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赤 い 波
作:凪沙 峻



29


 四十二時間

「もうすぐ小笠原海溝の上にくる…」
伊達が鷲武に告げた。
[あかしお]を操艦する伊達の目の前に巨大なレーダーがあった。そのレーダーの中心に赤い影となった[あかしお]が映っている。速度三十五ノット、深度は九十メートル。横須賀を出航して以来、日本本土から五〇〇キロ離れたところだ。
この程度で安全な距離だとは思ってはいない。それは鷲武もわかっている。一千メガトンの核ミサイルの爆発力は、地球の半分を宇宙の彼方にふっ飛ばすほどの膨大なエネルギーだという。
 だが、伊達の操艦では今の速度が精一杯だろうと鷲武は思った。
 それにどこまで行こうとしょせんは地球だ。いずれは核の被害が地球全土におよぶ。どこにいても死ぬことには変わりはない。ただ少しでも日本から離れ、万が一[あかしお]もろとも一千メガトンの核が爆発しても、残った人類に命の希望を与えることは出来る。そう思って出航しただけのことだ。兵器庫の制御装置は達川博士に任せるしかない。操艦は伊達がやっているし、鷲武はただ黙って椅子に座っているだけだった。
地球の最後を告げるカウンターは、あと四十二時間四十二分を示している。
 このカウントダウンを止める方法は果たしてあるのか。それは鷲武にもわからない。
 だが達川は原子物理学と電気工学の権威だ。博士は笑顔を浮かべながら[あかしお]に残ることを承知した。その達川博士の笑顔が鷲武にとって唯一の救いに思えた。
 達川ならば何とかカウントダウンを止められるかもしれない。その笑顔が地球人類を破滅から救う唯一の頼りだった。
鷲武は階段を降りて制御装置の近くに立った。
 達川が頭に付けた顕微鏡のようなもので制御装置の中を覗きながら、小さな工具で何かをやっている。達川の額から汗が流れていた。
「博士、話かけもていいか」
鷲武が低い声で言った。
「いいですよ、どうぞ」
達川は制御装置の中を覗いたままで答えた。
「どんな様子か、さしつかえなければ教えてくれないか。時間がないのなら無理にとはいわんが…」
鷲武が煙草を出してくわえた。
「あと四十二時間…。三十分ちょっとですか…」
達川はデジタルカウンターを見て立ち上がった。
「さすがに技術の粋を集めたとの薗村さんの言葉どおり、よくできていますよ。簡単にはゆかないようです。煙草を、いいですか?」
鷲武は黙って煙草を差し出した。達川がくわえた煙草に鷲武が火を付けた。
「緊張したときに、わたしの研究室でも助手がよく煙草を吸っています。久しぶりに緊張している今、煙草を吸う人の気持ちがわかりますよ」
そう言って達川は、肺まで入れない煙を吐き出した。
「ちょっとだけ吸ってみますか…」
達川は鷲武をチラッと見て笑いながら、ほんの少しだけ口に入れた煙を吸った。とたんに激しく咳き込んだ。涙を流しながら咳き込んでいる。
「だいじょうぶか?…」
鷲武は笑いながら片手で達川の背中を軽くたたいてやった。鷲武の言葉に答えられず、達川は前かがみになったまま咳き込んでいる。
「いやあ、まいりました…」
流れる涙をハンカチでふきながら、達川は笑って鷲武を見た。
「しかしまあ、おかげで少しは気休めになりました。その点では、煙草も時にはいいかもしれませんな」
達川の言葉に鷲武もふと笑った。
「この制御装置ですが、わたしの見たところ、電流ではなくすべてが光で信号を送るようになっています。つまり光学式電子銃です。簡単に言えば、テレビのブラウン管と同じ原理です」
 達川は笑顔で言った。
「一基のミサイルには、核弾頭の真下に積まれたコンピューターの指示の受信回線と、目標に到達するまでのロケット燃料の制御をする回線、目標をとらえる赤外線カメラを制御する回線、目標の上空一キロメートルで爆発させる核弾頭の起爆装置を制御する回線、飛行中にこの[あかしお]の制御装置に信号を送る回線、[あかしお]からの指示で核弾頭の爆発を停止させる回線、そして、核ミサイル自体に積まれている自爆装置の指示を受ける回線と、おおまかにはこの七つの回線があるようです」
達川は鷲武にそう説明した。
「そんなことまでわかるのか…」
鷲武は感心した表情で達川の顔を見た。
「まあ、一応電気工学の博士号も持っていますからね」
達川はそう言って笑った。
「確かにこの制御装置自体が、この上にある二十基の核ミサイルの自爆装置でもありますが、同時に、発射された核ミサイルを[あかしお]からの指示によって制御も出来る装置です。つまり、飛び出したミサイルの起爆装置が空中で外れる前に、[あかしお]からの操作によって爆発を防ぐことが出来るのではないかと思われるのです。ただ、それは電波で指示を出すわけですから確実だとは言えません。ましてや人工衛星から別の指示をする電波を出された場合は、この方法は役に立ちません。なぜなら、衛星からの指示の電波が優先するようにコンピューターがプログラムされているからです。結局は、この制御装置を止めなければならないでしょう。あと四十二時間二十一分以内にね…」
カウンターを見ながら達川が鷲武に説明した。
「邪魔をしてすまなかった。続けてくれ。用事があるときは叫んでくれればすぐに来る」
「ええ」
鷲武の言葉に、達川はまた頭の顕微鏡を右目のところにおろして制御装置のなかに首を入れた。


『[あかしお]へ、こちら[おおとり]の国分です。応答してください。どうぞ!』
その無線は突然入ってきた。
「なに![おおとり]だと!…」
鷲武が勢いよく椅子から立ち上がった。
「おい伊達。今のを聞いたか!」
鷲武が伊達の横に飛んできた。
「ああ、確かに国分の声だ。だが…」
「だがもくそもあるか。無線機はどこだ!。あのやろう、何だってこんな所まできやがったんだ!」
鷲武は艦長席の前にぶらさがっているハンドマイクを握った。
「国分、こんな所で何をしている!。鹿部のSPはどうなった!」
鷲武は大声でマイクに怒鳴った。
『SPは辞退しました。わたしを置いて行くなんてひどいじゃないですか!。いま[あかしお]の真上にいます。乗せてください!』
艦内のスピーカーから国分の大声が流れてくる。
「ばかやろう!。誰がこんな所まで来いと言った!。さっさと帰れ!」
鷲武の大声が艦内に響いた。
『ダメです!。もう燃料がありません!。ここまで来るのがやっとでした。浮上してください。あと一分ももちません。墜落します!』
国分の必死に叫ぶ声が司令室に響いた。
「知るか、クソッタレめ!。勝手に墜落して泳いで帰れ!」
鷲武はそう怒鳴ってマイクを投げ捨てた。らせんコードのマイクが揺れながら宙を踊っている。
「おい、いいのか?」
伊達は鷲武を振り返った。
「クソッタレめ!」
鷲武は腕を組んだまま横を向いて毒づいた。
「浮上するぞ。こうなった以上は何人いても同じことだ」
伊達は笑いながら[あかしお]のバラストタンクの排水ボタンを押した。タンクの排水をしながら[あかしお]はゆっくりと浮上をはじめた。
「おい、もうすぐ海面に出るぞ。早く国分を拾ってこい」
 伊達は[あかしお]を浮上させながら鷲武に言った。
「なぜおれがあいつを拾いに行かなきゃならんのだ。浮上させたのはきさまだ。きさまが行ってこい!」
鷲武は伊達から顔をそむけて怒鳴った。
「頑固者め。本当は国分が可愛いくせに…」
伊達は笑いながら大きなため息をついた。
[あかしお]が浮上したのを確認した伊達は、救命浮き輪を肩に担いで艦橋のはじごを昇ってゆき、艦橋の水密ハンドルの電子ロックを解除した。
 ハンドルを左に回すと超硬チタン合金のハッチの間から、溜まっていた海水が落ちてきた。外の冷たい空気が流れてくる。風が強かった。
艦橋に立ってまわりを見渡した伊達の目に、機体の後部だけを残して沈んでゆく[おおとり]が見えた。
[おおとり]から脱出したばかりらしい国分が、[あかしお]のほうに向かって高波に浮き沈みしながら必死に泳いでいる。
 伊達は肩に担いでいた浮き輪を力いっぱい波間に見え隠れしている国分の方に投げた。伊達はハシゴをつたって甲板に降りてハシゴの一番下に浮き輪のロープを縛り付けた。真っ黒い[あかしお]の船体に白い波が打ち寄せている。
 いかに小笠原の海とはいえ、今は冬だ。それに加えてここ数年の異常気象で、南の海も海水浴もできないくらいに水温が下がっていた。伊達の頬にあたる波しぶきも刺すように冷たい。
伊達が海に飛び込もうとしたとき、波間に漂う浮き輪に国分がどうにか辿り着いたのが見えた。
 国分が浮き輪を頭から脇の下に通したのを確認して、伊達は急いでロープを引いた。高波に木の葉のようにもてあそばれる国分を、伊達は懸命に甲板に引き上げた。
「だ、伊達警視長、国分京子、ただ今到着しました。逢いたかったです…」
甲板に上がった国分は、全身ずぶ濡れのままフラフラとしながら伊達にしがみついた。倒れかかった国分の身体はブルブルと震えていた。海水に濡れた服がぴったりと身体に張りついている。
「だいじょうぶか。まったく、やることが無茶苦茶だな。真冬の海で海水浴をするやつがあるか!」
伊達は国分を抱きかかえて顔を覗きこんだ。紫色になった国分の唇が震えている。
「自分で昇れるか?」
伊達は国分を艦橋へ昇るハシゴにつかまらせて聞いた。
「ダメ、みたいです…」
国分は寒さで震えながら伊達を見上げた。ずぶ濡れになった髪の毛から海水がしたたり落ちている。
「おれにつかまれ」
伊達はそう言って国分に背中を向けた。国分が力なく伊達の背中に倒れこんだ。
「両手をしっかり首に回せ!」
伊達は国分に怒鳴った。
「国分、だいじょうぶか!」
国分を背負ってハシゴを昇りかけた伊達に、艦橋から鷲武が叫んだ。
「おい国分、鷲武が迎えにきたぞ!」
そう言った伊達の声に国分は答えるだけの気力がなかった。少し上を見上げただけだった。その目に艦橋から二人を見下ろす鷲武の姿が見えた。それきり国分は気を失った。
「鷲武、毛布とシーツをたのむ。おれの医療ケースもだ!」
伊達はそう叫びながら気を失っている国分を担いで艦橋のハシゴを昇った。
 いかに女とはいえ、気を失っている人間はずっしりと重い。国分の体温はそうとう低下している。担いでいる伊達の背中には国分の体温が伝わってこなかった。一刻も早く全身を温めてやらなければ国分の命は危ない。
 寒風が吹き抜ける中を、伊達は片手で国分を担ぎながら懸命にハシゴを昇った。
鷲武が司令室の床に数枚の毛布を重ねて敷いた。伊達がぐったりしている国分をその上に寝かせた。国分の顔には生気がなかった。唇も紫色になっている。
 脈が弱い。呼吸は停止している。体温は限界まで低下しているらしい。顔は死人のように色を失っていた。
「国分、しっかりしろ!。目をさませ!」
鷲武が怒鳴った。何度も国分の頬をたたいた。
「おい伊達!。なんとかしろ、きさま医者だろう!」
鷲武が怒鳴りながら、海水で濡れている国分の顔と髪の毛をタオルで拭いた。
「わかってる。急いでお湯と乾いたタオルをたくさん持ってきてくれ!」
伊達は鷲武にそう言いながらブドウ糖と強心剤の注射を準備した。
 鷲武が兵器庫の奥にあるボイラー室に駆けおりていった。
海水を飲んでいるかもしれない。そう思った伊達は、ぐったりしている国分を持ち上げた。国分の腹に両手を当てたまま上半身を逆さまにして、胃の部分にこぶしを当てて何度もゆさぶった。
 逆さまになった国分の口から、消化した胃の内容物と一緒に大量の水が吐き出された。伊達は国分を寝かせて人工呼吸をはじめた。伊達の額に汗がにじんでいた。
「何かあったのですか?」
階段を駆けおりてきた鷲武に、制御装置の分解をしている達川博士が聞いた。
「海水浴をしていたバカ女を一人拾っただけだ。心配はない。あんたはそっちを続けてくれ!」
 鷲武はそう言いながらボイラー室の中に駆け込んだ。
国分、死ぬなよ!。死んだりしやがったら叩き殺してやるぞ!。
 タオルをかき集めながら鷲武は心の中で叫んだ。伊達が医者なのに鷲武は感謝した。もしも自分だけだったらこの事態はどうしようもなかっただろう。
「人工呼吸で何とか息を吹き返した。また気を失ったが、国分は生きてるぞ。お湯で温めたタオルで身体をマッサージしろ!」
ボイラー室から駆け上がってきた鷲武に伊達が言った。伊達は国分の服を脱がしていることころだった。
 国分はまだぐったりしていた。顔にも生気が戻っていない。鷲武はお湯が入ったバケツとかき集めたタオルを横たわっている国分のそばに置いた。
「おい、みんな脱がすのか…」
鷲武はそう言って伊達を見た。伊達は国分の下半身をシーツと毛布で覆い、海水で濡れた国分のパンツを脱がせた。鷲武はあぜんとして伊達を見つめた。
「おい、なにもそこまで…」
「バカ!。濡れたものを着せておけるか、体温が危険なところまで低下しているんだぞ。国分が死んでもいいのか!。早くブラジャーも外せ!。塩分は体温を低下させるんだ!」
躊躇している鷲武に伊達が大声で怒鳴った。
 鷲武は思い切って国分の胸を覆っているブラジャーに手をかけた。どうやって外すのかも鷲武にはわからない。
 数々の事件を扱ってきたからその中には当然女の死体もあった。だが鷲武が立ち合った検死などでは、たいてい全裸の状態だ。
 結婚していない鷲武は、若い頃には何度か商売女と寝たこともある。しかし商売女ははじめから下着などは着ていない。こんなものを実際に触れるのは初めてだった。
「背中に外すところがある。早く外して温めたタオルでマッサージしろ!。国分を助けたくないのか!」
伊達が毛布で覆われた国分の腹や両足を、お湯で温めたタオルでマッサージしながら怒鳴った。
クソッタレめ、何でも知っている野郎だ!。
 伊達の言葉に鷲武は国分の両脇に手を入れて上半身を横向きにした。何とかブラジャーを外した。女の象徴の、国分の丸い胸のふくらみがかすかに呼吸をしていた。
 鷲武はお湯で温めたタオルで国分の胸を覆った。
「クソ面倒なものを着てやがって!」
鷲武はそう毒づきながら、お湯で温めたタオルで国分の上半身をマッサージした。伊達も懸命に国分の腹部と足をマッサージしている。
 クソ面倒なブラジャーという女の下着が、伊達が脱がしたパンツと一緒に気を失っている国分のそばにあった。
「クソッタレめ!」
鷲武はお湯で温めたタオルで国分の上半身を温めながら、いまいましい国分の下着を睨んで毒づいた。








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