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王国編
第二十四話 最強の援軍、到来
 俺がいつから“人”を受け入れられなくなったのか……今はもう覚えていない。
 いつから“人”を遠ざけていたのかも、その前の自分はどんな奴だったのかも、未だにはっきりと思い出せずにいる……。
 気がついたら孤独という名の檻で塞ぎこみ、他人に対する一切の感情を封じていた。

 俺自身、そんな自分が唯一の存在意義だと認識していたし、“人”と必要以上に関わりたいという気さえ起きなかった。ただお人よしという点だけにおいて、やっぱり自分は臆病なんだなと、改めて自覚させられることはあるが……。

 優しい……んじゃない。
 俺にとって“お人よし”は優しいことなんかじゃなくて、心の弱さ故の恐怖心だった。
 他人ひとに頼られれば、それだけ自分がその信頼に相当する責任を背負わなくちゃいけなくなる。期待に答えられなければ、頼った人も頼られた人も落胆して、信頼を裏切ることになるからだ。

 それが何より怖かった。

 断って嫌われるのが怖い。見て見ぬフリをして恨まれるのが怖い。だから俺は困っている他人を見捨てられない……のだろうか?

 ――――――俺って……ホントどうしようもない屑野郎だよな? 自分の問題すら何も理解していないんじゃ、生きてる価値なんてないも同然なのに……。

 

 ……ピロは俺に言った。
 俺がこの世界に連れて来られたのは、俺自身がそういう事態を強く望んでいたからだと。
 もし……本当にそれが真実だとするなら、俺はずっと逃げていたんじゃないだろうか。
 元の生活からではなく、一人の人間としての俺自身から。
 ずっと…………逃げていたんだろうか。









「キリヤ様ッ! 敵の地上部隊は私にお任せください! 殿下は“飛竜隊”をお願いします!」

 同行した半数以上の兵士たちを連れ、ゴテゴテした地面を駆りながら「戦場」へと向かうアレンさんを、俺は混乱した頭でかろうじて聞き届けるぐらいしかできなかった。
 
「……何だよ、これ……」

 決して直視できない残虐な光景であるはずなのに、俺は眼下の“それ”をさも当たり前のように眺めている。
 乱れこむ兵士たちがお互い手に光る鉄器を持って斬り合い、時に絶叫と血飛沫を上げながら倒れ逝く“人”たち。まるで巨大なスクリーンで戦争映画を見ているような、何とも俺の現実とは程遠い光景であった。

「お、おいピロ……!」

 震える声を必死に押さえ、脳内居候に呼びかける。
 しかし反応がない。だんまりを決め込んで俺をからかっているのだろうか。しかし今はその悪戯を許容できるほど俺は冷静じゃなかった。

「返事しろっ!!」
「は、はいぃぃ…!」

 だが答えたのはピロではなく、俺の後ろ控えている兵士たちの一人だった。
 そして気づく。どうやら無意識の内に俺は声に出していたようだ。背後で震えながら直立する兵士を尻目に、俺はできるだけ声を抑えて話す。

「現状はどうなっている?」

 簡潔に纏めたのは、それ以上喋ったら恐怖で声が震えそうだったからだ。

「はっ! げ、現在、麓の南に展開するリディア軍が、反撃に転じたランスロット軍の猛攻で苦戦しているようです!」

 ランスロット? リディア? それがあそこで戦っている軍隊の名前なのか?
 い、いや待て。ランスロットなら聞いたことがある。昨日の晩、アル姐さんがこの世界のことを俺に話してくれたときに確か――――――

 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 突如聞こえた金属質な高音に、俺は思わず耳を塞いだ。
 
 な、何だっ!? 何が起こったんだ!?

 恐怖と緊張で完全に取り乱していた俺は、音の根源を探そうと慌てて周囲の様子を窺う。
 そしてその対象はすぐに見つかった。
 丁度俺たちがいる小山の頂上とほぼ同じ高さの上空。まるで大蛇に足と羽を取り付けたみたいな巨大な生き物が、戦場に向かって急降下していた。
 間違いない。きっと音の主はあの化け物だろう。どうやって音を出しているのか知らないが、もしかして鳴き声なのか?

 乱闘場所に急降下した蝙蝠こうもりモンスターは、地上すれすれにまで到達した後、手短な兵士を掴み上げて“空中から振り落した”。

 落下していく兵士が風を切るように手足を振り回しているのが見える。だがそんな行為も虚しく、兵士は地上にいる別の兵士の上に激突した。

「うっ………!」

 骨が砕ける生々しい音が、遠く離れたこの場所まで聞こえた気がする。

 そして俺は見てしまった。

 “人が死ぬ決定的な瞬間”を……。

 今までそんな事とはまったくの無縁だった俺が、初めて人が死ぬ過程を目の当たりにしたのだ。冷静に行動するということが、そもそも無理な話だった。

 冗談じゃない……冗談じゃないぞ……! 何で俺たちはこんなトコにいるんだ……。

 とてつもない死の恐怖に、俺は思わず後ろに下がろう馬の手綱を引っ張った。
 もちろん俺は乗馬なんてやったことないから操作なんて知らない。ここまで馬に乗って来ることができたのも、俺が魔術で馬をコントロールしていたからだ。手綱を動かしたのもこれが初めてだった。   
 嫌そうに首を振り荒い息を吐く馬を無視して、俺は手綱を強引に自分の方へと引いた。
 
 だが――――――

 ヒヒイイイイイイイイン!

「うお!? ちょ……」

 綱を引いた瞬間、俺が乗る馬は突如として前足を上へと蹴り上げた。あまりの不意打ちに、身体が自然と後ろに投げ出されそうになる。
 俺は必死に馬に掴まり、あぶみに足をかけようと踏ん張る。しかし、不幸にも宙を掻いていた俺の脹脛ふくらはぎが馬の横腹を叩いてしまった。

 すると馬はさらに大きな鳴き声を上げ、俺の意志とは別に斜面を下って走り出した。
 
「キリヤ殿下!?」

 後ろで兵士の驚く声が聞こえたが、馬は停止することなく硬い地面の上を疾走する。
 
 ちょ……おい、止まれっ! そっちに行くんじゃない! 馬鹿ッ! 死んじまうだろ!

 険しい坂を下る先にあるのは激しい戦場。このまま走り続ければ、俺の生命の危機は間違いなく明確になる。争い事と皆無な俺なんて普通に死ねる。

「キリヤ殿下が先立たれたぞっ! 我らも続けええ! 我が王国の栄光ある未来のためにーーー!」

 我らが王国に祝福を!
   
 祖国繁栄の道明かりとならん!

 
 おいおいおいおい馬鹿かお前らはっ!!
 どこの魔道士に先陣切って死地に飛び込む奴があるよ!? 今完全に動揺してたよね俺!? 引き返そうと手綱引いてたの見てたよね!?

 だが俺の心の叫びとは裏腹、一斉に鬨の声を上げた兵士たちは後ろから続々と追いかけてくるだけだった。追いかけると言っても俺を止めるために追ってるんじゃなくて、俺について来てるだけなんだろうが。しかもその数は四千ないし三千といったところ。装飾道具が一通りあれば国道占拠してパレードでも出来そうな勢いである。いや、男ばっかりのフェスティバルロードなんてむさいだけか……。

 ってアホか俺! そんなくだらないこと考えてる場合じゃない! 本当に命が掛かってるんだ! 何とか……何とかして止めないと。

 試しに手綱を引いてみたがびくともしなかった。となれば飛び降りるか? いや、自殺行為だやめよう……。じゃあ魔術を使って止めるか? いやいや待て待て! 今の状態で別の事に集中したら完全に馬から落ちる! そうならないとしても、また魔術が失敗して暴発でもしたら……。

 ああちくしょう! 良い手段が思い浮かばねぇ! っていうかこの現状で何も考えられないっての!
 
 そのとき、馬が一段と速度を速めた。
 風圧で飛ばされそうになり、俺はより一層体勢を低くして風の抵抗を減らす。どうやら急な傾斜を下っているらしく、その影響で馬の歩数が増えたらしかった。

 くっ……仕方ない! こうなったら一か八か、後ろの熱血バカ共に助けを求めるしかないか……。
 
 俺は手綱から片手を離し、後ろから追ってくる兵士たちに向かって大きく手を振った。バランスを崩せば転落する恐れもあるが、何もせず戦場に突っ込むより大分マシだ。
 視界の狭い仮面越しに後ろを見やると、先頭を馬で駆けていた一人の兵士と目が合った。他の兵士たちと比べて鎧の装飾が異なるからきっと隊長格なのだろう。
 俺の動作に気づいたのか、向こうも手を空に掲げた。

 良かった……。ちゃんと応答してくれた。このまま俺の意図に気づかれないで首を傾げられたらどうしようかと思っ――――――

「殿下の合図だっ! 軍旗を掲げよ!」

 おおおおおおおおおーーーー!!

 先頭を駆けていた兵士の指示で、集団の中から次々と大きな旗が揚がる。
 蒼と黒を原色とする、大きな鷹に似た鳥が描かれた繊細な絵柄。他にも祈りを捧げる長髪の女性を表した旗もいくつか見られた。どれも作りが凝ってるだけに、生地となった布も相当な値段なのだろう。 そんな高価な物をこんな危険極まりない戦場に持ってくるなんてけしからんっ!


 …ってそうじゃねええええええええええええええええええええええええええ!!!!

「よしっ、前衛の連携を崩す! 魔道士たちよ! 敵軍中央部に火弾ひだんを放てッ!」

 ――――我、火龍の意と力を汝の下示さん。望むは火弾。愚者を焼き尽くす焔と散れ――――

 魔道士たちの詠唱と思われる声がかすかに耳に届いた。いや、それは耳に届いたというよりも直接頭に響くようなはっきりとした小さな呪文の奏でだった気がする。

 ――――猛火乱球フレイムスフィア――――

 どちらにせよ、この時の俺はかなり錯乱していたため、事の進行のほどはよく覚えていない。ただ一つ記憶にくっきりと浮かぶのは、魔道士たちの詠唱後に感じた魔力の余波と、俺の頭上を弾丸のようなスピードで通過した複数の火炎玉であった。

 

                ===============
    

   
 圧殺、斬殺、溶殺ようさつ、殴殺、絞殺、焼殺、刺殺――――――


 空中を縦横無尽に駆ける飛竜隊はそのあらゆる殺戮手段を屈指し、レイニス筆頭のリディア軍を攻撃し続けていた。
 長い尾で兵士をなぎ払い、強靭な翼から発せられる突風ガストで地面に押しつぶし、鋭い鉤爪を振るって胴体を切り裂き、口内から放たれる強力な酸で人を形なきまでに溶かしきる……。

 それは戦場というより地獄だった。
 飛竜やつらに殺された兵士たちはすでに原型を留めていないものがほとんどで、リディア軍の前衛部隊はほぼ壊滅的なダメージを受けている。組織的集団として行動するにはあまりにも小規模というまでに弱体化していた。

 リディア軍の死者はすでに千人に上るだろう。二千人を上回るのも覚悟していなければならない。

 精神的苦痛をその一身に受け止め、レイニスは復讐の刃を振るい続けた。
 自ら招いたと言ってもいいこの襲撃戦。提案者は全てレイニスだった。そして彼に快くついて来てくれたのは他でもないリディアの勇敢な戦士たちなのである。愛する家族や友人、恋人を守るために散っていった兵士たちの意志を無駄にはできない。自分には彼らの生き様を見届ける義務があり、また同じくして愛する家族と国民を守る使命があるのだから。

「ぐああああ!!」

 そのとき、レイニスの背後を守っていた親衛隊の一人が曲刀カットラスの袈裟斬りを受けて倒れた。それを好期とばかりに空いた穴に殺到するランスロット兵士たち。それを防ぐため、さらに二人の親衛隊が盾と槍で迎撃した。
 両軍の魔術が空を飛び交い、電撃や火炎が戦場にばら撒かれる。あるときそれは木製の防御柵を吹き飛ばし、後衛の弓兵をその火の海に沈めた。
 
 ランスロット軍の弓兵が射掛けた矢が、詠唱するリディア軍の魔道士の頭を射抜く。その瞬間、魔道士の体内で循環していた魔力が一瞬にして膨れ上がり爆発。周囲の魔道士たちをも巻き込んで拡散した。
 大量のヴェラを体内に取り込む際発生する魔力酔いは、次々と魔道士たちの意識を刈りとっていく。不幸にも密集形態で隊列を組んでいた魔道士たちは、瞬く間にそのほとんどが深い眠りについてしまった。

「き、騎士団長ッ! 魔道士部隊が……!」
「くっ……暴発感染パンデミックを起こしたか……」

 仕方ないとばかりに、レイニスは首を振って兵士に向き直る。

「眠りの浅い者だけ起こすよう、手の空いている兵士たちに伝えろ! 意識のある魔道士は引き続き前衛の援護に回らせるんだ!」
「し、しかしそれでは――――!」
「我らには神聖祈祷師セイクリッドヒーラーがいない。昏睡状態の魔道士はもはや手遅れだ……」

 それだけ言うと、レイニスは兵士を突き飛ばして剣を頭上に投擲した。
 間を空ける暇もなく、甲高い悲鳴のような鳴き声があたりに響く。

「早くいけ! この戦いのかなめは魔道士たちだ! 彼らを全て失うわけにはいかないぞ!」
「りょ、了解しましたぁー!」

 裏返った声で返答した兵士は、つまずきながらも戦場を走り去っていった。
 少し遅れて兵士の居た場所を急降下したワイバーンが荒々しく着地する。

 そのわき腹には今しがたレイニスが投げた長剣が突き刺さっており、そこからどす黒い血がドクドクとあふれ出していた。その背に騎兵は乗っていない。恐らく弓兵の狙撃でも受けて墜落したのだろう。

 ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 ワイバーンはレイニスの方へ首をもたげ恨めしく吠える。
 その憎悪は主を討たれたことへの怒りか、それとも腹に刺さる異物の根源であるレイニスに対してか?
 
「私が憎いか? 醜き飛竜よ……」

 シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 飛竜は吠える。レイニスの言葉を逆にはねつけるかのように堂々と翼を広げ、レイニスを見下ろす。

「いい覚悟だ……」

 そう言ってレイニスは地面に転がる剣を掴み取った。記憶が正しければ、この剣は先ほどレイニスが切り伏せた敵兵のものであったはず。彼はこの戦いが始まってから今まで、自分が殺した兵士の数をきっちりと覚えていた。それが別段ランスロット軍だからという理由ではない。死と向き合うために、他人の命を安易に奪ったという自覚を、自らにけじめとして刻み付けるためだからである。
   
「それでこそ、私も思う存分貴様を屠ることができるっ!!」

 剣を構え、走り出そうと踏み切ったレイニス。
 翼を広げて待ち構える飛竜をその目に刻み、必ずや仕留めてみせると心に誓う。

 駆け出した足が最初の一歩を踏みしめた次の瞬間――――――


 ――――――炸裂する雷電スパークブラスト!!――――――

 
 頭に響く一文の完了呪文ジャッジスペル。間も空かずレイニスの全身を引きちぎれるような激痛が走った。ぜる地面。回転する景色の中で不規則に動く光の柱。飛び散る石片の雨。次いで襲った真っ暗な視界の中に映ったのは、こちらを見て微笑む妻と、その傍らで遊ぶ息子の姿だった。


               ===============
  
 
 俺は自分が嫌いだ。
 いつ、どうということに関係なく、今のままの自分が嫌いだ。

 現実から逃げる自分が嫌いだ。
 知ってて知らぬふりをする自分が嫌いだ。
 否定的な自分が嫌いだ。

 “俺”を“俺”じゃない別人に塗り替えた自分が大嫌いだ。


 それでも、俺は世界から消えてなくなりたいなんて思ったことはなかった。
 毎日が曇天の如くつまらない人生であっても、死んで終わらそうなんて考えたこともない。

 俺みたいなどうしようもない人間でも、生にだけは縋りついていたかった。
 理由は――――――これもまだわからないけど…………。

 
 



 オレンジ色の直線を描いて地面に着弾した火の玉は、周辺数メートル範囲を巨大な炎の塊で覆い尽くした。目も開けられないほど強烈な光が視界一面に広がり、人の絶叫と爆発音が互いに鼓膜を震わす。

「我らヴァレンシア王国の実力を見せつけよ! 突撃ぃぃぃぃいいいい!!」

 先頭を走る俺を追い越さんばかりに馬を駆ける兵士たちが、馬の脇に付けたストックから槍を引き抜いて前方に構えた。
 爆発の影響で煙に覆われているのにも関わらず、その進軍ぶりに迷いはない。軍人としてみっちり訓練されているのか、それとも皆戦場慣れした熟練の戦士なのか、はたまた闘争好きな単なる戦闘狂なのか、どれにしたって俺の今の心境とは正反対な人たちには変わりなさそうだった。


「な、何だっ!? リディア軍の奇襲部隊か!?」
「お、おい! あの旗を見ろ! 黒鷹と蒼い炎が――――――」
「まさか……嘘、だろ……?」
「……“王国の黒き尖兵軍ダーク・レギオン”。魔人アレンの率いる特攻精鋭部隊だ……」
「何故だ!? 何故ヴァレンシア軍がここに――――ぐわあああ!!」

 轟く銃声。
 突然胸を押さえて痙攣した兵士が、口から血を吐きながら仰向けに倒れた。
 
「っ……!?」

 喉まで出かけた悲鳴を寸前で堪え、俺は視線を逸らすことでなんとかやり過ごす。
 さらに連続で銃声音が響き、悲鳴や絶叫が再び起こった。

「奴ら“魔道銃”を所持しているぞ! 固まるんじゃない! 散開して各個撃破をねら――――――」

 銃声。

 逸らした視界の隅で、何かが倒れるのを見た気がした。

 いや、違う……。俺は何も見ていない。何も聞いちゃいない……!
 
 しかし刻々と近づく慌ただしい死の騒音が、俺の恐怖心をさらに焚き付ける。

 爆音。剣戟音。悲鳴。怒号。

 この場所に、俺が落ち着ける雰囲気な一切残っていなかった。まるで死神に心臓を鷲掴みにされたような、ひどい心臓の鼓動が身体を伝って聞こえてくる。

 そして遂に、俺の身体は暴走する馬に導かれ死地へと突っ込んだ。


               ===============

「ねぇ、ちちうえ。ちちうえはこの国をまもる騎士さまなんだよね?」

 丘陵に建てられた王城の内部。
 自然をそのままの形で残した広大な中庭の一角で、レイニスの家族たちはのどかなひと時を過ごしていた。
 息子のリンドに、妻のカトリーナ。二人とも、レイニスにとってかけがえのない宝物である。

 いつもと変わらぬ日常。いつもと同じ幸福な時間。
 それはレイニスが一番大切にしたかった小さな世界。王位を継いでも変わらず、未来永久ずっと一緒に居たいと願う一王子の小さな想い。

「そうだぞリンド。父はこの愛する国を守る騎士。誇り高きリディア王国の騎士なのだ」
「ほこ、り?」

 首を傾げ、困った顔でレイニスを見上げるリンド。
 その様子を椅子に座って眺めていたカトリーナは、胸を張って堂々と話すレイニスが可笑しく、つい小さく笑い声を漏らした。

「む? なんだカトリーナ?」
「あなた。リンドはまだ六才なのですよ。誇り高き騎士、ということをきちんと理解できていないのではありませんか?」
「う、うむ。それもそうか……」

 顎に手を当てて少し考えたあと、レイニスは困った表情のリンドの前に膝を突き、その小さな肩に手を乗せた。

「いいかリンド。誇りというのは、そのことを強く想うことから始めなければ何も生まれない」
「強く……おもう?」
「そうだ。自分が生涯大切にしたいことを、一番大切なものを、決して曲げずに精進して貫き通すんだ。他人の意志に左右されず、お前が一番大切にしたいものを命をかけて守り抜け」
「一番……たいせつ。いのちを、かけて……」

 父の言葉を心に刻むように、リンドはゆっくりと繰り返す。

「騎士というのは、その誇りを守ることに存在意義がある。守るものなくして、騎士というものは存在できないのだ」
「? え??」

 さらに首を傾げて戸惑う息子に、カトリーナはおろかレイニスまで苦笑する。

「はは…。まだお前には難しい事だったな」
「大丈夫だよ? ぼくにもちゃんとわかるもん」

 意地を張るリンドに、カトリーナは優しく答えた。

「安心なさい、リンド。あなたもいつか大人になったら、きっとお父様のおっしゃることがわかるようになるわ」
「本当!? ははうえ!」
「ええ、必ず」

  







「守るものなくして、騎士というものは存在できない……」  

 かつて父より授かったこの言葉。
 遠い昔、まだレイニスが幼少期だった頃に聞かされ、それ以来ずっと自分の生涯の目標として守り続けてきた尊い誇り。
 
 いついかなる時であっても、その教訓を忘れることは一度としてなかった。

「私は……誰のためにここにいる?」

 無論、守るべき者のため。

「私を怒りに染めたのは誰だ……」

 言うまでもない。我が父の尊き誇りを奪い、我が最愛の家族を脅迫した憎き北軍。

(私は…何のために戦っている?)

 レイニスは叫んだ。
 喉が張り裂けんばかりの大声で力強く。

「決まっている!! 守るべき者のためっ! 我が愛する国民たちのためだっ!」  

 硬い地面に剣を突き刺し、杖代わりにして立ち上がった。
 黒ずんだ視界の中堂々と胸を張り、全身を襲う激痛に歯を食いしばって堪える。

 レイニスと相対した飛竜は死んでいた。
 その身体から炎と煙を放ち、無残に焼け死んでいる。

 いつの間に死んだのか、そもそも誰が倒したのか、敵の魔術を受けて気を失っていたレイニスには知るよしもなかったが、面倒な敵が減ることに越したことはない。

 レイニスは大きく深呼吸し、小さく、しかし力強く声を発した。

「死にたくなければそこをどけ」

 物凄い気迫に押され、彼の周囲を円形に取り囲んだランスロットの兵士たちに少しばかり動揺の色が浮かぶ。
 だが彼らは動かなかった。
 リディア軍大将であるレイニスは、ランスロット軍人にとって見逃すことのできない最優先討伐対象である。上司より受けた命令は絶対であり、さらにレイニスを討った者には多大な功績が与えられるのだ。退くのが野暮というものだろう。

「聞こえなかったか? さっさとそこをどけ」

 レイニスが一歩踏み出す。

 それにあわせて、兵士たちが一歩後ろに下がる。

「や、やめろ! 無駄な抵抗はするな。貴殿が我らの捕虜となれば、その時点でこの戦は終わるんだぞ!」
 
 兵士たちの隊長格らしい一人の男が、勇敢にも前に進み出てレイニスを止めに掛かる。

「国を守りたいと思うのなら、直ちに武器を捨て降伏せよ! そうすれば、これ以上貴殿の兵に血が流れることはない!」
「黙れ! 私が捕虜になれば戦は終わるだと? 私達リディアの民をっ、この戦の発端に持ち込んだ貴様らがそれを言うのかっ! 罪なき国民たちを略奪という野蛮な行為の犠牲とし、王城に脅迫文を送りつけてまで我らの抗戦意欲を煽った貴様らランスロット軍人がっ!」

 いきなり大声で怒鳴り散らすレイニスに、ランスロットの兵士たちは慌てて武器を構え直した。
 いつ狂乱して襲い掛かってきてもおかしくないほどの怒気を彼から感じたのだろう。

 だがランスロット兵士たちも後には退けない。
 隊長格が怯みながらも果敢に反論する。

「わ、我らはあくまで上官殿の命令を遂行したまでのこと。ランスロット軍人として、上に立つ者の命令は絶対なのだ。私のような一下士官に選択の余地などない!」

 仕方がなかったのだ! と兵士は言う。
 しかしその発言が、レイニスの怒りをさらに増幅させた。

「なら何故抗わないっ!! 何故自分の意志と誇りを貫かなかったっ!」
「誇り、だと……?」
「ランスロットの軍人としての誇りは、みな全て上の者に屈することだけにあるのかっ! ただ上官の命令だからという理由でおのが意志を捨て、誇りを傷つけられてまでこなす任務だというのかっ! そこに一体どんな優越感がある? どんな存在価値が? 無条件に従うことのどこが光栄だというのだ? お前達は忠実に従うという意味を完全に履き違えている! ただ突きつけられた現実に恐れ慄いているだけだっ!」 
「あなたに何がわかる! 知った風な口をきくな!」

 肩を怒らせた兵士は、傷ついたレイニスに早足で迫った。
 もはや戦う力が残っていないことに気づいたのだろうか。歩みを進める兵士の足取りに迷いはない。
 自分を捉えようと伸ばされた手をただ眺めることしかできないことに腹が立ち、いっその事自害してしまおうかと考える。
 敵の手に落ちるくらいなら死んだほうがマシだ。自由のない捕虜に、意志も誇りもないのだから。

 レイニスは周囲を見回す。
 そこには未だ懸命に戦う同志たちの姿があった。
 彼らはまだ諦めていない。国を守るために立ち上がった勇敢な戦士たちは、その身がいくら傷ついても、決して逃げはしなかった。

 皆守りたいものがある。守りたい人がいる。
 自分を犠牲にし、命を懸けてまで守り抜きたい大切なものが彼らにはあった。

 今更レイニス一人が死んでも、彼らの決意は変わらないだろう。
 
「なら、私のすることはただ一つだ……」

 剣を引き抜き、伸ばされた手を刃で振り払う。
 間一髪手を引っ込めた兵士は、いきなりの反撃に面食らった様子だった。

「や、やめるんだ! あなたはもう戦える身体ではない。それ以上我々に刃向かうというのであれば、こちらとしてもあなたを討たねばならなくなる!」
「結構。ならば貴殿の気にするところではない」
「何……?」

 瞬間的に構えられた剣は、やがてゆっくりと自らの首筋へと当てられる。
 鋼鉄の冷たい感触が、じかに肌を通じてはっきりとわかった。


 死の直前が、そこにはあった。


「帰れなくてすまない。カトリーナ……リンド……」

 薄く閉じかけられる瞳。
 その中で、何事か叫びながら慌てて兵士が駆け寄ってくるのが見えた。
 その表情はとても絶望的で、顔も血と泥で汚れている。ランスロットの兵士だった。
 
 そこに響いたのは一発の銃声。
 
 うつ伏せに崩れ落ちる兵士の背後から現れたのは、黒い馬に跨った一人の騎士。否、黒いローブで身を包んだ魔道士である。
 
(何だ……? あれは、一体……)

 煙に覆われた戦場から次々と現れる白銀の戦士たち。その鎧の色はランスロットにもリディアにも合致しない。少なくともレイニスには見たことがなかった。

(いや、そんなはずがない。私はあの色を知っている。見間違いでなければ、あれはきっと……)

 煙の中からヌゥッと吐き出された一本の旗を視界に納め、レイニスはやっと納得した。
 それは黒の髪をなびかせた一人の女性像。胸元で手を組み、虚空を見つめる金の双眼は優しく戦場を見下ろしているようであった。
 
 彼女はレンシア・コンスタンチーヌ。
 ヴァレンシア王国の聖女にして、初代国王の后。
 
 そしてその旗を掲げる軍隊など、世界中どこを探しても一つしかない。

「ヴァレン…シア……王国軍……」

 桁違いの大音量で響く鬨の声に、レイニスの呟きを聞き届けた者はいなかった。 



 
 二十四話目終了…

 現在二十五話目を製作中です。
 本当は二作同時に投稿するつもりだったんですが、思いのほか長くなりすぎたので、先に二十四話を投稿することにしました。遅くなって誠に申し訳ありません。

 次話は今回よりももっと早く投稿できると思います。

 では、また次話で…
 


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