【52】
次期当主に任命している息子には、朝一でカンエを尋ねて来るように言伝してある。
明朝、父親の死を知った息子は即座にカンエの死を、リーシェル王に知らせるだろう。ラミア妃の処刑の時間には間に合う。
それがカンエの出来ることの全てだ。
その結果、王が心を動かすことが無くても、自分は胸を張って、ジーベルトに、リュークに、あの世で再び会うことが出来る。それでも二人はきっと、カンエの本心など簡単に見透かしてしまうのだろうが。
「ジーベルト…私はお前を臆病者だと幾度も言ったが、本当は私の方がよほど臆病者だな…」
カンエは小さく自嘲の笑みを浮かべる。
死を恐れ、戦いに怯えることを、少なくとも自分たちの前ではけして隠そうとはしなかった、ジーベルト。
カンエはそんなジーベルトを幾度も嘲笑ったが、自身の臆病さを認めて、受け入れている分、よほどジーベルトの方が勇気があると今頃になって思う。
カンエは死の間際ですら、自身の矜持を捨てられず、「諌死」という言葉を借りることで自身の名誉を守る体裁を保とうとしている。
本当はただ、逃げたいだけなのに。
ただ一人で危機に立ち向かうことに耐えきれないだけだというのに。
ジーベルトが死に、リュークが死んだ。
二人の死を突きつけられても、カンエは涙一つこぼすこと無く、国を支える「宰相」の仮面をかぶり続けた。
けれども、二人が死ぬ前まで、カンエの心の中にあった、何か確固たる信念のようなものは、彼らの死によって共に消滅してしまった。
残ったのは「孤独」だけ。
血を分けた家族にすら、心の底から信を置くことが出来ないカンエにとって、二人は唯一無二の友人であり、安らぎだった。
二人の死によって色褪せ、無味乾燥した世界を、カンエはまるで生きる屍のように、ただ目の前の業務だけ追って生きてきた。
終わりの時をただ、ひたすら待ち望んで。
そして、待ち望んでいた終わりの時が、今、訪れた。
「ジーベルト…リューク…」
毒杯を手に持ったまま、再度二人の友の名前を呼ぶ。葬儀の時には流せなかった涙がとめどなく溢れ、ひび割れた皺だらけの頬を伝った。
死への恐怖はない。
やっとまた、二人に会える。そう思うと、笑みさえ滲んできた。
穏やかで安らかな心持だった。
息子には遺言書を書いた。
リーシェル国王が自分の死をもってしても変わらないようなら、一族を引きつれて国を出ろと、そうしたためてある。
自分は自分の意志でリュークに忠誠を誓ったが、ライセイ家がソーゲル家に忠誠を誓ったわけではない。
暗愚な現国王の為に滅び行く国に留まることは、別にしなくてもいい。一族の為に、国を捨てる選択はけして恥ではない。
最期にそう言い残すことが、ろくに父親らしいこともしてこなかった自分の、せめてもの親心だ。
最終的な選択は息子の決断だが、父親である自分に囚われず、自分自身の意志で未来を選択してほしいと願う。そして、息子ならばそれが出来ると、出来る能力があると信じている。
「ジーベルト。リューク。今、お前たちに会いに行くぞ」
カンエは公的な催しの際の乾杯の音頭をとる時のように、高らかに毒杯を掲げた。
「グレーヒエルの地に、栄光あれ」
カンエは宣誓するようにそう言い放つと、一度深く息を吸い込んでから、一息で杯を煽った。
即効性の毒は瞬く間に全身に回り、カンエは体内を焼くような苦痛にのたうちまわりながら、その場に倒れ込む。手に持っていた杯が床に落ちて、からからと音をたてて転がって行った。
カンエは目に見えない誰かに縋る様に、震える手を虚空に向かって伸ばしたが、その手は当然のように空を切り、やがて重力に従ってそのまま地面に投げ出された。
カンエの死は、彼が想定した通り、明朝に遺体を発見した息子によって、カンエの嘆願書と共にリーシェルに知らされた。
しかしリーシェルはカンエの死に全く関心を示す様子もなく、眉一つ動かさこともないままに、「そうか」と一言呟き、首を一度縦に振っただけであった。
そしてその日の午後。予定を違うことなく、ラミアの処刑が執行された。