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一度「番外編」として投稿した話ですが、全体の構成上、本編53話として投稿し直しました。第一部最終話です。
愛しき者へ
 夏の宵はまだ明るいまま、空が月を抱いている。
 家路に続く森の中は静かで、足取りのおぼつかない魔法使いとその守護者を、姿の無い者たちが息を潜めて見守っていた。

「まったく口ばっかりでろくなことにならないんだから。ほら、しっかり歩きなさいよ」
「君に支えられて歩くのはこれで何度目かな。悪くないね、こういうのは」
 赤毛の竜人エレインは口の減らない契約主を睨んだ。
「オーリ、あたしはあなたの“守護者"であってお守り係じゃないんだけど!」
「恩にきてる」
 見上げるオーリの顔は笑っているが、長髪の影のせいか酷く疲れて見える。無理も無い。ついさっきまで杖とローブだけて竜人の剣と闘っていたのだから。
「こんな無茶な奴を師匠に持ったんじゃ、ステファンも苦労するわね。だいたい十歳の子に自分の力を制御しなさいと言ったって、理解できると思う?」
「ふふ、どうだろうね、今頃悩んでるだろうな。けど僕はステフの素直さに賭けるよ。アドルフの奴が聞いたら、綺麗ごとだ、理想論だと笑うかもしれないが、理想すら持たない魔法なんて、じゃ、どこへ向かうんだ? ハッタリやごまかしでああ言ったんじゃない、もう二度と執行者憑きの犠牲者なんて見たくないんだ」
 肩を借りるというよりは、ほとんどエレインに抱えられるようにして歩くオーリの目は、明るい空の色だ。
 けれど、とエレインは眉をひそめた。
「オーリ、ちょっと限界超えたんじゃない? 部屋まで担いでいこうか」
 魔法使いは笑って首を振った。
「それはないだろう。このあいだ君にさんざん泣きごとを言っただけでも情けないってのに、この上マーシャやステフの前で、みっともない姿見せろって? 庭まで運んでくれればいいよ」
 
 森を抜けると、庭に続く小道の脇に白い天使像が彫りこまれた石のベンチがある。エレインはそこにオーリを座らせた。
「なんか……急に眠くなってきた。ここで少し休んで帰るよ……いいから君は……先に……帰れ……」
 オーリはそこまで言うとストンと眠りに落ちた。
「あーっもう、言わんこっちゃない! こら!」
 石のベンチに転げるように眠りこんだオーリを、エレインは慌てて揺すった。
「慣れないことするからよ。ケガ人を置いて帰れるわけないじゃない、起きなさいってば!」
 通常の眠り方ではない。まるで身体中が脱力したようにぐにゃぐにゃとして、座らせておくことさえ難しい。エレインは顔を近づけて呼吸を数えた。
 この急速な深い眠り方は、何かに似ている。人間共の誇る電気機械の脆さと同じだ。以前、家の中で一度に大量の電力を使ってしまい、ヒューズがふっ飛んで大騒ぎしたことを、エレインは覚えていた。あんな風に、オーリもまた魔力を一度に使いすぎて“停電”を起こしたようになってしまう不器用なところがある。こうして深い眠りにつくのは、魔力を回復するためのひとつの防衛反応だということは、まあ理解できる。竜人の場合、さらにその先に死に近い眠りがあり、それゆえ新月の夜は再生の夜でもあるのだが――オーリは竜人ではない。それでなくともこんな場所で眠ってしまうような無防備さには呆れる外ない。
(あたしが剣を持ってるってこと、忘れてるんじゃない? それとも契約印くらいで裏切りを防げるとでも?)
 試みに、冷たい刀身を鞘から抜いてぴたぴたとオーリの頬を叩いてみる。眠りこける長身の魔法使いは無反応のままだ。エレインは哀れむように笑い、再び剣を鞘に収めた。
 
 庭木の向こうに見える白い家の、開け放した二階の窓は、オーリの寝室だ。近くまで木の枝が伸びている。
(オーリを背負ってあの木に登れば、枝から窓に飛び移れる。そのままベッドに放り込んだら、あたしは地面に飛び降りればいい)
 そのくらいのことは、造作もない。けれどそれはそれで、オーリは目覚めてから「みっともない」思いに沈むことになるだろう。
「仕方ない、一時間くらい付き合ってやるかな」
 エレインはオーリの隣に座ると、自分の膝に頭を乗せてやった。
 
 本当はもっと早く、こうしてあげられれば良かったのに、とエレインは苦く笑った。
 先日の雨の夜、部屋に訪ねてきたオーリの落ち込みようは見ていられなかった。
 魔法使いたちが世界中を巻き込むような大戦に利用されてきたのは知っていたが、オーリの母のことは初めて聞いた。あの様子だと“執行者憑き”というやっかいな問題と彼の母親の死は何らかの関わりがあるのだろう。もしそうなら、ステファンの力に気付いた時のショックは容易に想像がつく。いつもは腹が立つほどキザで自信たっぷりなオーリが、まるで魔力を全て失ったかのような顔を見せた時には、驚きを通り越して哀しくなった。
 あの時、オーリが救いを求めて来たことくらい、わかっていた。
 けれど安直な慰めなど、何になるだろう? それよりも剣を突きつけて気合を入れるほうがいくらか役に立つだろう、そう思った。
 だがその結果はどうだ。オーリに、まるで自分を追い込むような無茶な行動をさせてしまったではないか。いつも涼しげに笑顔を見せるこの魔法使いが、自虐的な一面も持つことは知っていたのに。ステファンの目の前で決闘まがいの勝負をしてみせて、エレインが自分の攻撃性をいかに制御しているかを学ばせよう、と昨日オーリが提案してきた時、止めさせるべきだったのだ。
 確かに、理屈で教えるよりは実際の手本を見せるほうが良いかもしれない。だけど他にもっと方法がなかっただろうか? 竜人と人間では歴然とした力の差がある。それを埋めようとすれば、おのずとオーリは体力も魔力も大量に消耗することになることくらい、自分で分かっていただろうに。まして彼は武人ではない、画家だ。多少鍛えているとはいえ、格闘などとは縁遠い人間のはずだ。
(わざわざ契約印を消してまで……まったくふざけてる)
 エレインは膝の上で子どものような顔を見せて眠るオーリを見つめた。
 生まれつきなのだろうが、黒髪の中に幾筋もの銀髪が混じり、この国の人間よりいささか淡白な造りの顔立ちは、彼を年齢不詳に見せている。
 東と西。幼と老。愚直と狡猾。色んな要素が奇妙に混じるこの魔法使いは、人間から見ても変わり者なのだろうか。
 でも、弱いくせに。力も、心も、本当は弱いくせに。
 持てる力以上に無理をし、何もかも背負い込んで無理をし、弟子のステファンや家政婦のマーシャの前では「わたし」口調の大人として無理をする彼は、なんと面倒な生き方をする人なのだろう。痛々しいというか、単に「馬鹿」というべきか。それもまた、オーリらしいところではあるけど。
  
 アドルフの裏切りに遭った時もそうだった。まだ十三だったあの子から刀傷を受けたのは、守護者としての自分の勘が未熟だったからなのに。放っておいてくれて良かったものを。
 魔力の消えた竜人の命を繋ぐためにオーリは誰と、どんな取引をしたのか。愚かにも彼はあの時、代償として彩色の力を失ったのだ。そしてエレイン自身もまた命の代償として、感情の一部を失ったに違いない。マーシャが言うには、あの事件までのオーリとエレインは、そのまま恋仲に進むかに見えたそうだが――もうそんなことは思い出せない。新月が来るたびに、オーリは懸命に失くしたものを取り戻そうとするかのように振舞うが、それすらもエレインの心の表面を上滑りしていくばかりだ。
 だから、彼が契約の印を元に戻す直前、何かを言おうとしたのを見たときには舌打ちする思いだった。届かない想いを口に出せは、それは跳ね返る刃のようにオーリ自身を傷つけるだろうに。
 そう、失ったものを追いかけるなど、無駄なこと。太陽や月が淡々とそらの道を進むように、前だけ向いて生きれば良い。竜人と人間は所詮違う種の生き物だ。寿命も違うし、ずっと共に生きられるわけがない。ならばその限られた期間は、はあくまでも“魔法使い”と“守護者”としてお互いの傍に居られればいい。なぜ、オーリは割り切ってくれないのか。思うに、彼は余計な感情を引きずってばかりだから弱いのだ。
 
 庭草の中で虫たちが鳴いている。虫はいい。虚勢を張ることも無理をすることもなく、自然に命ぜられるまま、精一杯の今の自分を生きればいいのだから。 
 エレインは知らず知らず、オーリの髪を指で梳きながら竜人の子守唄を小声で歌っていた。夕空から白い月が見下ろしている。
――月が高く上るまでオーリの目が覚めなかったら、今度こそ二階の窓から放り込んでやろう。
 そしてステファンに言ってやるのだ。
 力を制御するのは難しいことではない。ただただ、自分が大事に思う者を護ること、それだけを心の中心に据えればいい、と。
 今の自分がどうであれ、オーリローリという魔法使いに出会えたのは間違いなく幸運な事なのだ、と。
あれやこれや未解決のままですが(汗)ステファン十歳編としての第一部は一応終わりです。続いて第二部:杖編が新たに始まります。
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