インドマグロ 樋川真
はじまりはネットオークションだった。
晶はPCの画面に映し出されたオルゴールに一目惚れし、
欲しくてたまらなくなった。
それは麻薬を打たれた者のようで、晶は寝ても覚めても
そのオルゴールを手に入れることばかり考えていた。
晶はネットオークションで件のオルゴールを競り落とし
た人にそのオルゴールを何とか譲ってはもらえないだろう
かと思案した。
晶の相棒、徹が長崎オルゴール館でそれとおぼしきオル
ゴールを見つけ、店の人の許可を得てそのオルゴールの動
画を送ってきたがそれではなかった。
しかしそれも気に入った晶はそのオルゴールも買ってき
てくれるように徹に頼んだ。
晶は欲しがっていたオルゴールを手に入れるまでは寝て
も覚めても欲しいと言って聞かないので、徹はそれとおぼ
しきオルゴールを買って帰ったのだが、晶は満足していな
い様だった。
徹はそんな晶を見てため息をついて、あいだみつをの言
葉を引用してあれもこれも欲しがるもんじゃないと言って
はみたものの、晶が欲しいと言っているオルゴールをマグ
ロにたとえるならさしずめインドマグロで、徹の買ってき
たオルゴールはマグロならメバチマグロだったわけである。
晶は欲しいと思ったら手に入れずにはおかない性分で、
その物欲はとても強いものがあり、徹は自分にそれほど物
欲がないのでよくはわからないのだが、インドマグロに限
らずしつこくその物が手に入るまで晶の物欲にまかせたあ
れ欲しいこれ欲しいという言葉を徹は聞かされている。
困ったことに現在の所、世間は晶に甘いので、晶は欲し
いと言った物のうちのかなりの割合の物をその手中にして
いる。
徹はそうやって集めに集めた晶の所望品を伴に鑑賞する
ことがあり、よくもまあ集めたものだと思うことが多い。
徹が長崎で手に入れてきたオルゴールに行き当たるまで
に長崎市内のオルゴールを売ってそうな店で店員に聞いて
みた反応には共通したものがあった。
オルゴール、それもバレリーナが音楽とともにくるくる
回るものと言うと、現在はもう生産されていない、うちの
店にはない。と言われ続けてグラバー園近くの長崎オルゴ
ール館でようやくオルゴール・バレリーナ付きを1個見つ
けて動画を晶に送ったわけだがそれも結果的には外れだっ
たわけである。
徹は以来、オルゴールと聞くと顔が険しくなるようにな
ってしまった。
晶の所望するオルゴールはマグロならインドマグロと言
ったが、インドマグロは日本近海にはいない。インド洋に
いる。インドマグロを釣りたければインド洋まで行かねば
ならない。これに対しメバチマグロは日本近海にいる。
長崎ぐらいならメバチマグロのようなオルゴールしか手
に入らない。
晶の所望品であるインドマグロなオルゴールは海外に行
けば当たり前のようにゴロゴロ転がっているだろうと徹は
考えていた。
アジアで1つ心当たりは、中国の杭州にあるという10
キロ平方の問屋センターである。
単純計算で10万店はあろうかという杭州の問屋センタ
ーに探しに行くのには先立つものも、探し歩く時間もとも
に必要であろうというわけで、あまりリアリティがない。
それでも杭州の問屋センターにはメバチマグロしか泳い
でいないかもしれない。
晶はネットにインドマグロなオルゴールを探している旨
告知を出し、情報提供を待った。
まあ撒き餌は撒いたわけだ。
あとはインドマグロが食いつくかどうかというわけだ。
いつになることやら。
そもそも徹は長崎市内の85軒の店を訪ねてメバチマグ
ロを釣ってきた。
メバチマグロですらそうだから、インドマグロは影も形
もない。
オルゴール館近くでロシア海軍の水兵たちと遭遇した徹
はよほどそのインドマグロなオルゴールの画像を見せて在
処を尋ねようかと思ったが、ロシア語ができないので断念
した。
時は帆船祭りで長崎市内を走る路面電車は満員で、徹の
モチベーションは上がらなかった。
晶はオルゴールオルゴールと欲望のおもむくままに5分
おきにメールを打ってきていた。
シカトするわけにもいかないので徹は佐世保バーガーを
口にしながらため息をついて返事を打っていた。
長崎にはチャイナタウンがある。オルゴールを扱ってい
そうな店に入り、徹はバレリーナ付きオルゴールはないも
のだろうかと尋ねると長崎オルゴール館になければ長崎に
はないねえという返事が返ってきた。
そういうわけで徹は路面電車で大浦天主堂下まで行くこ
とになる。
大間漁港に上がる本マグロ1本で1年は暮らせるという
が、インドマグロもそれなりに高い。
メバチマグロはというと那智勝浦で上がる近海物を使っ
た解体ショウで即売されるメバチで3貫500円として1
本200万円ちかい。
オルゴールをマグロにたとえるのは少々乱暴な気はする
が、徹は長崎でインドマグロを釣ってくることはできなか
った。
同様の趣が神戸と横浜でも展開されそうなのだが、イン
ドマグロを釣るためなら出かけてかないといけないのだろ
うかと徹は天を仰いだ。
神戸にもチャイナタウンはある。その周辺を訪ねていか
ねばならないのだろうか、徹はそう思って眉間にしわを寄
せて石橋行きの路面電車に乗り込んだ。
神戸元町のJR高架下には商店街がある。
いつ仕入れたのかわからない品物やそもそも売り物かど
うかもわからない品物が転がっている商店があったりして
昭和の頃の佇まいを残している。
晶と徹はその商店街にインドマグロを探しに来た。
目指すインドマグロが泳いでいそうな雰囲気がぷんぷん
漂う商店街でネットにアップした画像をプリントアウトし
た紙切れを晶は携え、このオルゴールはないだろうかと片
っ端からきいてまわった。
1軒、そういえばあるかもしれんなあ、店のどこかに埋
もれているかもなあ、という店があり、探して貰ったが、
そうそうあれは外人さんが買っていったわ、すまんのう。
という返事が返ってきた。
口惜しさも入り混じって晶は大阪へと帰る阪神電車の中
でその店主の悪態をついていた。
インドマグロなオルゴールだけに近海ではなかなか上が
らない。
収穫なしを覚悟の上の長期戦へと突入する様相を見せて
きた。
徹は、これは杭州まで釣りに行かねばならないのかと漠
然と思っていた。メバチなオルゴールなら釣ってきたのだ
がなあ、でも、晶の所望はインドマグロなオルゴールなん
だよなあ、と息をついた。
晶は裏技を使った。
ネットオークションでインドマグロなオルゴールを落札
して手に入れた人からインドマグロなオルゴールを譲り受
けるという、ある意味漁船買いのようなマネをしてインド
マグロを手に入れた。
自ら釣れないなら釣ってきた船から買うというわけだ。
徹は杭州に行かないで済みそうだと思う反面、これでい
いのだろうかと嬉しそうにインドマグロ、インドマグロと
言っている晶を見ながらそう思っていた。
本当に世間は晶に甘い。徹はそうつぶやいてこの1件で
の褒美として晶に奢って貰った
アイスコーヒーをすすって窓の外を見た。
新緑が目に映えて明るい日差しが差し込んでいた。
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