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赤 い 波
作:凪沙 峻



31


 四十時間

「深度二六〇メートル…」
伊達が深度計を見ながら言った。
伊達が操艦する[あかしお]は太平洋の小笠原海溝の真上にいた。
[あかしお]は徐々に深度を下げていた。コーン、コーン、という、海中を探索するソナーのモニターと探索音だけが規則正しく司令室に響いている。
[あかしお]はこのまま潜航を続けて海溝に向かう。可能潜航深度は二〇〇〇メートルだ。その近くまで[あかしお]は潜水を続け、達川博士の制御装置の分解終了を待つ。
伊達は、ずっとそのことだけを考え続けていた。もしも分解に成功しなかったら、それしか方法はないと伊達は思った。
「鷲武…」
伊達が操舵輪を握ったまま言った。
「なんだ」
鷲武が煙草を吸いながら答えた。
 国分はすでに乾いた服を着て伊達からひとつ隔てた椅子に座っている。風呂に入ってさっぱりした表情でもとの国分に戻っていた。
「最悪の場合…。つまり、博士が制御装置の分解に成功しなかった時のことを、おれはずっと考えていた…」
伊達はそう言って振り向いた。
「どう考えたんだ?」
鷲武は煙草を吸いながら聞いた。
「あんたは、この小笠原海溝の深さを知っているか?」
そう言った伊達は、またレーダーに目を移した。
「いや、知らん」
「海図を見ると、この海溝の最深部は九八一〇メートルだ。いま[あかしお]が潜っているところは九六五六メートルで、海溝で二番目に深い場所だ。そして、この[あかしお]の潜航可能深度は二〇〇〇メートル…」
「…………」
鷲武は黙ったまま伊達の背中を見つめていた。国分も伊達の横顔を見つめている。
「おれは、最悪の場合は、この[あかしお]ごと最深部に向けて潜航を続けようと思う…」 伊達が低い声で言った。コーン、コーンとソナーの音が聞こえている。
「いいだろう。それが最後の解決策だ」
鷲武は腕を組んでうなずいた。
「最深部まで潜るんですか?」
国分が二人を見比べて聞いた。
「そうだ。この[あかしお]の潜航可能深度は二〇〇〇メートルだ。それ以上の潜航を続けると、水圧で[あかしお]は一瞬で潰れる。制御装置やミサイルも起爆前に一瞬で潰れてしまえば、それで地球は救われかもしれん」
伊達はそう言って国分を見つめた。
[あかしお]は最大潜航可能深度が二〇〇〇メートルだ。世界中の原子力潜水艦の中では群を抜いている。アメリカの最新鋭攻撃型原潜シー・ウルフ級でも、せいぜい八百メートルというところだ。
[あかしお]はその二倍以上の水圧に耐えられるように、外殻は特殊熱処理を施した超硬チタン合金のハニカム式で、水圧を分散させる構造になっている。
 地球を救うには二つの選択しかない。ひとつは制御装置の分解に成功すること。もうひとつは、二〇〇〇メートル以深の深海に潜り、強烈な水圧で[あかしお]ごと核ミサイルや制御装置を押し潰す方法だ。地球を救うためにはそのふたつしか方法はない。それも自爆装置のタイマーが最終カウントを刻む前に決心するのだ。
「やっぱり[あかしお]を追ってきて良かったです」
国分は嬉しそうに言った。
「バカな奴だな。死ぬんだぞおまえ」
鷲武が笑いながら国分をにらんだ。
「だから良かったと言ったんです。だってそうでしょう。一緒に戦ってきたんですもの。お二人の骨はこのわたしが拾ってあげます。誰にも知られないで死ぬなんて淋しいでしょうから!」
国分はそう言って笑った。
「ふん。おれと伊達にすっ裸を見られて、さっきまで泣きベソをかいていた女とは思えんセリフだ」
鷲武が腕を組んだまま笑った。
 その言葉に国分はプイと横を向いた。
「それにしても国分。女ってのは、どうしてブラジャーなんて面倒なモノを着ているんだ?。脱がすのに苦労したぞ」
「また!。鷲武警視長はどうしてそうデリカシーがないんですか。少しは改めたらいかがです?」
国分は鷲武を睨んだ。
「これはおれのもって生まれた性格だ。いまさら直そうなどとは思わん」
鷲武は大声で笑った。
「原潜だ!」
突然伊達が叫んだ。
「なんだと!。どこの原潜だ!」
鷲武が艦長席から立ち上がった。
「わからん!。[あかしお]の右後方にいる!」
伊達の目の前のレーダーに白くて細長い影が映っていた。レーダーの中心点にある[あかしお]よりは一回り小さいが、影から判断するとどこかの国の潜水艦らしい。
「国分、おれの言うとおりに計器盤のスイッチを入れろ。まだ相手が攻撃をしかけてくるかどうかは判断できん。だが、警戒はしておいたほうがいい。一発魚雷をくらってミサイルや原子炉の放射能が漏れでもしたら、地球は最後だ!」
伊達が低い声で言った。
「了解。指示を待ちます!」
国分はそう言って自分の目の前のスイッチを見つめた。
 通常の英語ならば国分にもわかるが、目の前の計器盤に書かれているのは軍事英語でおまけに略語だ。スイッチの種類は判らなかったが、赤いスイッチは重要なものだろうくらいは理解できた。
国分の白い右手が計器盤のうえに乗せられている。
 突然、艦内にカーンという音が響いた。
「なんだ!」
鷲武が艦内を見回した。
「アクティブソナーを打たれたらしい!。相手が[あかしお]を捕捉した!」
「なんだ、そいつは!」
鷲武が叫んだ。
「相手の位置を確認するために発射する超音波だ。それで位置や距離を知る」
「魚雷を撃ってくるというのか!」
鷲武が伊達の隣にきた。レーダーを睨んでいる。
「十分に考えられる。でなければ超音波を発射したりしない!」
伊達はレーダーを見たまま言った。その時、艦内のスピーカーから外国の言葉が入ってきた。伊達がマイクをつかんで英語で応答した。
[あかしお]には、どこかの潜水艦が発射した電波を自動的にとらえられる無線機を搭載している。その無線は自動的に[あかしお]のメインコンピューターに記録される。
「何と言ってるんだ!」
鷲武は怒鳴った。
「どこの船かと聞いている。国籍と船名を明らかにしないときは攻撃をしかけると通告してきた。スクリュー音もすでに登録したそうだ。だが、日本の原潜だとは答えられん。答えたら日本の立場は無くなる」
伊達はマイクを握ったまま鷲武を見た。
「だったら答えるな。放っておけ」
鷲武は艦長席に腰をおろして腕を組んだ。
「よし、国分。B・Wと書いてある青いスイッチを入れろ」
伊達が国分に指示した。
「はい!。入れます!」
国分は緊張で震える指で左前にあるB・Wのスイッチを押し上げた。同時に八つの青いランプがついた。
 B・Wはバック・ウェポン、つまり後部魚雷のことだ。[あかしお]には前部と後部にそれぞれ八本の魚雷発射管がある。
「九番のスイッチを入れろ。おれが合図したら、点滅をはじめた九番の赤いボタンを押せ」
「了解!」
国分は九番のボタンにかかっている透明なカバーを開いてスイッチを押し上げた。
 スイッチが入った九番の赤いボタンが点滅をはじめた。
 国分の操作を見ながら、伊達はレシーバーを耳に当てて、ピンカーといわれるアクティブソナーのボタンを押した。超音波探信のことだ。
[あかしお]が発射した超音波探信が跳ね返ってくると同時に、レーダースクリーンの右下に、ロサンゼルス級原子力潜水艦、船名アラスカ、アメリカ第七艦隊所属、と表示が出た。
[あかしお]のメインコンピューターには世界各国の原潜や艦船のスクリュー音が登録されていて、瞬時にどこの国籍の艦船かを判断するらしい。
 船のスクリュー音は、どんなに似ている船のものでもそれぞれに特徴があり、百隻の船が同じ部品を使って同じドックで建造されても、スクリュー音だけは違う。
 船のスクリュー音は、いわば人間の指紋や声紋と同じなのだ。だから各艦船のスクリュー音は音紋と呼ばれる。
九番の後部魚雷発射管が開いて海水が注入されたのを知らせる表示ランプが点灯した。
 数秒後、伊達の目の前に相手の方位と距離が数字で表示された。距離八一〇メートル、方位角095。[あかしお]の船首は345に向いているから、時計でいうとアラスカは四時の方向にいることになる。
 超音波探信装置で測定された方角と距離は、[あかしお]のメインコンピューターから魚雷発射室にデータが送られて、魚雷自身のコンピューターに自動セットされる。
潜水艦が魚雷を発射するには、ある程度の距離が必要だ。距離が近すぎると魚雷が相手を補足する前に高速ですりぬけてしまうからだ。
 各国の潜水艦から発射する魚雷は、いくら短距離でも四〇〇メートル以内が限界といわれている。それ以下になると命中の確立は極端に落ちるし、最悪の場合は、例え相手に命中しても魚雷を発射した自分の船が爆発の衝撃で被害を受けるのだ。
 だが[あかしお]に搭載されている〇四式魚雷は、先端に熱と音源を捕らえて追跡するレーダーが装備されている。近距離から発射して相手をすりぬけても、捕らえた熱と音源に向けて追跡し続け、最後には命中する。
 発射された[あかしお]の魚雷からは絶対に逃げられない。各国の原潜に積まれているおとり魚雷も、[あかしお]の〇四式長魚雷のコンピューターには通じないのだ。至近距離での爆発の衝撃にも[あかしお]ならばじゅうぶんに耐えられる。
伊達はコンピューターを操作して〇四式魚雷の核弾頭を外した。通常の炸薬だけで十分に対処できる。こんなところで核攻撃をするわけにはゆかない。
[あかしお]の〇四式魚雷には、〇・一メガトンの核弾頭が積まれている。多少とはいえ海を汚染するわけにはゆかないのだ。
弾頭の切り替え装置が、〇四式魚雷の核弾頭を通常炸薬の弾頭に切り替えをはじめた。魚雷の絵が出ているパネルでそれがわかる。
原子力潜水艦は、万が一相手の攻撃を受けた場合でも原子炉の核燃料が外に漏れないように原子炉を封鎖できる仕組みになっているが、それも相手の魚雷がどこに命中するかにかかっている。当たりどころが悪ければ放射能漏れもありうるのだ。
「来たぞ、魚雷だ!。六発も発射しやがった!」
鷲武が叫んだ。
 レーダーに六つの影が映った。小さな六つの白い影は[あかしお]をめがけて進んでいる。
「よし、国分。さっきおれが言ったとおり、九番のスイッチを押せ!」
伊達が国分に言った。
「押します!」
国分は点滅している九番の赤いボタンを押した。額に汗がにじんでいる。
 国分がスイッチを押すと同時に、かすかな魚雷発射の音が感じられた。
「潜航するぞ!」
国分が魚雷発射のスイッチを押すのを確認した伊達は、前部バラストタンクを開いて海水を注水した。一気に[あかしお]は前方に傾いた。伊達は操舵輪をいっぱいに前に押し込んでスロットルを開いた。
鷲武はレーダーを睨んでいた。アラスカが発射した六本の魚雷と[あかしお]が発射した魚雷の白い影が、レーダーの中で交差しようとしていた。
「深度三〇〇…。三五〇…」
伊達は[あかしお]の深度を呼称しながら確認していた。
「こっちのが命中するぞ!」
鷲武がレーダーを見ながら叫んだ。
高速で進む[あかしお]の〇四式魚雷は、相手の魚雷の倍近いスピードでアメリカの原潜に向かい、そして重なった。
 レーダーからアラスカの影が消えた。数十秒後、潜航を続ける[あかしお]に突然ショックが襲った。アラスカが水中で爆発した衝撃がきたのだ。
「やった!。命中だ!」
伊達がレーダーを見ながら叫んだ。
「アラスカの魚雷がきます!」
国分が叫んだ。レーダーを見る国分の顔から血の気が引いている。
「全速前進!」
伊達はそう言いながらスロットルレバーをいっぱい前に倒した。推進速度が見る間に上がり、三〇秒ほどで最高速の五十ノットに達した。その最高速の五十ノットで[あかしお]は海溝めがけて潜航を続けた。
「深度四五〇…、四八〇…。敵魚雷との距離四〇〇…」
伊達は深度を示すデジタルの目盛りを読み続けた。
 相手が発射した魚雷は、一時は[あかしお]に四〇〇メートルまで迫ったが、最高速の五十ットで進む[あかしお]との距離を縮めることはできず、徐々に距離が開いてゆく。
「九八〇…、一〇一〇…」
[あかしお]は、ついに世界の原潜では潜ることのできなかった深度一〇〇〇メートルを越え、未知の深海に達した。
「消えた…」
鷲武はつぶやくように言った。
[あかしお]の深度は一四〇〇メートルだった。レーダーから相手の魚雷の影が消えていた。通常の魚雷の到達深度は一〇〇〇メートルほどだ。
 今の世界の原潜は最大可能潜航深度はだいたい八〇〇メートル。それ以下の深海へ進む魚雷は必要ない。それ以下の深海では、魚雷は自爆するか、あるいは水圧の影響で追跡センサーが狂ってしまい、あらぬ方向に拡散してしまう。
一四〇〇メートルもの深海まで、五十ノットの高速で一気に潜った[あかしお]のスピードにも驚いたが、一四〇〇メートルまで潜ってもキシミ音も出さない頑丈さにも伊達は驚いた。
「このまま深度一五〇〇メートルまで潜る…」
伊達はそう言いながらシャツの袖で額の汗をぬぐった。
国分は、腕を組んで艦長席に座っている鷲武と、この化け物のような[あかしお]を動かしている伊達を見比べた。
すごい人たちだと国分は思った。この二人がいれば、世界のどんな事件にでも対処できる。この二人には不可能はない。その二人に自分は仲間だと認められている。
「やったな、相棒!」
伊達はそう言って国分に右手を差し出した。
「はい!」
国分も伊達が差し出した右手を両手でしっかり握って小躍りした。
 鷲武はその二人を笑って見つめていた。













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