第38話 ベネトナシュの怨念
暗い王都だった。
まるで朝も昼も存在しないかのように闇に包まれた吸血鬼の帝国『ミョルニル』。
夜の覇者を自称する彼等は人類の中で最も『魔』との親和性が高く、人というよりはむしろ魔神族に近い。
その中央には紅に染まる王城が聳え、最上階には彼等の永遠の主たる吸血姫が住まう。
吸血鬼が忠誠を誓うのは過去も現在も未来も唯一人、絶対唯一たる美貌の王のみ。
黒翼の覇王も魔神王も眼中になし。吸血姫のためだけに生き、彼女が死ねと言えば笑って死ぬ。
死すらも恐れぬ狂信者の群れ。それがこのミョルニルに暮らす国民達であった。
その王城の玉座の間にて、少女の前に一人の吸血鬼が跪く。
「報告致します。殿下の仰る通り、やはりスヴェルは七曜の脅威より解放され、十二星天のアリエスは行方を晦ましていました」
「ふむ。やはりそうか……メグレズめ、これを私に報せぬとは判断を誤ったな。
大方庇いだてしたのだろうが、これでは逆に『奴』がいると私に教えているようなもの。……短慮だな」
クスリ、と玉座に座る少女が嗤う。
流れる頭髪は白金。縦割れの瞳孔は真紅。
口元からは牙が覗き、その外見は僅か14歳前後の小娘にしか見えない。
だが外見の年齢など、永遠を生きる吸血鬼には無意味だ。
「待ちわびた……ああ、200年待ったぞ、宿敵よ。
貴様ならば必ず地獄より戻ると確信していた」
少女は楽しそうに語り、玉座から立つ。
それから髪をなびかせて歩き、それに合わせて羽織っている黒いマントが揺れた。
王都を一望出来る窓の前まで行くと、そこで彼女は恋焦がれるように空を眺める。
「待ち遠しいぞ、マファール……貴様を超えずして私の時間は動かん。
かつて貴様が消えたあの時より、私の時間は止まったままだ」
口の端が歪み、牙を剥き出しにする。
真紅の瞳は爛々と輝き、早くも戦いの時を待ちきれないとばかりに拳に力が入る。
魔神族などという雑魚の群れなどどうでもいい。
魔神王? 知った事か。勝手にやっていろ。
人類の未来? ああ知らん、そんなものに興味などないぞ。
滅びるならば勝手に滅びていろ。殺されるのは貴様等が弱いからだ。
弱者が何故助けてくれぬと喚くが、知らぬし聞こえぬ。聞くつもりもない。価値もない。
世界は常に強者が動かす。一握りの天才だけが世界の未来を決める権利を有する。
弱者や無能がどうなろうと、万事興味がない。
この真紅の瞳が捉えるのはいつだって一人だけだ。
宿敵たる、あの黒い翼の天使だけだ。
「今度こそ決着を付けよう……誰の邪魔も入れず、私と貴様の二人だけでだ。
世界を支配するのは貴様ではない。魔神王でもない。
この吸血姫ベネトナシュだと、貴様に敗北の屈辱と共に思い知らせてやる」
――必ず、貴様は私が殺してやる……ルファス・マファール。
そう語り、少女――ベネトナシュは掌を天へ掲げた。
200年前に付ける事が出来なかったあの日の決着を、今度こそ……。
そう、強く渇望しながら。
*
「はあ……」
もう用の無くなったギャラ国から立ち去る最中、俺は深い溜息を吐いていた。
ああ、随分と大口を叩いてしまった。
ありゃ軽く黒歴史ものだ。
傍から見るとさぞ格好悪かっただろうなあ、あれ。
「どうしたのですか、マスター」
「いや、柄にもなく語ってしまったと思ってな。
随分格好悪い所を見せた」
「そのような事はありません。私のメモリに永久保存するべき凛々しさでした。
この映像を形に残せないのが残念でなりません」
リーブラの口から出た永久保存、という言葉にゾッとする。
写真か記録映像かは知らないが、そんな事をされたら公開処刑もいいところだ。
まあ、残念と言っている所から見てやっていないのだろうと思うが、一応確認しておこう。
「リーブラ。もしやと思うが写真などに残していないだろうな……。
もし撮っているならば即刻処分してくれ」
「…………」
俺の問いに、しかし返事は返って来なかった。
いつもならば即答してくれるリーブラにしては珍しく迷っているように見える。
なんだ、そんなに処分したくないのか?
そう思う俺だったが、しかしリーブラは俺のまるで予想していなかった返答を返してきた。
「あの……シャシンとは何でしょうか?」
リーブラの答えに俺は僅かに硬直してしまった。
ああ、なるほど。
写真そのものがないのか、この世界。
それじゃあ、リーブラに言った所で解るわけもない。
念のためにアリエスを見るが、彼も知らないといった顔で首を振っている。
その事から、本当に写真がこの世界にないのだと確信させられた。
随分とおかしな話だ、とは思う。
リーブラのようなあからさまに、むしろ近代科学すら遥かに超えているメタルなゴーレムがいるのに、写真が存在しないとかまさにファンタジーだ。
まあリーブラは実際の所、アルケミストのスキルで作られた存在で機械仕掛けってわけでもないのだから、あながちおかしくもないのか?
しかし何か……何かが引っかかる。
俺は何かを見落としている。
何だ? 何を忘れている。
何を見落としている?
思い出せ……そう、あれは確かこの世界に来て初日の事だ。
――……200年も前の事だぞ。写真もないこの世界で余の顔を覚えている者などそういまい。
――甘い、甘いですルファス様。
この交易都市はあらゆる国の民が集まる土地。
その中には寿命の長いエルフなども含まれます。
そうした方々は今でもルファス様の事を鮮明に覚えているのです。
「――!」
俺は、反射的にディーナを見た。
間違いない、『知っている』!
ディーナは、“この世界に存在しないはずの”写真を、知識として持っている!
当のディーナ自身も己の失言に気が付いたのか、ハッとした顔で俺の方を見ている。
疑う余地もない。決まりだ。こいつは黒だ。
どういう事かは分からないが、ディーナは俺と同じイレギュラーだ。
あるいは、少なくとも『向こう』の世界の知識を持っている。
「ディーナ……少し二人で話す事がある。
来て貰えるな?」
「……はい」
否とは言わせない。
俺の考えは間違っていなかった。
そうだ、俺はずっとディーナの事を見落としていたんだ。
少し考えれば分る事だろうに、あるいは俺自身が真実から目を背けていたのだろうか。
俺が覚えてすらいなかった参謀NPC。
ああ、確かにそれはいただろうさ。何の戦闘データもない背景オブジェを確かに俺は設置した。
だがそれにしてはディーナは余りに有能すぎた。
参謀として恥じぬ能力を持っていた。
それをアリエスや、メグレズが全く覚えていないなど有り得ない話だろう。
俺はディーナを連れ、近くの林へと入る。
アリエスやリーブラも同行したがったが、止めておいた。
これは俺とディーナの二人で話すべき内容だからだ。
だからアイゴケロスもアリエス達の所に置いてきたし、近くに誰もいないのも確認した。
ここでなら、ゆっくりと話す事が出来る。
「さて、何から問うべきか……。
いや、遠まわしは止めよう。単刀直入に聞く。
其方、何者だ? 200年前から居た参謀というのは……あれは嘘だな?」
「…………はい、嘘です」
俺の問いに、ディーナは誤魔化しを口にする事なく答えた。
やはりそうか。
ディーナは背景NPCなどではなかった。
その立場に居座っただけの、別の誰かだったのだ。
そりゃそうだ。
“何故ならあの塔は汚れていた”。
200年間ずっとあの塔で待っていたというディーナの言葉と明らかに矛盾する。
掃除も何もせずに居座り続ける、というのも考えないでもないがそれは少し不自然だ。
主の帰りを待っていたというなら、せめて最上階くらいは綺麗にしておくべきだろう。
しかしそれすらしていなかったというのはつまり……200年も居なかったという事だ。
こんな事は考えればすぐに分る事だ。
ああ、簡単に分ってしまう事なんだよ。
だが俺は分らなかった。分からない振りをしたかった。
無意識のうちに目を背けていたんだ。
分りたく、なかったから。
「何者だ?
余の配下の国民……でもないな。それならばリーブラが記録している。
少なくとも、其方は余が封印されるまでの間にあの塔に立ち入った誰かではない」
「その通りです。私は貴女の参謀でもなければ部下でもありません。
ただ、あの塔にそういう設定のNPCがいた事を知り、それを利用しただけの者です」
――NPC、か。
いよいよもって隠す事を止めてきたな、こいつも。
しかし、それはそれで疑問が残る。
仮にこいつがプレイヤーだったとして、そして俺の勢力に組して塔に入ったならば……リーブラが覚えていていい。
しかしリーブラは彼女を覚えてはいなかった。
それにアリエスはディーナを見て、最初は思い出さなかったものの、彼女を『参謀』だと認識した。
あれは……。
いや、そうか。
ディーナにはあれがあった。
「アリエスとアイゴケロスは記憶操作で誤魔化したな」
「はい。アリエスは最初に会って問い詰めた時に。
アイゴケロスは……魔神族に協力していたので、奴等の居城にいる間に。
それぞれ、偽りの記憶を植え付けました」
「ゴーレムが其方を味方と認識しなかったのは、記憶操作が通じなかったからか」
「仰る通りです。ゴーレムのそれは記憶ではなく記録。
故に記憶操作という曖昧な術は通用しないのです」
格上でも通じる記憶操作か。
随分性質の悪いものを持っている。
しかし、だとすると俺が操作されている、という可能性もあるな。
それに魔神族の居城、か。
なるほど、段々視えてきたぞ。こいつの正体が。
「ところで余の記憶はどの程度まで弄られているのだ?」
「……出来ませんでした」
「何?」
「貴女の自我は貴女自身が思うよりも強固です。
仮に貴女に偽りの記憶などを植え付けようとするならば、少なくとも私は1年間は付っきりで術を掛け続けなければなりません。
だから私は、塔にいたNPC参謀などという無理のある立場に就く事でしか貴女を騙せなかった。
出来る事と言ったら精々、『私を疑う事を無意識のうちに避ける』とかその程度の思考誘導だけです」
俺の記憶はほとんど弄れなかった、か。
どこまでが本当かは知らないが、確かに弄れるならあんな無理のある立場に居座る理由もないな。
それこそ国民の誰かにでもなりすませばいい。
それとも、そう思わせるのが狙いか?
「それを知っているという事は、其方『プレイヤー』か」
「正直、驚きました。まさか私以外に……それもルファス様が『プレイヤー』だったなんて、私だって誤算だったんです」
クスリ、とディーナが悪辣な笑みを浮かべる。
今まで見てきた上品なものとは異なる、しかし不思議と彼女に似合った笑い方だ。
どうやら、こちらが素顔らしいな。
「それと一つ訂正しましょう。私は『プレイヤー』ではありません」
「……何?」
「正確には『テストプレイヤー』。
アップデートに合わせて新しく導入される“はず”だった新種族『ハーフエルフ』のテストプレイヤーとして運営に雇われた者です」
「塔の内情を知っていた理由はそれか」
「はい。運営側のパソコンからは国民でなかろうがプレイヤーの勢力やその内部が覗けます。
あの参謀NPCの事はそこで知りました」
いや、テストプレイヤーが見ていいのか、それ。
大方無許可で勝手に見たんだろうが、よくクビにならなかったな、こいつ。
「それで……魔神族の居城にいたアイゴケロスの記憶を操作したというのはどういう事だ?
其方が居城にいたとしか取れぬのだがな」
「そう言っているのです、ルファス様。
私は魔神族の居城に自由に出入り出来る立場なんですよ」
そう言い、ディーナが“変わった”。
海の色だった髪は鮮やかな黄金へと変わり、穏やかだった顔は好戦的に歪む。
唇が弧を描き、目を細め、今まで俺が見た事のない本当の顔を曝け出す。
「本当はこのまま参謀を演じ、貴女と魔神王を潰し合わせるつもりでした。
しかしこうなってはその計画も破綻……少し貴女を舐めすぎていましたね。
だから、もう一つの方法を取らせて頂きます」
「ほう?」
「――ここで貴女を屈服させ、私の手駒とします。
まだまだ、貴女には役立って頂きますよ……愛しいご主人様」
ディーナの放つ威圧感が膨れ上がる。
魔力の鳴動で木々が揺れ、大地が振動する。
これは凄いな。
もしかしなくても、この世界に来てから今までで一番の圧力かもしれない。
「出来るのか? レベル300の其方に」
「あはっ! あはははははは!
まだそれを信じていたんですか? 嘘に決まってるじゃないですか、あんなの。
あれも導入予定だったスキルの一つ、ステータス隠蔽を用いた虚偽のステータスに過ぎません。
『観察眼』が便利すぎるというのは、以前から挙がっていた問題点でしてね……バランス調整の為に、その対抗スキルが作られるのも当然の事です」
「ならば、其方の本当の実力は……」
「無論、語るまでもなく。貴女と同格の1000です」
変化が終わった。
そこにいたのは俺の知るディーナと顔立ちこそ同じだが、決定的に異なる別人だ。
黄金に波打つ頭髪に、溢れ出る魔力。
そして偽る事を止めた、それでも美貌を尚一切も損なわない凶相。
「改めて自己紹介しましょう。
私はウェヌス――魔神族7曜の一人、金のウェヌス。
以降、お見知りおきを」
まるで磔にでもされたかのように両手を広げ、全てを嘲るように彼女は哂う。
「――さあ、殺し合いましょう。
愛しいご主人様!」
吸血鬼「報告します! トトカマ星にスーパーサ○ヤ人が現れました!」
ベネト「ダニィ!? 逃げるんだあ……」
吸血鬼「おまっ!?」
今回はベジーt……ライバル枠であるベネトナシュの顔見せと、ディーナの本性(?)発揮回でした。
7英雄は最初から一人くらいはルファスに敵対的な方がいいと決めていたので、ベネータは完全に敵キャラです。攻撃優先度がルファス>超えられない壁>その他です。
目の前に魔神王がいて、100m先にルファスがいたら、魔神王をシカトしてルファスの方へ全力疾走します。
メラクより物理的に面倒臭いです。
でも上手く和解すれば「勘違いするなルファロット。別に貴様を助けにきたわけじゃない」とツンデレ全開で助けにきてくれるかも……いや、やっぱ無理か。
え? ディーナがやけにいきなり本性出したというかわざとらしいって?
……気のせいじゃないかな。もうなにもかくしてませんよ。