偶然という名の奇跡3〜女子の暗躍、男子の苦悩〜
前々作、前作を見なくても十分楽しめますが、見ることをお勧めします。前の二作と違って、短編ですしあまりミステリな要素はありませんので、気楽に読んでいただければ幸いです
年が明けてから早一ヶ月が経ち、寒さが身にしみる季節になってきた。はっきり言ってつらい。冬は嫌いだ。別段、夏が好きというわけではないのだが、寒い寒い、と言いながら身を震わせるのは欝である。ならば、暑い暑い、と言いながらうちわで扇いでいるほうがましだ。どこか前向きな気さえする。だが、どうやら冬は俺にしか厳しくないようで、
「成瀬、お前弱過ぎ。こんなの寒いうちに入らないだろ。水星は夜になると氷点下百六十度にもなるんだぞ!」
部室に入り、真っ先に暖房器具の電源を入れた俺に対して、三人しかいない貴重なTCCのメンバーの一人にして俺の幼馴染である麻生が言った。
麻生は全く寒くないようでワイシャツの上にはブレザーのみ。コートどころか、セーターもカーディガンも着ていない。もちろんマフラーもなし。
どう考えてもおかしいのは俺ではなくこいつだと思う。日本が凍えるこの季節。さらに二月となれば日本でもっとも寒い月で、この辺の気温は一ケタ台だ。俺の反応が一番自然だ。
「うるさい。俺は寒いのが苦手なんだ。少なくてもお前にとやかく言われる筋合いはない」
だいたい現代の科学力をもってしても、未だ人類は月より向こうには行ったことないんだ。水星の話など持って来られても全く説得力がない。せめて、北欧とか、シベリアとか言ってもらいたい。最悪、北海道でもいい。
俺はコートとマフラーをはずし、かばんを置くと新たに部室の備品となったコーヒーメーカーを作動させた。
「ところでテストいつからだっけ?」
パイプイスに胡坐という、奇妙な座り方をしている麻生が言う。
「再来週の頭からだ」
「というと、大体あと二週間か。そろそろ勉強始めないとなあ」
年明けには定期テストが一回だけある。学年末テストとも呼ばれ、その学年の成績を決める最後のテストだ。
「お前、先週もそう言っていたぞ」
麻生は今どきの高校生そのものなので、一夜漬けでテスト勉強を済ませる。それである程度の得点を採っているのだから、すごいと言えばすごいのだが、もったいないと言えばもったいない。何しろ身体に悪い。
「うるさいよ。こういうのはモチベーションが大事なんだ。気持ちが入らないままダラダラやっても仕方ないんだよ!」
全くもって正論である。
「そんなに言うなら俺に特別授業をしてくれ。もしかしたらやる気が出るかも」
「却下だ」
ところで、部室に来てからまだ、一言も発していないやつがいる。イスにも座らず、窓から放課後のグラウンドの様子などを見て、たそがれているそいつはどこかうわの空である。
「おい、岩崎!俺に勉強教えてくれよ!」
「・・・・・・」
「お、おい。岩崎?」
「えっ?何ですか?麻生さん」
「・・・・・・」
最近、岩崎の様子がとてもおかしい。
「だからテストの話だよ、学年末!勉強してる?」
「ああ、もうそんな時期ですか。すっかり忘れてました!」
珍しい。こいつは麻生と違い、テストの一ヶ月前くらいから準備を開始しているやつなのである。こんなところからも、こいつのおかしさは感じ取れる。いや、調子はずれなのはいつもなんだが、いつもと違うおかしさなのである。色で言うと、いつもは赤だが、最近は青っぽい感じだ。
コーヒーメーカーがチープな音を上げたので、俺は自分の分だけコーヒーカップに注いで再びイスに座る。
「じゃあさ、とりあえず部室で放課後勉強しない?」
「いいですよ、やりましょう。ただし、お客さんが来るまでですよ?」
「了解、了解」
そりゃご苦労なこった。珍しく悪くない提案なので俺は口出ししないでおく。
「じゃあそういうことで、成瀬よろしく」
「何がだ?」
「教えてくれ」
「断る」
なぜ俺がそんなことをやらねばならない。面倒にもほどがある。
「ほら、人に教えると復習になって頭に入りやすいって言うだろ?」
「俺は家で勉強する派だ」
「いいじゃねえかよ。いつも無意味に部室に残っているんだからさ」
「断る」
これは俺の気持ちの問題だ。だいたいやる気のない人間に何かを教えることのほうが無意味な行為だ。そしてかなり疲れる。さらに勉強会と称された会合で勉強がはかどらないのは当然を通り越してもはや常識である。一人でやったほうがよっぽどはかどるだろうよ。
「勉強を教えてほしいなら教師に言え。遠慮することはない。やつらはそれが仕事だからな。文字通りプロフェッショナルな勉強会をしてくれるだろう」
「冗談だろ?これ以上あいつらの話を聞いてたら、二度と朝が来なくなっちまうよ」
普通の会話である。だが、いつもどおりではない。何かがおかしい。いや、何かが足りない。
「おい、岩崎!お前も説得してくれよ!」
岩崎はいつの間にかイスに座っていて、俺の料理雑誌を凝視していた。
「おい、岩崎」
「成瀬さん」
岩崎は麻生の呼びかけを無視して俺の名前を呼んだ。
「何だ?」
「この雑誌、いくつか借りていってもいいですか?」
「構わないぞ」
「ありがとうございます」
岩崎は、俺が部室に持ってきていたいくつかの料理雑誌を、骨董品の鑑定を頼まれた新米絵画鑑定士のような顔をしながら数冊抜粋した。選んだ雑誌を自分のかばんにしまうと、
「今日はこれで解散にしましょう」
と言った。辺りは暗くなってきていたが、下校時刻までまだまだ時間がある。いったいどうしたんだ?いつもならぎりぎりまで粘るのに。とは聞かないでおく。早く帰れるのだから理由などどうでもいい。下手に藪をつつくと蛇以上にとんでもないものが出てくるという事実は俺の胸に深く刻み込まれている。
「私は急用があるのでお先に失礼します」
解散宣言早々に、自分だけとっとと帰りやがった。
「いったいどうなっているんだ?」
麻生の疑問には同感だが、それ以上の感想はない。
「見たいテレビでもあるんだろ」
「それであの状態だって?今日なんか輪をかけてずっとうわの空だったじゃないか」
「楽しみで仕方なかったんだろ」
「お前マジで言ってるのか?」
当然冗談である。
「たとえ話だよ。それくらいどうでもいい理由だよ、きっと。あいつの行動に関してあれこれ考えても無意味だ」
俺は荷物をまとめて、席を立った。
「俺たちもさっさと帰ろうぜ」
それからしばらく岩崎の奇妙な行動は続いた。
朝、遅刻ぎりぎりで登校したり、授業中ずっとうとうとしてたり、部室にいるときや昼食のとき、ボーっとしている時間がやたら長かったり。かと思うと、クラスの女子たちと話をしているときは妙にハイテンションで、楽しそうだった。
うーむ。これが麻生だったら全くいつもどおりで、俺が頭を抱える必要など皆無なのだが。しかしこうして考えてみると、岩崎は今時珍しいくらい真面目なやつだった。前述の、一ヶ月前からテスト勉強を始める、というところからも想像がつくだろう。実際高校生活を体験している人は解るだろうが、登校が遅刻ぎりぎりだったり、授業中眠そうなんてのはごくごく普通の出来事だ。こんなことが奇妙な行動だと言われるやつはほとんどいないだろう。
何だかんだで、勉強会が始まってしまったある日の放課後。俺はふと岩崎の両手の異変に気がついた。
「あんた、その手はどうしたんだ?」
岩崎の手には痛々しく包帯が包帯が巻かれていた。
「ああ、これですか。火傷と切り傷です。どれも軽いものなので心配には及びません」
それにしては、ずいぶん厳重な処置だな。
「もしかして料理でもしているのか?」
俺の質問に対して、岩崎は不満そうに頬を膨らませた。
「もしかして、ってなんですか。私だって料理くらいします!」
まあ確かにな。しかし最近始めたのは明らかで、とても慣れているようには見えない。そういやこの前、部室から料理雑誌をいくつか持って帰ってたな。
「何なら成瀬に教えてもらえば?」
麻生の提案は当然却下だ。何度でも言わせてもらおう。俺は面倒ごとが嫌いなのだ。やらなくていいことを進んで引き受けるほど、俺は暇を持て余してはいない。実際、暇でもやらないが。
そう言おうとしたが、俺より先に岩崎が口を開いた。
「結構です。私が目指しているのは、料理人の高み。成瀬さん程度では満足できません」
「おお、言うね。ふられちまったな、成瀬」
ふられたとは心外極まりない。まるで俺から進言したみたいじゃないか。麻生が勝手に提案して、それを岩崎が却下しただけの話。そこに俺の意志は全く介入していない。
それに料理人の高みを目指すのならば、それこそ誰かに教わるべきではないだろうか。
「私はもう大分うまいですよ。これからは怪我もしなくなるでしょう。お弁当にもあまり時間がかからなくなってきましたし」
最近登校が遅かったのは弁当の製作のせいだったのか。いつも眠そうだったのは早起きをしていたからか?それにしても、
「何で突然料理なんか始めたんだ?」
「突然ではありません。以前から料理には興味を抱いていました。今までは始めるきっかけがなかっただけです」
「つまりきっかけができたのか?」
「そうです」
「何だよ、きっかけって」
「教えてあげません!きっと成瀬さんは一生解らないと思います!一生解らなくていいんです!」
「・・・・・・」
よく解らないが、なるほどね。しかし、学年末テストが近いこの時期にわざわざ始めなくてもいいんじゃないか?
まあそこまでは口出ししないでおく。どうせ俺は無関係だし、料理を始める時期なんて人それぞれで十分だ。岩崎の好きなときにやればいいのさ。それがたまたまテスト前だったっていうだけの話だ。
それに、ここ最近、岩崎に感じていた妙なオーラが薄らいできたような気がする。なぞな行動のうち、まだ二つしか解決していないが、それに、理由である料理についてもなぞが多いが心配ないように思える。岩崎が妙に静かだからといって、なぜ俺が心配しなくてはいけないのか、よく解らないが、きっといつも騒がしい隣の家の犬が突然ほえなくなったのと同じ心境に違いない。いつも騒がしいやつは騒がしくしていればいいんだ。突然静かになったら病気かなんかじゃないかと心配してしまうからな。
完全に日が沈むと岩崎の号令がかかり、俺たちは帰宅することになった。
それから岩崎は、俺の予想通り、日に日にいつもの調子を取り戻していった。岩崎が妙に静かだった日があったことなど忘れそうになってきた。
だが、ある日を境に、回復に向かっていたベクトルが急激に逆転した。それは、テスト一週間前に迫った火曜日のことだった。
いつもどおり授業を終えた俺たちは、部室で勉強会をしていた。ちなみに、勉強をしていたのは岩崎一人だった。俺は雑誌を読み、麻生はシャーペンを転がして遊んでいた。
「ちょっと、麻生さん!静かにして下さい!この勉強会をやろうって言ったのは麻生さんですよ」
「何かもう、ガス欠気味。やる気出ないんだよね」
一夜漬け専門の麻生が、十日以上も前から勉強を始めるとテストまでもたないようだ。
「成瀬さんもですよ。せめて教科書くらい出してください!」
いや、だから俺は家で勉強する派なんだって。
岩崎だけがやる気に満ち溢れているのは、俺にとっては日常で、何だか解らないがほっとした気分になる。そして本当にこのまま何だか解らない安心感に包まれて今日という日が終わればよかった。ということは、終わらなかったということで、なぜこんなことになったかというと、まあ、きっと偶然だろう。
コンコン。
部室のドアがノックされた。これはいったいどういうことだろうか。ノックなど、およそ二ヶ月前の事件以来の出来事だ。部室のドアがノックされると、決まって俺が面倒な目に合う。それは、ここがTCC、お悩み相談委員会だからである。
「あなたは二年生の今野さんですね?」
岩崎は、ノックに応じ、招き入れた男子生徒に向かってそう言った。
「ああ。それでお悩み相談委員会というのはここであってるのか?」
おそらく初めて会ったであろう後輩に名前を呼ばれたのにもかかわらず、特に感想はないようだ。それとも、そんなことは後回しにしたくなるような深刻な悩みなのだろうか。まあ、どっちにしろこれから面倒なことになるのは間違いないので、俺も特に突っ込みは割愛させていただく。
「えっと、それで早速ですが」
「ああ」
岩崎は客人にイスを勧め、その正面に自分が座ると、さも当然のように本題に入るわけなのだが、この時点ですっかり俺と麻生は蚊帳の外である。
とりあえず茶でも出してやるかな。そういや、ずいぶん前に麻生が持ってきた茶菓子があったはずだ。見るからに甘そうで、甘いものが苦手な俺は、戦う前から白旗を振っていたから何が入っているのか知らないが、果敢にも食した麻生いわく、甘すぎて苦味を感じるくらい甘いらしい。そんなものを好んで食べる極度の甘党はこの部室には存在しておらず、開封直後の完全に近い状態で残っている。ついでだから、その茶菓子も処分してもらおう。
俺がそれらを長机に出すと、今野と名乗る二年生は、軽く会釈をして、それから話し始めた。
「僕には付き合って半年になる彼女がいるんだけど、」
いきなり自慢話を口にした。
これを聞いた麻生は、好きな人が転校してしまって不完全燃焼のまま一つの恋に終わりを告げた男子生徒のような顔をしている。
「最近少々、挙動不審なんだ」
「挙動不審?」
「ああ」
聞き役の岩崎が顔をしかめる。
「具体的にはどんな感じなんですか?」
「何か悩んでいるようなのだが、僕には全く話してくれない」
岩崎は適当に相槌を打ちながら、素早くペンを走らせている。
「女友達には相談しているようで、最近会話している時間が増えているのだが、それに反比例しているように僕と一緒にいる時間が減ってきている。一緒に帰ろうと誘っても用事があるからと言って先に帰ってしまうし、土日にどこか行こうと言っても女友達と勉強するからと断られた」
「それって勉強のことで悩んでいるんじゃないですか?」
「僕に黙っている理由がない」
「かっこ悪くて相談できないのかも」
「彼女が勉強できないのは付き合う前から知っている」
岩崎と麻生が自らの考えを言うが、今野は一つ一つ明確な根拠を提示して、その考えを否定していく。もしかしたら自分でもそう考えたのかもしれない。
「彼女さんの挙動については解りました。それで、依頼はどういった内容でしょうか?」
「あいつの挙動の理由を探ってもらいたい」
明確に口にはしないが、こいつはおそらく、浮気を疑っているようだ。しかしいつからTCCは探偵事務所になったのだろうか。前から思っていたのだが、TCCの業務内容は範囲が広すぎる。一応内部の人間である俺ですら把握できていない。今回の件もTCCの守備範囲なのだろうか。
彼女の浮気など、自分一人で何とかしてもらいたい。たかが高校生だ。もし浮気をしていたとしても、大した偽装工作などできるはずもないので、ちょいと頑張れば一人でも証拠の一つや二つ簡単に見つかるだろう。そもそも本人を問い詰めればいいんじゃないか?警察じゃないんだし、逮捕状どころか、証拠すら用意しないでも任意同行願える。それで、しつこく詰問しまくれば矛盾した証言を確保できるはずだ。
だいたいただの高校生カップルだ。不倫は離婚事由になるほど重要なものであるから、第三者の介入をはさんででも証拠を得る必要があるかもしれないが、高校生カップルにはそんなもの必要ない。やる気になれるわけがない。はっきり言ってどうでもいい。他人の痴話げんかなどに巻き込まれるのは厄介以外の何者でもない。
まあ、これはあくまでも俺個人の意見であって、まかり通るはずもなく、どうせ岩崎はやる気満々だろうけど。
「何かきっかけみたいなことはなかったんですか?冷たく接したり、メールの返信をしなかったり」
「特に思い当たる節はないな。どっちかと言うと冷たいのは彼女のほうだし、メールは今でも毎日送っている」
マメなやつだな。正直考えられない。
「成瀬とは正反対だな」
俺の思考を呼んだかのごとく、俺のモノローグとほとんど同じ内容のセリフを、麻生が口にした。
「成瀬じゃ考えられないマメさだな。俺が一口でギブアップした茶菓子も普通に食べれるくらいの極度の甘党だしな。いつもはめちゃくちゃハイテンションで、感情表現が豊かなんじゃないのか?そしたら完璧に成瀬の対極だ」
さすがに反論したくなる。その言い草だと、まるで俺がいつもめちゃくちゃローテンションで、感情表現に乏しいみたいじゃないか。
俺が異議申し立てを始めようとした矢先、岩崎が少々オーバーリアクション気味に、
「成瀬さんて甘いもの苦手だったんですか?」
と麻生に尋ねた。突っ込みどころはそこなのだろうか?
「成瀬は辛いものにはとことん強いが、甘いものにはとことん弱いんだ。昔からな」
「甘いもの全般ですか?」
「基本的にはね」
俺が言うことではないが、かなりどうでもいい会話になっている。
岩崎はなぜかがっくり肩を落とし、そうなんですか、と呟いた。直後、あっ!と声を上げた。何か閃いたのか?
「解りました!彼女さんの挙動の理由が」
かなり突然だな。さっきの会話からいったい何が解ったというのか。俺はこういった内容のない会話には慣れているが、慣れていない今野先輩は一喜一憂忙しそうだった。俺の食に関する趣味について異常な盛り上がりを見せたときは、おそらくここにきたことを後悔しただろう。しかし直後、なぞが解けたと言われたのだ。百八十度違う反応を見せなくてはいけなくて、心情的な切り替えが大変だっただろう。
「本当か?いったい何だ?」
「言えません。少なくても私には言う権利がありません」
「どういうことだ?」
「私が今ここで言わなくても、いずれ遠くない未来に彼女自身の口から聞くことができると思います。一つだけはっきり言えることは、彼女さんは浮気してません。彼女さんを信じてあげて下さい」
岩崎の口調ははっきりしたもので、勘や適当な発言ではなく、岩崎にしか解らない、何かしっかりした根拠があるに違いない。それが解る真摯な態度だったため、今野先輩はとても困惑しただろう。
しかし、岩崎の身に何が起きたのだろうか。まるで本人に直接聞いたかのごとく、自信満々である。岩崎の耳にしか聞こえない犬笛的な何かがメッセージを発したのか、あるいは、岩崎の脳チャンネルに周波数を合わせて、彼女が岩崎の脳に直接電波を送ったのか。
手段は解らないが、どうやら岩崎は、彼女と通じ合ったようだ。
「ですからこの以来はお受けすることはできません。申し訳ありませんが、また別の件でお力になりたいと思います」
そう言って、今野先輩に向かってきっちり頭を下げた。そして今度は俺と麻生に向かって、
「すみませんが、私用事を思い出したんで先に失礼します」
と言い、荷物をまとめると、フリスビーをキャッチして飼い主の元にすっ飛んで帰る賢いボーダーコリーのように勢いよく部室から出て行った。
どういうことだ?自分の仕事は終わったとでも言いたいのか?
「だそうですけど」
とりあえずこう言ってみた。
「彼女の言葉を全面的に信じることはできない」
そりゃ当然のことだと思う。
「彼女を説得するのは難しそうだから、この件は君たちにお願いするよ」
どうやらいつの間にか、最悪の方向に転がりだしているようだ。もっとも、最悪の方向に転がりだしているのは事件ではなく、もっぱら俺の日常なのだが。
次の日。水曜日。俺と麻生は朝っぱらから二年生の教室の前にいた。
「何でこんなことに・・・」
「今更だな。早いとこ割り切れ。これは仕事だ」
未だ俺は高校生、それも一学年であり、職業を聞かれれば学生と回答する真っ盛りなのである。仕事だと割り切れるはずもない。なぜこんなにも麻生は乗り気、かつ、やる気なのだろうか。
「来た!彼女だ」
声を発したのはこの場にいるもう一人の人物、昨夕依頼人として部室に登場した一つ上の先輩、今野氏である。
今野氏の彼女は周防といい、背はそんなに大きくなく、見た目もちょうどいい程度に化粧をし、髪も地毛と言っても解らないくらいにしか染めていない、はっきり言えば普通の女子高生だった。目立った特徴がないのが特徴とはよく言ったものだ。まあ俺個人の感想を言わせてもらえば、眼が大きいのと、時折見せるえくぼが特徴と呼べる気がする。
出会いは一年のころ、同じクラスだったらしく、二年になり、クラスが変わってしまったあとに今野氏のほうから告白をしたようだ。つまり、もうそろそろ一年の付き合いになる。
「あれがターゲットか」
特に大した意味もなく、思わず口にしてしまったセリフだったので、反応には期待していなかったのだが、
「そう。あれが僕の彼女で、君たちの調査対象だ」
と、律儀にも解りやすく返答をよこしてくれた。調査対象ね。
「で、具体的には何をやれば?」
「とりあえず張り付いて様子を見ていてほしい。それらしい行動については写真を撮っといてくれ。で、僕が部室に行ったときに報告してくれ」
「了解です」
ターゲットを確認した俺たちは、とりあえずここで解散し、それぞれの朝のホームルームの待つ教室へと向かった。
「なあ」
俺は麻生に声を掛ける。
「ああ?」
「何でそんなに乗り気なんだよ」
「何か面白そうじゃん!」
それだけか?
「たぶん面白くないことのほうが多くなると思うぞ」
いわゆる修羅場に強制的に居合わせなきゃいかんのだ。俺は全く面白くない。
「まあいいじゃん、先のことは。とりあえず俺は尾行が楽しみなんだ。まさしく探偵っぽいだろ?俺小さいころから探偵に憧れていたんだよね」
言い分は少し解る。俺も少し憧れていたときがあったからな。しかしそれは大昔のことだ。探偵のメイン業務を知ってしまった今となっては、憧れなど絶無。むしろ積極的に避けたい職業の一つだ。現在絶賛活躍中の探偵方には申し訳ないのだが。
テレビドラマやアニメ・漫画を見て、探偵業に憧れを持った少年少女諸君は警官になって捜査一課に入ったほうがいい。おそらく憧れの仕事ができると思う。実際の探偵は、毎度毎度密室殺人や不可能犯罪を暴いているわけじゃない。実のところ、地味な仕事が多いのが探偵なのだ。
教室に着くと、岩崎はまだ来ていなかった。
「それで、探偵ごっこは俺たちだけでやるのか?」
昨日の岩崎を見る限り、あまり協力的ではなかった。
「仕方ないだろ?何ならお前が岩崎を説得してみたらどうだ?」
当然却下である。過去において、岩崎を説得できた記憶がないからな。できないことをやるのは俺の本意ではない。
「それにしても、岩崎は何を閃いたんだろ?」
それについては、麻生同様、俺も気になるところだが、いくら考えてもあいつの頭の中は理解できないだろう。できないことについては、前述のとおりだ。
「とりあえず今日の放課後、尾行してみようぜ」
「やれやれ。テスト一週間前だっていうのに」
「いいじゃないか。テスト勉強にも飽きてきたところだ」
どうやら、これが麻生の本音だったようだ。
チャイムがなるとほぼ同時に岩崎が教室になだれ込んできた。
「遅かったな。今日も弁当の準備か?」
俺が話しかけると、
「えっと、今日は別件です」
「別件って何だ?」
「それは女の子の秘密です」
と答え、足早に自分の席に向かった。
おや?っと俺は思う。最近になるにつれて弱化を感じていた岩崎の妙な不可視オーラが、
再び復活の兆しを見せていた。
うーむ。何が原因なのか知らないが、てっきり解決したと思っていた。何か悩んでいるのだろうか?お前は悩みを解決する側の人間じゃなかったのか?そういや以前日向の事件のときに悩んでいるとか言ってたな。細かいことは聞いちゃいないが、あるいはそれが原因なのかもしれないな。
直後、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきたので、話はここで終わり、詳しいことは解らずじまいだった。
そして放課後。俺と麻生は珍しく日が暮れる前に学校をあとにしていた。いったいいつ振りだろうか。入学直後はそれが日常だったのに、それが今ではごく稀になってしまった。
岩崎に、今野先輩の依頼を受け、放課後彼女を尾行する旨を伝えたのは昼休みのときだった。
面倒なことになるだろうと思っていた岩崎の説得は思っていた以上に困難を極めた。だから、岩崎の説得をあきらめ、黙ってやることにしている。俺としては、これ以上面倒ごとはごめんなので、はっきり言って岩崎を騙すようなマネはしたくなく、今の俺のテンションは雨の日のツバメ以下である。
対照的に、麻生のテンションは天上知らずの飛ぶ鳥を落とす勢いである。きっと悪いことをしている、という感覚が麻生のテンションを高くしているのだろう。まるっきり子供だな。結局幼いころの夢の実現のため、妙にやる気を出している麻生を、俺は止めることができず、今野氏の彼女、周防の尾行を開始することになったしまったというわけだ。
しかし気になるな。俺は校門で今野氏と別れ、友人たちの元に駆け寄る周防を見ながら、さっきの岩崎のセリフを思い出していた。放課後、何とかして岩崎の眼を盗もうとしていた俺たちに向かって、岩崎は、
「ちょっと野暮用ができましたんで、今日はこのまま帰ります。そうですね、私の用事もしばらくかかるかもしれないので、テスト休みにしちゃいましょう」
と言った。
俺たちにとっては好都合なので、何も言わなかったが、正直マジで病気の心配をしてしまう。もしくは俺たちに隠して何かをやっているか、だ。後者だったら一生俺には隠しておいてもらいたい。
「良かったな、テスト休みになって」
俺の思案する顔を見て何を思ったか、麻生が話しかけてきた。
一体何が良かったのだろうか。俺から言わせてもらえば、最悪の二歩手前と言ったところか。
「にしても、テスト休みをくれるとは思わなかったな」
ほんの五秒前まで全く反対のことを考えていたのに、突然意見が一致した。
「何だかんだ言っても一人でやるのが一番はかどるからな、勉強って。今回は珍しく勉強始めるの遅かったし」
「そんな単純な理由だと思うか?」
あいつは言動・行動こそ破天荒だが、基本的には真面目なやつだし、誰に言われなくても最低限のことはやる。部活動をやっていようとやってなかろうと、それなりの点数が取れるくらいの努力はするはずだ。
「やけに岩崎の擁護をするじゃないか」
「別に擁護しているわけじゃない」
俺がそう言うと、麻生はでかい声で笑った。一応現在尾行中だということを忘れないでもらいたいね。
「冗談だよ。俺もそう思う。岩崎は何があろうと自分のことはしっかりやるやつだよ」
やれやれ。いったい何が楽しくて岩崎について話し合わなくてはいかんのだ。ただでさえ、この寒空の下尾行などという非日常的な行為をしているのに。ていうか、今こいつ一人で勉強するほうがはかどるとか言わなかったか?やはり教えを請う気なんてさらさらなかったんだな。マジで面倒なやつだ。気のせいか、俺の周りには面倒なやつが多い気がするな。嫌がらせだろうか。どっちにしろ、偶然だと思うが。
はっきり言って尾行もあまり見るところはなかった。周防たちはとりあえず、学校の最寄り駅から電車に乗り、この辺の若者のメッカとも呼べるでかい駅に移動した。そこで店から店へと渡り歩き、完全に日が落ちると、ファミリーレストランに入り、そこで小一時間雑談に花を咲かせていた。そのあとは寄り道せずに家に帰っていった。
およそ四時間の間で購入したものはお菓子と女性ファッション誌のみで、あとは全部ウィンドウショッピングだった。一応カメラは携帯していたが、結局使わずじまいだった。
尾行中特にすることがなかった俺たちは、下らない会話をして手持ち無沙汰を解消していた。
内容はほとんど麻生がピックアップしたもので、笹倉のことをようやく吹っ切れてきた、ということから始まって、うちの学年にはもう見るところがない、とか、年上よりは年下のほうが好きだ、という話になり、最終的に麻生自身の恋愛観をとうとうと語り出した。その間俺はなんだか説教されている気分になっていたが、不思議とストレスは感じなかったし、切々と語る麻生の顔を見ていると、無理矢理割り込んでまで止める気にはならなかった。しかしあと二日間もこんなことが続くのかと思うと心穏やかではいられないのだが。
次の日。木曜日。朝の気温はすでに殺人的なまでに下がり、電車を降りてから学校に着くまでの十分がやけにつらい。
教室に入ると、備え付けてあるストーブがすでに稼働中で、思わずほっとした。周りを見渡す限り、岩崎も麻生もまだ来ていないみたいである。俺はとりあえずコートとマフラーをはずし、ロッカーに放り込むと自分の席についた。
朝のホームルーム前の教室はなんだか騒がしく、妙に活気だっていた。テスト前だからか?週明けの月曜日から始まるテストは学年末であり、いつもの定期テストより気持ち成績に反映される比重が大きいらしい。だからってこんなにみんなが意識するものなのか?しかも男女で少し動きが違う。よく解らないが情緒不安定なのは岩崎と周防だけではないようだ。ま、偶然だろうけど。
ホームルーム五分前くらいになると、岩崎が教室に登場した。俺のところに来る前に、女子の集団に突っ込み、何やら会話に花を咲かせている。最近は良く見る光景なのだが、傍から見る感じではやけに楽しげで、俺に向けられる不思議オーラは嘘のようである。
ホームルーム開始のチャイムが鳴り、会話を終えると岩崎が自分の席に着くために俺のほうにやってきた。
「よう。今朝はご機嫌だな」
たまには俺のほうから声をかけてやってもいいだろうと思い、なるべく明るく挨拶した。
「おはようございます、成瀬さん。いつもどおりですよ」
と若干声のトーンを落として答えた。そのまま自分の席に着いた。
「今日もテスト休みで良いのか?」
「はい、それで構いません。ちなみに明日も休みですから」
岩崎の情緒不安定の原因はサッパリ解らないが、一つ解ったことがある。基本的に岩崎はいつもどおりで、俺といるときだけ不思議オーラを発するようだ。つまり、俺が何かしたってことだろうか?全く身に覚えがないな。まあ、そのうち元に戻るだろ。とりあえず今の間はそっちのほうが好都合だ。
「何となくだけど、勉強で悩んでるっていう雰囲気じゃないな」
いつ来たのか、麻生が後ろから話しかけてきた。
「それよりどうする?今日もやるのか、尾行」
「やるしかないんじゃないの?しかし解らんな。確かに何か隠している雰囲気ではあるんだが」
昨日の行動を見る限り、彼氏に隠さなくてはならないようなことはなかったと思うが。
「それでお前は浮気だと思うか?」
「浮気?何で?」
「何でって、今野先輩は浮気を疑ってるんじゃないか」
「あ、ああ。そっちの話か」
「は?お前は何の話をしてたんだよ」
「岩崎の話」
話が合わないわけだ。岩崎のことで頭を悩ますなんて時間の無駄だと思うがね。
「あいつだって隠し事の一つや二つあってもおかしくないと思うぞ」
「でもあんなにあからさまに態度に出るか?」
「それほど悩ましいことなのかもしれん」
「なるほど。ますます興味深い」
こういうやつに一番相談したくない。興味本位のやつに相談したいやつなどいるだろうか。本気で悩んでいるのに興味本位で聞かれるなんて普通は絶対に嫌だ。しかもそういうやつは興味がなくなったら真っ先に何にもしてくれなくなるからな。
「とにかくあいつのことは置いといて、依頼のことに集中しろ」
「だってつまらないんだもんよ」
全く、昨日はあんなにはしゃいでいたのに今日はもう飽きたのか。マジで子供だな。大変な仕事だと理解できたなら、全国の探偵さんたちに謝れ。
「仕事だと思って割り切れと言ったのはお前だぞ」
昼休みは今野先輩に任せるとして、俺たちは昨日と同じく放課後にまた尾行することにした。
さて、何度も言うが来週の週明けにテストが行われるわけなのだが、教室内はそんな雰囲気皆無だった。まだテストを作り終えていない教師や、いらない気回しをした教師が自習にしたりするくらいだった。
だが、まるっきりいつもどおりかというとそうでもなかった。
何と言えばいいのだろうか、この雰囲気。例えようのない微妙な空気である。しいて言うなら、文化祭の一ヶ月前みたいな感じか。はしゃぎたいが、あえて理性で抑えつけているようなそんな感じだ。
何か俺の知らないところで行われようとしているんじゃないだろうな。俺と無関係なら、どこで誰が何をしようと全然構わないのだが、俺の心が晴れないのはその一員として岩崎が加わっているからか。
麻生じゃないが、気にならないといえば嘘になる。何せあいつがこんな状態になるのは初めてだからな。何か良からぬことを考えていなければいいのだが。
そんな微妙な空気を気にしながら授業を終え、放課後になった。
「じゃあ、今日も行きますかね」
正門で身を隠し、周防が来るのを待っていると、
「何してるんですか?」
と背後から声をかけられた。岩崎が登場した。すっかり忘れていたが、この依頼は岩崎に黙ってやっていたことだったのだ。そして妙に鋭いことでおなじみのこの女、
「もしかして今野先輩のことですか?」
俺と麻生は誤魔化すこともできず、閉口。
「私言いましたよね?この依頼は受けなくていいって」
怒っているらしい。
「お前がやりたくないならいいよ。俺たちだけでやるから」
「いいえ。そういう問題ではありません。今回の依頼は解決しないほうがいいんです」
「意味深だな。何か知ってるんだったら今野先輩に教えてあげたらどうだ?」
「いいえ、それはできません」
「じゃあ俺たちに教えてくれ」
「それはもっとできません。特に成瀬さんには一生知ってもらいたくありません」
意味が解らない。なぜ、今野先輩の問題について、一番知ってはいけないのが俺なんだ?俺は無関係じゃないか。
「とにかく、これ以上関わらないで下さい。これは二人の問題です。余計なことに首を突っ込むとあとで後悔しますよ」
それをお前が言うのか?余計なことに首を突っ込んでるのはいつもお前じゃないか。なぜか後悔しているのはいつも俺だが。
「どうするよ?」
麻生の問いかけに、
「とりあえず調査を遂行するしかないだろ。依頼は受けちまったわけだし」
ということで、周防を尾行することにしたのだが、なんと今日はコンビニによってお菓子を買っただけでそのまま自宅に戻ってしまった。
手持ち無沙汰になってしまった俺たちは、とりあえず俺の家に行き会議を開くことにした。会議といっても二人だけだが。
「今日と昨日で怪しい動きはなかったな。やっぱり浮気なんて今野先輩の気のせいなんじゃないのか?」
「確かに。これ以上調べるのは無理だな」
あとやるとしたら昨日一緒にいた友達に話を聞くとか、か。俺は絶対に拒否するが。
「うーん、やっぱり気になるな」
「何がだ?」
麻生には何か怪しい行動を発見できたのかと思い、問い詰める。
「不審なところでもあったのか?」
「いや、岩崎のことなんだが」
またかよ。そんなに岩崎のことが気になるのか。それはきっと恋だ。告白するといい。
「そりゃ今の話とは関係ないだろうが」
「じゃあ何で俺たちが関わろうとしていることにあんなに反対したんだ?」
「・・・・・・」
確かにそれには俺も気になっていた。
「じゃあ何か?お前はこの依頼にあいつが関わっているとでも言うのか?」
「そりゃないと思うが・・・」
麻生は曖昧な返事をして黙り込んでしまった。
俺も考えてみることにする。確かに岩崎がこの問題に関わることについてうるさく言うのはおかしい。岩崎と周防が共謀して何かをたくらんでいるとは考えにくいから、となると岩崎も周防と同じことを考えているということになるな。それなら、岩崎が一瞬で周防の考えていることを見抜けたのも合点がいく。おそらく前もってターゲットである今野先輩が知ってしまったらいけないものなのだろう。岩崎と周防が同じことを考えているとすると、あまり情報を持っていない周防の思考をトレースするのではなく、岩崎の思考をトレースしたほうが良さそうだな。岩崎の思考をトレースできるかは別として。
ん?待てよ。周防のターゲットは今野先輩で間違いないとして、岩崎のターゲットはいったい誰なんだ?岩崎の言動を辿ると、まさか俺なのではないだろうな。うーん、気がつかなきゃよかったな。
俺は早くも後悔していると、麻生が、
「今日って何日だっけ?」
と意味不明な質問をしてきた。
「は?十二日だけど」
すると麻生は指折り何かを数え始めた。テストまでの日数でも数えているのか?今更ながら焦りが出てきたのか?テストは十六日だから、今日を入れてあと四日だな。ま、麻生のことだからなんとなるだろう。一夜漬けのスペシャリストだからな。
「なるほど。何となく解った」
「は?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
「どういうことだ?」
岩崎といい、お前といい、どうしてどうでもいい会話の中から閃くんだ?俺には全く解らない。
「いや、そりゃ俺にも言えん。すっかり忘れていた。てかこのまま思い出したくなかった。ショックだ。残念でしょうがない」
見事答えを導き出した本人はえらくへこんでいた。
「どういうことだ?お前にも関係あるのか?」
「正直、俺に関係あるかどうか自信がない」
自信?何のことだ?どんどん解らなくなっていく。
「だが、お前には関係ある。確実だ」
恐ろしいことを言ってくれる。詳しく聞きたいような、聞きたくないような、複雑な心境だ。
「お前には微妙なのに俺には確実に関係あるのか?」
「ああ、間違いない。安心しろ。かなり良いことだ。うらやましい。お前は幸せ者だ」
正直からかっているようなセリフだが、何やら麻生は本気で落ち込んでいるようだった。そんなに関わりたかった話なのか?
「今日はもう帰る」
とぼとぼと、麻生は玄関に向かった。当然俺は呼び止める。
「おい!今野先輩の問題はどうなるんだ?」
「岩崎が言っていたように、関わる必要はない。てか関わりたくない」
理解できないにもほどがある。関わりたいと言ったり、関わりたくないと言ったり。はっきり言ってわけが解らない。
しかしマジで落ち込んでいる麻生の後姿と見ているとそんなこという気も失せ、
「麻生!気をつけて帰れよ」
どことなく笹倉が転校してしまった時のことを思い出した俺は、麻生にそう声をかけていた。無事に帰れればいいが。
そして翌日。金曜日。またもや俺は岩崎や麻生より先に教室に着いた。最近ではこういう日のほうが多いから特に問題ない。日常というのは日々移り変わっているのだ。ま、そんなに言うほど大げさなことではないのだが。
「おはよう」
突然声をかけてきたのは、今回の依頼人である二年生の男子生徒、今野先輩だった。
「調査のほうはどうなっている?」
「特にどうもなってないですよ。おかしな行動はない。写真もない」
「そうか。他に何か気になったところは?」
「そういや、岩崎に続いて麻生も理由が解ったみたいですよ」
「何?」
「教えてくれませんでしたけど」
どいつもこいつも何でそんなに秘密にするのが好きなんだ?というか俺と今野先輩だけ仲間はずれかよ。しかも俺も関わっているらしいのではっきり言って俺の悩みでもある。どっかに相談に乗ってくれる人はいないだろうか。
「君は解らないのか?」
「解りませんよ」
「そうか。とりあえず今日は尾行を続けてくれ。僕のほうも少なからず動いてみよう」
そう言って今野先輩は去っていった。簡単に言ってくれる。あんなつまらんものを一人でやれと?正直俺もそこまで暇じゃないんだがな。テスト三日前だ。どんなに怠けているやつも今日から勉強し始めるんじゃないか?
麻生は昨日の様子じゃ尾行には参加しないだろう。俺も帰っちまうかな。
「おはようございます、成瀬さん」
教室の入り口付近で立ち尽くしていた俺に、岩崎が挨拶をしてきた。
「よう。今日は多少早いな」
それに加えて、不思議オーラが量を減らしていた。表情も昨日までとは若干違う。
「特に理由はありません。今日は早く目が覚めたんです」
ほう。それにしてはあまり早くないな。
「勉強ははかどってますか?」
「はかどってないな。全くやる気にならないからな」
別にいつもやる気があるわけではないが。
「私もです。今回はちょっと自信がないですね」
苦笑気味に微笑んだ岩崎の顔はどこか疲れているように見えた。だが、悩んでいるようには見えず、どこかすっきりしたように見える。
「珍しいな。てか毎日早く帰って何してんだよ」
「私にもいろいろやることがあるんです」
そう言うと昨日と同様、女子の集団に姿を溶け込ませた。
今日はなかなか饒舌だったな。いつもと比べると天と地ほどの違いがあるが、それでも何やら元に戻っている気がする。俺と話していても不機嫌にならなかったしな。この事件も終わりに近づいているのか?だと良いんだが、しかしこんなに解らないことだらけで終われるのか?また岩崎の不思議オーラが復活するんじゃないだろうな。
麻生が言っていたように、勉強が理由ではないようだ。勉強が理由ならテストが近づくにつれて悲壮感が増すはずだし、笑顔で勉強がはかどっていないなんていうやつが、勉強で悩んでいるはずがない。じゃあ何だ?麻生まで解ったんだ。そんなに難しい理由ではないはずなんだが。
「よう」
麻生が登場した。生きていたか。今日来なかったら、俺はあの帰り道で事故にあったと思い込んでいたかもしれない。
「元気ないな。原因は昨日発見したことか?」
「それだよ。かなり厳しい現実を突きつけられた。何となくだが、部活にでも入っていればよかった」
どういうことだ?部活に入っていたら無関係になれるのか?いや、こいつは関係者になりたがっていたから逆か。
「昨日言ってたことって部活に入っているやつに関係があることなのか?」
「そういうわけじゃないが何となく部活に入っていたほうが関係ある気がする」
よく解らない。こいつは理解したんじゃないのか?何でこんな曖昧な答えが返ってくるんだ?やばい、考えれば考えるほどわけ解らなくなってくる。
「とうとう明日か・・・」
「は?今何て言った?」
「何でもない」
そう言うと麻生はとぼとぼと自分の席に向かい、倒れるように席に着いた。
明日?何の話だ?テストは月曜だし。明日は土曜だぞ?
俺が混乱している間に教師がやってきて、ホームルームを開始した。
理解できない現象がさらに力強さを増していた。昨日感じたクラス中から発されている妙な空気が濃くなっている気がする。みんな解っているのに誰も口にしない。というか、口にしてはいけないという、暗黙の了解が出来上がっているような感じだ。この状態では理解できていない俺は、完全に蚊帳の外だ。とてもじゃないが中に入れそうにない。
いつもと違うことなんかあるか?空気が読めない教師だけが授業をしているだけで、あとは自習と化した今日は一日中考えていた。クラスの男子も女子も何か違う感じである。しかし男子は浮かれているやつと、麻生みたいにへこんでいるやつの二種類いるみたいだ。女子はみんな一様にどことなく高揚しているように見える。
誰かに聞いてみようかな。たぶん空気の読めないやつ扱いされてしまうのが落ちだ。今のところ今野先輩も理解できていないみたいだが、あとのやつはみんな解っているんじゃないだろうか?
そんなもやもやした状態のまま、全授業を終え、放課後となった。
「成瀬さん!」
「何だ?」
岩崎が話しかけてきた。何か妙な雰囲気だった。
「あの、」
よく見ると、顔は若干高揚しているし、どこか迷っているような表情をしている。何考えているんだ?今日は突然機嫌が良くなったな。
「明日は一日家にいますか?」
「何で?」
「何でもです!良いから質問に答えて下さい!」
明日はテスト二日前だし、予定はないから家にいるだろう。いくら俺がお人好しでも休みの日などに誰かを尾行したりしたくない。しかも俺だけとあってはやる気など起きるわけがない。
「ずっと家にいる」
「そうですか。解りました」
そう言うとお辞儀して教室から出て行った。意味解らないにもほどがあるぞ。俺だけ、異次元に迷い込んでしまったんではないだろうな。
俺は昨日同様、正門で周防を待ち伏せしてから、追跡を開始した。
今日は友達と一緒にいて、どうやら友達の家に行くみたいだった。勉強会でもするのだろうか。その前にコンビニによってまたいくつかのお菓子を買って行った。毎日毎日お菓子ばかり買っているな。女子ってのはこんなにお菓子を食うのか?そういや必ず買ってたな。その辺に意味はあるのか?お菓子を食わなきゃ死ぬのか?
すぐ出てくるようなら尾行を続行しようかと思っていたのだが、三十分待っても出てこなかったから、面倒くさくなって帰ることにした。というか、三十分でも頑張ったほうだろ。たぶんあと十分いたら、正義感丸出しの若手の警官に捕まっていただろう。それほど面倒なことはない。前科持ちにはなりたくないし、ましてや、その前科がストーカーではこの先就職できそうにない。何で他人のためにここまでしてやらねばならないのだ。しかも俺だけ。何度も思うがこの性格何とかしたいな。お人好しなんて今のご時世、不利になるだけだと思う。何かにつけて面倒ごとに巻き込まれるしな。
とりあえず今日はさっさと帰ることにする。土日はまるっきりやる気しないから、もしかして気が乗れば月曜日にでもやってやらんこともない。
程なくして家についた俺は、とりあえず飯を作って早めの夕飯をすませたあと、風呂に入ってそのまま眠りについた。どうせ明日明後日は一日暇だ。勉強はその時にやればいい。どっちにしろ、そんなにやる気はない。
翌日、土曜日。俺が目を覚ましたのは、何と午前六時。なぜそんな時間に起きたのかというと、起こされたからだ。誰に起こされたのかというと、他に誰がいようか。
寝ぼけ眼で俺が玄関に向かうと、岩崎だった。何やら荷物を抱えている。
一日家にいるのかという質問は、家にいないときに来訪してしまわないように、という心遣いじゃないのか?こんな時間に家にいないやつっていったいどんなやつだよ。
「こんな時間にいったい何のようだ?」
「とりあえず中に入れて下さい。そしたら言います」
面倒なやつだ。まあ、知らない仲でもないので中に入れてやる。というか、まともな訪問をしたことがないやつなのでこれはいつもどおりと言えばそうだな。予定を聞いただけまだましかもしれない。
岩崎は、リビングで荷物を降ろすと、何やら準備をし始めた。
「何が始まるんだ?」
「とやかく言わないで下さい。苦情はあとで聞きます。黙って見てて下さい。いえ、見てないで良いですから、くつろいで待ってて下さい」
ここは俺の家なので言われなくてもくつろぐが、なぜ俺の家でお前が仕切っているんだ?この場合非常識なのは、人の家で何かを始めようとしているお前であって、どう考えても俺の質問は正当なものだろう。
とりあえず、俺は洗面所に向かって顔を洗い、次に寝室に行って着替えることにした。
再び戻ってくると、岩崎のポジションがリビングから台所に変わっていた。
「朝飯でも作ってくれるのか?」
「もっと良いものです。今集中してるんで黙って見てて下さい。いえ、」
「その続きは言わなくていい。さっき聞いた」
よく解らないが、いつもの岩崎だった。俺の意見など何一つ聞かない、これだと一度決めたらてこでも動かない、いつもの岩崎だった。
することがない俺は適当にテレビでも付けてみる。この時間帯はどの放送局でも同じような情報番組がやっているだけだった。あまり興味がないからいつもは見ていないのでちょっと新鮮だった。
適当にチャンネルと回していると、一つの番組のところで俺は手を止めた。いや、番組自体は他のものと大きく変わらない、普通の情報番組だったのだが、ブラウン管を通して映し出される見出しに俺は目を奪われた。その文字を読み、俺は、
「これが原因か」
と一言ついた。それは俺が振り回され、麻生が落ち込み、クラスの連中と岩崎を高揚させた原因だった。その答えが大見出しとして取り上げられていた。
すっかり忘れていた。俺には無関係だったし、はっきり言って興味もなかった。さらに俺は甘いものが苦手だ。もらったことないし、もらっても嬉しいかと言われれば微妙だと思う。
気がつけば簡単なことだった。全く、世間はこんなことで騒いだりするのか。大げさだ。麻生も岩崎も今野先輩と周防も。みんな大げさなんだよ。学年末試験のほうがよっぽど大切だと思うがね。おかげで俺も大げさに考えてしまったじゃないか。
しばらくすると、岩崎が陣取っている台所からほのかに甘いにおいがしてきた。さて、どんなものが出来上がるのか楽しみだね。あいつは俺が甘いものが苦手だと知っているからな。まさかそのままのものを作りはしないだろうよ。
俺は岩崎に言われたとおり、くつろいで待つことにした。
「出来ました!」
一時間くらいだろうか、岩崎が台所にこもってからそれくらいが経過して、そろそろ眠くなってきたとき、終了の雄たけびが聞こえた。
「やれやれ。やっとか」
俺は、眠気ですっかり重たくなった腰を持ち上げ、リビングに向かった。
「成瀬さん、ティーセットはどこですか?」
「うちには紅茶ないぞ」
「心配には及びません。お茶葉は私が持ってきましたから」
そりゃ準備がいいことで。メインのほうも作って持ってきてくれればよかったのに。
「俺は家では紅茶飲まないから奥にしまっちまった」
「じゃあ出して下さい!全く、準備が悪いです。私の段取りが狂ってしまったじゃないですか!」
だったら前もって言っといてくれ。俺はマインドスキャンを心得ていないんでね。このセリフは前にも言ったな。確か相手は岩崎だったはず。
俺はティーセットを出すついでに、岩崎が作ったものを見てみた。
「・・・・・・」
確かにそれには紅茶だな。だが、それは朝食べるものではないような気がする。
奥からティーセットを出すと、俺はテーブルに着き、準備が整うのを待つ。最初に取り皿を配り、そしてフォーク。最後にメインディッシュが配膳された。続いて岩崎が席に着き、いよいよ試食が始まる。
岩崎は、メインディッシュたるそれを、切り分け、自分の皿と俺の皿に取り分けた。そして、
「食べ始める前に、成瀬さん、今日は何日ですか?」
もう理解したのでこういうのは面倒なだけだが、俺は岩崎に従うことにする。
「十四日だ」
「何月ですか?」
これを意識していたらもっと簡単に答えが出せたかもな。
「二月だ」
そう。つまり今日は二月十四日。ヴァレンタインデー。そして目の前にあるのは、チョコレートケーキだ。
「よろしい。特に深い意味はないのですが、ヴァレンタインということなので、何となく成瀬さんにあげます。世界の平和と私に感謝して食べて下さい」
大げさだ。最初から最後までずっと大げさだ。世界が平和だと思っているのは日本人くらいだろう。ま、そんなことは置いといて、俺は一口いただくことにする。
うまい。普通にうまかった。良くある店の味とは違い、甘さがうまいこと抑えられている。おそらく市販のチョコレートをそのまま使わず、自分で調合したのだろう。カカオ本来の甘みと旨みがうまい具合に引き立てあっている。最近料理を始めたくらいでこの域に達するとは驚きだ。そこで俺は思い出す。
「もしかして、これのために料理を始めたのか?」
「悪いですか?私はこういうことは徹底的にやらないときが済まないんです、成瀬さんはご自分で料理をしますから半端なものを作るわけにはいけなかったんです、そんなことよりお味のほうはいかがですか?さっきからずーっとそれを待っているんですが!」
息継ぎなしで、一気にしゃべった。どうやら本気で気にしているらしい。しかし、どこまでも真面目なやつだ。俺が、甘いものが苦手だと解ったときは相当焦ったに違いない。きっと友達にもいろいろ意見を聞いたりして、研究に研究を重ねたんだろう。全く大げさなやつだ。たかだかヴァレンタインごときで。
「うまいよ。普通にな」
「そうですか・・・」
ほっとしたようだ。岩崎はふーっと息を吐いて、背もたれに寄りかかった。おそらく自信はあったのだろうが、やはり不安だったようだな。しばらく放心していたが、やがて復活して、自分に取り分けたケーキをもりもり食べ始めた。よく朝からケーキをそんなに食えるな。
「あんた、俺より食っているじゃないか」
「私が作ったんですよ!何か文句でもあるんですか?」
意味が解らん。はっきり言ってやろう。
「これは俺がもらったんだ。これ以上誰にもやらん。文句あるか?」
いきなり真面目な声を出した俺に驚いたのか、岩崎が固まった。しかし、俺が本気で言ってるらしいことを理解したのか、驚いた顔のままうなずいた。
「全く、お前が自分で食ってどうするんだ?いったい誰のために作ったんだが」
でかいこと言ったものの、朝からケーキをそんなに食べることは無理なので、ラップをかけて冷蔵庫にしまうことにする。今更ながら言わせてもらうと、凝るのは良いが、なぜこんなにでかいものを作ったんだ?小パーティーサイズだ。十人は食べれるだろう。まさか自分で食べるためか?いったい誰のためのヴァレンタインなんだか。
俺がいそいそと冷蔵庫にしまい、リビングに戻ってくると、岩崎は放心したままだった。
「どうした?」
「私、成瀬さんのために作りました」
質問に対して、答えがあっていない気がしたが、ここは突っ込まずに岩崎の話を聞いた。
「私、成瀬さんのために作りました。だから成瀬さんに食べてもらいたいです。すみませんでした。ちょっと舞い上がってしまいまして」
本当に申し訳なさそうにしているから少し驚いた。岩崎にも多少なりとも思い入れがあるらしい。
「今更謝るな。もうケーキは戻ってこないんだからな」
「・・・・・・」
「だからまた今度作ってくれ」
岩崎は申し訳なさそうに伏せていた顔を上げた。
「今度はケーキじゃないほうが良いな。普通に飯を作ってくれ」
確かにうまかったがやはり甘い。ここで本音が出るあたり、俺らしいのだろう。俺が苦笑していると、驚いたような顔をしている岩崎は、
「いいんですか?」
「嫌なら別に良いが?」
次の瞬間、いつもの太陽のような笑顔を浮かべ、
「もちろん作ります。しょうがないですね、成瀬さんは。この歳になって甘えん坊なんですから。全く私がいないと、本当に仕方ない人なんですから」
岩崎の言っていることはよく解らないが、とりあえず一件落着だな。何となく結果オーライって気がするが、別に問題ないだろ。なぜだか知らんが、今回の岩崎の不思議オーラは俺のせいだったみたいだから、ここは割り切って受け入れることにする。仕事じゃないけどな。今考えてみると、一番災難だったのは麻生かもな。そういえば、
「麻生には作ってやらないのか?」
岩崎なら麻生に渡すのではないか?と思って聞いてみた。
「残念ですが、私の体力的にちょっと無理ですね。ここのところほとんど寝ていないので。だから感謝して下さい。私が渡したのは成瀬さんだけです」
「そりゃ、どうも」
残念だったな、麻生。この様子じゃ岩崎からもらうのは望めないようだ。確かに学校に行かない土曜に、チョコレートをもらうのは至難の業だな。だから当日になる前から諦めていたのか。
俺が麻生のために、胸に十字を切っていると、その正面で岩崎がかばんから筆記用具などを出して、何やら準備をしている。
「何してるんだ?」
「決まっています!勉強の準備です!成瀬さん、解らないところがあったら教えて下さい」
「断る。家でやれよ」
岩崎はバンっとテーブルと叩き、俺に顔を近づけ、怒鳴った。
「私が今回勉強できずにいたのは、今日の日のためです。つまり成瀬さんのせいです!だから成瀬さんが私の勉強を手伝うのは当然です。いいから手伝って下さい!」
うーむ。まさしくいつもの岩崎だ。俺は泣く泣く手伝わされる羽目になり、一緒に教科書を広げることになった。こうなってしまうと、岩崎がいつもどおりに戻ったことに対して喜べないのだが。
結局一日中勉強会になってしまい、最終的に岩崎は泊まっていった。そして、日曜日も一日中勉強会になった。この二日間の自炊は岩崎が担当したが、俺の疲労はピークに達していた。やってられない。もともと勉強を長い間やりたくないからこそ、俺は長いスパンで勉強を開始するのだ。全く無意味だったが。どうやら岩崎はいつもどおりではなかった。
いつもどおりを軽がる突破して、いつも以上の行動力と発言力を手に入れていた。こういうのをリバウンドって言うのか?
とにかく今週は厄日だったようだ。疲れた。せめて来週は楽したいものである。
明けて月曜日。俺と岩崎がそろって教室に行くと、さすがにテスト一色になっていた。中にはまだ、浮かれているものや、落ち込んでいるものがいた。麻生もその中の一人だ。どうやら、一つももらえなかったのだろう。というか、もらえたやつのほうが少ないのではないだろうか。中でも俺が一番特殊であるのは間違いないが。
テスト後に俺の教室に今野先輩がやってきた。どうやら彼女の不可解な行動はヴァレンタインのもので相違なく、迷惑かけたと謝って帰っていった。
今思うと、痴話げんかに巻き込まれたわけではなかった。俺たちはピエロにすらなっていなかったというわけだ。
で、テストのほうだが、俺はいつも以上の点数を期待せざるを得ない。はっきり言って、勉強量はいつもの倍くらいになっている。これで成績が上がっていなかったら、俺は岩崎に断固抗議するだろう。そして勉強することを放棄する。
岩崎はどうやらそこそこの手ごたえがあったようで、いつもどおりの結果を期待できるようだ。何だかんだ、勉強していたのではないだろうか。如才ないあたりはさすがと言っていいだろう。
麻生に関しては、なぜだかやたらと自信満々だったが、やつの場合、毎回自信満々だから当てにはならない。
テスト前に妙な事件が起こるとは、やっぱり近くに疫病神がいるんじゃないかと疑ってしまうのだが、俺の中では最終的に偶然だったという形で収拾つけている。今回の事件もいつもと相違なく、やたらと疲れるものだったが、疲れるだけではなかったと、俺は思っていた。