第三章 襲 撃
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一月十七日。岐阜県の奥地にある御母衣村。
山に囲まれた村だ。御母衣村は三方崩山、日照岳、大倉山、御前岳などの二千メートル級の山々に囲まれている。山が多いから、御母衣村までゆくにはいくつものトンネルを越えてゆかねばならない。
家屋が二十戸ほどしかない小さな村で、この村に住んでいるのは年寄りばかりだ。主な生計は農業で、それも自分たちが食べてゆくだけの物しか村人たちは作らない。だから、村人たちが町に出かけることは極めて少ない。支給された年金で村の年寄りたちは暮らしている。
いちばん近い白川の町までは十キロほどある。めったに買物にもでないから村人の年金は貯まる一方だ。しかし、村人たちは銀行や郵便局などには貯金をしない。貯まった年金は全部自分たちで持っている。
標高が千メートルもある御母衣ダムのそばにある村のため、一月に入ると紅葉の盛りも終わり、うっすらと雪が積もる。
伊達美子が駐在所の前で遊んでいる。相手は紀州犬のビリーだ。
美子が何をしようともビリーは黙ってされるがままにしている。美子はビリーの尻尾をつかんだり、首に抱きついたりしている。ときどき美子の顔をビリーがなめまわす。
「美子、泥だらけになるわよ。お昼ご飯だからそろそろ中に入りなさい」
地面に座っている美子に声をかけたのは、母親の伊達奈美子だった。
この村にきたのは今年の十一月の末だった。御母衣村の駐在所で暮らしている。駐在所といっても警察官はいない。たった一人いた警察官は、いま東京に行って留守にしていた。いつ戻ってくるかもわからない。
奈美子はときどき故郷の北海道を思い出す。奈美子が生まれたのは北海道の札幌だ。札幌の看護学校で看護師の免許を取り、北海道医大の内科で勤務していた。整形外科医だった夫の伊達英章とはその頃に知り合った。夫が医大から独立して、夫の故郷の愛別町に医院を開業したのは七年前だった。そこで美子が生まれた。平凡でも毎日が充実した生活だったが、自分たちはとんでもない事件に巻き込まれた。
東京の警視庁から鷲武という刑事がやってきた。乱暴な刑事だった。いきなりやってきて夫に十月十一日と十二日にどこにいたかと聞いた。乱暴な刑事に多少腹をたてた夫は鷲武の質問に答えなかった。夫と鷲武が医院の中庭でいきなり喧嘩をはじめた。
喧嘩は夫が勝った。鷲武刑事は夫に左肩の鎖骨を折られたが、まだやめようとしなかった。手当てが遅れると折れた骨が筋肉に刺さり、下手をすると肩の神経を切る危険性があった。 それを見ていた奈美子は、台所から持ってきたアルミニューム製のフライパンで鷲武の頭を思い切り叩いた。そうするしか喧嘩をやめさせる方法が無かったのだ。
勝負はついていた。夫は空手や剣道の有段者で、全国大会では何度も優勝している。勝負がついていてもやめようとしなかったから、しかたなくフライパンで叩いたのだ。
夫と二人で鷲武の手当てをした直後、医院は銃を持った何者かに襲われた。幸い鷲武が守ってくれたものの、もしも鷲武がいなかったら、いかに格闘技の強い夫でも殺されていたかもしれない。
賊の目的は、夫が岩手県の上飯岡で開催された学会に出席した時、迷い犬のビリーの足に絡まっていた三個の球だと鷲武は言った。
一家は愛別町を離れた。
ここにいると殺される。何度でも襲ってくると鷲武が言ったからだ。闇に紛れて伊達一家と鷲武は北海道を出た。そしてこの御母衣村にきたのだ。
鷲武刑事から恐ろしいことを聞かされた。政府と防衛省が極秘にすすめていたある計画の全貌だ。
こともあろうに、日本が核を開発したという。核ばかりではない。核弾頭ミサイルと、それを積む原子力潜水艦も日本はすでに開発したと鷲武は言った。美子がお守りにしている三個の球は、その核ミサイルの発射を制御するボックスの鍵だった。
夫は鷲武とともに東京へ出た。一刻も早く奪われた制御ボックスを取り返さなければ、潜水艦の核ミサイルが爆発して地球の半分は宇宙の彼方に消える。
夫は、妻の自分や娘の美子を守るために、自分一人でも制御ボックスを捜し出す決心をしたのだった。黙って死を待つような夫ではない。
『地球の半分が宇宙の彼方に消えるのなら、どこにいようと死ぬことには変わりはない。死ぬのは恐くはない。だが、寿命があるかぎり、おれは奈美子や美子と生きていたい。そのためにおれは制御ボックスを捜し出す。そして、そんなものが使われないように制御ボックスをこの世から消し去る』
夫はそう言って鷲武とともに村から出ていった。
「若奥さん、いるだか」
玄関から入ってきたのは村の長老の源助だった。
「あら、源助さん。いらっしゃい」
奈美子は走って玄関に出た。
この村にきて以来、村人には本当に世話になっている。
米や野菜など、食物はほとんど買わなくても済むほどだった。村人が毎日持ってきてくれるのだ。
「元気でなによりだに…」
源助は顔にいっぱいのしわを寄せて笑顔を見せた。
「源じいちゃん」
美子が箸と茶わんを置いて源助に駆け寄った。さっそく源助の膝に乗っかっている。
「源じいちゃん、いっしょにご飯食べよ」
美子が源助を見上げた。
「そうじゃな…。じゃが嬢ちゃん。じいは、嬢ちゃんのママさんと話があるだ」
源助は美子の頭を撫でながら笑った。
「美子、源じいちゃんは大事なお話があるんだって。ご飯がおわったらビリーと遊んでてちょうだい」
奈美子は源助にお茶をだした。
「駐在さんから、若奥さんに渡してくれとあずかっていただ」
美子が外に出たのをみて、源助が奈美子に紙の袋に入ったものを渡した。源助から手渡された袋はズッシリと重かった。
「駐在さんが伊達先生と村を出るとき、何かあったときはこれを使えと伝えてくれと言っていただ」
「そう…」
奈美子が紙の包みを開いた。
「まあ…」
奈美子は紙の袋の中をみて源助の顔を見た。
中には、油紙に包まれた自動拳銃が入っていた。弾丸が五十発入った紙の箱が三つと予備の弾倉も二本あった。手入れ用の道具と紙切れが入っている。鷲武と伊達が村を出た日の朝、村の入り口で鷲武が源助に渡したのだった。
『源さん、頼みがある』
鷲武が紙に包んだ拳銃を源助に渡した。
『伊達先生の奥さんと娘さんを頼むぞ。この鉄砲を奥さんに渡してくれ。撃ち方は知っているはずだから心配はない。ただ、よく練習をしておくように言ってくれ。源さんたちみんなが協力して、二人を守るんだぞ』
「駐在さんがそういってただ」
源助は、出されたお茶を飲みながら奈美子をしわの深い目で見つめた。
「源助さん…」
奈美子は顔をあげて源助を見つめた。
「わたしたちがここにきたことで、村の人たちに迷惑をかけているみたいね…」
奈美子が言った。
「そりゃあちがうだ。村じゃみんなが喜こんでるだよ。迷惑なんてことは決してねえだよ。駐在さんや伊達先生も若奥さんもいい人で、ずっとこの村にいてほしいとみんな思ってるだ。迷惑なんてことはねえ。出てゆくなんて絶対に言わねえでほしいだ!」
源助は大きな声を出して奈美子に言った。それは源助の本心だった。
源助ばかりではない。村人のみんながそう思っている。
唯一村人が気にしているのは、この何もない田舎が嫌になり、奈美子が美子を連れて出てゆくのではないかということだった。
若奥さんの本心を聞いてくれ。村人が集まって長老の源助にいった。だから源助は代表で来たのだ。
若奥さんは色々な集まりにも率先して出てくれた。
年寄りばかりの村で若奥さんはただ一人の若い女だ。看護師の資格もあるし、都会人で物知りだ。年寄りたちには思いもつかないようなことも若奥さんは知っている。村人のみんなが若奥さんを頼りにしているし、美人で優しい若奥さんがいるだけで村が明るい。もしも村から出てゆこうとしたら村人みんなが悲しむ。
「ずっとこの村にいてもらいてえだよ。それがみんなの意見だに」
源助は奈美子にいった。
「本当に、この村にいてもいいの?」
奈美子が真剣に源助に聞いた。
「いてもらいてえだ」
源助がしわの深い目を開いて奈美子に言った。
「わかった。ずっとお世話になるわ。みんなに伝えてちょうだい。みんなが出て行けって言うまで、わたしと美子はここにいますってね」
奈美子が源助に右手を出した。奈美子は戸惑う源助の手を握った。
「そうだかね。いてくれるだかね…」
源助はしわの深い顔にせいいっぱい笑顔を浮かべた。
「さっそくみんなに伝えるだ!」
そう言って源助は立ち上がった。
「源助さん、ご飯は?」
「ええだ。ご飯なんぞより、みんなに知らせるのが先だで!」
源助は草履をはいて、そそくさと駐在所の坂をおりていった。
「源助さん!」
奈美子は坂をおりてゆく源助を呼び止めた。
「ダムで鉄砲の練習をするから、びっくりしないでって、みんなに言ってね!」
そう叫んだ奈美子に源助は手をあげた。
伊達奈美子は駐在所から歩いて三分程のところにある御母衣ダムのほとりにいた。美子とビリーも一緒だ。手には鷲武が源助に預けた自動拳銃が入った紙袋を下げている。
湖畔はすっかり雪景色だ。
「美子、今からママはピストルを撃つ練習をするから、両手で耳をふさいでいるのよ」
奈美子がしゃがんで美子に言った。
「ピストルをうつの?。パパみたいに?」
美子が奈美子を見上げた。
美子もアメリカにつれて行き、射撃場で夫が射撃をするのを見せていたからなんとなく理解できているはずだった。
「そうよ。今度からは、ママがピストルを持つのを見たら、ママが言わなくても耳をふさぐの。わかった?」
「うん」
美子は奈美子を見上げた。
自分の母親がいつもになく真剣な顔になっているのを、幼いながらも美子には理解できた。
「ビリーは?」
美子が聞いた。
「ビリーは大丈夫。ビリーはピストルの音に慣れてもらうのよ」
奈美子はそう言って美子の横に座っているビリーの頭を撫でた。ビリーは奈美子の目をじっと見ている。
「ビリー。あなたもわたしと一緒に村の人たちを守るのよ。ビリーは利口だからわかるわね」
奈美子はそう言いながら紙袋の中から拳銃と弾薬を出した。それを見た美子が両手で耳をふさいだ。
「美子、まだいいのよ」
奈美子は笑って美子に言った。
「ママがこうしたら耳をふさいで、ピストルを下におろしたら、ふさいだ手を離していいの。ピストルを撃つときに言うからね」
奈美子は、拳銃を両手で構え、また下におろす動作をしながら美子に言った。
「うん」
美子が母親を見上げて笑った。
奈美子は手に持った自動拳銃を見つめた。鷲武が書き残した紙には「よく練習しろ」と書かれている。
鷲武が駐在所に残したのであろう、色の薄いサングラスをかけた。
本当は黄色いサングラスが射撃に適していることを奈美子は知っている。夫がアメリカの射撃大会に出場していたとき、必ず黄色いサングラスをかけていた。シューティンググラスといって、火薬のかすや埃から目を保護するのだ。
奈美子は弾薬の紙箱のひとつをあけた。
口径九ミリの弾丸が弾頭を上に向けて並んでいる。銅で被甲された弾頭が光を反射している。奈美子は弾倉に上から弾丸を込めた。
ベレッタ92拳銃の弾倉には十五発の弾が入る。弾倉の横には五発ごとに確認できるように穴が開いている。錆止めの油の匂いが鼻についた。
二本の弾倉にそれぞれ十五発の弾丸を込めて奈美子は拳銃を持った。ズッシリと重い。
弾倉を下から静かに押し込んだ。カチリと音がして弾倉は固定された。
安全装置を解除して、奈美子はスライドを左手で引いた。重かったが、何とか一番後ろまで引いて手を離した。ガチャッという音がダムのほとりに響いた。
一弾目は薬室に押し込まれた。撃鉄は起きている。
拳銃に関しては、奈美子はまったく知識が無いわけではなかった。
実際に射撃をしたことはないが、アメリカで夫の射撃は見たことがある。近くで見ているだけだったが、何度も見ているうちに拳銃の扱いを覚えてしまったのだ。
拳銃に関する雑誌も愛別の自宅にはたくさんあったし、夫がいつも眺めていた雑誌を奈美子も暇つぶしに読んだことがある。
奈美子は肘を軽く曲げて足を肩幅ほどに開いて両手で拳銃を構えた。美子がそれを見て両手で耳をふさいだ。
ダムの水面には枯葉がたくさん浮いている。奈美子は二十メートルほどのところに浮いている一番大きなホウの葉に狙いを付けた。
静かに右手の人差し指に力を込めた。
バシッという発射の反動が奈美子の肩に響いた。発射の音がダムにこだまする。
奈美子が考えていたよりも発射の音は大きかった。キーンという軽い耳鳴りがする。
空の薬莢が右上に飛び出して三メートルほど横の玉砂利の上に落ちた。心臓が高鳴っていた。弾は奈美子が狙ったホウの葉の二メートルほど手前に水しぶきをあげた。
第二弾を発射した。弾は大きくそれて、ホウの葉のはるか向こうにしぶきをあげた。
奈美子は、第三弾、第四弾と、狙ったホウの葉に向けて拳銃を発射した。一発ごとに拳銃が跳ね上がった。
空になった弾倉に弾をこめ、奈美子は水面のホウの葉を狙って拳銃を撃ち続けた。
山に囲まれている御母衣ダムに、伊達奈美子が撃つ拳銃の音が響いた。
「伊達の女房が射撃の練習をはじめた」
長内が同僚の籐山に言った。二人とも刑事局から派遣された刑事だ。
ほかに山崎、岡本、取手の三人の刑事もいる。五人は御母衣村と伊達親子を警備するために、完全武装した自衛隊員二百名と習志野自衛隊のレンジャー隊員百名を指揮している。
刑事が毎日交替で二時間おきに御母衣村を密かに見回る。
自衛隊員は刑事の間隙を埋めるように、四十人が六時間交替で御母衣村を取り囲むように警備していて、動きがあればただちに刑事たちに知らせる。
伊達奈美子が駐在所を出てダムに向かったとの知らせがあった。
長内はすぐに村を囲む尾根を越えてダムに向かった。尾根の上から双眼鏡で見てみると、ダムの畔に伊達奈美子と娘の美子、飼い犬のビリーがいた。
伊達奈美子は拳銃を持っていた。まもなく伊達奈美子の射撃練習が再開された。
様子を見ていると、伊達奈美子は拳銃の扱いを一応は心得ているようだった。射撃はへただが狙った場所の近くには着弾している。四・五日も真剣に練習すれば、ある程度の域には達するものと思われた。
「籐山、あの調子じゃすぐに弾はつきる。長老にでもことずけて弾を渡してこい。動きはもっと早く、斜に構えて撃つ方法も練習しろと伝言を付けてな…」
長内はにが笑いをしながら籐山に言った。
「伝言の差出人はだれにする?」
籐山が聞いた。
「次長の名前にでもしておけ」
長内は笑いながら鷲武の顔を思い浮べた。
遠くのほうで伊達奈美子が撃つ拳銃の音が聞こえた。
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