をはじめた。
 深度が一二〇〇メートルから一〇〇〇メートルへと、少しずつ海面に向けて浮上を続けている。
「クソッタレめ、何とか止められんのか…」
鷲武はそう言って司令室の上を見上げた。
深度は五〇〇メートルになり、そして四五〇メートル、四〇〇メートルと急速に浮上を続けている。
 どこまで浮上するのか。そして浮上したあと、[あかしお]がその巨体に一千メガトンの核ミサイルを抱いたままどんな動きをするのか、三人には見当もつかなかった。
 どのスイッチも伊達の思うようには作動してくれなかった。さわってもいないスイッチが勝手に入り、[あかしお]そのものに誰かの、あるいは何かの意志が働いているかのように浮上を続けている。 
[あかしお]は深度一五〇メートルで浮上を停止し、太平洋を南下しはじめた。
「原潜だ!。国籍不明の原潜が現われたぞ!」
 レーダーを見ていた伊達が叫んだ。
「なんだと!。こんな時になんてこった、クソッタレめ!」
鷲武は艦長席を蹴飛ばして怒鳴った。
レーダーには、[あかしお]の左側方から接近してくる白い影がとらえられていた。影の形からみて、どこかの国の原子力潜水艦のようだ。
「たぶんアメリカの原潜だろう。ここは第七艦隊の警戒水域だからな。もしアメリカの原潜だとしたら、対潜哨戒機や魚雷艇がウジャウジャいるかもしれん…」
伊達はそうつぶやいた。
 伊達の言葉は正しかった。スクリーンの数字やローマ字がせわしなく動きはじめ、そして止まった。レーダースクリーンに、アメリカ第七艦隊所属ロサンゼルス級原潜、船名シカゴと表示された。
「攻撃されたらどうするつもりだ!」
鷲武が伊達に言った。
「どうしようもない…。こいつは勝手に動いているんだ。衛星誘導でな…」
伊達がレーダーを見つめてそう言った。
どうしようもなかった。
 伊達が操艦しているのであればともかく、[あかしお]は人工衛星の電波によって勝手に動いているのだ。どこをどう操作しても計器盤はまったく反応を示さなかった。
 艦内にカーンという音が響いた。シカゴがアクティブソナー(超音波探信)を打ったのだ。完全に[あかしお]は相手に捕捉された。
 シカゴの探信音を受けたと同時に[あかしお]からも超音波が発射された。計器盤にむこうの位置と距離が自動的に表示された。[あかしお]とシカゴの距離は一一〇〇メートルだ。
「シカゴが魚雷を発射した。三発だ!」
伊達がレーダーを見ながら言った。
[あかしお]のレーダーに、左側方にいたシカゴが三発の魚雷を発射したのが映った。
 白い影が高速で[あかしお]に迫っている。このままではシカゴの魚雷は[あかしお]に命中する。もしも魚雷の当たりどころが悪ければ、この場で一千メガトンの核ミサイルが爆発する。地球は終わりだ。
 だがどうにもならない。地球の半分を宇宙の彼方にふっ飛ばす巨大なキノコ雲がレーダーを見つめる三人の頭に浮かんだ。
「なんだ…。何をしようというんだ…」
伊達はそうつぶやいて計器盤をにらんでいる。
 その計器盤で前部魚雷の発射準備が表示された。それも[あかしお]が勝手にやったことだ。
 自動セットされると同時に[あかしお]の前部魚雷が一発発射された。レーダーに映った[あかしお]の魚雷は前方へ発射されたあと、大きく弧を描くように左にカーブして相手の原潜に向かってゆく。魚雷に搭載されているアクティブレーダースキャナがシカゴの音紋をとらえたのだ。
「自動攻撃システムだ。そいつが作動したんだ…」
「なに?…」
鷲武が伊達をにらんだ。
「忘れたのか。[あかしお]は人工衛星誘導の無人航行装置で動いているんだ。どこかの国の軍隊から攻撃をされるという可能性も当然想定してあるはずだ。だから、ある程度まで相手が[あかしお]に接近すると、自動的に攻撃体制をとるようにコンピューターがプログラムされているんだろう…」
伊達はレーダーを見つめたままで鷲武と国分に言った。
超音波探信を打たれたことによって、[あかしお]のコンピューターの自動攻撃システムが作動したのだった。
 爆発まで二十四時間ちょうどで、人工衛星が[あかしお]を制御しはじめた。
 同時に[あかしお]が持つすべての機能も[つばき]か[すずらん]が制御しているのだ。
 また[あかしお]の魚雷が一発発射された。今度は後部魚雷だ。だが[あかしお]の後ろには何も映っていない。だが[あかしお]は何かを捉えたらしい。
伊達の目の前でレーダーが自動的に縮小された。今までよりも広範囲の海域が映し出された。縮小されたレーダーに、いくつもの白い点が映っている。
「これを見ろ!」
伊達が二人に言った。
「アメリカの第七艦隊だ。海上にもたくさんいるぞ!」
そう叫んだ伊達の指が、レーダーに映っているいくつもの白い点を示した。
「なんてこった。[あかしお]は第七艦隊を相手に一戦交える気か」
鷲武がつぶやいた。
[あかしお]は海上にいる第七艦隊の大群から逃げるどころか、五〇ノットの高速で上下左右に進みながらコンピューターで捕捉した第七艦隊に向かってゆく。
突然ビーッ、ビーッという激しい警報が鳴り響いた。
「魚雷と爆雷の一斉攻撃だ!」
伊達は叫んだ。
[あかしお]をめがけて発射されたおびただしい数の魚雷と爆雷がレーダーに映し出された。警報はまだ鳴り続けている。計器盤のランプがいそがしく点滅している。
 何かが[あかしお]から発射されたようだ。伊達は海対空ミサイルだと判断した。
 三人が見つめているレーダーに、突然平面画像からいくつもの線で構成された立体画像の[あかしお]が映し出された。その立体画像となった[あかしお]の後部甲板から、さらに二発の海対空ミサイルが発射された。
 ミサイルを発射した直後[あかしお]は急速潜航に移った。見る間に推進速度が五十ノットを示す。艦を前方にかたむけながら[あかしお]は後部魚雷を一発発射した。
 その魚雷はカウンターメジャーといわれるおとり魚雷だ。おとり魚雷は激しく泡を出しながら水中を進み、相手の魚雷を惑わせる役目をもっている。スクリーンの下にデコイと表示された。
「デコイだと!」
伊達が叫んだ。
「なんだ!」
「おとり魚雷のことだ!」
伊達がマニュアルを開いてデコイという項目を探して鷲武に渡した。
 マニュアルには、本艦のスクリュー音と同じ音紋を出すおとり魚雷、と書かれているが、鷲武は英語は読めない。
 アメリカの原潜から発射された魚雷が、[あかしお]のおとり魚雷を追跡してゆくのがレーダーに映っていた。
 アメリカの原潜シカゴが発射した魚雷は、[あかしお]が発射したデコイを追っかけている。シカゴの魚雷は、デコイを[あかしお]と判断したのだ。
[あかしお]の艦内に警報とは違う甲高い音が響いた。
 その音が聞こえたとたん、[あかしお]のおとり魚雷であらぬ方向に進んでいた第七艦隊が発射した数十発の魚雷は、海上の第七艦隊に向かって突き進みだした。急速に潜航を開始した[あかしお]は前方に三十度ほど傾いている。
「博士、だいじょうぶか!」
鷲武は傾いた司令室の手すりにつかまりながら、兵器格納庫の下にいる達川博士に叫んだ。
「だいじょうぶです!」と大声で叫ぶ博士の声が、激しく鳴り続ける警報の中で聞き取れた。
艦を深海に向けて急速潜航させながら、[あかしお]は艦橋から対艦ミサイルを発射した。
 最高速の五十ノットで潜航を続ける[あかしお]は、二分程で深度五百メートルを越えた。そしてさらに急速潜航を続け、相手の魚雷や爆雷が追跡不可能な深度一二〇〇メートルに達した。
レーダーに映っていたいくつもの第七艦隊の影は完全に消えていた。[あかしお]の攻撃で全滅させられたのだ。
 艦は平行になった。警報も消えている。
 [あかしお]は何事もなかったように十五ノットの速力で太平洋を南下しはじめた。深度も少しずつ上がっている。
「とんでもない船だぞ、こいつは…」
伊達は操舵席に座ってつぶやいた。
「まったくだ。たった一隻で第七艦隊を全滅させやがった…」
鷲武は攻撃システムが勝手に作動して次々と魚雷やミサイルを発射し、確実に相手に命中しているレーダーの画面を思い出してため息をついた。
無駄な動きはいっさいしなかった。
 相手が発射した何十発もの魚雷を、その速力にものをいわせて振り切りながら、[あかしお]のスクリューと同じ音を発するおとり魚雷を使って、発射した米艦隊に向けて誘導した。
 レーダーには少なくとも三十隻以上の艦艇が映っていた。その三十隻もの艦艇を、[あかしお]はたった一隻で全滅させてしまったのだった。
日本が極秘に開発した無人原子力潜水艦の[あかしお]は、その巨体のなかに驚嘆すべき戦闘能力を秘めていた。まさに世界無敵の原子力潜水艦だ。
「こんな言い方は不謹慎かもしれんが、この[あかしお]を自由自在に操れれば、まさに世界を征服できる。これが天神の会の手に渡らなくて本当によかったぞ…」
鷲武がつぶやいた。
「すごい船ですね…」
国分がつぶやいて二人を見た。
「まったくだ。こんな化物を作った奴の顔が見たくなってきた」
伊達もつぶやいた。青ざめていた国分の顔にようやく赤みが戻っていた。
[あかしお]は何事もなかったように深度一五〇メートルを保ったまま、太平洋を南下していた。













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