46.涙のありがとう
エミリー、セレストとの三人でセレンダンジョンに入った。
「むぅ」
足を踏み入れた瞬間、おれは思わずうめいた。
空気がよどんでるって言うか。
梅雨の時期にべっとりと肌に張り付く空気、あれの十倍、いや百倍はひどいもの。
息苦しくて、動くのがおっくうで、ここから逃げ出したくなる空気。
「ダンジョンって、こんなに気持ち悪いものなの?」
「そんなことはない、すくなくともここは昨日までこんなんじゃなかった」
「これはモンスターが全然いない時のダンジョンの空気です」
エミリーが真顔で答えた。
「ダンジョンマスターが出てる時こんな空気になるです」
「知ってるのか?」
「テルルで何回かあったことがあるです。最初はわからなくて討伐の人に言われて逃げたです」
「なるほど、ダンジョンに住んでたもんなあの頃は」
納得して、まわりを見回す。
空気が重いのもさることながら。
「モンスターがまったく見当たらないな、これもダンジョンマスターがでてるせいか?」
「はいです、それが出てるうちは他のモンスターが出ないです」
「早く倒さないとな」
ダンジョンマスターがいるかどうかはともかく、この世界でモンスターが出ないのは致命的だ。
あらゆる物資、水や空気に至るまで全てがダンジョンのモンスターからドロップされる世界。
モンスターが出ないというのは第一次産業が完全にストップするということだ。
「ダンジョンマスターは……たしか全ての階層を自由に移動出来るんだっけ」
「はいです、ダンジョンから出られないのは他のモンスターと一緒です、でもダンジョンマスターだけ階層を自由に行き来出来るのです」
「どこにいるのか地道に探すしかないか」
二人とうなずき合って、歩き出した。
戦闘態勢をとったまま、ダンジョンの奥に向かう。
地下一階、何もなかった。
地下二階も同じように、何もなかった。
そうして足を踏み入れた地下三階。
「――っ! いる」
「はい、です」
「息がくるしい……」
エミリーもセレストもつらそうだった。
それもそのはず、地下三階に入った途端、今までにない強烈なプレッシャーを感じた。
さっきまでのが子供だましだった、と言わんばかりの強烈な威圧感だ。
銃を握り直して、二人と頷きあって、先に進む。
向こうから現われてくれた。
禍々しさを主張しているかの様な黒い馬、巨体の上に、頭のてっぺんには二本の角が生えている。
「こいつがダンジョンマスターか」
「バイコーン……別の名を『純潔を汚す者』」
「バイコーンか――とにかくやるぞ」
「はい!」
「はいです!」
まずはエミリーが飛び出した。
130センチの小柄な体でハンマーを担いで飛びかかり、空中でそのハンマーをくるくるぶん回してから振り落とした。
ハンマーはバイコーンの頭に直撃――と思いきや、二本角のわずか上に止められていた。
「エミリー!」
バイコーンがハンマーをはじき、エミリーの体を角で突こうとした。
銃弾を連射して動きを止める、エミリーはハンマーの反動で飛び退く。
地を蹴って、ダッシュで突っ込んだ。
慣れた手つきで、瞬時に銃弾を全部追尾弾に詰め替えて、両手を水平に突き出して左右に連射した。
バイコーンが一瞬だけ戸惑った。
左右にばらまいた十数発の弾丸がホーミングミサイルの如く、弧状の軌道を描いてバイコーンに吸い込まれていく。
同時に肉薄して、蹴り飛ばした。
追尾弾がまとめて着弾した片方の角に向かって、装填しなおした融合の貫通弾を打ち込む。
が。
「効かない? バリアかなんかか?」
「手応えが全然なかったです」
エミリーの時もおれの時も、バイコーンの角への攻撃は見えない何かによってはじかれている感じだ。
「とにかく攻め続けよう。セレスト、援護を頼む」
「分かったわ」
最後尾にいるセレストが頷き、魔力を高めた。
魔法陣を広げ、詠唱の後魔法を放つ。
レベル3の大魔法、洞窟内を埋め尽くす勢いで炎がバイコーンを呑み込む。
これで倒せるとは思えない、おれとエミリーは渦巻く炎の中に飛び込んでいった。
バイコーンは倒れてなかった、そいつに向かって猛攻をしかける。
エミリーはハンマーをたたきつけて、おれは銃弾を撃ち込みつつ、肉弾戦もしかける。
「きゃっ!」
「エミリー!」
反撃を喰らったエミリーにすかさず回復弾を撃ち込む。
空中で角に脇腹をえぐられたが、着地したときはもう治っていた。
「ありがとうです」
「無茶はするな」
「はいです!」
「セレストは気にせず魔法をどんどん撃ってくれ! こいつに半端な攻撃は効かない!」
「わかった!」
三回目の波状攻撃。
おれ達は全力をだしてバイコーンに挑んだ。
徐々にだが、手応えはあった。
バイコーンのまわりに何か見えないバリアみたいなのがあるが、一定以上の攻撃を加えるとそれが徐々に弱くなって、攻撃に手応えがでてくる。
一息ついて再攻撃したらバリアは元に戻ってしまう。
多分、飽和攻撃で破れるタイプのバリアなんだろう。
ならば、一気に押せば――。
「……ぁ」
視界の隅でセレストが倒れかかってるのが見えた。
駆けつけて、抱き留めつつ回復弾を撃ち込む。
大抵のケガは一発で足りるが、魔力の使いすぎは数発じゃないと回復しきらない。
おれは抱き留めたまま、銃口を押しつけて回復弾を連打する。
「ごめんなさい、わたし……足を引っ張ってる」
「きにするな。無茶して倒れたらつらいだろ」
「え?」
「倒れるまで頑張らなくていい――むっ」
セレストを助ける為に離脱したせいでエミリーが苦戦していた。
銃を握り直して、セレストを立たせて、戦線に復帰する。
壁際に吹っ飛ばされたエミリーに駆け寄る。
「大丈夫かエミリー」
「なんかおかしいです」
「おかしい?」
「あれです」
エミリーがバイコーンの足元をさした。
黒い馬の四本足から妙な魔法陣が広がっている。
いつの間に出したのか、魔法陣は広がって、洞窟のほとんどを占めていた。
「いつの間にあんなのが出てたんだ?」
「分からないです……あっ」
「どうした……むっ」
エミリーが立ち上がろうと壁に手をついたのだが、そのついた場所にナウボードがあった。
体を起こすために力を入れたのが、ナウボードを作動させた。
そこに表示されたステータスが、
―――1/2―――
レベル:22/40
HP C(-2)
MP F(-2)
力 C(-2)
体力 E(-2)
知性 F(-2)
精神 F(-2)
速さ F(-2)
器用 F(-2)
運 F(-2)
―――――――――
能力が軒並み下がっていた。
エミリーの中でずば抜けて高いHPと力以外、ほとんど最低に近いところまで下がっていた。
「純潔を汚す者……」
「――っ!」
エミリーのつぶやきにハッとする。
そうか、これがバイコーンの力、この魔法陣の力か。
魔法陣の中にいる人間の力を下げるデバフを持ったダンジョンマスター。
「ヨーダさんは大丈夫ですか?」
「セレスト」
「ええ!」
セレストがインフェルノで足止めしてる間、おれもナウボードで能力を確認。
―――1/2―――
レベル:1/1
HP S
MP F(ー2)
力 S
体力 F(ー2)
知性 F(ー2)
精神 F(ー2)
速さ C(ー2)
器用 F(ー2)
運 F(ー2)
―――――――――
Sまで上がった能力は影響を受けなかった、多分、Sはおれだけで、この世界の摂理から離れているからだろう。
同時にSまであげてない速さAがしっかりバイコーンに下げられていた。
下げられはしたが、それでもおれはまだ戦える。
「エミリー、おれが前にでる。エミリーはフォローしてくれ」
「はいです」
「セレスト――」
呼びかけつつ、回復弾を早めに撃ち込む。
「援護を頼む、無茶はするな」
「――うん」
二人にそう言って、おれは、炎の中から出てきたバイコーンに飛びかかっていった。
魔法陣を意識しはじめたからか、体の動きが鈍くなっていくのをまざまざと実感した。
攻撃の切り返しが遅くなって、銃弾のリロードに手間取る場面も出た。
攻撃そのものが当たらなくなってさっきより苦戦に陥った。
それでも力は、力は下がってない。
Sのままだから当てれば、当てて一気に叩き込めば倒せる。
そう思いつつも、打開策が見えないでいた。
戦いは泥沼になった。
☆(sideセレスト)
セレストのまわりに、今までそういう人間はいなかった。
彼女にそんな言葉をかけてくる相手は皆無だった、むしろ反対の言葉をよく言われた。
倒れるな、やる事をしっかりやれ。
もっとひどい時は「病気になるときは先に言え」、「忙しい時期抜けてから倒れろ」と言われた事もあった。
今まではそれを間違ってるとは思わなかった。
自分の魔法がアンバランスで欠陥ありというのもあって、またゴミ処理というみんなの生活に関わってることもあって。
倒れてはいけない、頑張らなきゃいけないと思ってきた。
しかし目の前の男は違った、頑張らなくてもいいと言った。
頑張りすぎて倒れたらつらいだろ、とまで言ってくれた。
そんな事を言ってくれた男は初めてだ、胸を打たれて、強く惹かれた。
「彼のために……彼のために頑張りたい」
矛盾、しかし素直な気持ちだ。
頑張らなくていいと初めて言ってくれた男の為にこそ、限界を超えるまで頑張りたい。
「力を」
セレストは限界まで力を振り絞った。
「わたしの全部を」
光の魔法陣が、バイコーンの魔法陣を押し返していった。
☆
「ヨーダさん!」
このままじゃじり貧か――と思いはじめたころ、エミリーがすごい勢いで叫んだ。
どうしたんだと振り向くと、離れた後方にいるセレストが魔法を唱えていた。
その姿は普通じゃなかった――長くて美しい髪が燃えていた。
「セレスト!?」
「行きます!」
セレストが言った瞬間、魔力がはじけた。
とっさに飛び下がった、バイコーンから距離をとった。
そのバイコーンが炎に包まれた、渦巻く火球に呑み込まれた。
地面の魔法陣がものすごい勢いで色あせていく。
セレストがふら……と倒れそうになった。
「セレスト!」
「――ヨーダさん!」
再びエミリーの叫び、何かがものすごい勢いでおれにせまる。
とっさにキャッチする――エミリーのハンマーだ。
それをおれに投げつけたエミリーはセレストに走った。
「――っ!」
歯を食いしばって、息を吸い込んで。
思った以上にずっしりくるハンマーをしっかり握り締めて、未だ燃えているバイコーンに突っ込んでいき、ハンマーを振り下ろす。
Sのままの力で、エミリーのハンマーをたたきつける。
ハンマーの先端から薄皮一枚になったバリアをたたき割った手応えが伝わってきた。
やがて炎が消えて、黒い馬は体が粉々に砕け散った。
二本の角だけを残して。
☆
倒れているセレストの元にやってきた。
エミリーに介抱されてる彼女はひどく衰弱している。
出会った時と同じような、しかしそれよりも遥かに衰弱している。
バイコーンを焼き尽くした業炎、限界以上に魔力をつかった――と簡単に想像がついた。
彼女に銃を当てて、注射器の如く回復弾を撃ち込む。
一発、二発、三発……。
マガジンが空になってもまだ回復しきらず、もうワンセット撃ってようやく回復した。
どれだけ無茶したのか、それだけでもよく分かる。
いろいろ言いたい事はあるが、それはぐっと堪えた。
「ありがとうセレスト、おかげでそいつを倒せた」
「わたし、役に立てた?」
「もちろんだ、君がいてよかった」
セレストは目を見開いて、そのまま涙がこぼれた。
「ど、どうしたんだ」
「そんなこと、言われたのはじめてだから……」
「そ、そうか」
おれはちょっと慌てた、泣かれるとは思ってなかった。
どうにかしないと、泣き止ませないと。
そう思ってあたふたしてると、ふと、さっき拾ったものを思い出した。
「そうだ、これをキミに」
「……これは?」
「バイコーンが残したもの……ドロップ品だろう」
おれが差し出したのは、さっき拾ったバイコーンの二本角。
オリジナルより二回り小さい、指くらいのサイズになってる。
「これを……わたしに?」
「ああ」
「あっ、二つあるから片方はエミリーに」
「いやそれは二本でワンセットだ。それにキミが持った方がふさわしいと思う」
「わたしが?」
「受け取ってくれ、それで分かる」
「……?」
セレストは狐につままれた表情のまま、おそるおそるおれの手からバイコーンの角を受け取る。
手にした瞬間、驚きに目を見開かせる。
「分かっただろう――ってなんでまた泣く!?」
バイコーンの角を持って、さっき以上にボロボロと涙を流すセレストにおれは大慌てになった。
バイコーンの角、バイコーンホーン。
能力は、持っているだけでレベル1の魔法を無制限に使えるもの。
レベル3しか使えないセレストの日常のフォローにちょうどいいと思って渡したんだけど、何故かものすごく泣かれた。
そんなセレストを、エミリーが優しく抱きしめた。
セレストはエミリーにしがみついて、泣きじゃくった。
大きな子供と小さなお母さん、そんな風に見えた。
本当、どうしたんだろう。
「セレストさん。ヨーダさんが困ってますから、いまのその気持ちをちゃんと言葉にしなきゃだめなのです」
「うん……」
セレストは顔をあげて、手の甲で涙を拭いつつ、おれをみつめた。
そして。
「ありがとう」
と、ゆっくりと、静かに、はっきりと。
おれに、そう言ったのだった。
虚を突かれた、ありがとう?
って事は――。
「はいです、うれし涙なのですよー」
「うわあ、い、言わないで! それを言わないで!」
セレストは大慌てでエミリーの口を塞ごうとした――いや言った後に塞いでも。
でも、そうか。
そういうことなら、と思わずくすりとなった。
最後にちょっとしたハプニングがあったけど、セレストの違った一面も見られて。
ダンジョンマスター討伐も、無事に成功したのだった。