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赤 い 波
作:凪沙 峻



28


国分京子は、警視庁の総務部で岩手県警への配属手続きが終わるのを待っていた。
 自分から高柳局長に配属がえを申し出た。刑事局でやってゆく意味が無くなったのだ。目標が消えたといってもよかった。
鷲武や伊達と一緒にいるときには鳥肌が立つような緊張があった。その緊張の中で国分は生きていた。普通の女性警官では味わえないような銃撃戦やヘリの操縦、墜落など、鷲武や伊達という二人の仲間がいたから自分も恐怖を克服し、ヘリでの宙返りなど無茶なことも出来た。
 その緊張感が切れてしまった。緊張感が無くなってしまった今、刑事局に在籍する意味が無くなったのだ。
 通りかかった警察官が国分に敬礼をしてゆく。私服だが、国分が警視だと知っているからだ。
 事務を処理する総務部の警察官たちを国分はうつろな目で眺めていた。自分と同じ女性警官も何人かいた。
 女性警察官のほとんどは、各警察署では事務職に回されることが多い。まれに現場に出ることはあっても、せいぜい交通課のミニパトか、良くても駅伝やマラソンで選手を先導し、警察の広告塔がわりになる白バイ隊員だ。
 現場刑事の女性警官もいるが、まだ全国で数人ほどだろう。国分のように、今ここで撃たれて死ぬかもしれないという緊張感のなかに飛び込む女性警官はいないし、おそらく犯人を射殺した経験をもつ女性警官は自分だけだろう。
刑事局からはなれて岩手県警に戻った自分は、また広報係長をするのだろうか。
 だが、広報係長は警部補の仕事だ。自分は鹿部総理から警視の階級を与えられた。
 警視となれば県警本部の副署長か捜査課長の階級だ。父でさえまだ警部補だ。自分はその父を追い越して警視になってしまった。
心臓が口から飛び出しそうな緊張感の中で、天神の会との銃撃戦を生きぬき、実戦を経験してきた国分には、所轄の事務職勤務などはまったくつまらないものに思えるだろう。岩手県警に戻るのなら警視の階級を返したいとさえ思う。しかしそれもできない。
鷲武と伊達は、今頃[あかしお]の中でどうしているだろう。きっと必死の思いで自爆装置を止めようと奮闘しているに違いない。本当ならば自分もその中にいるはずだった。 口が悪くていつも怒鳴っている鷲武。だが鷲武の言うことは常に的をえていた。鷲武の毒舌からは伊達がいつも守ってくれた。
捜査における洞察力と想像力、判断力、射撃、格闘など、どれをとっても鷲武と伊達は超一流で学ぶところが多かった。
 自分がもしも高柳局長の言うとおり一人前の刑事だとしたら、それは短期間のうちに鷲武と伊達が育ててくれたものだ。
 鷲武や伊達と出会わなければ、自分は一生岩手県警の広報係長か、よくても総務の仕事で終わっていただろうと思う。そしていずれは適当な相手と結婚し、子供を生み、育てる。そういう生活がいちばん幸せといえるのかもしれない。
だが、と国分は思った。父の言うとおり、自分にはまだカードが一枚残っている。
国分は立ち上がった。総務部の部屋を出て屋上へのエレベーターのボタンを押した。
「国分警視、手続きはもうすぐ終わりますが…」
総務部の誰かが呼んだが、国分はそのままエレベーターに乗った。
 鷲武と伊達の真意を確かめる。国分はそう決心した。
 このままでは自分の気持ちがおさまらない。中途半端な気持ちで岩手に戻っても、決心がつかない限りは中途半端な仕事しかできない。
 自分が納得するような結論をだせ。そう言った父の言葉が国分の頭から離れなかった。
[あかしお]に搭載している一千メガトンの核ミサイルが自爆して地球が滅亡する前に、鷲武と伊達の真意を確かめる。このままでは死んでも死にきれない。
屋上のヘリポートに[おおとり]が駐機していた。三代目の[おおとり]だ。
 一代目は天神の会のラジコン飛行機に襲われて日本海に沈んだ。二代目は、新潟沖に浮かぶ粟島で天神の会が仕掛けた時限爆弾で爆発炎上した。そしてこの三代目の[おおとり]は、刑事局長の高柳が準備してくれたヘリだ。
[おおとり]は、たった一枚残った国分の最後のカードだ。この一枚のカードに国分は自分の人生を賭ける決心をしたのだった。
ヘリを警備していた警察官が国分を見て敬礼をした。
 国分は敬礼を返して[おおとり]の操縦席に乗り込んだ。
 航空ヘルメットをかぶって[おおとり]のエンジンをかけた。メインローターが空気を切り裂く。温度計が七十五度に上昇した。燃料計は満タンを示している。
国分は[おおとり]をゆっくりと離陸させた。
 何気なく、いま離陸した屋上を見下ろした国分の目に二人の人間が映った。警視総監の薗村と刑事局長の高柳だった。
 国分はヘリポートの三十メートルほど上空で[おおとり]をホバリングさせた。薗村と高柳が[おおとり]を見上げている。
 国分は[おおとり]をホバリングさせたまま、薗村と高柳を見つめていた。薗村と高柳が、[おおとり]が巻き起こす風の中で同時に敬礼をした。
総監、局長…。ヘルメットのなかの国分の目が、あふれてくる涙で濡れた。
行ってこい、国分。
[おおとり]に敬礼する薗村と高柳が、国分にそう言っていた。国分は涙でぼやけている薗村と高柳に右手で敬礼した。そしてスロットルを全開にして東京の空に舞い上がった。
「警視庁の[おおとり]です。この回線を総理大臣官邸につないでください」
国分は[おおとり]の無線を緊急コードにあわせて中継所を呼び出した。
 まもなく『こちらは富士山中継所です。国分警視そのままお待ちください』という声が入った。
[おおとり]と言っただけだが、中継所の勤務員は国分という名前を知っていた。
 警視庁刑事局初の女性刑事として、自分は有名になっていることを国分は改めて知った。
三十秒ほどで総理大臣官邸につながり、総理大臣の鹿部静夫が直接出てきた。
『鹿部だ。国分警視かね!』
総理大臣官邸で初めて会った鹿部の声が聞こえた。
「国分です。せっかくのSPのお話を断った無礼をお許しください。それと、警視の階級をありがとうございました。お詫びとお礼を申し上げたくて連絡いたしました」
[おおとり]のエンジン音の中で国分はマイクに叫んだ。
『きみの無礼にはもう慣れた。それより、今からどうするのかね?』
「出航した[あかしお]に向かいます」
国分が言った。
『そうか…。わたしのSPを一方的に断った無礼はよく覚えておく。だが国分警視、わたしの出来ることはきみの無事を祈ることだけだ。わたしはきみと約束したとおり、この日本が破滅しようとも、どこにも逃げたりはせん。もしもこの事態が解決したあかつきには、わたしの主任SPになってくれるかね』
レシーバーの中で鹿部が言った。
「約束いたしかねます」
国分は答えた。
『きみはどこまでも無礼な婦警だ』
鹿部が笑ったようだった。
「申し訳ありません。今は自分の目の前のことで精一杯です」
国分は鹿部に言った。
『わかった。何かわたしに出来ることはあるかね?』
「[あかしお]と連絡がとれる方法を教えてください。これが最後のお願いです」
[おおとり]はすでに太平洋上空にいた。陸から一六〇マイルほど離れている。燃料の節約のために二〇〇〇メートルの高度で惰性をつけながら飛行していた。
『無線の周波数は知っているが、通じるかどうかはわからん。周波数は、極超短波の四七八〇・二六ギガヘルツだ。無事を祈る』
鹿部の声は低く重みがあった。
「最後まで無礼ばかりのわたしをお許しください。総理のご健勝をお祈りいたしております。それから、国分京子という婦警のことはお忘れください。いろいろとお世話になりました」
 国分はそう言って官邸との無線を閉じた。サブ送受信機の周波数を、国分は鹿部の言った四七六〇・二六ギガヘルツに合わせた。
『国分、聞こえるか。高柳だ』
警視庁の緊急コードから高柳の声が入ってきた。
「国分です」
国分は高柳に答えた。
『いまどこを飛んでいる?』
「北緯三十三度四〇分、東経一四〇度五〇分の八丈島の東です。局長、勝手なことをしました。すみません」
国分は無線で高柳に詫びた。
『いまさらどうしょうもあるまい。まったく、おまえは何というじゃじゃ馬だ。せっかくの総監のすすめを断わりやがって!』
高柳は無線で怒鳴っていた。
「すみません。頑固なところは父親譲りです。でも戻るつもりはありません。このままの気持ちでは戻れません!」
国分は燃料計を見ながら言った。
[おおとり]の燃料はすでに半分以上を使っている。時間にしてあと一時間、距離にして二百キロ飛べるかどうかだ。
『おまえは二機も[おおとり]をパーにしたんだぞ。帰ってきたらケツをひっぱたいてやるから覚悟しておけ!』
高柳の怒鳴る声がレシーバーに響いた。
「光栄です。局長はわたしのお尻を最初に叩く男性になりますね」
国分は大きな声で笑った。
『ふん。それはともかく、南南東に進路をとれ。[あかしお]の現在地は、北緯三十一度十分、東経一四二度四十分の須美寿島の東、一五〇キロのところだ。[あかしお]は小笠原海溝に向かっている。一〇〇キロ手前あたりから無線で呼び出してみろ。潜航している可能性が大きい。その場合はラジオブイを降ろして呼び出せ。もしも無線の電源を入れていれば[あかしお]に通じるはずだ。無事を祈るぞ!』
高柳が大声で言った。陸地からそうとう離れたせいか、高柳の声が小さくなっていた。
「了解しました。これで最後になるかも知れません。局長、総監、長い間お世話になりました!」
国分はそう言って警視庁の緊急コードの無線を切った。国分が操縦する[おおとり]は南南東に進路をとった。燃料計はすでに三分の一近くを示していた。














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