プロローグ
岩手県盛岡市
東北自動車道の高架が公園に長い影を落としていた。
下飯岡第四公園も子供たちの遊ぶ姿はまばらになっている。時間が過ぎてゆくと、一人、また一人と子供が家に帰り、残ったのは四・五才の女の子だけだった。
女の子は砂場で遊んでいた。すでに家に帰った子供たちが作っていた建物や動物の形をした砂の固まりだけが夕日に浮かび上がっている。
女の子がふと顔をあげた。
「ワンちゃん」
砂を積み上げて遊んでいた女の子が立ち上がった。どこから来たのか、薄汚れた一頭の日本犬がゆっくりとした足取りで女の子に近寄っていた。
「ワンちゃん、おいで」
女の子がしゃがんで手招きをした。
薄汚れた日本犬は、一度立ち止まって躊躇した様子を見せたが、またゆっくりと女の子に近付いてきた。犬は女の子の前に座った。
「どこからきたの?」
女の子は自分の前に座った犬の目をのぞきこんで言った。犬は目を細めて女の子を見つめている。
「美子、その犬はどうしたんだい」
五階建てのビルから女の子の父親が出てきた。父親は娘の美子が見知らぬ犬と一緒にいるのに一瞬驚いたが、犬が娘に危害を与える様子もなく静かに座っているのを見て少し安心した。
「ちょっと待ちなさい」
父親は犬の頭を撫でようとした娘を制して、ポケットから出した医療用のステンレスのケースから二枚の試験紙を出した。一枚は病原菌を探知する試験紙で、もう一枚は放射性物質を探知する試験紙だ。父親は、娘と自分を見つめている薄汚れた日本犬の口の中に二枚の試験紙を差し込んで唾液を付けた。両方とも陰性だった。
「だいじょうぶだよ。このワンちゃんは安全だ。でもこのワンちゃんはどこから来たんだ?」
「しらない…」
「そうか…」
父親は犬の頭を撫でている娘と並んでしゃがみ、犬の表情を見つめていた。
見たところ三才くらいの秋田犬か紀州犬だろう。泥で汚れてはいるが本来は真っ白い体毛だ。純血種かもしれない。犬はどこか遠くを見ているような目で、黙って女の子が撫でるままにしていた。父親が犬の首輪を調べてみたが、鑑札らしいものは付いていなかった。
「あ、これ、きれい」
女の子が犬の前足にぶらさがっている袋を見て言った。多少土で汚れているが金糸と銀糸で織られた錦織で、袋の紐が犬の左前足に絡み付いている。
「何かな?」
父親がその錦織の袋を前足から外した。細い紐をゆるめてみると、中にはちょうどパチンコ玉と同じくらいの大きさの金属の玉が三個入っていた。手のひらに出してみると、その三個の金属の玉は夕日を反射して七色に輝いた。父親は三個の玉を娘の手に渡した。
「きれい…」
女の子はその三個の金属球を目を輝かせて見つめている。
「パパ、美子にちょうだい。ねえ、いいでしょう?」
「うーん…。でも美子、これは、このワンちゃんのお守りかもしれないよ。これが無くなったらワンちゃんが悲しむかもしれない」
「だったら、この迷子のワンちゃんも一緒に連れて帰ろうよ。それならいいでしょ」
女の子は小さな両手に三個の金属球をしっかり握って父親に言った。
「美子、このワンちゃんは迷子なのか?」
この犬をはじめから迷子と決めつけている娘に父親は笑った。娘は手のひらの球体をしっかりと握り締めたまま薄汚れた犬の頭を撫でている。犬は娘のされるままにしていた。
「迷子だよ。だって、だれも迎えにこないもの」
「やれやれ…」
父親は金属球をしっかりと握って離さない娘を目を細めて見つめた。こうと決めたら絶対に引き下がらないところは母親と同じだ。
「わかったよ。美子の言うとおりにしよう」
そう言うと、父親は娘を抱き上げてビルの入り口に向かって歩きだした。
もしも犬の飼い主が来たら、その時は娘もあきらめるだろう。ただ、犬と球体がどんな関係があるかはしらない。たまたま前脚に絡み付いただけかもしれないが、まあいいさ…、と父親は心の中でつぶやいた。
「ワンちゃん、おいで」
そう言った女の子の言葉をどう理解したのか、犬は立ち上がって親子について歩いていった。
礼拝堂の地下室は重苦しい空気で澱んでいた。
五人の黒装束の人間が床に置かれた金属の箱を取り囲んでいる。一辺が一五〇センチほどの黒い箱だ。
「世界はわたくしたちの決起を待っています。一刻も早くキーを探すことです」
静寂を破ってそう言ったのは透き通った女の声だった。
「同じキーをまた作ることは絶対に不可能です。最後まで残っていた技術者は政府の手によって抹殺されました。極秘計画でしたから、もちろん設計図もありません」
黒装束の女が四人をゆっくりと見渡した。
女はこの仲間のリーダー格のようだった。ほかの四人は同じ黒装束を身にまとっているが、女からは少し離れて立っている。
「司祭さまに、このことは?」
女の横の黒装束の男が聞いた。
「先ほどご報告しました。どんな手段を使ってでもキーを捜せとのご命令です。キーが無ければ、我が会が一年の歳月をかけた壮大な夢が藻屑と消えるのです。世界を統治する神は我らの司祭さまです。下僕のわたくしたちは身を挺して司祭さまにお仕えしなければなりません。壮大な夢のために一刻も早くキーを捜し出さなければならないのです」
「計画の実行は、四か月後…」
ひとりの男が言った。
「そうです。我々は神からのお告げのとおりに、この汚れ切った地球を洗い治さなければならないのです。司祭さまもキーが見つからないことに大変心を痛めておられます。キーが無ければこの計画は成功しません。この[夜明けの星]が、日本の裏側でその力を発揮するとき、世界は我々の足元にひれ伏すことになります」
黒装束の女はそう言ってまた四人を見渡した。
「[夜明けの星]作戦の大筋は出来上がっています。あとは細部の修正とキーを入れて、四ヵ月後の計画実行をインプットするだけです。すぐに全国の信者たちに連絡をとって、一刻も早くキーを捜し出すように伝えてください。特に十月十二日に現場にいた民間人は、大人や子供、男女に関係なく徹底的に調べるのです」
女がまたゆっくりと仲間を見渡した。
黒装束の女の言葉に四人は黙ったまま地上へ通じる礼拝堂の階段を登っていった。
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