第60話 野生の七曜(月のルーナ)が現れた
「……!」
スコルピウスは僅かに、ほんの僅かにではあるが驚きと、そして敵への称賛の念を抱いていた。
二百年前のあの戦い以降、不自然なまでに全体の戦闘レベルが下がったこの時代において彼女にダメージを通す強者というのは稀も稀だ。
魔物や魔神族ですら相手にならず、彼女に傷を与える事が出来る者など同格である十二星か、吸血姫、そして魔神王とその子息くらいしかスコルピウスには思い浮かばない。
だがあろうことか、この粗悪品のそっくりさん達は確かに自分の頬に傷を刻んでみせたのだ。
これはちょっとした驚きであった。
久しく感じなかった、敵に感じる脅威。それがこの戦場にはあった。
「敵、負傷軽微。戦闘力に変化なし。攻撃を続けます」
そう言うや二体のリーブラが左右に飛び退き、直後に中央を先ほどの光線が貫く。
これを再度避けるスコルピウスだったが、続けて放たれた二撃目の光線に僅かに余裕を崩した。
しかし流石に十二星。この時間差の攻撃すらも尾で弾き飛ばし、すぐに余裕の表情を取り戻す。
「へえ……見た目だけじゃないってわけねえ。
少し驚いたわあ。妾に傷を付けるなんてやるじゃなあい」
スコルピウスは頬を流れる血を指で掬い、舐め取りながら笑う。
なるほど、どうやらこれがブルートガングの切り札というわけだ。
恐らくはミザールがオリジナルのリーブラを元に、その製作ノウハウを活かして作り上げた彼女の模造品。
しかし模造といえど作り手が同じ以上、その搭載している武装は『本物』だ。
多少オリジナルに劣るといえど、今のは間違いなく『右の天秤』と『左の天秤』だった。
そして、そのレベルも恐らく、四体全てが700に到達していると思っていい。
豪華だ、と思う。
少なくとも魔神族の侵攻程度ならば跳ね返せる、疑う余地もない二百年前の遺産。
今までブルートガングが落ちなかったわけだと納得するしかない。
「けどおかしいわねえ……今の場面、オリジナルなら『ブラキウム』を撃ってたはずよお?
不思議ねえ、おかしいわねえ。絶好の場面で何故撃たなかったのかしらあ」
「…………」
「ふふふ、持ってないのねえ?
貴方達、一番大事な武装を装備出来てないのねえ?」
『ブラキウム』こそがリーブラの真価であり、最も恐ろしい武器だ。
耐性も属性もスキルも何もかもを知らぬと貫通し最大ダメージを強制的に叩き出す殲滅最上位武装。
だがあれは『女神の天秤』を素材にしたからこその武器。他の方法では搭載出来ない。
このリーブラもどきは、可能な限りオリジナルに近づけはしたようだが、肝心の素材が違うのだろう。
よく出来てはいるが所詮は模造品……オリジナルには遠く及ばない劣化品だ。
「お馬鹿さあん! 『ブラキウム』のないリーブラなんてねえ、私のハサミにすらなりゃしないのよぉ!」
少し面倒な相手ではある。
だが恐れるほどの敵ではない。
己の勝利を微塵も疑わないスコルピウスの尾が音よりも早く突き出され――量産型リーブラのうちの一体を串刺しにした。
「まずい、天秤部隊を援護しろ!」
ブルートガングの司令室は今、かつてない焦燥に包まれていた。
今までにも魔物の襲撃は何度かあった。
魔神族の襲撃だって一度二度ではない。
だがブルートガングはその全てを凌いできたし、何より彼等には切り札である天秤部隊があった。
あの十二星の一角である『天秤』のリーブラを元に造り出された、四体の量産型。
ブラキウムを搭載しておらず、武装も左右の天秤のいずれかであるが、それでもレベル700の最強クラスのゴーレムであり、彼女達さえいれば大丈夫だという安心感があった。
だが今、そのうちの一体が避ける事も出来ずに貫かれたのだ。
ゴーレムである彼女達ならば、まだ致命傷ではない。
実際貫かれた量産型は、腹に穴が空いたのを意に介さず戦闘を続行している。
だが確実に、戦いは『蠍』が優勢に進めていた。
「駄目です、下手に撃てば量産型リーブラに命中します!」
「くそっ……何故だ、何故圧倒される……量産型とはいえ、レベルは700だぞ。
それが四体もいるんだ。互角どころか、こちらが圧倒してもいいはずなのに」
レベルの上では、決して不利な戦いではない。
『蠍』が限界を超えてレベル900になっている事など彼等は知る由もないが、それでも決して勝てない相手ではないはずだった。
だが現実、圧倒されている。『蠍』の猛攻に天秤部隊が押されている。
その原因は、属性の相性にあった。
天秤部隊……というよりは、ゴーレムは基本的に素材でその属性が決定される。
そして大体において強力なゴーレムというのは鉄で練成され、その属性は金となる。
一方『蠍』の属性は火だ。
かつてスヴェルの戦いにおいて、守護神レヴィアは属性の有利により、格上のはずのアリエスと互角以上に戦って見せた。
(もっともレヴィアは、素材が素材なのでレベル以上の強さを持つレベル詐欺ゴーレムだったが)
だが今回はその逆。格上の方が属性でも勝ってしまっている。
故にこその天秤部隊の劣勢であった。
だが、事態はそれだけに留まらない。
「げ、元帥!」
「何だ!」
「た、大変です! ブルートガング第一街に高魔力反応多数……魔神族が侵入しています!」
「なんだとお!?」
*
「随分騒がしくなってきたな」
店のドアを開けながら、俺は街中を見渡した。
先程からやけに外が五月蝿くなり、砲撃のような……というか実際に砲撃しているのだろう。
爆音が絶え間なく響いている。
幸いにして何が起こっているかは把握している。ブルートガング全域に響くような大音声で丁寧に放送してくれたので分からないはずがない。
どうやらスコルピウスの奴がブルートガングに攻め込んで来たらしく、ブルートガングがそれを迎え撃っているようだ。
だが俺の言う『騒がしさ』はそれだけを指しての言葉ではない。
「ええ。本当、どこにでも出てきますねえ、彼等」
俺の言葉にディーナが同意し、遠くへと視線を走らせる。
そこでは緑色やら青色やらの肌をした連中が我が者顔で飛行しており……まあ要するに魔神族が沢山入り込んできていた。
スコルピウスが魔神族と手を組んでいるのは知っていたので、別に驚くべき光景ではない。
しかしこうも易々と侵入されるのは、少しばかり不味いと言うしかないだろう。
「恐らく身を隠し、ゴーレムが出撃するタイミングを見計らって、出撃口から侵入したのでしょう」
「この月の魔力……ルーナか」
侵入された原因をリーブラが推測し、アイゴケロスが聞き覚えのない名前を口にする。
どうやら知り合いか何からしいが、俺はその名に覚えがない。
「ルーナ?」
「『月』を司る魔神族の七曜です。主に身を隠しての暗殺や撹乱を得意とします」
「名前の響き的には女のようだな」
「恐らくはそうでしょう。男の格好をしていますが、我の見た限りあれは女です」
アイゴケロスの言葉に俺は顔をしかめてしまった。
女か……あまり積極的に攻撃したい相手じゃないな。
しかし、だからといって放置は論外だろう。
暗殺が得意となると、ある意味他の七曜よりも遥かに厄介だからだ。
レベルが低かろうと、戦いようってのはある。
強い相手との戦いを避け続け、要人を仕留める事が出来ればそれは十分な戦果となる。
ウロチョロしてた奴みたいに自分のレベルを過信して正面から突撃してくるような馬鹿なら単純に強さで圧倒すればいいわけだが、身を隠して動かれるとレベルで圧倒的に勝っていても足元を掬われかねない。
ならば、まずはこいつを捕らえるなり倒すなりしなくてはなるまい。
「アイゴケロス、魔力で特定出来るという事は、居場所も分かるのだな?」
「容易い事です」
「よし、ならば其方はルーナとやらを追え。可能ならば生け捕りにしろ。
ただし周囲を無闇に巻き込み、破壊する事は禁ずる。住民も巻き添えにするなよ」
「御意!」
俺が命じると、アイゴケロスはその場から霞のように消え去った。
これで七曜の方はどうにかなるだろう。アイゴケロスならば負ける事はまずあるまい。
問題はブルートガングに入り込んできた魔神族の相手だ。
それと、外にいるスコルピウスにぶつける相手も決めなきゃいけない。
俺自身が出るか? そうすれば多分スコルピウスも止まるだろう。
後はディーナも連れて行くか。魔神族とのWスパイだし、魔神族のいない外の方がまだ戦い易いはずだ。
内部に入り込んだ魔神族はアリエスとリーブラで事足りるだろう。
ウィルゴは……とりあえず俺と一緒でいいか。
いい機会だし、魔物の大軍相手にパワーレベリングと行こう。
後はカルキノスも一応連れていくか。
「ディーナ、ウィルゴ、カルキノスは余と共に来い。スコルピウスを止めるぞ。
アリエスとリーブラは内部に残り、魔神族を掃討せよ」
残っているメンバーに役割を命じ、俺はその場から駆け出す。
すぐ後にディーナ達も続き、リーブラとアリエスは逆方向へと走り始めた。
*
魔神族七曜の一人、『月』のルーナ。
種族特有の青白い肌に、金色に輝く縦割れの瞳孔を持つ淡い蜂蜜色の髪の少年――否、少女だ。
彼女は七曜の中で最も隠密を得意としていた。
直接の戦いが出来ないわけではない。だが、彼女の上に立つ者……魔神王の子息から敵との直接戦闘を避けろと直々に命令されている。
だがそれは彼女にとって不満であった。彼女はそれを信頼されていない、侮られていると取ったのだ。
だから、彼を見返したいと考えた。
スコルピウスを炊き付け、このブルートガングへ襲撃したのもそれが理由だ。
自分は弱くない。隠密以外の事だって出来る。それを証明したかったのだ。
だが結果を言えば、それは無謀な先走りだったのだろう。
少なくともルファス・マファールの復活が確定化した今、彼女はもっと慎重になるべきであった。
それが出来なかったからこそマルスとユピテルは死んだのだ。
ならば彼女はその反省を踏まえ、慎重さを身に付けるべきであった。
己は強いという認識はもはや通じないと理解するべきだったのだ。
(何かが尾けてきている?)
スコルピウスを囮にしてブルートガングに首尾よく突入出来たものの、入ってからずっと何かに視られているような、嫌な感覚を感じていた。
ブルートガングの司令室? 否、奴等にそんな余裕はない。
量産型リーブラ? 否、あの厄介すぎる戦力は全てスコルピウスへと向かった。
では一体誰だ? このへばりつくような、嫌な空気を発しているのは。
視線は感じるのに、どこにもその姿は見えない。影すらもない。
だが気配だけが確実に迫ってきている。
(影……まさか!?)
影すらもない、とルーナは考えた。
だがそうでないとしたら? 影そのものなのだとしたら?
その答えに行き着くと同時に、ルーナと共に地面を走っていた彼女自身の影が歪んだ。
瞬間背筋が冷え、理屈を無視して『恐怖』という感情が強制的に心の内へと叩き込まれる。
歪んだ影の形状はまさしく悪魔。
二本の角を生やし、山羊の顔と人の胴体、そして蝙蝠の翼を合わせ持つ神話の悪魔そのものの異形。
「っ!」
咄嗟に避けたその直後、影から黒い閃光が迸った。
第一撃目を避ける事が出来たのはまさに幸運だった。
だがその場限りの幸運を一度使ってどうにかなるほど悪魔は容易くない。
影の中から、この世の不吉全てを孕んだかのような空気が溢れ出す。
周囲の景色が歪み、辺りが暗くなったように錯覚させられる。
「避けたか……哀れな。
何も知らずに意識を失えば、せめて恐怖せずにすんだものを」
ルーナは、咄嗟に崩れ落ちそうになる自分を必死に抑えた。
声を発するという、ただそれだけの行為。
それがこうまで心をかき乱し、精神を圧迫するとは。
まるでガラスを爪で掻く音を耳元で流されるかのような不快感。
言葉そのものに呪いが込められているかのような、存在するだけで放ち続ける不快感。嫌悪感。
人の持つ『恐れ』という概念そのものを無理矢理形にしたかのような不吉の象徴。それこそがこの悪魔だった。
「アイゴ……ケロス……」
「ルーナ……弱き者よ。汝に二つの道を与えよう」
空洞のような目が禍々しく輝く。
それだけでルーナの足はみっともなく、ガクガクと震えた。
「一つは甘い降伏。抵抗せねば汝に傷を付ける事なく、我が偉大なる主への供物として捧げよう」
「あ、はは、ありがたい話だ。ルファス・マファールに無抵抗で殺されろと?」
「そうだ。汝の如き、蟲にも等しき小さき者が主の手にかかって死ぬ事が出来る。それは栄誉だ」
ルファス・マファールは魔神族に容赦しない。そんなのは子供でも知っている事だ。
視界に入れば最後、女だろうが老人だろうが地の果てまで追い詰めて殺し、晒し首とする。
それがあの黒翼の覇王という存在だ。
つまりここでの降伏は、そのまま死を意味していた。
「一つは無惨なる屈服。汝の四肢を削ぎ、血に塗れた贄として主へ捧げよう」
「……どっちも同じじゃないか」
「然り。降伏して死ぬか、抵抗して無惨に死ぬか――選べ、弱き者よ」
悪魔は無慈悲に死刑宣告を下す。
それがそのまま、この二人の実力の差を表していた。
※アイゴケロスは敵キャラではありません。