25
警視庁八階の警視総監室
「こんな夜中にご足労願って、まことに申し訳ないと思っております」
薗村が総監室に案内されてきた初老の男に頭を下げた。
「達川です…」
初老の男は薗村に名刺を渡した。薗村は名刺を受け取りながらソファーを勧めた。
「さっそくですが、博士…」
薗村は達川博士の正面に座った。
「例え話として、答えていただきたい…」
薗村は、お茶をすすめながら原子物理学の権威として知られる京都大学の達川博士に言った。達川博士は電気工学の権威でもある。
「もしも世界的な核戦争が起きたとして、その結果がどういうことになるか、原子物理学の権威である博士の見解をお聞きしたい」
「全面核戦争…、ですか?」
「そうです」
薗村はうなづいた。
「また、とっぴな質問ですな…」
そう言いながら博士が笑った。
「どのようなことが知りたいのですか?。核戦争の結果といわれても色々ありますから、何からお話すればよいのか…」
達川博士はそう言って薗村を見た。年令は六十六才だというが、実際は若く見える。研究ばかりしているにしては顔色もいい。何かスポーツでもやっているのだろうと薗村は思った。
「もしここに、一千メガトンの核弾頭があったとして、それが一度に爆発したらどうなりますか?」
「一千メガトンですと?…」
「ええ…。一千メガトンです」
薗村がお茶を飲んだ。
「それは、常識では考えられないほどの量ですが…」
博士は驚いた表情で、テーブルの茶わんを持ち上げて一口飲んだ。
「もしも、その一千メガトンの核が、この日本で爆発したと仮定しての質問ですか?」
「そのとおりです」
薗村が答えた。
「どうしてまた、そのような質問を…」
達川博士は、右手で白髪の濃い髪をかきあげながら薗村に言った。
「…………」
薗村は黙って煙草に火を付けた。薗村の真剣な表情に達川博士はすぐに言葉を発しなかった。そして大きくため息をついた。
「…。アメリカのB・29が広島と長崎に投下した原爆が、どの程度の規模かご存じですか?」
沈黙のあと、達川が口を開いた。
「いえ、詳しくは…」
「そうですか…」
達川は、持っていた茶わんをテーブルに戻した。
「時間はありますか?」
達川が聞いた。
「ええ、一時間程度なら…」
薗村はうなずいた。
「…。メガトンというのは、一トンの百万倍の量を表わす単位で、通常は核兵器の爆発の規模を表すものです。一メガトンは百万トンのTNT火薬が一度に爆発したのと同じ威力があります」
達川博士は静かに説明をはじめた。
「長崎と広島に投下された原子爆弾は、広島がウラニウム型で、長崎がプルトニウム型のものでした。広島に投下されたのは、TNT火薬でわずか一万二千五百キロの量です。長崎に落とされた原爆も広島のものと同規模のものです。しかしその程度でも一瞬にして数万人が死亡しました。被爆して後から死亡した人たちを合わせると、両方で三十五万人が死亡しています。たった一万二千五百キロのTNTの爆薬に、数百グラムの核物質を混ぜただけでもそれだけの威力を発揮するのです。それが一千メガトンの水爆となると、これはもう天文学的な規模になるでしょう」
達川はそこまで言うと、ふと思い出したように薗村を見つめた。
「先日、香港でテロが発生したときに使われたのも、おそらくは水爆でしょう。それとなにか関係が…?」
達川はそう言って薗村を見つめた。
「ええ、関係はありますが、今はそのことは聞かないでいただきたい。まだお話する段階ではありませんので…」
薗村は押えるように言った。
「わかりました。わたしは聞かれたことだけにお答えすればいいわけですね」
達川はそう言って笑った。
「今の核兵器は、ほとんどが水爆であろうと思われますので、水爆について説明しましょう」
達川はそこまで言って茶わんのお茶を飲み干した。
薗村はじっと達川博士を見つめた。
「核兵器の原料となるプルトニウムは、原子番号が94の元素で、自然界には存在しないものです。ご存じかと思いますが、プルトニウムは原子力発電所の使用済み核燃料の中に含まれるものですが、このプルトニウムという原子の、たった一個が核分裂を起こしただけで、二億電子ボルトというエネルギーを発生します。この二億電子ボルトというエネルギーは、もしも同程度のエネルギーを石油で起こそうとすれば、たった一個のプルトニウム原子の約二百万倍の石油が必要なのです。たった一個のプルトニウム原子でもそれだけのエネルギーを発生するのですから、それが薗村さんの言う一千メガトンとなりますと…」
達川はそう言って腕を組んだ。額にうっすらと汗がにじんでいる。
「まあ、地球の半分以上の地域が、即座に深刻な事態になるでしょうね…」
「深刻な事態…」
「ええ…。そして、いずれは、地球全土がその被害を受けることになります」
達川博士が組んでいた腕をといた。
「我々学者の間では、放射性物質の事故に関する被害を七段階に分けています。たとえば、一九八六年の四月に、当時ソ連のチェルノブイリで史上最大の原発事故が発生しました。事故によって外部に漏れた放射性物質、これはセシウム64という物質で、一般的に〈死の灰〉と呼ばれるものですが、この事故で漏れたセシウム64は、実に広島型原爆の三五〇発分に相当する量でした。幸い核爆発ではありませんでしたから、直接強い放射能を浴びて死亡したのは三十二人だと記憶しております。しかしその時の被爆者は六〇万人にのぼります…」
達川博士はそこで言葉を切って薗村を見つめた。
「あのチェルノブイリ事故が、最大値の七のレベルです…」
達川は、ソファーに背中をつけて大きなため息をついた。
「原子力発電に必要なプルトニウムの量は、まあ、最大でも数キログラム以内といいますし、相手国に相当の被害を与える核兵器に使うプルトニウムも、一発の核弾頭あたり一キログラム程度といわれていますから、あなたの言う一千メガトンの核となりますと、数百キロか、あるいは数千キロを越えるプルトニウムの量になるでしょう。そうなりますと最大限の七どころか、それの数百倍か数千倍の深刻な事態になります。そして地球人類はもちろんのこと、動物も植物も死滅するでしょう」
説明する達川博士を薗村はじっと見つめていた。
「たとえば今、世界規模の核戦争が起きたと仮定しましょうか…」
達川はまた腕を組んで薗村を見つめた。
たとえば今、全面核戦争が起きたとする。
核戦争が起きる原因は色々考えられる。相手を一瞬のうちに潰そうとするどこかの国が、持てるだけの核ミサイルを全部発射してしまうか、あるいは、核ミサイルを管理する国家の人間が、何かで気が狂って発射ボタンを押し、それに対する報復のために核保有国がミサイルを発射するかの、いずれかであろうと推測される。
核大国といわれるアメリカとロシアには、この地球を五十回以上灰にできるほどの核ミサイルがあるという。
核を保有しているのはアメリカやロシアばかりではない。中国、北朝鮮、インド、パキスタン、フランスなども持っている。その核保有国が持っている核弾頭の全部を合計しても五千五百メガトンだ。
地球を灰にするためには五千五百メガトンも必要ない。一度地球を灰にするのなら、二百発のミサイルにそれぞれ一メガトンの核弾頭を搭載して、地球上の二百ヵ所に一発ずつ撃ち込めば用は足りる。地球の全人類を破滅させるためには、合計して二百メガトンの核があればじゅうぶんなのだ。
世界各地で同時多発的な核戦争が勃発したと仮定したなら、まず一瞬で十億人が死亡する。十億人といえば世界人口の二割ちかい数だ。
たとえ核爆発から逃れたとしても、核爆発と平行して放射能が襲ってくる。その放射能を浴びて、さらに十億人が十日以内に死亡する。そして爆発から三十日後にさらに五億、六十日後には二億が死亡すると推定される。
核爆発で生き残った人間や動物も、放射能で体の白血球を破壊されて細胞が腐敗し、そして死ぬ。
一度全面核戦争が起きれば、三十億近い人間が確実に死亡するのだ。
「通常の健康診断などで、胸部レントゲン撮影に使うエックス線、これは一般的に放射能と考えてよいのですが、このエックス線で瞬間的に放射される量は四ミリシーベルトです。このシーベルトとは放射単位と考えてください。宇宙から常に降ってくる自然放射能が年間で〇・三五ミリ、大地からの自然放射能が年間〇・四ミリです。人体に影響のない放射能の量は、だいたい〇・五ミリ以内であろうと思われます。これから考えると、健康診断のエックス線でさえ、長時間浴びていると人体に悪影響を与えることがお分りでしょう。ですから、病院のエックス線技師には危険手当てが付きますし、彼らの中には白血球の異常者や無精子症などが多いのです。一応、放射線から体を守るための保護衣は着ていますがね…」
薗村はじっと聞いている。
「薗村さんの仮定のように、もしも全面戦争が起きて核を使用した場合、通常では考えられないほどの放射能が襲ってきます。まあ、これは個人差もありますが、体の白血球の減少が表れるのが二百ミリシーベルト。一〇〇〇から一五〇〇ミリで吐き気や頭痛などの自覚症状が出てきます。被爆して一ケ月で五〇パーセントの人が死亡する被爆量は四〇〇〇ミリ、一〇〇パーセントが死亡する量は七〇〇〇ミリシーベルトです。核戦争でまともに浴びる放射の量は、シーベルトのさらに上のテラベクレルという単位で、先ほど説明しました七段階よりもはるか上のレベルです。おそらくは、数万から数十万、あるいは数百万テラベクレルの放射能を浴びて、一瞬にして人間は死ぬことになります。チェルノブイリ事故など比べものにならないことがおわかりでしょう」
達川はそう言って薗村を見つめた。薗村は腕を組んでテーブルを見つめている。
「ですが、核の被害はこれだけでは終わりません…」
達川はそう言った。お茶を飲もうとして茶わんを持ち上げたが、空なのに気が付いてまた茶わんをテーブルに戻した。
「まだ、なにか…」
達川の言葉に薗村は顔を上げた。
「まあ、これはおまけですが、大きな核戦争の後には極寒が待ち受けています」
「極寒…」
「そうです。核の冬です」
学者の間では〈ニュー・クリア・ウィンター〉と呼ばれているもので、一般的には〈核の冬〉という。
実際に大きな核戦争が起きたことはないから、あくまで推測にすぎないが、もしも大きな核戦争が起きたらこの核の冬が訪れる。
核の冬は、核戦争が起きてからおおむね二ケ月から三ケ月の間に訪れるだろうといわれる。核爆発の煙や灰が地球を覆うのだ。
成層圏を核爆発の煙や灰に覆われた地球は太陽の光を遮られ、気温が徐々に下がりはじめる。下がりはじめた気温は、半年もすると場所によってはマイナス四十度から五十度という極寒地帯になり、食料不足と寒さのために、核戦争で生き残った人間もいずれは死亡する。
つまり全面核戦争が起こったら、六十億の地球人類の八十パーセント以上は死亡することになるのだ。
「その核の冬は、広島や長崎でもあったのですか?」
薗村が聞いた。
「いえ…。幸い規模が小さかったため、明確な核の冬現象は起きていません。しかし記録によると、核爆発の灰や煙が空を覆ったのは確かです。原爆投下の日から一週間ほどは気温が例年よりも下がり、死の灰を含んだ黒い雨が降りつづきました。核爆発の放射能に重なって、その黒い雨はさらに被爆に拍車をかけました」
達川が答えた。聞いている薗村の表情が暗い。
「実際の核戦争で使用される核兵器は、おそらく多くても四百メガトンほどでしょう。それでも地球を二回以上も灰にできるのです。核爆弾は地上から一キロメートル以内の上空で爆発させるのが一番強力な熱戦や爆発効果を得られます。広島と長崎でのことを考えた場合、あなたの言う一千メガトンという核がどのくらいのものか…。考えただけでも体が震えてきます」
達川はそう言いながら薗村をじっと見つめた。
薗村は空になった茶わんを右手に持ったまま、眉間にしわを寄せて何かを考えている。
「一口に一千メガトンの核爆発といっても想像がつかないでしょうが、我々科学者からみてもこれは大変な量です。まあ、この地球に直径四・五十キロメートルの巨大な隕石が超高速度で衝突したのと同じか、あるいはそれ以上の爆発と衝撃の被害を受けることになるでしょう。あなたの言う一千メガトンの核が、もしもこの日本のどこかで一度に爆発したら、先ほどわたしが説明した程度の被害じゃ済まないでしょう。爆心地を中心に直径数千キロか、あるいは数万キロの穴がポッカリとあいて、日本はもちろん、朝鮮半島、中国、ロシアなどの国々は跡形もなくなります。極端な話、一千メガトンの核爆発は、あの巨大な太陽の活動でさえも狂わせるほどの量です」
達川はそう言って薗村を見つめた。
「隕石、ですか?…」
そう聞いた薗村の唇が乾いていた。舐めてもすぐに乾く。
「ええ…」
達川は大きくうなずいた。薗村をじっと見つめている。
「核とは別の話になりますが、今から約六千五百万年前、地球全土を我がもの顔で歩いていた恐竜たちが絶滅したのは、地球に直径わずか五百メートルほどの隕石が数十個衝突して、地球の気象が激変したからと考えられています。もっとも、つい最近までは、氷河期が訪れたせいで気温が低下したから絶滅したと言われてきましたが、地球科学の調査が進むにつれて、今の隕石の衝突説が一番有力視されています」
達川は薗村を見つめたままだ。
「巨大な隕石が衝突すると、我々人類のまったく未知の放射線などが襲うことも考えられますし、同時に、先ほどわたしが説明した〈核の冬〉と同じ現象が起きます。地球を灰や煙が覆い、地表の温度を零下何十度まで下げて動植物を絶滅させてしまうのは、なにも核爆発だけとはかぎりません。巨大隕石の衝突や、世界中の火山が爆発しても核の冬と同じ、極寒の冬が地球を襲うのです。わずかの救いといえば、人間は恐竜たちと違って環境の変化に強いということだけでしょうか…」
達川博士は立ち上がって、遠くを見るようにネオンがまたたく窓の外に視線を移した。
「恐ろしい結果が待ち受けているのですね…」
薗村は窓の外の東京のネオンをじっと見ている達川博士の横顔に言った。外は細かい雪が降っていた。
「あなたの言う一千メガトンの水爆が一ヶ所で、それも一度に爆発するということは、もしかすると、地球の地軸も狂わせてしまうかもしれません。そうなったら地球的規模の気象大異変が起こる可能性もあります」
達川はそう言って薗村の方を振り向いた。
「地軸が狂う、とは…」
薗村は顔を上げて達川博士を見つめた。
「ええ…」
達川は外の景色から座っている薗村に視線を移した。
「わたしは地球科学の専門家ではありませんが、一千メガトンの水爆が一度に爆発したら、その衝撃で地球の地軸が狂い、軌道を外れて宇宙をさまよってしまうかもしれません」
達川博士は、薗村の向かいに腰を降ろした。
「ご存じでしょうが、地球は二十四時間で一回転しながら、三六五日、つまり三六五回転で太陽の周りの楕円軌道を一周します。それが一年です。その自転は南極と北極を軸としています。現在その地軸は、太陽に対して直角ではなく約二十三・五度傾いているのです。この地軸の傾きはポール・シフトと呼ばれています。地球科学の専門家は、この地球が誕生していらい約五十億年の間に、もともと太陽に対して直角だった地軸が、何かの原因で幾度か変化して現在の傾きになったと推測しています。その地軸の変化の原因は、地球内部のマグマの対流が異常を起こしたか、先ほど言った巨大な隕石の衝突などだろうと言われているのです」
達川は腕を組んで薗村に説明した。
「その、地球の地軸が狂うと、何か大きな災害になるのですか?」
薗村は、自分を見つめる達川博士に聞いた。
「ええ…。そうして地軸が何かの原因で狂うたび、地球規模で気象の大異変が起きただろうといわれているのです。その気象の大異変とは、たとえば大洪水とか大寒波などですが、何かの原因で地軸が変わるそのつど、人類や動植物が絶滅の危機にさらされた、というのが地球科学の専門家の見解です」
「…………」
達川の話を聞く薗村の顔から血の気が引いた。
「地軸が多少狂ったくらいで、この地球に大異変をもたらすなどとは誰も考えないでしょうが、宇宙に浮かんでいる惑星は、その惑星だけで独自に生きているわけではないのです。地球が太陽の周りを回っているように、すべての星はその周りにある星たちの影響を受けています」
腕を組んでいる達川を、薗村は言葉も出せずに見つめていた。
「薗村さん…」
達川博士が顔をあげた。
「はい…」
「十年前の大恐慌を覚えていますか?」
「十年前というと、あの世界規模の食料不足ですか?」
薗村は、いまから十年前、つまり一九九九年の夏を思い出していた。
「そうです…」
達川は腕を組んだまま薗村を見つめた。
十年前の夏、世界規模の食料不足があった。一九九九年五月から十月までの半年間に、発展途上国や紛争国の難民など、八千万人が餓死した。長期にわたる世界規模の日照不足で、穀物の収穫が例年の半分近くに落ち込んだのが原因だった。
日本も歴史上最大の食料危機に襲われた。
幸いにして、政府と民間の備蓄米でなんとか急場をしのいだものの、日本、アメリカ、東南アジアをのぞく国では、あちこちで食料をめぐる暴動が発生した。あれいらい地球はそれまでにない異常気象に見舞われている。
「あれは、単なる日照不足が原因だとされていますが、その日照不足や冷夏をまねいたのは、太陽系の惑星の位置に原因があったのです」
薗村は説明を続ける達川を見つめたまま煙草に火を付けた。カラカラに乾いた喉に煙草の煙がしみた。
「惑星直列…。つまり何千年か何万年に一度、太陽系の惑星が一列に並んでしまう時があります。それが十年前でした。先程も言いましたが、太陽系の地球という惑星は、同じ太陽系の星たちの影響を大きく受けています。太陽の黒点のひとつが活動を停止しただけでも、地球の作物や人間の脳細胞にさえも影響を与えるのです。十年前の惑星直列のせいで、ほかの惑星、つまり火星、木星、金星などの引力や磁場が、地球の気候に大きな変化を与えました。あんな遠くにある星でも地球に大きな影響を与えるのです。宇宙の神秘とでもいいましょうか…」
達川はそう言ったあと、ふーっとため息をついた。
「一千メガトンの爆発は、ほかの星からの影響くらいでは済まないでしょう。あなたの言う一千メガトンの核爆発は、意外と簡単に地軸を狂わせて、地球そのものを宇宙のかなたに放り出してしまうかもしれません。単純に考えれば一メガトンの二倍は二メガトンですが、実際に二メガトンの核が爆発した場合、一の二倍は二という計算では割り切れないのです。爆発する場所や天候などで、二メガトンの核爆発は三にも四にもなります。百万トンのTNT火薬の千倍が一度に爆発するエネルギーは、我々の想像の段階をはるかに越えています。そうなった地球は、いったいどうなってしまうのでしょう…」
達川博士はそこまで言うと、また立ち上がって窓の外を見つめた。
「本当に…、恐ろしいことです…」
外を見つめたまま博士は言った。
希望はない。薗村はそう思った。
もしも[あかしお]に搭載されている一千メガトンの水爆が一度に爆発したら、放射能や核の冬ばかりではない。地球そのものが正常な自転や公転ができなくなり、人類も、そして動植物も地球規模の大異変で完全に絶滅する。
「一千メガトンの水爆が一度に爆発したときの大洪水とか大寒波がどの程度のものかは、専門ではないわたし自身は詳しくありません。ですが、わたしの推測のかぎりでは、海の津波は高さが数千メートル、大寒波はマイナス五十度以下で、もしも反対に気温が上昇するとすれば、摂氏百度ほどにもなるでしょう。人間が生きてゆけるような環境ではありません。とても恐ろしいことです。もっと詳しくお知りになりたければ、地球科学の専門家をお呼びしますが…」
達川はそう言って薗村を見つめた。表情が厳しい。
「いえ、それにはおよびません…」
顔を上げた薗村の唇が乾いてひび割れをおこしていた。
「ひとつだけ伺いますが、一千メガトンの水爆の話は、あくまでも薗村さんの例え話なのですね?」
達川がそう言ってじっと薗村を見つめた。
「もしも例え話ではないとしたら、我々人類は、博士の言うとおり滅亡することになるのですか…」
薗村は、吸うのを忘れて短くなった煙草を灰皿でもみ消した。
「例え話ではないとすれば、人類は確実に滅亡への道を歩くでしょうね…」
腕を組んだ達川が静かな声で言った。
薗村は腕を組んだまま、じっとテーブルの上にある茶わんを見つめていた。
「博士…」
薗村は長い沈黙のあと、腕時計を見たあとで顔をあげた。
「はい…」
「原子物理学と電気工学の分野では、博士が一番の権威だとうかがっています。博士なら核ミサイルの制御装置を、五十五時間以内に分解できないでしょうか…」
薗村の真剣な目が達川博士を見つめていた。
いざとなれば達川に頼むしかない。薗村はそう考えていた。
[あかしお]は五十五時間以内に制御を止めなければ、一千メガトンの核ミサイルを抱いたまま爆発する。もう時間はない。ここまできては天神の会などどうでもよい。[あかしお]の制御装置を止めることが至上となっている。
いかに警視庁刑事局といえども、この事態には手も足もでない。たとえ鷲武や伊達でもそうだ。[あかしお]の自爆装置は作動しているのだ。
あと五十五時間あまりで地球の全人類は滅亡する。誰のせいでもどこの国のせいでもない。悪魔は日本が作ったのだ。
「核ミサイルの制御装置ですと?」
達川は組んでいた腕をといて薗村を見つめた。
「そうです。戦略型原子力潜水艦の、一千メガトンのミサイルの自爆と発射を制御する装置です…」
薗村は前かがみになったまま達川博士を見つめた。
薗村はそう言いながら、自分の言葉の重みにかすかなめまいを感じた。
「紹介する。こちらは原子物理学と電気工学の権威、京都大学の達川博士だ」
薗村が三人に達川を紹介した。
鷲武、伊達、国分の三人は粟島から戻ったばかりだった。三人は交互に達川博士と握手した。
「[あかしお]のことは説明してある。わたしは博士に[あかしお]の制御装置の分解を依頼した。もっとも、実際に見て博士が分析した上での判断になるが…」
薗村は鷲武たちの顔を見た。
「分解不可能な場合も説明してあるのか?」
鷲武が薗村に聞いた。
「説明してある。そのうえで博士は見てくれるといっている。国分警視、すぐに博士を横須賀の[あかしお]にお連れしてくれ。鷲武と伊達は博士のガードを頼む。国分警視は三人を届けたら、山際警視を乗せてただちに本庁へ戻って、高柳局長から次の指示を受けてくれ」
「わかりました。でも、ヘリはあるんですか?」
国分はテーブルの上の航空ヘルメットを持った。
「きみのために、高柳が新しい[おおとり]を用意した。屋上へ行ってみたまえ」
そう言って薗村は笑った。
「わかりました。ただちに準備します」
国分は薗村に敬礼して総監室を出ていった。
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