第九話・「憂鬱マシンガン」
横断歩道の白線の上に流れる鮮血の脈。それらは全てアスファルトの上で倒れる。一人の少年の血だった。
肋骨が腹を貫き破り外側へと剥き出しとなっており、頭を相当な勢いで強打したのか、赤いペンキの着いた刷毛で塗ったように顔全体が赤く染め上げられている。
赤い悪夢を塗り付けられた人々は、まさに混乱状態へと陥っていた。
声がする。反対側歩道から泣き叫ぶ一人の女性の姿が。きっと少年の母親だろう。
母親は少年の名を喉が引き千切るくらい泣き叫び続けた。
「シュウジ! シュウジ! いや! いやああ!」
泣き崩れる母親の思い届かず、少年は一切の光も受け付けない虚な瞳を空に向けたまま倒れている。
「――――」
少年が何かを口にしている?
今、口が動いたような……。
「――に――る」
やはり口を動かしている。
どうやら何かを口にしているようだ。そう、まるで遺言でも遺すようにだ。
「これで、楽に、なれる」
空は暗黒に塗り潰されように混沌に染め上げられる。
その少年の視界の中だけで。
少年の瞳はその物語を終えるように閉じられた。
己の命の物語が終わり、それは新たな物語の引き金を引く事となるだろう。
音もなく――一発の銃声が響いた。
それはまさにこの物語の開始を合図するように。
「こーらー! 掃除サボるなー!」
そこは、何の変哲もない見慣れた教室だ。
どうやら今は掃除中のようだ。教室にある全ての机を後ろに運び終えたところで、前半分のスペースを掃除している。
その場を仕切る活発な少女がいた。そこにいる全ての女の子が女らしい服装をしているのにも関わらず、オーバーオールという何とも男らしい服装を着ていた。まるで牧場で働いていそうなその恰好は周りが周りだけにより一層目立つ。
髪型はショートカット、両端に団子が二つリボンでまとめあげられている。
気の強そうな気質が体全体から溢れ出ており、存在するだけで周囲の男子を圧倒させ、口ごたえ一つ漏らさずに掃除をしている。最強故の“最恐“だ。
だが、そんなクラスの番長的位置に立つ少女でさえ、
「おっ、カンナもやるか!?」
カンナでさえ、その“二人“を手におえずにいた。
その二人は手に持つ箒を刀に見立てチャンバラごっこをしている。それだけでワンパクなイメージが窺える。
カンナは箒を強く握り締め、
「シュウジもアキラも……」
バトンを回すように箒を回転させながら努声とともに突撃してきた。
「ちゃんと掃除やりなさーい!!」
三本の箒と三人の男女が踊るその現場は、もはや掃除というものを無きものへと変えていた。というより掃除した意味がまるで無くなっている。
と、そんな事は毎日のように起きているので、クラスメートは止めに入るどころかむしろ声援を送っているほど楽しんでいるのだ。
で、これまたお約束のパターンで騒ぎ声を聞き付けた担任の先生がクラス全員に一喝入れる。
それらはまさに“日常の一部分“と化していた。
結局、時間足りずに掃除を大雑把に終わらせ、帰りの会となる。
大雑把に終わらせたせいか、教室のあちらこちらにストローの袋等が散らばっている。給食の余韻をそのまま引きずっているようだ。
三人はいつも仲が良く、廊下側の二列の最後尾に座るアキラとカンナとその前に座るシュウジ。彼らが非常にお喋りで授業を妨害したりしていることから、教員の間では悪の三角地帯と呼ばれていた。
そんなこんなで帰り会である今もクラス全体に響くような大声でお喋りをしている。
「――しかし危なかったよなー、昨日の“下弦の剣“」
“下弦の剣“とはシュウジとアキラの間で流行る新時代活劇のことだ。
他のクラスメートは早朝などにやっている特撮物や戦隊物に夢中になっているのだが、シュウジとアキラはそれとは真逆の趣向を持っていて、例えば殺すなどのショッキングなシーンはない特撮物や戦隊物だが、下弦の剣はズハズバと人を殺しており、二人はその少し大人なアニメを楽しんでいるのだ。まあ結局は子供騙しなアニメなのだが。
「昨日の黒幕は今までで一番手強かったもんな」
アキラは不気味にニヤけていた。恐らく昨日のそれを頭で再生しているのだろう。
カンナは二人が何に夢中になっているから知っているようだが、肝心の中身までは知らないため、一人話に乗れずにふくれあがっていた。
「いや、黒幕自体は苦戦するほどの相手じゃなかったよ。昨日のは敵陣での戦だったから状況がいつもより不利になってたから、それが苦戦の理由だよ」
「あー確かにそれは言えるな。頭蓋骨が灰になって地面を埋め尽くしてたもんな。あれじゃ本来の動きができないわな」
シュウジとアキラが自分を抜いて話しているのをみて、カンナは完全にすねていた。まさに子供のように。
二人が笑い声をあげている中、シュウジが脇目を向ける。カンナが不機嫌である事に気付く。
「そ、そういえば、その後のドラマも良かったよね」
そのドラマはカンナが好きなドラマだった。
「良かった! かなり良かった! 凄く良かった!」
カンナは何故か誇り高く語っていた。この話題なら自分もついていけるからだろうか?
しかし、それにしても随分と素人臭い感想だ。むしろ素人でもこんな感想は言わない。これは内容もクソもない無知の者の感想だ。
「良かったしかないのかよ」
アキラが呆れた声で言う。
カンナは握り拳を振り上げ、
「なによ! 別にいいじゃない!」
敵意を剥き出しにしていた。
しかしアキラはハイハイと大人の余裕を見せている。その余裕がカンナの怒りの導火線に火を着けてしまったらしく、鉄槌を下すように拳をアキラに向けて落とす。
が、直撃寸前のその腕をシュウジが掴み止めた。
シュウジは子供の悪戯に世話をやく親のように軽く溜め息をついた。だがその溜め息も束の間、悪の三角地帯に雷注意報が。
ドンドンドン、と鈍い音ともに落雷という名のゲンコツが三人の頭に落ちる。
痛みを喰い縛る三人の背後にはニヤニヤと不気味に微笑んだ担任の姿があった。抵抗したら何が起こるか分からない。
「日直ー、帰りの挨拶ー」
教卓へ足を進めながら、担任はそう言った。
買い食い禁止であるこの学校。シュウジとアキラとカンナの三人はそんな禁じられている事を毎日のように行っている。
帰り道の途中、駄菓子屋でもコンビニでもない小さな店がある。コンビニの半分くらいの広さだろうか。その広さに反してそこには菓子はもちろんのこと文房具や雑誌などの幅広い物が売られているのだ。
店前にベンチがある。一応駐車スペースとして使われているようだがそれも一台が限界だ。長く停まる事はない。
話を戻してベンチがあるわけだが、三人はそこに座って安い菓子を買って食べるのだ。
ちなみにこの店は学校とは逆方向。見つかることはない。
アキラは暑苦しそうな眼差しを空に向け、ほうけた口にアイスをくわえたまま、
「――これからどうする?」
と聞いてきた。
真ん中に座るカンナは前に飛び出し、背を向けたままベンチの前をぶらつく。
「アタシは帰るよ」
「何かあるの?」
とシュウジ。
カンナはくるりと前を向く。
「夏休み入ってすぐに旅行行くから、その準備をしなきゃ駄目なの」
アキラは退屈そうな声で、
「夏休みって……まだ一ヶ月も先の話じゃん」
と言うと、カンナは自慢気にこう口にした。
「大人には色々と考えがあるのよ」
シュウジとアキラは顔を合わせ軽く鼻で笑う。
それを見たカンナが照れ臭そうに『わ、笑うな!』と言い突進してきた。
三人は店の邪魔になる事も知らずにはしゃぎにはしゃいでいたのだった。やはり子供は子供だ。
「――シュウジは夏休みはどこか行くの?」
そこは住宅地。多くの家が立ち並ぶこの地にシュウジとカンナの家がある。ちなみにシュウジとカンナは自宅が隣同士だ。
「行かない。父ちゃんは締め切りで忙しいらしいし」
「売れっ子作家だもんね。シュウジのお父さん」
「まあそのせいで俺はどこにも行けないんだけどね」
はは、とカンナは軽く笑う。
シュウジは夕焼け空に視線を置き、
「まあ、“先輩“の家に遊びに行けるからいいや」
と歌うように口にした。
カンナは少しだけムスッとした表情をしている。
どうやら微妙な三角関係があるようだ。
ちなみにシュウジの父親は小説家だ。売れっ子とまでは言わないが処女作が数十万部のヒットとなり、既に次回作を追われているようだ。
カンナは家の前に止まり、
「じゃあまた明日」
シュウジに軽く手を振る。
「おう、じゃっ!」
そして、シュウジとカンナは別れた。
シュウジは自宅の玄関の前に歩む。ポケットから鍵を取り出す。
鍵を差し込み回す。扉を開けようとすると、
「あれ、開いてたのか?」
既に、扉は開いていた。
つまり鍵を開けたつもりが逆に閉まってしまったのだ。
再び鍵を開けて、今度こそ家の中に入る。
が、次の瞬間――、
「うわっ、タマ!」
茶色と白の混じった猫が飛び出てきた。
そのまま外へ出て行ってしまった。シュウジはその姿を目で追う。
「どうしたんだろ、タマ。とにかく早く追いかけないと――」
ダンッ!
通路の先、リビングルームの方で強く足踏んだような音が聞こえた。
シュウジは靴を投げ捨て、そのリビングルームへと足を踏み込んだ。
赤い絨毯の上に置かれたガラスのテーブル。それを囲むように黒いソファーがある。
「お、お母さん?」
シュウジの母は父の事をソファーの上に押し倒していた。心臓マッサージをするように強く胸を押すようにして。
不気味にぶら下がる母の髪がすくりと上がる。
「シュウジ、お母さんね」
外れたその手は、真っ赤に染まっていた。
黄昏時の室内は橙色の陽射しがブラインドの隙間にそって差し込んでいる。
ゼブラ模様のように黒のソファーの上に橙色の日差しが写り込む。
だが、そこにはもう一つ色があった。
夕陽のように真っ赤な色が。
シュウジの父の胸に刺さる包丁を中心に染めあげられていた。
ゆらりゆらりと不気味に忍び寄る母の目はまるで生きてない。
シュウジの手足は震えていた。今にも泣きそうな顔、実の父の死を目にして嘔吐しそうだ。
体中の繊細な糸が、音もなく切れた。
優しく抱きついてきた。実の母を目にして。
実の母の手は実の父の血で染まっている。
「“疲れちゃったよ“」
シュウジの母はそう言い残し、子の胸板から一気にずれ下がり、
「――――」
悪夢を塗り付けるように、シュウジの服には血が塗り付けられていた。
「ぅぁっ、あっ……」
一歩また一歩と恐怖に引きずられる。
鮮血だよ。そう、鮮やかな人の血さ。手前の父親のね。
「アアアアアアアアアアアア」
バチン――、という音も聞こえずにスイッチは落とされた。
精神崩壊へのスイッチが。
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