第一話・「最終回」
――最後まで大事に育てようと思った。
くもり一つない晴天の夏。
歩行者信号が赤く点滅していたのにも関わらず、一人の少年は車道に飛び出た猫を追っていた。
クラクションが鳴り響く。その騒音は少年に向けられる。
反対側の歩道に渡り終えた猫だが、少年は車道の中心で立ち止まっていた。
依然として鳴り止まないクラクション。
急ブレーキを掛けたのもむなしく、その場には一発、ドン! と鼓膜を突き刺す衝突音が貫く。
車道に流れ出る血。だがそれは、少年の血では無かった。
少年は泣き叫んでいた。何度も何度もその“実の母“の名を呼び続けながら。
辺りに人だかりが生まれ、囲いの中心にいる少年とその少年をかばって倒れた母を眺めている。
慌てはためくその事故現場は軽い混乱状態に陥っていた。
焦点こそ当てられてないが、ぶつけてしまった車の中でもだ。
一家団欒で出掛けるつもりだったのだろう。ぶつけた車の中には、父母それに姉妹二人乗車している。
だが、後部座席に乗車していた妹が頭部から血を流して意識を失っていた。
流血した妹を見て、姉は怯えている。
流血する実の妹。何より、自分の服にじんわりと染み込んだ。実の妹の血を見てしまったからだろう。
現場は騒然としていた。
誰かが救急車を呼んだおかげで怪我人は搬送されたが、救急隊は眉をしかめていた。
事故現場は嵐が過ぎ去ったように、何事もなく運転が再開されていた。
後日、少年の母は出血多量によりこの世を後にした。
そして、乗車していた妹も意識不明の重体に陥った後、息を引き取った。
この人身事故により、二人の命が失われたのだった。
余談にはなるが、あの猫は少年の家で飼っているものではなく、少年の隣に住む幼なじみのものであったという。
どうやら、隣の家の者達は一家全員で旅行に行っていたらしく、家を空けている間だけ猫を預かってもらっていたようだ。
――憧れの人が自殺した。
冬場頃の午後四時ともなると、もうすでに日が暮れている。
学校の規定により文化系の部活は五時まで、運動系の部活は五時半までしか部活はできなかった。
校舎の中でも比較的に使用されることのない教室がある。
そこが先輩の、憧れの人のいる『文藝部』の活動場所だった。
中学に上がった少年は、その先輩に恋愛感情を抱いていた。
セーラー服が似合う女性で身長も割と大きい。髪型はストレートで髪色は黒一色。動く度にしなやかに流麗するその黒髪からは、少年が知りそうにもない。シャンプーの匂いが香り立たせていた。
痩せ細った体で体調を崩すこともしばしば、おまけに怪しい薬を沢山飲んでいたりする。
いつも瞼が重く、常に眠そうな眼しかしていない。
そんな先輩は、いつも手首にリストバンドをはめていた。
少年にとってその先輩は、自分の知らないことを知っている。そんな未知を抱かせてくれる存在なのだ。
だから、きっと手首にリストバンドもオシャレか何かかと思っていた。
だけど、その日の部活で少年の抱いていたもの全てが崩れ落ちた。
荷物置き場にされていて、十分なスペースを与えられていない。狭っ苦しい部室。
そこは、少年と先輩との秘密基地のような存在。お菓子を持ち寄ったり、カードゲームやボードゲームをしたり、互いに悩み事を打ち明けたり人に言えないようなことをしたり……と、少年と先輩の憩いの場であった。
いつも通り開けた扉の先には、真っ赤な水の入ったバケツ。そのバケツに手を突っ込んだまま、ぐったりとしている先輩の姿があった。
恐る恐る足を進め、バケツの中を覗いて見る。
リストバンドをはめていた方の腕。リストバンドで隠れていたから気づけなかった。
幾重にも切傷が重なる痕があったことを。
まだ比較的に生暖かい切口からは、血が溢れ出ていた。
先輩の体重を支えきれなくなったバケツがガッシャンと、テーブルの下に落下する。
中身を溢した後の空っぽのバケツ。そして、ぐったりとした先輩、憧れの人の冷たい姿。
薬物に依存し、リストカットが絶えない毎日を平然と嘘をつくように送る。それが、少年の初恋の女性の本当の姿だった。
切った箇所や深くいってしまったことが原因で、先輩は出血多量により亡くなった。
余談にはなるが、先輩は生まれてこの月、異性に恋愛感情を抱いたことがなかったらしい。
だけど、ある日を境に急にオシャレに気を遣うようになったようだ。
少年が先輩と接したその日から、死ぬまでずっとだ。
最後に見た先輩の顔は、白く美しい顔をしていた。
――ずっと“友達“であると信じていた。
『だから、俺は、お前を殺す』
今思えばそう、始まりはあの日の交通事故から始まっていた。
その始まりは今、一ニ年という長い月日を越え、終わりを迎えようとしている。
これは、神の書いた筋書きか?
それとも、悪魔の書いた筋書きか?
『ありがとう。シュウジ。――お前は、ずっと“友達“だ』
鮮血が手に染まる。
ああ、お前が書いた筋書きなんだな。
|