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警視庁を出発して十二分後、[おおとり]は成田空港の南ウィングに近い貨物積載倉庫の前に強行着陸した。空港警備署長らしいガードマンの制服を着た五十年配の男が三人を迎えた。
「出発便はどうなっている!」
鷲武が大声で聞いた。警備署長は多田野という名札をつけている。
「警視総監から電話があってすぐ、アジア方面に向かう便は全部ストップさせています」
多田野は鷲武に敬礼しながら答えた。
「電話の前に、出発した便はないか」
「電話の十五分前に、グァム・香港経由のシンガポール行きが出ました。エプロンに戻した機は、韓国経由デリー行きのインド航空、それと香港経由のフィリピン行きマレーシア航空の二機ですが…」
多田野が歩きながら言った。
「出たのはその一機だけか」
「それだけです」
多田野が答えた。
「よし、今から残っている機内を調べる。伊達、おまえは国分とインド航空を調べろ。おれはマレーシア航空をやる。それと、南ウィングの搭乗待合室を閉鎖して、誰といえども一歩も出すな」
鷲武が多田野に命じた。
「はい。搭乗待合室は、警視総監から電話で言われましたのですぐに閉鎖しました。誰もトイレにも行かせていません。いま空港警備員が総出で乗客全員の荷物を強制チェックしています。文句も出ていますが、警視総監から監禁してでも押さえておけと言われていますので…」
「それでいい。おれ達が機内を調べ終わって待合室に行くまで押さえてくれ。あんたは、空港警備員にしておくには惜しい人材だ」
鷲武が満足そうに多田野の肩をたたいた。
「行くぞ!」
鷲武が伊達と国分に言った。伊達と国分、鷲武が二手にわかれ、インド航空機とマレーシア航空機に向かった。
「おれは前方ドアから入る。きみは後部ドアから行け。鷲武が言ったとおり、自分が怪しいと判断したら、その相手には絶対に隙を見せるな。飛行機の中だから銃や刃物は持っていないと思うが、油断したら命を落とすことになる。たった今から女を捨てることだ。格闘技はなにかやっていたか?」
伊達はそう言って国分婦警を見つめた。
「柔道と合気道の心得が多少あります。自分にとって初めての実戦です。気を引き締めて頑張ります!」
国分はそう言いながらも、かすかに自分の体が震えるのを覚えた。
前部ドアのタラップを登る伊達を見送り、国分は窓から見えないように機体の下を通って後部ドアに近づいた。腰のケースから拳銃を抜いた。薬室の装填を示すピンが一ミリほど出ている。スライドを少し引いてみると第一弾が薬室に入っているのが見えた。鷲武が言ったとおり安全装置はしていない。国分は静かに撃鉄を起こした。
「警視庁の伊達だ。ある事件があって、今からこの機内を調べる。全員動くな。少しでも動いたり会話をしたら、公務執行妨害とみて遠慮なく射殺する!」
国分が後部ドアから機内に入ったとき、客室の前のほうから日本語と英語で叫ぶ伊達の声が聞こえた。国分自身も英語を習っていたから日常会話には不自由しない。だが国分は言葉を出さず、後部ドアから客室の中をうかがった。
国分は両手で拳銃を構えながら、伊達のほうをを見ている乗客を見張った。伊達は右手に持った拳銃を斜め上に向けながら、乗客一人一人の表情と動きをチェックした。乗客の不満そうな声があちこちで聞こえる。乗客は全員両手を上げていた。
「話をするな!」
「あいつは誰だ、何の権利があって拳銃を向けるのだ」と、英語で隣の乗客に聞いた外国人に伊達が怒鳴った。
「ヘイ!、きみはハイジャックか!」
外国人は両手を下げてシートから勢い良く立ち上がった。長身の伊達が小さく思えるほどの大男だった。
国分は反射的にその外国人の頭に拳銃の狙いを付けた。伊達の左手がフッと動いた。伊達に上着の衿を掴まれた金髪の男は、次の瞬間通路に叩きつけられていた。
「動くなと言っているのがわからんのか!」
伊達は呻いている男に拳銃を突き付けながら言った。
「おとなしく座ってろ!」
伊達は男の急所に当て身をあてて気絶させ、力任せに男をシートに引きずり上げた。
国分はそれを見て拳銃の狙いを外した。乗客たちは、国分が後部ドアのところにいることにまだ気が付いていないようだった。
刑事局の刑事は、射撃はもちろん格闘術にもすぐれていると聞いてはいたが、身長が二メートルもある外国人を一瞬にして床に叩きつけた伊達を、国分は驚きと尊敬の表情で見つめた。
伊達がこのくらい凄いのならば、鷲武とはいったいどんなに凄い刑事なのだろうか。
自分はその鷲武や伊達と同じ刑事局に所属する刑事になったことが、国分は体が熱くなるほど嬉しかった。
「機内に不審な奴はいなかった。そっちはどうだ」
マレーシア航空機を調べ終わった鷲武は、伊達と国分が待っていたエプロンに降りてきた。
「こっちも不審な奴はいなかった。残るは搭乗待合室か」
伊達がそう言いながら、半分ほど吸った自分の煙草を鷲武に渡した。
「そういうことだ。行くぞ」
ふた口吸った煙草を鷲武は靴でもみ消した。
三人は貨物積載ターミナルを通って南ウィングの乗客待合室に入った。
中は搭乗客でごったがえしていた。手続きカウンターでは空港警備員が汗だくになって荷物をチェックしている。カウンターには検査の順番を待つ長い行列ができていた。列の要所要所には空港警備員が立って見張っている。
「よくチェックしろ。この中に、池月なんとかいうクソ女の仲間がいる可能性はじゅうぶんある。一度に日本を出て行くことは考えられん。何グループかに別れて出国するはずだ。伊達、おまえはここでおれたちを援護しろ」
鷲武はごったがえしている乗客待合室の中を見渡しながら伊達に言った。
「わたしはどうすればいいんですか?」
国分が鷲武に聞いた。緊張して自分の顔から血の気が引いているのがわかる。
「見るんだ。ただ、ゆっくりと中を回りながら見るだけでいい。あのクソ女の仲間がいれば、おれ達が警官だということは百も承知しているはずだ。必ず何かの動きがある。そいつを見極めて捕まえろ。特におまえは制服を着ている。おまえの姿を見たらクソ女の仲間は必ず動く。逮捕がだめなら射殺してもかまわん」
鷲武はそう言って拳銃を抜いた。
「わかりました」
国分は物音と人声だけが聞こえる雑踏を見つめながら答えた。
三人はそれぞれに別れて人ごみのなかに入っていった。
鷲武は、搭乗手続きカウンターに並んでいる人間の一人一人の表情を、人ごみをかきわけながらゆっくりと観察した。
自分の目には自信があった。それは、警視庁刑事局の刑事として三十年も犯罪者の中で生きてきた経験と勘だった。
経験と勘、そして機敏な判断力が犯罪捜査では最も大事なことだ。刑事局の刑事として、普通では及びもつかないような困難な捜査も鷲武はいくつも手がけてきたのだ。刑事局の五十人の刑事たちが巨大な犯罪から国民を守り続けてきた。これからもそうだ。その自負が鷲武にはある。鷲武の目は絶対にごまかすことはできない。
鷲武の目の中を搭乗待合室の中にいる人間たちが次々と流れた。
伊達は待合室の端から人混み見わたしていた。鷲武と国分が人混みの中に消えてゆくのが見える。大混雑だ。腰の拳銃ケースの止め金を外した。何かがあったときはすぐに撃てるようにしておかなければならない。
伊達は近くの階段から二階の通路に昇った。搭乗待合室で手荷物の検査を受ける乗客の動きがはっきりと見える。人混みをかきわける鷲武と国分を援護するにはちょうどよい場所だ。
一人の男が国分の目にとまった。三十才くらいの髪を伸ばした男だった。
何がおかしいのかと聞かれても国分には答えられない。しかし何かが違っていた。その男だけがごったがえしている中で浮き上がっているように国分は感じたのだ。
男は何度かまわりを見渡した。別にそれだけで怪しいとは判断できないが、一瞬、自分と男の視線が合い、男が国分の視線を避けたような気がした。
人ごみのみんながまわりを見渡している。その男だけがまわりを見渡しているわけではない。だが、何かが違う。女の勘ではなく、警察官としての勘だった。
自分が怪しいと判断したら、その相手には絶対にすきを見せるな。そう言った伊達の言葉を国分は思い出した。
国分はその男の横顔を見つめたまま、ゆっくりと前に進んだ。列を横切る国分に、並んでいる人たちが不満そうな視線をぶつけるが、国分は警察官の制服を着ているから誰も文句は言わなかった。その不満の視線を全身で感じながら国分は人ごみをかきわけた。
国分は、その男が並んでいる列の四列ほど手前まで進んだ。
男がチラッと国分のほうを見た。国分と視線が合った。国分は拳銃ケースの止め金を外した。とたんに男が人ごみを押し倒すような勢いで国分と反対側に走りだした。
「警察です!。止まりなさい!」
国分は叫ぶと同時に天井に向けて拳銃を一発発射した。乾いた発射の音が搭乗待合室の中に響いた。客が悲鳴を上げた。天井からコンクリートの破片がバラバラと落ちてくる。
「みんな床に伏せて!」
国分の叫び声に、ごったがえしていた客が悲鳴をあげながら折り重なるようにして床に伏せた。
「まて!」
国分は走って行く男を追いかけながら叫んだ。
走っていた男がいきなり振り向いて拳銃を発砲した。
男が撃った弾は、追いかけていた国分の右頬の近くをかすめて髪の毛を数本ふっ飛ばした。弾は顔の近くをかすめただけだったが、右頬を平手で思い切り叩かれたような衝撃でよろめいた。
国分は拳銃を両手で支え、狙いを付けると同時に引き金を引いた。空気を切り裂くような鋭い音が二発響いた。
国分の視界の左端に、伊達が発射した拳銃の火煙が映った。次弾を発射しようとしていた男が後ろに引っ張られるように倒れた。国分は倒れた男を拳銃で狙ったまま素早く走り寄った。国分が発射した弾は狙い通りに男の胸の真ん中に命中し、伊達の弾は男の右手首を見事に射抜いていた。
国分は男が握っていた拳銃を右足で蹴って転がした。仰向けに倒れた男の胸と右手首から床にゆっくりと血が広がった。
緊張で国分の心臓は破裂しそうだった。
国分は拳銃を構えたまま、回りを素早く見渡した。搭乗待合室にいた人たちは、全員が床に伏せたまま、顔だけを上げて国分を見つめている。
「みんな、そのまま動かないで!」
国分は大声で叫びながら、射殺した男の拳銃を拾って腰のベルトに差した。
「国分、少しでも動いた奴は撃て!」
鷲武がそう叫んで走り寄ってきた。伊達は二階の通路に立って拳銃を構えている。国分と鷲武を援護する態勢だ。
「はい!」
国分は床に膝をついた中腰の姿勢で拳銃を構え、鷲武の言葉に答えた。
鷲武は拳銃を右手で持ったまま、床に伏せている人間を一人一人観察して回った。
鷲武が一人の男のそばで立ち止まった。
「おい、きさま。立て!」
鷲武がその男に命じた。
「お、おれは何も関係ない。何も持っていない!」
男は鷲武の視線から顔を伏せながら大声で言った。
「いいから立て。とぼけても無駄だ。痛いめにあわせるぞ」
そう言った鷲武は右足で男の脇腹を蹴った。グウッと呻いて男は鷲武を睨み上げた。鷲武は男が隠し持っていた拳銃を取り上げた。
「伊達、気をつけろ。まだいるぞ!」
鷲武が叫んだ。その時、荷物検査のカウンター近くに伏せていた女が走りだした。伊達と国分の反対側に向かっている。
伊達の拳銃が発射された。弾は女の右大腿部に命中して女はつんのめるように前に倒れた。国分が素早く走り、女の額に拳銃をつき付けた。女は痛みに耐えながら唇を噛み締めて国分を睨んでいる。
国分は右手で拳銃を突き付けながら素早く後ろ手に手錠をかけると、女の体を検査して隠し持っていた小型の自動拳銃を取り上げた。
「池月英津子か?」
走ってきた伊達が女に聞いた。
「ふん、司教様はこんなところにはいない!」
女は憎しみを込めた目で伊達と国分を睨んだ。国分は女を伊達に任せて、拳銃を構えてまわりを警戒した。
「池月英津子はどこにいる?」
伊達は女に聞いた。
「国家権力の手先め…」
そう言った女の顔から急に力が抜けた。
「しまった!」
伊達は女の髪の毛を引っ張って顔を上げさせた。女の口からよだれと乳白色の液体が流れていた。
「自決した。口の中に毒を仕込んでいたらしい」
伊達は死体となった女の髪の毛から手を離した。
「こっちもだ…」
鷲武が拳銃をしまって立ち上がった。鷲武の足元の男も口の中に仕込んでいた毒薬で自決していた。
「一筋縄ではいかない連中のようだな」
鷲武がつぶやいた。
「そのようだ…」
伊達もそう言って煙草に火をつけた。一本を鷲武に渡した。成田空港の南ウィングターミナルの外だった。
「高柳に、グァムと香港、それとシンガポールに電話はさせたが、現地の警察が奴らを捕捉するだけの能力があるといいんだが…」
鷲武がそう言って煙草の灰を落とした。徒労の色が鷲武の表情に現われている。
犯人の一味をせっかくここまで追いつめたのに自決された。その思いが鷲武と伊達の頭をかすめた。もしも犯人の一味が、一足先に香港かシンガポールに飛んだとすれば、池月英津子の電話のとおり何かが起きるかもしれない。
「だが、主犯の大神と池月は日本国内にいる。各空港や港は厳戒体制をしいている。奴らが制御ボックスを運びだした形跡はない。原潜の[あかしお]も今のところは無事だ。[あかしお]にボックスを積むという奴らの目的から考えて、日本国内から制御ボックスを運びだすとは考えられんからな」
鷲武が言った。
「どうする?」
伊達が鷲武に聞いた。
「寝て待つしかあるまい。何かが起きるまでな…。それと、例のテープの解析を科研に依頼してある。そろそろ結果が出る頃だ」
鷲武が歩きだした。伊達と国分も鷲武のあとにつづいた。
「国分…」
歩きながら鷲武が国分に声をかけた。
「はい」
国分が前に出て鷲武と並んだ。
「きょうの経験を忘れるな。最初の実戦にしては見事だった。本庁へ帰るぞ」
鷲武が前を見たまま言った。
「ありがとうございます!」
国分は、鷲武の言葉に顔を上気させながら伊達を振り向いた。伊達は笑って右手の親指を立ててみせた。
その国分の顔から笑顔が消えた。
「どうした国分…」
突然うずくまった国分に伊達が声をかけた。
「いえ、何でもないです」
そう言いながらも、国分はうずくまったまま胸と口を押さえている。
「吐きたきゃ、思い切り吐け」
立ち止まった鷲武が振り向いて、うずくまっている国分に言った。
国分は自分の胃が不規則に痙攣しているのを感じだ。突然襲ってきた胃痙攣だった。何が原因かは自分にもわからない。変わったものを食べた覚えもない。
「はじめはみんなそうなる。特におまえは女だ。いかに警察官といえども、生きた人間を殺すというのは、それが正義とか悪とかに関係なく、普通の神経を持っている内臓はそういうことになる。良く覚えておくことだ」
初めて自分の手で人間を射殺した。自分では任務のうちだと理解していても、体はそうではなかった。何気なく見ていた血や、死体となった男の顔などに国分の内蔵が拒否反応を起こしたのだ。
何度もこみあげる吐き気とともに、国分の口からは黄色みがかった胃液だけが出ていた。伊達がうずくまっている国分の背中をゆっくりとさすっていた。
十二月十九日、東京は紅葉の盛りだった。晩秋から冬に変わる風が吹き抜けている。
世界初の衛星誘導で全地球をカバーする、一千メガトンの核ミサイルを搭載した原子力潜水艦[あかしお]は、いまだその機能を発揮する事無く横須賀の海に停泊している。
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