挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。

決闘

作者:支援BIS
1

 ぽくぽく、ぽくぽく。
 左前方を行く主君の白馬を視界の端にとらえたまま、空を仰ぎみた。
 青い。
 真っ青な空に、白い雲が二つほど浮かんでいる。
 柔らかな風がかすかに吹き寄せて、雲は少しずつ形を変えてゆく。
 通りをさえぎる者もなく、行列は帝城に向かって進む。
 この刻限にザウル公がこの道を通ることはよく知られているから、うっかり道で出くわさないよう、近くに住んでいる人々は気を遣っているのだ。
 もちろんそれは、こちらのほうも同じことで、他家の参城とかち合わないようにしている。
 かち合ってしまったときには、あいさつや譲り合いの作法がわずらわしいし、手落ちがあれば両家に傷がつく。だからどこの家の行列とも出会わずに帝城に着くのが一番よい。
 行列はイド街区を抜けて、シトス街区に入った。ここからは要注意だ。
 前方の十字路を横切る者の姿が目に入った。
 他家の先導役だ。
 陣羽織には、バーダル家の家門がついていた。
 もちろん、こちらの行列の先導役は、一瞬のあいだに相手を見定め、すかさず歩行速度をゆるめている。
 それに気付いた馬引き役が、手綱を軽く引く。
 ザウル公閣下を乗せた白馬は、速度を落とした。
 こちらの行列の速度がのろりとしたものに変わる。
 その前を、バーダル家の参城行列が過ぎてゆく。
 多い。
 さすがに税高百二十万ストールの大領の太守だ。
 三十人を少し越えるほどの人数である。
 ありがたいことに、少し速い足取りで進んでくれている。
 こちらの行列に気を遣ってくれているのだろう。
 互いにあいさつをせずすむだけの距離をあけたまま、二つの行列は行きちがった。
 そのほかの家の行列とは会わずに、堀に着いた。
 目の前に東橋があるのだが、そちらには向かわず、堀に沿って南橋に向かう。
 ウルハン門から入城するためだ。
 いうまでもなく、ウルハン門の名は、ウルハン・ザイドの名にちなんでいる。
 初代陛下の命を七度救った名剣士だ。
 わざわざウルハン門から入城するよう命じられているのは、ザウル公家が武門の家だと認められているからであり、その門をくぐるときには、私のような一介の護衛騎士も、言い知れぬ誇りを覚える。
 九名の行列はウルハン門から入り、やがてザロー門に達した。
 ここで護衛の任務は終わりだ。
 この向こうに帯剣したまま入ることはできない。
 主君が帝城の奥深くに進んでゆくのを見届けてから、門衛に会釈をして待機所に向かった。

 2

 待機所に着くと、割り当てられた更衣室に向かい、兜と鎧を脱いで楽な服に着替え、剣に封をして係員に預けた。
 それから練武場に向かい、素振りをして過ごす。
 休憩を挟みながら二刻ほど練習剣を振ると腹がすいてきたので、食堂に向かった。
 いつものように二十人以上の護衛たちが席に着いている。
 この食堂を使うのは、中領の太守家の護衛役たちであり、その数はたぶん三十三だ。帝国には、税高十万以上百万未満の太守が三十三人おられるのだから。
 空いた席もあったのだが、私はそこには座らず、奥まった一つのテーブルに向かった。
 そのテーブルの向こう側には、すでに一人の騎士が座っている。
「失礼いたす」
「うむ」
 互いにあいさつを交わすと、それを待っていたかのように従卒二人がやって来て、それぞれの護衛騎士の家から届けられた包みを置いた。
 私の前に置かれた包みは桃色の布に覆われていて、四角い形をしている。
 向かいの騎士の前に置かれた包みは群青色の布に覆われていて、丸い形をしている。
 私はおもむろに、目の前の桃色の包みを、ずいと前に押し出した。
 向かいの騎士も、群青色の包みを、私の前に押し出す。
 二人は、それぞれの包みをほどいた。
「ううむ」
 私は思わず声をあげた。
 ひどくよい香りが立ちのぼってきたのだ。
 向かいの騎士は箱のふたをあけ、口元にかすかに笑みを浮かべた。
 それはそうだろう。わが妻の盛りつけは美しい。
「頂戴いたす」
「頂戴する」
 われわれは昼食に向かって、あるいはお互いにむかって頭を下げ、食事を始めた。
 私が食べている食事は、向かいに座る騎士の細君がこしらえたものだ。
 騎士の名は、ヨナ・アダンという。
 グァルバ公の護衛騎士だ。
 彼と弁当の交換をするようになってから、半年になる。

 3

 小領の太守と中領の太守は、一人の護衛騎士をともなって参城する決まりだ。
 大領の太守は護衛騎士を二人、大公家は四人をともなう。
 護衛騎士は主君が帝城で仕事をしているあいだ待機するのだが、あまり護衛騎士同士で話がはずんだりすることはない。
 それは、他家の護衛騎士となれなれしくするものではないという考え方によるものでもあるし、護衛騎士の顔ぶれが頻繁に変わるという実情によるものでもある。
 参城のたびに護衛騎士がちがう、という場合も少なくない。
 俸給に恵まれた職ではないが、名誉な職ではあるから、護衛騎士を務めたというお墨付きを欲しがる騎士は多い。だから、多くの家では順番に護衛騎士が指名される。勝ち抜き戦をやって優勝者が護衛騎士になるという家もあるらしい。
 私のように、十年近くも同じ人間が護衛騎士を務めるというのは、珍しいことなのだ。
 ヨナ殿も、ほぼ同じ年限、護衛騎士を務めている。
 だからお互い、顔はよく見知っていた。
 どの家の家臣であるかということも、お互いに知っていた。
 だが、半年前まで、名も知らなかった。
 半年前、たまたま食堂でほかの席があいておらず同席する、ということが三度続いた。
 その三度の邂逅で、私は、ヨナ殿の弁当が気になった。
 一見したところは、何の変哲もない、ずんぐりとしたパンだ。
 だがそれが何層にも切り分けられ、肉や野菜が挟んである。
 そして、そこはかとなくただよってくる香りが、私を刺激した。
 何ともいえない、空腹をかきたてる香りなのだ。
 そうだ。
 ヨナ殿の弁当からは、うまい物の気配がした。
 そして私は、ヨナ殿が、ちらりと鋭い視線を向けたのを感じた。
 私にではない。私の弁当にである。
 塗りの木箱に美しく収められた弁当は、わが妻の労作だ。
 パルパの実をゆでたものが、ほどよい大きさに握り固められてあり、その横に、色とりどりの野菜の煮物と、魚をすりつぶした団子が入っている。
 あらたまった料理屋で出すような華美な造りにはなっていないが、それだけにかえって、素材のうまみが直感できるような顔つきをしている。
 こうして、向かい合わせに座ってお互いの弁当に視線を送るということが三度重なった。その三度目に、私は奇妙なことをした。
 いまだに、なぜあのときそんなことをしたのか、自分でわからない。
 私は、自分の弁当を両手で前方にすすっと押し出すと、こう言ったのである。
「お召し上がりいただけようか」
 するとヨナ殿も、自分の弁当を私のほうに進め、こう言った。
「ご賞味いただけようか」
 われわれは、自分の前に差し出された弁当に食前の礼を込めると、食事に取りかかった。
 自分たちが風変わりなふるまいをしていることはわかっていたが、もはや私の頭の中には、目の前のパンのことしかなかった。
——これは。これは、よくみかけるパンのようにみえるが、なんとふんわりとして、風雅な色つきをしていることか。それに、このかぐわしい芳香。これは。これはもしや、手作りのパンなのか?
 よほど大きな屋敷ででもあれば、パンを作るということもなくはない。だがこのパンは、屋敷で大量に作るパンのようにはみえない。かといって、店売りのパンだとも思えない。なぜと訊かれても答えられないが、手作りの風情がただよっているのだ。
 私は、少し震える手でパンをまさぐった。
 それぞれ具材が二枚のパンに挟み込まれている。
 その一つを持ち上げると、口に運んだ。
——えもいわれぬ香りよな。よほど新鮮な野菜と、新鮮なソースを使っているのだろう。鮮烈というほかない香りだ。
 こらえれなくなって、かじりついた。
 その瞬間の幸福を、どんな言葉なら表現できるだろう。
 パンはふわりとして香ばしく、野菜はみずみずしくて軽妙な歯ごたえがあり、そして、中には燻製の肉が潜んでいたのだが、ああ、その肉を覆うソースこそ、衝撃的なうまさだった。
 背筋がしびれた。
 それほどのうまさを、そのソースは持っていた。
 いや、ソースは引き出したのだ。パンや肉や野菜の持つうまさを。
 私が今までまったく知らなかったうまさを。
 味というものは、その多くを舌で感じるものだ。
 だが私は、自分の舌にはこれまで使っていなかった部分があることを思い知った。
 舌はその部分により感じる味がちがう。
 そのソースは、舌の使っていなかった部分を、容赦なく攻めてきた。
 ここは使っていなかったろう。こんな味は知らなかったろう。
 そういわんばかりに、ぐいぐいと攻めてきた。
 気がつけば手の中のパンは消え果てていた。
 私は次のパンに手を伸ばした。
 同じパンだ。
 だが中に入っているものは、まったく違った。
 何かの卵なのだろうが、それをゆでてつぶして、ぴりりとする味の実を混ぜ込んである。
 そしてまた、そのソースが私を驚かせた。
 甘い。
 甘くて優しい。
 優しくて甘酸っぱい。
 信じがたいほどのなめらかさだ。
 いったいどうやって作っているソースなのだろう。
 見当もつかない。
 二切れ目のパンを咀嚼し終えたところで、相手のほうをみる余裕が生まれた。
 相手も料理に衝撃を受けているのがわかった。
 野菜の一つ一つを、いとおしむように口に運んでいる。
 そしてときおり、パルパのかたまりに手を伸ばす。
 皇都ではパルパは珍しいはずだ。
 少なくとも私は、これを出す店を皇都では知らない。
 パンに慣れた人には、パルパは固すぎるだろうと思うのだが、目の前の騎士はそんなことを気にしてはいない。視線を中空にさまよわせながら、繰り返しかみ締めている。
 それでよい。
 パルパというものは、かみ締めればかみ締めるほど、味を増す。
 しかも今日のパルパには、赤パルパを混ぜてあった。
 これはひときわ固いパルパなのだが、よくかみ締めればその味わいもまた格別だ。
 ただし、頑丈な顎を持つ人でなければ、パルパのうまさを本当に味わうことはできない、と私は思う。パルパはまさに、武人の食べ物といってよい。
 目の前のその騎士は、みるからにがっしりしていて、力強い。
 身長は私より少し高く、肩幅は私より手幅二つ分は広いだろう。
 骨も太く、厚みのある胸をしている。
 そのくせ動作には、野生の獣を思わせるしなやかさがあるから、おそらく非常に腕の立つ武人だ。
 対して私は、騎士としてはやや小柄で、ひょろりとした体つきをしている。
 実のところ、骨の太さは人並み以上だし、顎の強靱さは自慢できるほどなのだが、みてくれは貧弱だ。
 護衛騎士の集まるこの休憩所では、私だけが場違いな存在である。
 二人は、ほぼ同時に食事を終え、食後の礼をした。
「馳走であった」
「御礼申す」
 そして、きれいにたたんだ布を持ち主に返した。
「ヨナ・アダンと申す」
「ポーク・ウェンダーと申す」
 われわれは、互いに名乗りあってから、食卓を離れた。
 翌日、私が先に着席していた。
 ほかにもあいた席はあったが、ヨナ殿は私の前に座った。
 そして私たちはお互いの弁当を交換して食べた。
 以来、出仕日には弁当を交換して食べるのが、二人の習慣となった。
 一か月ほどしたとき、ヨナ殿の弁当は細君の作であることを知った。
 私も、弁当を作るのが妻であることを告げた。
 ヨナ殿の弁当は、いつもパンだった。
 中に挟まれている具も、似たりよったりのものだ。
 だが、そのパンは日によって微妙に味が違い、中の具も、わずかな違いがあった。そのわずかな違いが、実に大きいのだ。
 ヨナ殿の細君が、どんな顔をしているかは知らない。
 色が黒いか白いかも知らない。
 ただ一つわかっているのは、繊細な指先をしているということだ。

 4

 退城の時間が近づいたので、私は早めに鎧兜をまとい、帯剣して待機室に向かった。
 待機室では茶を飲むことができる。
 今日は天気もよく、しっかりと汗をかいたので、茶がうまい。
 くつろいでいると、呼び出し係官が戸口に立った。
 まだ早い時間だが、退城するかたがおられるのだろうか。
「ザウル公様が、カルチニの間でお待ちでございます」
 その言葉を聞いて、私は緊張した。
 何か異常な事態が起きたのだ。
 普通、呼び出し係官は、
「間もなく、ザウル公様が、ザロー門をお通りになります」
 としか言わない。
 これはどの君公についても同様であって、それを聞いて護衛騎士は主君を迎えに行くのだ。
 だが、カルチニの間だと。
 それはザロー門の奧にある帝城本館の中にある部屋だ。
 そんな所に護衛騎士を呼び出すというのは、いったいどういうことなのか。
 とにかくそこに行かなくてはならない。
 私は無言で立ち上がり、自分がザウル公の護衛騎士であることを態度で示した。
 だが、腰に吊った剣は、どうすればいいだろう。
「剣はザロー門の門衛にお預けください」
 呼び出し係官が親切に説明してくれた。
 私は係官にお辞儀をしてから、早足でザロー門に向かった。
「ザウル公閣下の護衛騎士、ポーク・ヴェンダーと申す。お呼び出しにより、カルチニの間に行かねばならぬ」
「お聞きしております。剣をこちらにお預かりします。カルチニの部屋までは、この者がご案内いたします」
 門の脇に、高級そうな服を着た文官が待ち構えており、私に応対した。
 その部下らしき人物の先導に従って、私は複雑怪奇な造りをした巨大な本館に足を踏み入れた。
 ぐるぐると回り回って、ずいぶんな時間をかけて、目的の部屋についた。
 考えてみれば、帝城の敷地の広さ、つまり堀の内側の広さは、イド街区とシトス街区を合わせたほどの面積がある。本館の広さは、太守がたの屋敷を百集めたより広いだろう。
「ザウル公様護衛、騎士ポーク・ヴェンダー様ご到着にございます」
 案内してくれた文官が、通話口にそう声をかけると、扉が開き、私は中に入った。
 豪華な部屋だ。
 椅子が二脚と小机が二つ置かれ、主君であるザウル公閣下が座っている。
 その横には目つきの鋭い文官が立っている。
 ザウル公は顔色がお悪い。だが、大けがや急病であるようにはみえない。
 私はひそかに安堵のため息をついた。
「騎士ポーク・ヴェンダー。余はグァルバ公と決闘をすることになった。お前を代理人に指名する」

 5

 決闘というのは、初代陛下の時代に制定された制度だが、三代陛下の時代以降には、実際に行われたという話は聞かない。
 そもそも、この大陸は、六十年前までは、群雄が割拠する戦乱のさなかにあった。
 それを初代陛下が統一し、三百二十三あった国は州となり、各国の王は太守に任じられ、帝国に忠誠を誓った。
 太守同士のいさかいが起きたときには、帝城に届け出て、皇帝の裁可を仰ぐこととし、州同士が戦争をすることは禁じられた。
 ただし、武を否定してしまえば、騎士はその存在の根拠を失う。それゆえ、皇帝の裁可になお承服しがたい場合には、代表騎士による決闘を行うことが認められた。
 初代陛下のご晩年には、驚くほど多くの決闘が行われた。
 事情が変わるのは、二代陛下の時代である。
 戦乱の時代を生き抜いた英雄たちが死に絶え、あるいは隠居してしまうころ、決闘の扱いが、がらりと変わった。
 すなわち、決闘に勝ったほうの主張を認めるのではなく、ことごとくの事案において、決闘に負けたほうの主張を認める立場を、皇帝が示した。
 さらに、決闘を行った太守は、勝ったほうも負けたほうも、その後、帝城の役職からはずされた。
 つまり、決闘に勝利しても、名誉は得られるものの、実利は失う。
 その結果、決闘は行われなくなっていった。
 それでよいのだと、私は思う。
 もはや戦乱の時代は終わったのだ。
 辺境の州では、蛮族の侵攻に悩まされ、また、州内に住む異民族らと戦うことも多いというが、皇都とその周辺では、もう戦争など起きない。
 今は平和の時代なのだ。
 騎士となっても、人を殺すことなく一生を終えられれば、それが幸せなことなのだ。
 もちろん、騎士の役目がなくなることはなく、武芸がすたれることもない。
 騒乱が起きないよう騎士が守りを固めてこそ、平和は保たれる。
 犯罪者の取り締まりには武芸が必要だ。
 だが、国と国、つまり州と州のいさかいや、騎士家と騎士家の争いに、殺し合いで決着をつけるような時代は、もう過ぎ去ったのだ。
 だから、戦争の残り香のような決闘という制度も、形の上では残っていても、実際にその道を選ぶ者はない。
 そう思っていた。
 その決闘を、私は行わなくてはならないのか。

 6

 ザウル公閣下が、私を決闘の代理人に指名したのを見届けて、目つきの鋭い文官は部屋を出た。
 その後、ザウル公閣下からお言葉が下がることもなく、私は閣下のお供をして屋敷に帰った。
 しばらくして呼び出しがあり、私は閣下の私室に向かった。
 閣下は私の顔を悲しげな目でみつめ、そして頭を下げた。
「すまぬ。ポーク。グァルバ公は、黄風山の戦いのことを持ち出して、わが家門を侮辱したのじゃ。余はとてもがまんならなんだ。勝ってくれ。余と青樹公のために勝ってくれ」
 そう言われ、私は閣下の前にひざまずいて、誓わずにはいられなかった。
「必ずや」
 それ以上の会話はなかったが、事情はわかった。
 青樹公は、ザウル公閣下の曾祖父であられる。
 黄風山の戦いとは、初代陛下の背後を守っていた青樹公が敵の計略にかかったため、初代陛下が敗走した戦であり、この敗北がなければ帝国の成立はあと三年早くなったといわれている。
 青樹公の武勲は赫赫たるものであり、初代陛下の覇業を大きく輔けたのはまちがいのないところである。この敗戦は、その青樹公の戦歴の数少ない汚点だ。
 いったいグァルバ公と閣下のあいだで、どんないきさつからそんな話題が出たのか想像もつかないが、とにかく公務のなかで、グァルバ公が黄色山の戦のことにふれた。ザウル公閣下にとって、これはまさに逆鱗である。激しい口論となったはずだ。
 よりによって相手がグァルバ公であったとは。
 黄風山の戦いで青樹公を計略にかけた騎士こそ、グァルバ公の祖父君である。グァルバ公の祖父君は、つまり初代陛下の敵だった。だが、決定的な大戦で初代陛下の陣営に寝返ったため、大戦の勝敗に影響を与えた。その功績により、グァルバ公は太守に任じられ、国持ち騎士となった。
 そしてその税高二十一万ストールは、くしくもザウル公と同じである。
 敬愛する青樹公を計略にかけて恥辱を与えた敵が、今は自分と同列の太守であるということは、かねてザウル公にはひどく腹立たしいことだったに違いない。
 そのグァルバ公に黄風山の戦いの話を出されたのでは、これは黙っていられるはずもない。そして事態は決闘に至った。
 理由がわかってみて、私の心は落ち着いた。
 ならば、戦うまでだ。
 主君の名誉のために。
 もう一つ、私の心を楽にしたものがある。
 たぶんこれは、純粋に名誉の戦いであって、領地や金銭や利権のからんだ話ではない。ということは、心置きなく勝てる。勝ったからといって、領民に迷惑はかからない。
 そして逆に、私の心には、ある心配が浮かんだ。
 グァルバ公の代理人は誰なのか、ということである。
 脳裏に、ヨナ・アダンのたくましい体躯が浮かんだ。
 ヨナ殿は、グァルバ公の臣下だ。
 そして十年近くにわたって護衛騎士に任じられるほどに腕が立ち、主君の信頼が篤い。
 もしや私が戦う相手は、ヨナ殿ではないのだろうか。
 決闘は、どちらかが死ぬことをもって決着とする。
 私とヨナ殿は、互いにとどめを刺すために対峙しなければならないのだろうか。

 7

 グァルバ公の代理人は、やはりヨナ殿だった。
 その日の夕刻、日程と取り決めを告げに来た使者が教えてくれた。
 決闘は三日後に、帝城の馬場の一つで行われる。
 私は決闘が終わるまでのあいだ、護衛騎士の仕事を免除された。
 家に帰った私は、努めて平静なふりをした。
 妻もまだ何も知らないはずだ。
 そして、何も訊かなかった。
 いや。
 夕食のとき、一つ質問をしてきた。
「あなた。今日のヨナ様のお弁当は、どういうお料理でしたか」
 私はできるだけ詳しく説明した。
 妻は頭の中に、その料理を思い描いているようだ。
 たぶん、明日の昼、その料理を再現してみるだろう。いつものように。
 妻にとって、ヨナ殿の名も知らぬ細君は、好敵手にして同士だ。
 どうも料理にこだわる女同士の波長というものがあり、妻は会ったこともないヨナ殿の細君と、波長が合うのを感じたようなのだ。
 いっそ妻には決闘のことを黙っておこうかと思ったが、そうもいかない。
 そのうち噂が届くだろうし、人から聞かせられるより、私から話したほうがよい。
 それに、妻にも心の準備をする時間がいる。
 当日の朝知らせるというのでは、あまりに不誠実だ。
 妻は寝床で、私の話を黙って聞いた。
 長い沈黙のあと、こう言った。
「では、明日は、ヨナ様にお弁当を食べていただけないのですね」
「うむ。だが、弁当は作ってくれ。明日は道場に行く」

 8

 決闘が決まった翌日、朝食をすませてからゾバルスラン道場を訪ねた。
 早稽古はもうとうに終わって、門下生たちは朝食後の休憩をしていた。
「あ! ポーク様」
「先輩、おはようございます!」
「おはようございます!」
「おはようございます! ガクル道場のやつなんかに負けないでくださいね!」
「ポーク様、決闘に備えて特訓ですか。よかったらお相手を務めますよ!」
「あほ、お前がポーク様の相手が務まるかよ。俺がやらせてもらいます」
 ちょっと待て。
 どうしてお前たちが、もう決闘のことを知っている。
 それに、ガクル道場とやらが何だというのだ。
「静かにせよ!」
 ヤクルツ師範代の叱声が飛んだ。
 しんとした道場のなかに、ザカル師の笑い声が響く。
「ほっほっほっほ。こう騒がしくては稽古にもならんな。ポークよ、ちょっと奧に来んかの」
「はい」
 ザカル師のあとについて、私は書斎に足を運んだ。
 私自身、騎士としては体格のよいほうではないが、ザカル師は小柄だ。
 だがこの人が剣の達人であることは疑いない。
「ゆうべ、帝城におる門下生から、決闘のことが知らされての。その時点では、わしとヤクルツしか知らなんだが、今朝早くに、ガクル道場から使いが来た。ああ、おぬしは知っておるのかのう。決闘相手のアダン卿は、ガクル道場の門下生だったのじゃ。もっとも、師匠のキーツ・ガクル殿と意見の違いがあったようで、道場は離れておるようじゃがな」
「ヨナ・アダン殿は存じ上げておりますが、ガクル道場というのは知りません」
「バンキエ街区にある道場じゃ。道場主のキーツ殿とわしは、一時期同門だったことがある。なぜかキーツ殿はわしを目のかたきにしておってな。事あるごとに、ちょっかいをかけてくるのじゃ」
「ほう」
 そんなことは全然知らなかった。
「使者が言うにはじゃ。二日後の決闘は、ガクル道場とゾバルスラン道場の決闘でもあるというのじゃ。十人ずつの席をとったから、わしと弟子九名で観戦に来いとぬかしおったわ」
「は?」
 決闘というものは、ひそかに静かに行うものだと聞いている。決して見世物にしてよいものではない。その勝敗さえ、本来なら秘され、少なくとも公の場で口にのぼせるのははばかられるほどのものだ。この決闘も、ごく少人数の見届け人が見守るなかで行うものだと思っていた。それが、たかがといっては失礼だが、街道場の道場主と門下生までが観戦するという。
 しかも、いつの間にか、ヨナ殿と私は、それぞれ学んだ道場の名誉まで背負わされているらしい。
 いったいこれは、どういうことなのか。
「ポークよ」
「はい」
「決闘などというものが行われるのは、四十年ぶりじゃ」
「はい」
「近頃、騎士は飼いならされてしもうた。治にあって乱を忘れぬ心構えを持った騎士など、ほとんどおらん。だがそれでいて、心のどこかでは騎士は騎士らしさを求めてもある。万民も騎士の騎士らしさを誇りたいと思っておる」
「はい」
「この決闘に、皆が何かを求めておるのじゃ」
「はい」
「ただしそれは、おぬしにとっては雑音にすぎん。自分が注目のなかにおることを知れ。そしてそれに惑わされるな」
「はい」
「ところで決闘は細剣で行われる。これを使うか?」
 ザカル師がひょいと差し出したのは、この道場の宝物だ。
 剣匠アムエル・ヴァンプーサその人が鍛えた名剣である。
「いえ。慣れた剣を使います」
 私の細剣は、昔ザカル師に紹介された剣商から無理をして購入した品だ。無銘だがとてもよい剣で、気に入っている。急に剣を替えても、技に混乱が生じるだけだ。
「ふうむ。その固さが取れるとよいのじゃがなあ。じゃがまあ、それもよかろう。今日は稽古に来たのじゃろ。ヤクルツよ、もんでやるがよい」
「は」
 黙って後ろに控えていたヤクルツ師範代が、その岩を継ぎ合わせたような体躯から、静かな威圧を放って返事をした。

 9

「何が起きたのだ、このごちそうは」
「頂き物です。魚は魚商のマルタさんから。肉は肉屋のバンさんから。酒はカーム神殿のドルス神官様から。そのほか、お祝いや激励に、十二人のかたがおみえでした。ここに頂き物を書き出しておきました」
「この書付には、私の知らない人の名がある。この防具商のコルトという人は、誰だ?」
「だから防具商です。決闘でお使いくださいと、胸当てと額金を置いてゆかれました」
「あ。店の紋章が大きく描かれた、あの胸当てか。あんな物は使えない。そもそも、知り合いでもない人から贈り物を受け取ってはいけない」
「そんなことをいわれても、お祝いに来た人を追い返すわけにはいかず、ある人からは品を受け取って、別の人からは受け取らないということはできません」
「そのお祝いというのがわからん。激励はまだわからんでもないが」
「ドルス神官様のおっしゃるには、カーム神殿を代表して帝城で名誉の決闘をなさることになったお祝いだそうです」
「カーム神殿を代表してなどおらんぞ」
「カーム神殿の担当区域の信者なのだから、カーム神殿を代表することになるのだそうです」
「その論理、間違っておる。だいたい、カーム神殿を代表しておるとしたら、何と戦えばよいのだ」
「べつにほかの神殿と争えということではないようです。ただただカーム神殿の栄光を世に知らしめてくださればよいと」
「つまり、私が勝ったら、カーム神殿は、自分たちの神の恩寵が証明されたと宣伝するわけだな」
「そういうことだと思います。とにかく、ご近所や神殿との関係を悪くしてはいけませんから、にこにこ笑って対応しております」
「それは、お前にも苦労をかけるな」
 その夜、息子に決闘のことを説明した。
 十歳の息子にどれだけ理解できたかわからないが、私が死ぬ可能性もある。ちゃんと言葉で伝えておかなくてはならない。
 というより、ヨナ殿と私は、たぶん互角だ。はっきりとはわからないが、そういう気がする。つまり、私が死ぬか生きて帰れるかは、半々だ。
 決闘が決まって二日目。
 私は朝食も取らずに道場に出かけようとしたが、門前で四人もの客が待っていた。みんな私に何かを背負わせようとしている。話しかけられたが、振り切って出かけた。
 今日の客は、昨日よりずっと多いだろう。
 妻には苦労をかけることになる。
 そして私は、この日もガイナルン道場で過ごしたが、無心に稽古に励むというわけにはいかなかった。ここにも客が次々とやって来たからだ。
 初代陛下の語録のなかに、
「敵と味方で手ごわいのは味方だ。敵は斬り倒せばそれですむからだ」
 というものがあるが、本当にそうだと思った。
 そろそろ帰ろうかと思っていたところ、妻から使いが来た。
 客が何人もいて帰ろうとしないから、今日は夜遅くに帰宅したほうがよい、と知らせてきたのだ。
 当惑する私に、ザカル師が言った。
「今夜はゆっくりしてゆけ。酒もある。飲んで心をほぐせ」
 ありがたくお言葉に従った。
 夜遅くに帰宅し、裏口からこっそり入り、すぐに寝た。

 10

 空が低い。
 鉛色の雲が天空を覆っている。
 巨人が雲を踏み破りそうな天気、というのはこういうのをいうのだろう。
 しばらく待っていると、従卒が馬を引いてきた。
 私は馬に乗った。
 妻と息子が見送ってくれた。
 近所の人々も顔を出して見送ってくれている。
 私を乗せた馬は、従卒に引かれ、静かに帝城に向かう。
 馬から見る皇都の風景はこのようだったのかと、私は新鮮な思いで道を進んだ。
 皇都では馬の使用について、非常に厳格な定めがある。
 まず、荷物を引く馬には、鞍をつけてはならない。
 平民は、皇都の中では決して馬に乗ってはならない。
 一定身分以上の騎士だけが馬に乗って皇都の道を歩める。
 ただし走らせてはいけない。
 皇都で馬を走らせることができるのは、皇帝の急使だけである。
 そして、帝城の敷地内で馬に乗れるのは、太守だけだ。
 ところが今や私は、乗馬したままウルハン門をくぐった。
 太守の代理だけが許される特権である。
 従卒は無言のまま門衛にお辞儀をした。
 門衛の傍らには案内の役人がいて、われわれを馬場に先導した。
 ずいぶん複雑な順路だ。
 皇城というのは平和と絶対権威の象徴であるはずなのに、なぜか攻め込まれることを前提にした造りになっている。それほどに安心のできない時代を初代陛下は生きたということなのだろう。
 やがて広い馬場に馬は着き、私は下馬した。
 その広い馬場の周囲を埋め尽くして観衆が立ち並んでいる。
 さすがに平民はいないようだが、なんという人の多さだろう。
 皆一様に口は閉じているが、これだけの人が集まっているのだ。きぬ擦れの音と呼吸の音だけで、風に吹かれた森のように騒がしい。
 驚いたことに、私に殺気を送ってくる者がいる。
 それも、二人や三人ではない。
 殺気に対抗せず、努めて受け流すようにした。
 これをまったく無視できるようになったら、私も一人前の剣客といえるのだろうか。
 ふと、ザカル師の姿を探した。
 いた。
 目立たぬ位置で、静かにたたずんでいる。
 愛弟子が殺し合いに挑む姿に緊張するでもなく、その武威で敵の応援をする者たちを威嚇するでもない。
 ただ静かにたたずんでいる。
 その立ち姿に、私は励まされた。
 そのとき、別の馬の足音が聞こえた。
 ヨナ殿が到着したのだ。

 11

 私とヨナ殿が東西に設けられた椅子に座ると、ザウル公とグァルバ公が馬に乗って入場してきた。実際に戦うのは私とヨナ殿なのだが、名目上はお二人の戦いである。だからお二人は、戦いが終わるまで馬を降りることはない。本来、騎士の戦いは馬上で行うものだからであり、下馬することは、相手に屈したしるしだからである。
 私とヨナ殿は、いったん立ち上がって両公の着席を迎え、再び着席した。
 初めてグァルバ公の顔を拝見したが、思った以上に年老いておられる。
 そして顔つきが柔和だ。
 その柔和な顔つきのなかに、悲しみをみた。
——これは。
 私はそのとき直感した。この決闘は、グァルバ公の望んだことではないと。
 そもそもグァルバ公がザウル公閣下に黄風山の話題を持ち出すなど、常識では考えられない。その常識を破るようなことが起きたというのは、誰かの作為によるものではないのか。
 ザウル公閣下も、グァルバ公も、この決闘が終わったあとには、その役職を去らねばならない。
 その後釜を狙うものの画策に、お二人ははめられたのではないか。
 とはいえ、すでに決闘は避けられない。
 私はザウル公閣下の名誉のため、ヨナ殿を殺す。
 それが騎士の道だ。
 見届け人が、前に進み出た。
 武芸寮の頭領であるパクザト師だ。
 この国の最高の剣士の一人である。
 この人に見届けられるなら、武人として本望だ。
 合図の声がかけられ、私とヨナ殿は、立ち上がって前に進み、所定の位置で礼をすると、剣を抜き放った。

 12

 冷たい風が、北から吹き寄せてきた。
 私にとっては右からの風であり、ヨナ殿にとっては左からの風だ。
 ヨナ殿の雄渾な眉毛が、かすかに揺れている。
 ヨナ殿は無表情にみえるが、実はこの眉毛が表情豊かで、昼食のうまさに感動したときには、クータラが尻尾をふるように、ヨナ殿の眉毛はひくひくと動く。
 まことに愛嬌豊かな眉毛である。
 この眉毛のふるえが止まったとき、すなわち風がやんだとき、二人の生死が決まる。私はそう思った。おそらくヨナ殿も、そう思っている。
 もうすぐ、風がやむ。
 そう感じたとき、私は左手を剣に添えた。
 ざわめきが観客たちのあいだに広がる。
 細剣というものは、右手一本で扱うものだ、というのが常識だ。
 細剣の握りの部分には両手で握れるほどの幅はない。
 だから私の左手は、右手を半ば包み込むように添えられている。
 ヨナ殿の表情は動かない。
「剣を両手で持つとは、細剣の作法も知らぬやつめ! もはや勝負の必要もない!」
 聞き覚えのない声が怒鳴った。
 私はその声を聞いたが、声を発した人を見ようとはしなかった。
 声そのものも、私の頭をすうっと通り抜けて、何の意味も効果ももたらさなかった。
 今、風がやむ。
 そう感じたとき、ヨナ殿の体重が右足の親指にかかった。
——今だ!
 と思ったときには、私はすでに一歩を踏み出していた。
 長い距離を一気に詰める、神速の一歩だ。
 ヨナ殿は、ほんのわずか私に遅れて前に出た。
 ところがヨナ殿の剣は、私の剣を正面から迎え撃つのに間に合った。
 ということは、ヨナ殿の剣と体の動きは、私の速度を上回ったということである。
 私は驚嘆した。
 私の体さばきと剣速に匹敵する剣士は、みたことがない。
 師範代のヤクルツ殿にしても、見極めと手堅い防衛術で私を翻弄するが、私の速度そのものについてくることはできない。ザカル師は、常に私の想定を超えた動きをするので、私は技を封じられてしまうのだが、速度において私より上だとは思わない。
 その私にもまさる速度を、ヨナ殿は持っている。
 体形からして、防御型の戦いをする人だろうと予想していたのだが、それはまったくの間違いであったわけだ。
 このまま剣を打ち合わせてもしかたがないので、私は剣の軌道を右にずらした。もちろん体の重心も、相手の剣の間合いから外している。
 ヨナ殿も同じようにした。
 だが、型通りにお互いをやり過ごしかけたとき、私は剣を反転させた。
 いったん振り切った剣を、その軌道の途中で反転させるというのは、これは両手持ちでなければ不可能な技だ。
 そして細剣の戦いに慣れた剣士なら、予測することが難しい技だ。
 私の剣は、ヨナ殿の脇腹を切り裂くはずだった。
 ところがヨナ殿は、振り切った剣を手の中でくるりと回し、左腕の下をくぐらせて、柄の部分で私の剣を防いだ。
 我々は、前に進む勢いのまますれ違い、そして振り返って対峙した。
 今度はヨナ殿が先手を取った。
 まっすぐに剣が伸びてくる。
 突きだ。
 突きは危険な技である。突きを放った剣士は、全身すきだらけになるといってよい。突きは捨て身の技なのである。しかも片手で突くと、素早く引き戻すことは難しいから、細剣での突きは、いよいよ捨て身の技だ。
 私は左下に身をかがめて剣先をかわした。
 剣先をかわされたヨナ殿は、それでもかまわず突き込んでくる。
 ただし、その軌道は、私の体を追って修正されている。
 素晴らしい速度と攻撃の深さだ。
 片手で行う突きは、異常なほど伸びるものだ。
 その伸びをあますことなく利用して、ヨナ殿は制空権をもぎ取った。
 今、ヨナ殿の制空権に飲み込まれたら、死ぬしかない。
 私はさらに左に沈み込みながら、前方に飛び出した。
 その動きはヨナ殿の意表を突いたようで、対応がわずかに遅れた。
 ヨナ殿の剣は私の体をとらえることができず、突き出した剣を握る右手が私の右肩を打った。
 私は速度の乗った自分の体を、ヨナ殿の体にぶち当てた。
 そして右足で大地を踏みしめると、両手で握った剣を右から左に振り抜いた。
 追突の勢いで後ずさったヨナ殿の体を剣が捉える前後のわずかな時間、私は防御を忘れた。というより、ヨナ殿の剣を追う努力を捨てた。
 そのかいあって、私の剣は、ヨナ殿の左の胸板を捉えた。
 だが、報いもすぐにやってきた。
 私の左肩に、ヨナ殿の剣が食い込んだのである。
 決闘では、皮鎧以上の防具は着けない決まりである。
 ただし胸と額の部分には、金属を装着してよい。
 私の剣は、金属部分を避けて脇腹に食い込んだ。
 それに対して、ヨナ殿の剣は、肩覆いの最も厚い部分を打った。
 だが、ヨナ殿の体格のよさは剣に重さと力を与え、私の体重の軽さは斬撃の威力をそいだ。
 お互いに一歩ずつ下がって対峙したが、私の左肩はしびれている。
 一方、ヨナ殿の脇腹は、皮鎧が切り裂かれ、中から血がこぼれている。
 私は呼吸を止め、連続攻撃を仕掛けた。
 ヨナ殿には私の攻撃が見えているようで、確実に剣を回して防御しきった。
 次にヨナ殿が連続攻撃を仕掛けてきた。
 落ち着いて見定めれば、決して見切れない剣速ではない。
 私もまたヨナ殿の攻撃をしのぎきった。
 それからしばらく、一進一退の攻防が始まった。
 私は、体のあちこちを切り刻まれ、次第に血まみれになっていった。
 それはヨナ殿も同じことで、美しい皮鎧は、すでにずたずたで、血に染まっている。
 やがてわずかに両者の速度がにぶった。
 どんな達人も無限の体力を持っているわけではないから、やがて攻防に衰えが生じるのは当然である。
 そのとき私は切り札を切った。
 今まで両手で持っていた細剣を右手一本で操り、半径の大きな攻撃を連続して繰り出して、ヨナ殿を後退させてから、深い突きを放ったのである。
 ここまで両手で使う剣の間合いに慣れたヨナ殿には、右手一本で突き込まれたこの一撃をかわすことはできない。
 体格がよい、ということは的が大きいということだ。
 ヨナ殿は、かわすかはじくか一瞬迷ったようだ。
 その迷いが私の勝機となった。
 繰り出した一撃は、胸の金属覆いを避けるように、深々とヨナ殿の左肩を刺し貫いた。
 ヨナ殿は後ろに転倒した。
 転倒しながら、剣を振った。
 楽々とその剣をかわしたと思ったのは間違いで、疲労のたまった私の左足は思い通りの動きをせず、ざくりと切り裂かれてしまった。
 これでもう、素早い動きはできない。
 だが転倒しているヨナ殿にとどめを刺すのに、速度は必要ない。
 相手の動きをよく見て、心の臓を突くか、首筋を切り裂けばよい。
 素晴らしい剣士だった。
 力と技と、何より騎士としての覚悟を持った敵手だった。
 だが今、戦いは終わる。
 私を見上げるヨナ殿の視線に恐れはない。
 隙あらば私を殺そうと待ち構える目だ。
 だが、手順さえ誤らなければ、もはや勝敗は覆らない。
 ヨナ殿は死に、私は生きる。
 ヨナ殿の細君は、もはや夫君のために弁当を作ることはない。
 夫君のため?
 私の妻が、ここ半年は、自分の作った弁当を食べるのがヨナ殿だと知っていたように、ヨナ殿の細君も、自分の作った弁当を食べるのはポーク・ヴェンダーだと知っていたはずだ。
 そうだ。
 ヨナ殿の細君は、この半年というもの、私のために弁当を作ってくれたのだ。
 それも、今日終わる。
 どんな指をした人だったのだろうか。
 私がそれを知ることはない。
 後ろにずり下がっていたヨナ殿が、ずるり、と足を滑らせた。
 今だ。
 私は剣を引いた。
 友を殺すために。

 そのときである。
 突然、地が揺れた。
 一瞬の小さな揺れに続いて、すさまじい揺れが襲ってきた。
 私は倒れずにこらえきるのが精いっぱいだったが、ヨナ殿も逃げることはできなかった。
 感覚の上ではひどく長い時間だった揺れが収まったとき、私は再び剣を引いた。
 まさにその剣を突き込もうとしたとき、ヨナ殿の視線があらぬ方角に向いているのに気付いた。
 私は思わず振り返った。
 落馬している。
 ザウル公閣下とグァルバ公が、ともに落馬している。
 決闘の名義者であるお二人は、決闘が続いているあいだ、馬から降りることはできない。
 降りれば負けとみなされる。
 そのお二人が、お二人とも、今や馬から振り落とされている。
 私は、見届け人のほうに体を向けた。
 見届け人のパクザト師は、私の視線に気付くと、はっとしたように二人の太守を見つめた。そして右手を天に差し伸べて宣言した。
「双方の下馬により、決闘は終結した!」
 観客席では大騒ぎをしているが、それはどこか遠い場所での出来事のようだった。

 13

 決闘から三日がたった。
 私は、いつものようにザウル公閣下を護衛して帝城に着いた。
 閣下は役職を失わずにすんだ。
 それはグァルバ公も同じである。
 考えてみれば、決闘すれば帝城の役職を失うというのは、二代陛下の裁定がいつもそうだったというだけのことであり、初代陛下はそのようになさらなかったのであるから、そんな決まりがあるわけではない。
 ザウル公を訪れた今上陛下の使者は、その武勇を褒めたたえた。
 それは代理人たる私の武勇を褒めたというより、そのような臣下を抱え、騎士の志を保っているザウル公ご自身に対する称賛である。
 今上陛下は、二代陛下と違い、決闘がお嫌いではないのかもしれない。
 あるいは、今や時代が決闘を求めているのかもしれない。
 これから決闘は、静かに復活をとげるような気もする。
 その反対に、もう二度と決闘をする人は出てこないような気もする。
 楽な服装に着替えたが、今日は練武場には行かず、木陰で休んだ。
 それから刻限をみはからって食堂に赴いた。
 ヨナ殿は先に来て座っていた。
 少々どきどきしながら、その席に近づいた。
 心なしか、部屋にいる多くの護衛騎士たちが、緊張しているような気がする。
「失礼する」
「うむ」
 すかさず二人の侍従が弁当を持って来た。
 私の前に置かれた包みは四角く、包んだ布は桃色をしている。
 ヨナ殿の前の包みは丸くこんもりとしていて、群青色だ。
 私は深い息を吸って覚悟を整え、ずい、と弁当を押し出した。
 肩の傷が、ずきりと痛む。
 だが、ヨナ殿が受けた痛手は、私よりはるかに深い。
 私は、心の臓がどくんどくんと暴れるのを感じながら、ヨナ殿の行動をみまもった。
 すると、ヨナ殿も、自分の弁当を、ぐい、と私の前に差し出してきた。
 私は、ほっとした。
 気のせいかもしれないが、部屋中の護衛騎士たちも、ほっとしたような気配を感じた。
「頂戴いたす」
「頂戴する」
 私たちは、目の前の弁当に食前の礼をした。
 いや。
 私は、私のために弁当を作ってくれた、ヨナ殿の細君に礼をしたのだ。
 ヨナ殿はどうなのだろうか。
 やがて私たちは静かに食事を始めた。
 それにしても、ヨナ殿は、感心するほどの平常心の持ち主だ。
 私は、殺し合いをした相手と、とても以前のようには付き合えないだろうと思った。だが、わが妻は、いつものように弁当を渡し、
「帰ったら、ヨナ様の奥方様のお弁当がどんな中身で、お味がどうであったか、詳しく教えてくださいまし」
 と私に言った。
 その言葉に背中を押されるように、勇気を振り絞ってここにいるというのに。
 この男は、こんな状況にもまったく平気なのだろうか。
 よく見ると、ヨナ殿の黒々としたたくましい眉毛が、ふるふると震えていた。

(完)

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項をご確認ください。

名前:

▼良い点
▼気になる点
▼一言
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ