第88話 クルスのひかりのかべ
ルファスは瀬衣の言葉に考え込むように腕を組む。
瀬衣は覚悟を決めてその様子を見守るしかない。
次に口を開いた時、その口からどんなとんでもない言葉が飛び出しても平静さを保てるように心を強く保つ。
だがそんな彼の、まるで死地に赴く兵士のような心境とは裏腹にルファスが発した答えは何とも気の抜けるものであった。
「特に何も」
「な、何も? 何もないって事ですか?」
「うむ。元々この国に来たのも部下にちょっとした腕試しをさせる為だ。
それも済んだ今、この国に対して積極的に何かを仕掛ける気などない」
ルファスのその返答に瀬衣は表情に出さないように考える。
恐らく、嘘は吐いていない。だが全てを話しているわけでもなさそうだ。
何故なら、本当にもう用が済んでいるのなら彼女がこの国に残っているはずがない。
狩猟祭が終わってまだこの国に滞在しているという事は、そうする理由があるという事だ。
だがそれは、恐らくこの国に対して何かを行うというものではない。
「時に其方等、いつまでその姿でいるつもりだ。
その図体は何もしていなくとも無駄に相手を威圧する。早く人化しておけ」
ルファスが後ろに声をかけると、そこに佇んでいた巨大な怪物達が一斉に掻き消えた。
代わりに白髪の老紳士、露出の多い女性、赤い服装の青年が姿を現す。
その姿を瀬衣は覚えていた。
そうだ、間違いない……二日前、ウィルゴと一緒に列に並んでいたあの奇人集団だ。
という事はつまり、ルファスが言う所の『腕試しをしていた部下』とは、ウィルゴだという事になる。
(道理でやたら強いわけだ……)
瀬衣はその事実に驚きはしなかった。むしろ妙な納得すらあった。
英雄でも覇王でもなく、それでいてフリードリヒに匹敵しマナそのものを消し去る異能の持ち主。
ああ、なるほど。只者であるわけがない。
だがルファス・マファールの部下だというなら納得出来る。
何せ彼女は他者のレベルを簡単に上げてしまえるのだから。
(……騙されていた……わけじゃないな)
一瞬ウィルゴが自分たちを欺いていたのかと疑惑が生じるが、すぐに瀬衣はそれを自ら否定した。
少なくともウィルゴ自身は本当に純粋だったし、いい子だった。
そこに間違いなどなく、もしあれが演技だったならそれは自分の人を見る目がなかったという事だ。
どうせ己の頭の出来など良くはないのだ。ならばここは直観を信じる。
実際に接して、話して、共に戦った彼女の事を信じることにした。
そしてここでウィルゴを信じるという選択を選ぶ事により、また一つ新たな道が瀬衣の前へと開かれる。
「……今、あの山の麓では俺達と一緒に戦っていたウィルゴという子が残って、七曜と戦っています。
彼女は……貴女の部下ですね?」
「なるほど、其方も狩猟祭の上位入賞者だったか。……リーブラ」
「はい、間違いありません。確かに山の方にウィルゴの生体反応を感知しました」
ウィルゴの事を聞いてルファスがすぐに傍に控えている侍女へと声をかける。
すると侍女は待ってましたとばかりに、まだ言葉にすら出されていない主の命令を実行に移して同胞の無事を確認した。
瀬衣としてはこの距離でも相手の事が分かるのか、と戦慄するしかない。
「そ、それで、俺としては彼女だけを戦わせるのは正直、情けなく思っています。
けど、実際問題として俺達は、その、物理攻撃に偏ったメンバーだから、いくら意気込んでも出来る事がなくて……みっともないとは思うけど、こうして何とか出来そうな人に助けを求める事しか出来ない」
「……」
「だから、俺達と一緒に、戦ってくれませんか?」
――さあ、どう出る!?
瀬衣は汗で掌を濡らしながら、ルファスの次の台詞を待った。
彼の狙いは、言い方は悪いがウィルゴを引き合いに出しての共闘関係の構築であった。
いや、共闘というのは少しどころではなくかなりおこがましいか。何せ力の差がありすぎる。
だがここで友好関係を築けるか否かが未来に直結すると直感が告げている。
そして決して勝算は低くない。ルファスがメグレズが教えてくれた通りに悪党の類ではないのならば、部下の一人くらいは助けてやろうという寛大さを持っているはずだ。
逆を言えばここでウィルゴを見捨てるような人物ならば、瀬衣は考えを根底から変えねばならないだろう。
果たして、ルファスが発した答えは彼が期待した通りのものであった。
「うむ、よかろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。元々ウィルゴはこちらの身内だ。
其方に止められても助けに向かうさ」
柔らかな笑みを浮かべてそう言うルファスに、瀬衣は表情を綻ばせる。
何だ。聞いていたよりもずっと話の通じる人じゃないか。
もしかしたら、伝説だけが一人歩きしてしまっただけでそんなに恐ろしい人ではないのかもしれない。
そう安堵した直後、ルファスを後ろから飲み込もうとするように水が激流となって押し寄せた。
どうやら話している間にここまで来ていたらしい。
瀬衣は咄嗟に「危ない」と叫ぼうとした。
だがそれは声にならず、何より彼が叫ぶよりも早くルファスは行動に出ていた。
すぐ後ろに立っていた青髪の少女の襟を掴んで射線上から退避させる。
そしてすかさず、まるで羽虫でも払うかのように掌打を放った。
すると驚くべき事に、眼前まで押し寄せてきていた激流が霧散し、更に拳圧によって遥か後方へと弾き飛ばされる。
「!? !!?」
――物理攻撃無効の水を殴って吹っ飛ばした!?
物理法則も何も関係ない。圧倒的な力とレベルこそが法則だ。
そう言わんばかりの出鱈目ぶりに瀬衣は口を広げ、そして思う。
前言撤回。やっぱりルファスは怖い人だ。
*
思いがけぬ勇者からの共闘の持ちかけに俺のテンションは今鰻登りであった。
今ならこの鰻で鰻重が作れる気がする。
勿論そんなのは無理に決まっているのだが、要するにそれくらい最高にハイってわけだ。
いやね、正直勇者との関係をどうするかは問題点の一つではあったのよ。
下手に敵対すると多分二百年前の焼き直しからのフルボッコルート突入の可能性もあったし。
今はまだ負ける相手ではないが、何せ勇者だ。女神のテコ入れが入ればどう化けるかわかったもんじゃない。
物語でもあるだろう。本来なら勝つどころか戦いすら成立しないはずの実力差だったはずなのに、勇者があれよあれよという間に理不尽に強くなって覚醒やら仲間の死からの怒りやら、封印されていた力やらであっという間にラスボスより強くなる展開。
勿論これは架空の物語だ。現実とは違う。
だから俺のこの考えは単なる空想と現実の混在になる。
だがな……困ったことに、この世界は女神の物語なんだ。
そして彼女は王道展開が大好きで、その為ならば多少の矛盾や整合性を無視してしまう奴なのだろうと俺は思っている。
だから彼女の創り出したこの世界では物理法則が全く仕事をしていないし、もしかしたら鎧の重量で落ちる速度が変わったりするかもしれない。両手に爪の武器を装着すればパワーが二倍になるのかもしれない。
つまり勇者を侮って無視していると、女神のテコ入れで気付いたら俺を超えていた、となっても全く不思議ではないのだ。
そんなわけで俺としても勇者との友好関係の構築は歓迎すべき事態だ。
とはいえ、サジタリウスの事は隠しておいた。
下手にベラベラ話して『サジタリウスやっつけよう』とか思われても困るし。
「ところでルファス様、何かあちらの方でずっとルファス様を見ている人達がいるんですけど」
「ああ、あれか」
「はい、しかもそのうちの何人かは顔見知りです」
ディーナに言われ、俺は多分勇者パーティーだろう人達の顔をよく見る。
虎の獣人とゴリラの獣人は分からないが、それ以外は確かに見覚えのある顔だ。
スキンヘッドのおっさんは確かスヴェルで会ったガンツだし、あっちの冒険者は確かジャンだったか。
他の三人は印象が薄いのでよく覚えていないが、とりあえずウォーリアばかりのバランスの悪いパーティーだった事は覚えている。
それに泡吹いて気絶してるのは俺が初めて召喚された時に色々教えてくれたエルフのイケメンさんか。
これなら案外、すんなり話せるかもしれんな。
俺はそう考え、とりあえず一行へと近付いてみる事にした。
すると虎の獣人が真っ先に逃げて木の裏へ隠れ、ジャン達が警戒を露にする。
あまり警戒してないのはガンツくらいか。
まあ一人でもこういう人物がいてくれるのは有り難い。
「久しいな、ガンツ。元気そうで何よりだ」
「……ああ、アンタもな。スファル……いや、ルファス・マファール」
ガンツは意外にもあまり驚いている様子はない。
むしろ、どこか納得しているようにすら見える。
「その反応、もしや気付いていたか?」
「まあ、何となくな。アリエスを殴り飛ばせる奴なんて七英雄か魔神王くらいしかいねえ。
となりゃあ、まあ只者じゃねえって事くらい馬鹿な俺でも分かる。
ところで、アンタが偽名だったって事はディーナの嬢ちゃんも別に名前があるのかい?」
「いえ、私は本名です」
ガンツの言葉にディーナが答えるが、果たして本当に本名なのかどうか……。
いや、今はこいつの正体を考察している場合でもないか。
ともかくガンツがいてくれたのは嬉しい誤算だ。
これならば存外楽に話を進める事が出来るだろう。
後は……そうだな、ジャン達の記憶操作も、もう要らんだろう。
俺を見てしきりに考えているジャンを一瞥し、それからディーナへ目配せをする。
すると彼女も頷き、指を鳴らした。
「っ! そうだ、思い出した! 自由商人のスファルさんとディーナさん!
それに、十二星のリーブラ! な、何で俺達は今まで自分で墓を攻略した気になってたんだ?」
ジャン達冒険者組は一斉にハッと我に戻り、そして唐突に戻った記憶のせいで混乱してしまったようだ。
まあ彼らからすれば覚えていなければならない重大な事を今の今まで忘れていたわけだから、自分で自分が不思議になってしまったのだろう。
とりあえず彼が混乱から立ち直るまで少しかかりそうなので、俺はその間にエルフの兄さんを起こす事にした。
あまり治癒の術は得意じゃないんだが、使えないわけじゃない。
とりあえず……この気絶している状態をステータス異常の『睡眠』と仮定し、異常治療でもかければ何とかなるかな。
『睡眠』は本来ならば敵から攻撃を受ける事でも解除されるので軽く叩く事でも起きるのだが、これは明らかに気絶だから叩いても起きないだろう。
術をかけるとエルフは起き上がり、そして俺を見て顎が外れんばかりに驚いた。
「ル、ルル、ルファス・マファールゥゥゥ!!?」
俺を見るやエルフさんは座ったままの姿勢で後ずさりながら自らを覆う半球状のシールドを展開した。
おい、地味に傷付くぞその反応。
それにしても随分うっすいシールドだな。大丈夫かこれ?
なんか極薄の硝子を張ったみたいになってるぞ。
俺は少しばかり強度が心配になり、とりあえずシールドを軽くノックしてみた。
するとシールドは音を立てて崩れ去り、エルフが呆然としている。
おお、脆い脆い。まるで昭和アニメのよく割れるバリアのようだ。
「落ち着け。余は其方を害する気はないし、そのつもりならこんな薄いシールドなど何の意味も為さん」
別に怖がらせたいわけではないのだが、それにしてもノックで割れるシールドって正直どうなのよ。
これじゃシールドじゃなくてシールだよ。
ペタッとその辺に貼り付けておくくらいにしか使えそうにない。
「そ、それでは一体……」
「詳しい話はそこの勇敢な子と、ディーナにでも聞いておけ。
結論だけを先に言うと、其方等と共闘する事になった。
まあ、この国にいる間だけだろうが……よろしく頼むぞ?」
俺はそう言い、勇者一行へ笑みを向ける。
すると彼らは呆けたような顔になり、そして瀬衣を見た。
やれやれ、俺の悪名を考えれば仕方のない事かもしれんが普通に接する気があるのは勇者とガンツ、それから……勇者の足元で舌を出して尻尾を振っているワンコだけか。
虎の獣人に至ってはさっきよりも後ろに下がってるし。
俺は犬の頭を撫でながら、自業自得ではあるがこの先を思い、少しだけ溜息を吐いた。
Q、この犬何なの? 数話前からいるけど、もしかして何か伏線が……。
A、ないです。ただの馬鹿犬です。