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風のような口付け

作者: 竹蜻蛉

蜻蛉初の純愛もの?です。

ぶっちゃけ恋愛経験少ないんで、現実にはあまり基づいていません。軽くファンタジーものだと思ってください。

1万文字超えているので少し長めですが、どうぞ評価を。

 一陣の優しい風が貴方を包んだとき、それは支えとなって、いつまでも貴方を愛するものとなるでしょう。風は貴方を辛さとはかけ離れた場所へと手招きし、金銀財宝の満ち溢れた家へと案内し、一生幸せに暮らしていけることでしょう。

 だから風を愛しなさい。風の乙女を愛し、敬い、そして愛されなさい。

 風をその身に抱く広大な草原にて乙女は貴方を待ち焦がれ、涙している。想い耽った彼女は我が夫となるべき男をさらっていく女を許さないでしょう。深い嫉妬と怒りの念にその心をやられ、激しい風を吹かせて全てを奪っていくかもしれない。

 ヒトと風は共に生きていかなければなりません。

 だから風を愛しなさい。風の乙女を愛し、敬い、そして愛されなさい……。





 ―――





 風女市かざめしという誰かの陰謀を感じそうな俺の住む街には、そんな伝説が残されていた。風は神格化されるほど重要なものらしく、街のありとあらゆる場所にそれを祭る石碑や神社が目に付く。だから、他の街が都市化されていく中、この街だけは高層ビルなどの風を遮る建造物を決して許さない。流石に家の造りを風通しの良いものにしなさいとまでは言われないが、数年前に起きた大震災が無ければ縄文時代の街を再現するところだった。

 この街には国規模で有名な公園があり、遊具などは一切無いがただ広がる草原に魅力を感じる人が多いようだった。サハラ砂漠のど真ん中にでも着たんじゃないかと錯覚させるほどの大きな公園で、一度は文化財に申請したくらい綺麗な場所だった。それは破壊されることはまずないだろう。

 言えば、公共建造物だけは何とか何を逃れ、俺の通う高校などは四階建てを許されている。それでも、根強く残る風の民と名乗る宗教団体は政府に抵抗していたが、いくら文化を残すと言えどもそれは受諾されなかったようだった。

 二階建ての俺の家は、無論問題ない。新築なので階段を降りた時に軋む音も無く、俺はその当の高校に登校すべく朝食を取りに下に降りて行った。


「はよ〜。飯は?」

「あら、いつき。うん。テーブルの上にもう並べたから勝手に食べちゃって」


 俺の名は『風上樹かざがみいつき』。無駄に街の名前と因果関係がありそうで、中学時代なんかはビクビクしていたものだ。

 若干足りない挨拶を親と交わし、テーブルに広がる現代社会にしては随分と色彩のある朝食に箸をつけた。玉子焼きに野菜に鮭。恐らく残りは明日の弁当にでも使われるのだろう。牛乳を喉に通すと、朝の活動の弱い胃袋に染み渡って冷えた。

 時計を見れば長針が危ういところを指し示している。俺は炊き立てのご飯を掻き込んで、鞄をひったくるように掴み玄関に走った。

 と、その時、右ポケットから微弱な振動が伝わる。満タンに充電してある携帯電話がメールの着信を知らせていた。俺は常時マナーに設定しているため、音は鳴らない。

 親指だけでパカッと開いて、差出人を見ると『中原優希なかはらゆうき』という見知った名前が表示されている。ユウキ、と言うが、紛れも無い女だ。小さい頃からの友人で、きっと巷では幼なじみと呼ばれるものに分類されるんだろう。非常に物静かな奴で、他の友人曰く高嶺の花らしい。

 本文を読んでみた。

『放課後、体育館裏に来てください』

 ……俺何か悪いことでもしたのだろうか。キャラと文章のギャップに身震いした。


「ったく不器用だなぁ」


 前者は嘘で、優希は何かを他人に伝えようとすると、貧相なボキャブラリーと極度の照れのせいか、世にも恐ろしい表現をすることがある。今回も恐らく何か用事があるのだろう。

 靴音軽く、俺は今日という一日を清々しく過ごすつもりでいた。


 しかし、知っているだろうか。

 誰かが幸せになるとき、誰かが不幸にならなければならない不変の真理。これは、誰も口に出さないが誰でも分かっていること。例えば、一つの玩具おもちゃを二人の人間が奪い合う時、どちらかが妥協しなければならない。人間というのは傲慢な生き物で、代わりばんことか、分けるということがなかなか出来ないものだ。

 だから、たとえ自分が不幸の側に回ったとしてもそれを簡単に受け入れられるほど素直な生物ではなかったということ。不必要であろう全てを失っても、幸福の側に回ろうとするものがいるということを。



 優希とはクラスが違うため、朝の登校ですれ違わなかったら一日中会わない日もしょっちゅうある。別にそれによって何か不満があるわけではないが、ああいったメールを頂いた後では何か問いただしたくなる。それを抑えるので一日中大変だった。


「帰ろうぜー樹。今日ゲーセンに新しい台が入ってさぁ」


 一人のクラスメイトが声をかけてくるが、今日は優希との約束がある。丁重にお断りすることにする。


「悪い。ちと用事があるんだ、また誘ってくれ」

「ああ〜?何だ野暮用かよ。お前モテるからなぁ」

「そんなんじゃねぇしモテねぇって。優希から何か用事があるみたいなんでね、久しぶりに会うし、行かなくちゃならん」

「何だそっちか。そんならさっさと終わらしてメールしろ。校門所でたむろってるからさ」

「分かった。んじゃ悪いな」


 鞄に勢いよく教科書類を詰め込み、何を焦っていたのか途中で入らなくなって一度出し入れする必要が出来てしまう。クソッ、筆箱が無駄に大きくて苛立つ。

 階段を一段飛ばして駆け下り、下駄箱のところまでようやく到着した。

 ――が、その下駄箱の前に人。

 通れない。非常に邪魔だが、露骨に嫌がってあげては何かダメな気がした。何しろ、凄い神妙な面持ちで掌を前で組んで、まるでデートの待ち合わせにうきうきしながら待っている少女のようだったから。

 しかも見覚えがある。確か、この学校でミスなんたらと呼ばれるほどの人気がある女子だったような気がする。気がする、というのは、確かに美少女なのだがそれゆえに顔をまじまじと見る余裕が無い。印象は強いがあまり見たことが無いのだ。

 さて、どうしようか。

 ライフカードを切るほど切迫した場面ではないが、正直下駄箱に手を伸ばせる隙間が全く無い。三国志で言えば長坂橋にて仁王立ちする張飛のような威圧があるような気もする。簡単に言えば、声をかけずらい雰囲気だ。

 だが、それは向こうから打開してきてくれた。


「あ、あの」


 歩幅の無い駆け足で、何故か俺の所へきた。間近で上目遣いされ、半分ほど理性が飛びそうになるが、なんとか紳士を貫き通した。


「何だ?急いでるから聞きたいことがあるなら他の奴に頼んで欲しいんだが」


 少し突き放すような言い方をしてしまったかもしれない。曇った彼女の表情を見て後悔した。

 しかし彼女はそれでいて、何か強い意志を持って俺に詰め寄った。


「す、少しだけ時間をくれませんか!五分もかからないと思うので……」


 微かに頬を高潮させ、疑問系になりきらない発音と勢いで俺にそう言った。どうやら俺に用があるらしいが、こちらとらその内容を微塵たりとも想像できない。何しろこうして対面したのは初めてだ。

 半ば圧倒させるような形で、俺は首を下に振っていた。その後で五分くらいなら遅れても大丈夫だろうと、自分を無理矢理納得させていた。優希は実は時間に五月蝿いことも思考の隅に置いて。

 下駄箱に通してもらい、成されるがまま校舎裏に連れて行かれた。確か理科の実験か何かで、ここにはタンポポが生え難いんですよ、とか習った気がする。確かに緑色が濃い雑草のようなものしか生えていない。

 しかし一日に二回も裏側に連れて行かれることになろうとは、今日の運勢を見ておくべきだったと思う。

 彼女は俺と二歩半くらいの距離をとって、深呼吸している。湿った空気がその場の居心地を悪くしたのか、俺はすこぶる嫌な予感がしてならなかった。いや、期待に胸が躍っていないわけではない。高校男児ならばこのシチュエーションは感動に値する。

 嫌な緊張感が流れた。自然と俺も身体を強張らせている。

 ――一陣の風が俺の頬を凪いだ。


「わ、私とお付き合いしてください!!」


 その風は、冷たくて痛かった。

 温かい気持ちが俺の中を満たす。事の終わりにホッとしたのかもしれないが、彼女の不安げな表情を見ると、すぐに現実に直面することになる。

 想いが強かった。俺には逃げ出す余裕も無く、気付けば、いいよ、と曖昧な気分で返事をしていた。

 その時は罪悪感に駆られたが、彼女の笑顔を見た瞬間、こんなのもいいんじゃないかと自己結論してしまうほど、彼女は幸せそうな顔をしていた。



 まるで太陽がそこに具現化したのではないだろうかと思うくらい、輝かしい笑顔に見送られて俺は彼女との帰路の別れ道を後にした。俺を好きになった理由を聞くと、もう馬鹿なくらい率直に『一目惚れ』と言った。嬉しいのか嬉しくないのか複雑な気分だ。

 勢いに身を任せてしまったといえども、俺が彼女を好きでないはずがなかった。学校のヒロインとも言うべき人間とお付き合い出来るなどとは夢にも思わなかったから、その気持ちが表に出ていなかっただけの話なのだ。今こうして同じ道を歩いていて、そう思った。

 だが決して優希との約束を忘れたわけではない。十分ほどの遅れが生じているが、このことをあいつにも伝えたならば少しは怒りを緩和してくれそうな気がする。

 来た道を引き返して、俺は学校の校門を一日に二度潜る。やはり不運だ。

 体育館にはまだ部活をしている生徒が沢山いる。バスケットボールが床を付く音が響いて、青春の一ページをかもしだしていた。

 そして、その音に混ざるようにして優希はいた。体育館の壁に背を掛けて、時計を食い入るように見つめている。これは予想以上に怒っているかもしれない。謝罪の言葉を頭で反芻はんすうした。


「悪い。ちょっと用事が出来ちゃってさ。この通りだから許してくれ!」


 大仏でも拝むように手を合わせて頭を下げた。流石に地面に頭を付いて土下座できるほど、俺も根性のある人間ではない。


「……用事って、何?」


 澄んだ声でそう言った。声優ばりの声質を持つ優希の声は、脳内で癒しになる。けれども、やはり憤慨は隠しきれていない様子だった。横目に俺を見て、沈んだ色の目が俺を捉えた。


「いやそれがさ、聞いてくれよ。今日あの学校のミス女子生徒……だったかなんだっか知らないけど、とにかくその子に告白されたんだ」


 ビクリッと大袈裟なまでに身体を震わせて、俺の話を聞く優希。ふと見ると、喜んでいる様子は皆無という言葉すら薄いくらい無表情だった。少し怖くなって俺は話すのをやめた。

 失礼だったかもしれない。優希との約束をすっぽかして他の奴と何かをしていたにも関わらず、いかにも自分が幸せそうな話をしたのは。優希の表情には辛さのようなものが露骨に滲み出ていた。


「ど、どうしたんだよ。約束を後回しにした事は悪いと思ってる。でも、そんな泣きそうな顔しなくても……」


 必死に奥歯を噛んで耐えているのが分かる。

 何が、何が優希をこんな風にさせた?約束を破ったことすらあったが、それでもこいつはこんな表情をしなかったはずだ。なのに何故今、こんなに涙を堪えているんだ。


「え、えと」


 言葉を探るようにして、優希が口を開いた。


「ミス風女学園優勝者の、青山あおやまさんだよね?うん、分かるよ。凄く可愛いもん」


 後に分かった彼女の本名が優希の口から出された。言葉を発したせいか、耐えていた涙が頬を伝う。それを見た俺は、胸が針金で縛り付けられたように苦しくなった。

 ――一陣の風が、涙をさらっていった。


「でも、でもね?私の方が先に約束してたよね?何で最初にこっちに来てくれなかったの?」


 優しい風とは真逆の、冷たい涙が地面にしみを作っていく。嗚咽交じりの声が、綺麗な優希の声帯をおかしくしていった。かえるでも出せないような壊れた声が俺を貫く。


「それとも先に青山さんが約束していたの?昨日の晩?朝?それとももっと前?」


 巻く仕立て上げるように俺に詰め寄る。胸倉を掴んで頬でも叩いてくれれば俺もすっきりしたかもしれないが、俺にはかすりもしないで、優希はただ涙の溜まった瞳で俺を見上げた。先ほど青山の時に見た不安や期待に満ちた目とはかけ離れていて、そこには悲しみしか浮かんでいない。


「さっき下駄箱の前で待ち伏せされてて、それで……」

「どうして付いていったの?ねぇ、どうして?ねぇ、答えてよ、ねぇ!!」


 言葉がどんどん強くなる。

 それを聞いていた俺は、何だか理不尽に怒られているような気がして腹が立ってきた。


「どうしてお前にそこまで言われなきゃいけねぇんだよ!!別に俺が誰と付き合おうとお前には関係ないだろ!?そんなに俺と先に話がしたかったなら、お前も下駄箱の前にでも待っていれば良かったじゃねぇか!」


 それに怯える子猫のように身体をすくめ、その瞬間瞳の色を失わせると、そうだよね、と感情の篭もっていない声で呟くように言った。

 少し言い過ぎたかとも思ったが、これくらい言ってやらないと無駄な問答が繰り返されるような気がしていたため、後悔はしなかった。

 先ほど青春がどうのこうのと考えていたバスケットボールの音が酷く今はあり難く思える。この無言の静寂の間を縫ってくれるのだから。


「青山さんって、あの風の民らしいよ」


 背中を向けて優希がそう言った。その背中が、酷く小さい。


「だから何だよ。お前だってその訳の分からん宗教の信者だろ?まるでそれがおかしいみたいな言い方しやがって」

「うん、そうだよね。そうだよね……」


 優希をその場に残していくのは気が引けたが、これ以上どうこうしていても埒が開かないと思って、返ってこない別れの挨拶だけして、俺はその場を後にした。





 ―――




 あは。

 あはは。

 アハハハハハハハハハハハハハハ。

 無慈悲でいて、歓喜に打ちひしがれた狂喜の笑い声が木霊する。木造で立てられた祭壇のような場所で、彼女は喉が枯れるほど笑った。

 はぁはぁとやり場の無い興奮を吐息にして漏らし、祭壇の前で膝をつく。


「風神様、憎き人間から夫を取り戻しましたよ。私は、私は幸せになれるのですよね……」


 一目惚れと言ったのは本当だった。初めて彼を見たときに、私は運命に似たものを感じた。そして、それはきっと伝説上での夫の存在なのだと数秒もしないうちに決めたのだ。

 だが、それには障害があった。中原優希。彼女の存在が。

 けれどもその障害は私にとっては伝説の裏づけにしかならない。彼女が私か想い人を奪う人間だというのならば、私は風の乙女になりきることが出来るのだ。これほど幸運に恵まれたことは人生で二度とないだろう。

 そして、私は彼を手に入れた。嬉しさ余って、その場で犯してしまいそうなくらいの衝撃を一身に受けながら、彼との帰路に着いたのだ。

 明日もきっと良い一日になる。

 私は夜風に当たりながら、夜を更かしていった。





 ―――





 その日は何かが違った。

 いつもの通りに、昨日と同じ朝を迎えたはずなのに、どうしてか気分が晴れない。ダムのようなものが、俺の感情を塞き止めている、そんな感じだ。

 原因なんて探らなくたって分かっている。優希だ。

 当然あの後電話もメールも、無論姿を見ることも無く、もやもやとしながら夕食を取っていた。だが、そこにひと時の安らぎもあった。青山さんから寝るまで途絶えなくメールをした。電話もしようかと思ったが、会話を親に聞かれたくなかったのでやめた。

 そのことを思い出せば、自然と顔がにやけてくる。

 そんな状態で登校するわけにもいかないので、玄関で俺は頬を二三発叩いて気合を入れる。しゃきっとしなければ嫌われるかもしれない、なんて考えることが出来るほどまだ若かったんだと実感した。

 けれど、そんなことを実感している自分に漏らす。


「なんて下らない……。とりあえず、優希に謝らないとな」


 怒鳴ってしまったことやら何やら、話すことは沢山ある。実際、今の俺にとっては青山さんと待ち合わせするよりもそちらの方が大事だった。長い間かけて築いてきた関係を、こんなどうしようもないことで崩したくは無かった。

 決意を胸に秘め、扉を開ける。


「……」

「おはよう、樹」


 思わず言葉を失った。まるで待っていたように家の前で、優希が本を開いていた。その表情は昨日とは打って変わって、何故か優しげだ。どこか疲れ果てているような無理矢理さが感じられるが、それを隠すためか笑顔を絶やさない。

 昨日の今日だし、優希がこちらに来ることなんてまずない。恐らく俺と同じ気持ちだったのだろうと察した。

 だから相手に先に言われる前に、俺が言う。


「昨日は、その、ごめん……。少し我を失ってた」


 けれども優希の表情は依然としたまま笑顔で、俺の予想とは全く違う反応をする。


「良いよ。昨日は、ちょっと、ね。樹の幸せな時間を壊しちゃったのは私だもん。樹が謝る必要なんてない。だから、仲直り、しよ?」

「あ、ああ!」


 思いの他、優希は怒っていないようだった。無理して笑っているように見えたが、実は違ったのかもしれない。昨日の出来事を踏まえて優希を見ていたから、そういう概念による錯覚だったと俺はこじつけるように認識した。

 表に出して、誰が見ても喜んでいるとしか思えない表情の俺に、優希は笑いかけて、俺の手を取った。繋いできたわけじゃない、掌を裏返して、何かを乗せた。グラムで表せるだろう重量が俺の掌にのしかかり、それを見落とした。


「それ、仲直りのしるし。何か辛いことがあったら開いてね」


 お守りだった。神社にあるような煌びやかな装飾は無い、まるで小学生が作ったような簡素な封筒のようなお守り。ピンク色の紙に黒い文字で『お守り』と綺麗に書かれていた。丹精に作ったとは思えないが、なんだか想いが詰まっているような気がして、大切に掌で握り締めた。


「ありがとな。土壇場で使わせてもらうよ」

「うん」


 登校時は、それはもう俺にとっては至高の時だったかもしれない。

 久しぶりに見た優希の笑顔は、何にも変えられないな、と思った。ポケットの中身が、携帯一つから、お守りを加えて二つになったのを歩きながら感じていた。





 校門で青山さんが待っていることを見通して、優希は先に教室へと向かっていった。何だか名残惜しい気がしたが、それでは青山さんに失礼だと思って邪念を取り払う。

 案の定、彼女は校門の前で、まるでそこが犬のモニュメントでもあるかのような立ち振る舞いで待っていた。直視したことが無かったため、その姿は一層輝いて見えた。

 という朝の短いひと時を終え、俺はいつもの通り学業に励む。今日は調子が良い。社会教師の眠りを催す声も不思議な力で跳ね除けていたように思えた。



 照りつける太陽の下に、二つのスカートが翻る。

 十分という不十分な休み時間を有意義に過ごそうとする生徒は頭上の校舎で、窓際に立って世間話を繰り広げていることだろう。きっとゲームの話だとか、テレビの話だとか、芸能の話だとか。

 目の前で相変わらずニコニコとしている女を見て、私は無性に殴りつけたくなった。だが、後の祭りとなっては遅い。拳でぐっと堪えて相手を見据える。


「あなた、どうして私の樹君に付きまとうの?彼は私の彼氏なの。悠々と近づかないでくれない?」


 中原優希。

 昨晩で絶望に打ちひしがれて今日は学校を休むと思っていたのにも関わらず、平気な顔をして登校してきた。それどころか、登校中樹君と共に登校していたという話を聞いたときには、私の堪忍袋の緒が音を立てていた。

 それでいてこの笑顔。全てを諦めきっているように見せかけて、何かを企んでいる悪い女の象徴だ。それが私の目の前にあり、すこぶる気分が悪い。


「無理な相談だよ。樹と私は仲直りしたの。もう樹は私の事を嫌いじゃないの」

「関係ないわ。あなただって女だったら分かるでしょう?好きな男の近くに違う女がいたら不愉快なの。消えて」

「そんなの勝手だよ。だったら青山さんが自分で留めておけばいいんだよ。私は、負け犬になったつもりなんてさらさらないんだから」


 見つめた目を決して離そうとしない。私はその奥深い無色の瞳に圧倒されて、思わず彼女の顔を避けた。坦々と語る言葉には感情など篭もっていないのに、あまりに怖かった。

 私は自分の中からやっとのことで言葉を搾り出す。


「か、彼は私のモノよ……」


 すると、彼女はやはり笑う。まるでそんなことは知っていると、認めていると言いたげに、憎たらしく笑う。


「でも、樹は私のモノじゃなかったんだよ?青山さんが樹を手に入れたことを、もし風の乙女の伝説だと思っているのなら……ふふっ、嬉しいなぁ」


 何が嬉しいのだ。

 何が嬉しいのだ。

 何がっ、何がっ、何がっ!?

 心の中で地団太を踏んで、ありとあらゆるものを壊す。もう私の感情は限界値をとうに超えていた。右手を大きく振り上げて、彼女の頬目掛けて振り下ろした。

 パンッ!!

 軽快な音が鳴り響き、手にジンジンとした痒みが走る。彼女の頬はそれ以上に腫れており、叩かれた左頬を痛そうに押さえて、片目から涙を流す。


「殴っちゃったの?あはは、樹が私の頬を見たら、きっと青山さん怒られるよ?」


 薄気味が悪い。この女は人とは思えないほどに笑顔を絶やさない。うっすらと夜を泣き通した後が目の辺りに残っているというのに、何故今日はこんなにも恐ろしいのだ。


「私ね、樹にお守りあげたんだ。それを樹は凄い大切そうに持ってるの。凄い嬉しいんだよ?」

「うるさいっ!!」


 もう聞いていられない。悪魔の囁きなんて目ではない。平常心を持った悪魔ほど怖いものは無いというものだ。

 私は知らぬ間に震える身体を抱いて、校舎に走っていった。後ろなど、振り返れなかった。

 悔しさで唇から血が滴っていることにすら、私は気付かなかった。





 ―――





 今日も普遍的日常を滞りなく完遂。と言ってもまだ夕方だが、俺にとっては学校の終わりがイコールで一日の終わりに感じられている。それほどにダルイということだ。

 青山さんが校門のところで待っている。今朝と同じく、やはり何かうきうきした様子を隠しきれないでいるようだった。


「あ、樹君。帰ろう?」


 俺に気付いて駆け寄ってくる。歩幅はやはり小さく、彼女に合わせて歩くのも一苦労だった。

 夕焼けが街を照らし出し、風が何かの訪れを知らせる。暁光の世界はまるで俺たちを祝福してるようだった、とロマンチックな言葉も浮かんでくる。やはり今日は何か良い日なようだ。暁が彼女の顔を焼いて、黄昏を作っていた。

 坂道を降りるとき、彼女は突然俺のほうに向き直った。その真剣な眼差しから逃れられず、俺はたじろいだ。


「ど、どうした?」

「ごめんなさいっ!」


 俺の胸に一人分の重量が急に押しかかった。青山さんが抱きついてきたのだ。

 体感したことのないやわらかい感触と、鼻腔をくすぐる香りが俺の理性を奪っていく。だが、俺は『ごめん』と言った彼女の言葉に救われ、何とか彼女の肩を掴んで態勢を保った。

 すると青山さんは上目遣いに俺を見て、泣きながら言った。


「わ、私、樹君が中原さんと一緒にいるところを見て、中原さんに酷いこと言っちゃったの。

それで、その……頬を叩いて……」


 本当に申し訳無さそうに呟く。優希の名前が出てきた時はひやっとしたが、俺にとっては安堵するに値した。

 しかし、嫉妬深いと言えども叩いてしまったのは少し関心がいかない。それも相手が優希となれば、多少は怒っても問題は無いだろう。そう思って、でこピンを一撃かましてやった。可愛い声を出して、額に手を当てる青山さんが滑稽だった。


「嫉妬してくれるのは嬉しいけど、あんま暴力的なのは良くねぇな。んま、反省しているのなら気にはしないさ」

「……有り難う」


 俺ははにかんで青山さんの頭を撫でてやった。滑るような黒髪が綺麗で、思わず抱きしめたくなる。けれども何か、やはり腑に落ちない部分があって仕方が無い。

 ふと、優希の顔が浮かんだ。

 どうしてだかあいつの声が聞きたい。そう思う。あの澄んだ声を聞いて、樹と呼んで欲しい。

 ――気持ちが、揺らいだ。





 数時間後の夜中、俺はポケットからお守りが消えていることに気付く。

 ズボンを脱いで、事細かに調べるが無い。鞄の中身をぶちまけて探すが、無い。家の中で落としたのだろうかと、物凄い形相で親に詮索の手伝いをさせるが、無い。

 どこだ、どこだ、ドコダドコダドコダ。

 どこにいったんだっ!!


「くそっ、くそぉ!!」


 どうしてか分からないが、あれだけは無くしてはならないような気がしたのだ。優希との仲直りのしるしを。

 どこで落としたのか、冷静になって記憶を逆再生する。学校では落としてない。体育の授業は無かったし、トイレにも今日は行かなかった。ポケットの向きがおかしくなるタイミングが無い。だとすれば、下校途中?


「あ……」


 青山さんが抱きついてきたときだ。恐らくあの拍子で落ちてしまったのだろう。

 腹の奥から黒い感情が湧き出す。なんてことをしてくれたんだと、俺は怒りに怒った。きっと青山さんが目の前にいたならば、容赦なく殴りつけていたかもしれない。これでは下校の時に青山さんに言った言葉に信憑性がもてないが、事情が事情だ。許すわけにはいかない。

 散らかった部屋を片付けようとする思考など全く回らず、急いで青山さんの携帯に電話をかける。

 プルルルル、プルルルル――。

 十回目のコールで、留守電サービスが流れる。無機質な声が更に苛立たしい。今は何が相手でも八つ当たりしてしまいそうだった。

 とりあえず簡略に『ピンク色のお守り拾わなかった?』とだけメールにして、送っておく。

 ベッドに座ると、五月蝿いくらいに貧乏ゆすりが音を立て、太股の自動振動を抑えることすらしない。

 明日まで待つべきか。それとも今探しに行くべきか。いや、その前に早めに優希に謝っておかなければならない。

 と、その時、青山さんからのメールが返ってきた。携帯を開いたままで持っていたため、差出人がすぐに分かった。バイブレーターが鳴り止む前に、俺はメールを開く。


『返して欲しかったら、私と別れて。別れたくなければお守りは諦めて。前者を選ぶなら、国立公園に行ってちょうだい。後者を選ぶなら、もう寝て』


 突き放すような文体で、そう表記されていた。

 あまりに突然の告白に、俺は理解に苦しんだ。分からない。彼女の気持ちが分からない。何故そんな無駄な選択を取らせるのだ。お守りを返してそのまま付き合っていれば良いじゃないか。どうして、たった一日でそんなことを言い出すのだろうかと。苛立ちはどこにも向けられず、ただ俺の中に積もっていく。許容量を超えた怒りは、諦めとなって脱力感に変わった。

 ベッドに倒れこみ、泣きたい気持ちを抑えてメールを読み返す。どんなに回数を重ねても同じ内容にしか見えない。現実逃避は成功しなかった。


「……お守り、返してもらわなきゃ……」


 行くべき道は、自分でも恐ろしいと思うほどに即決した。




 ―――




 草原が風に凪いで、さわさわと川のせせらぎのような音を立てていた。月が雲ひとつ無い夜空にぽつんと取り残されたように浮かび、太陽の無い世界に光を降り注ぐ。四方八方全てに限りが見えず、まるで世界に俺一人しかいないような錯覚を覚える。

 風が、とても優しい風がそこには存在していた。これまでに感じたことの無い、温かい抱擁のような風。夜の公園には似合わない温度だった。けれども、時折冷たい風を俺の肌に感じさせ、拗ねている様に悪戯をする。上着を持ってこなかったのは失敗だったかもしれない。

 ――一陣の優しい風が、俺を包み込んだ。

 そこにいたのは見知った少女。外出には絶対にそぐわないパジャマで風にそよぐ草の中に静かに佇む。黒髪が草原と同じ向きにひらひらと流れ、どこかにさらっていかれそうな危うさをかもしだしている。そんな彼女に俺は、見惚れていた。

 優希が、微笑んでいた。


「……どうして、樹がここにいるのかな」


 月の女神がいるというのならば、きっと俺の目の前に光臨しているだろう。優しげな声が、俺には涙モノだった。


「お守りを、返してもらいに来たんだ……」


 俺は嘘偽り無く告げた。この雰囲気では、そんなことはきっと許されないのだろうと思ったから。

 すると、優希は草を掻き分けてこちらに寄ってきた。パジャマ姿どころか、靴も履いていなかった。幼さのまだ残る女の子の顔が、俺の顔面数センチに寄せられる。


「あのお守りにはね、実は、『私の樹を取らないで』って想いが入ってたんだよ。だから、きっと盗んじゃった青山さんが、驚いて、樹に変なこと言っちゃったんだね」

「そうかも、しれないな。ああ、きっとそうだな」


 優希はそれに微笑すると、俺の頬に手を置いてゆっくりと、愛しいものを癒すように撫でる。上下する掌の感触がやわらかく、綺麗に整えられた爪が首筋の辺りでくすぐっている。


「ねぇ樹。私とどこか、遠くにいかない?」


 突然優希はそんなことを提案した。首の後ろに回された手が、優しく俺を抱きしめる。


「遠くってどこだよ。まだ自立も出来ない歳だぞ?」

「大丈夫、風が連れて行ってくれるから。誰の目にも付かない、楽しい世界に」

「……そりゃ楽しみだな」


 ふわり、と俺の身体を風が包む。精霊でもいるかのように、何か意図的めいたものをそこに感じる。

 俺は優希をそのままお姫様だっこと呼ばれる態勢に持ち込み、案外この態勢が重いことに気付いたけれど、そこは男として我慢して、余裕を見せるように抱き上げる。優希はそれに喜んで、わっ、と驚いた声を漏らす。

 数秒、ほんの数秒だけ、俺たちは見詰め合った。

 そして、優希が口を開く。


「私はね、樹を愛しています。とても、とても」

「俺もだ。もしかしたら、お前が風の乙女なんじゃないかって、今だけ伝説を信じられるよ」

「じゃあ風の乙女である私を、愛してくれるんだよね?」

「青山さんのメールの内容をお前は何故だか知らないけど、知ってるんだろ?なら、俺がここにいる理由も分かるはずだ」

「そだね……。樹」


 ふわっ。

 俺の顔と、優希の顔の距離がゼロになる。その時、風が一瞬だけ、雰囲気を読んだのか止んだ。

 当てられた唇の感覚はとても優しく、まるで風のような口付けだった。

 風に乗る。

 きっと俺は、優希とならば月にだって行けるだろう。

 風に乗る二人は、どこまでも飛んでいく。

 


 一陣の優しい風が貴方を包んだとき、それは支えとなって、いつまでも貴方を愛するものとなるでしょう。風は貴方を辛さとはかけ離れた場所へと手招きし、金銀財宝の満ち溢れた家へと案内し、一生幸せに暮らしていけることでしょう。

 だから風を愛しなさい。風の乙女を愛し、敬い、そして愛されなさい。

 風をその身に抱く広大な草原にて乙女は貴方を待ち焦がれ、涙している。想い耽った彼女は我が夫となるべき男をさらっていく女を許さないでしょう。深い嫉妬と怒りの念にその心をやられ、激しい風を吹かせて全てを奪っていくかもしれない。

 ヒトと風は共に生きていかなければなりません。

 だから風を愛しなさい。風の乙女を愛し、敬い、そして愛されなさい……。





※あとがきにて、伏線の解説がありますが、綺麗なまま終わらせたい人はご遠慮ください。

蜻蛉ワールド解説。



もし、この作品を良いままで終わらせたい方は、この先を読まないで下さい。

蜻蛉ワールドとは、伏線の魔術師を目指す私が勝手に作り出したもので、一見して「?」と思う部分はあるけれど、それが日常に溶け込んで分からない、そして狂気の世界が描かれていることです。


この作品は、「中原」が、ある策略を使って樹を取り戻しています。


最初に、「人の幸せがどうのこうの。けれどもそれを覆そうとする人がいる」と書きました。これが最初の概念を与えるための文です。


まず、中原は樹にお守りを渡しました。そのお守りの中身は「樹を取らないで」という想いが入っていたと最後に中原は言いました。

無論、そんなものは入っていません。それを意味する『何か』が入っていただけです。


次に中原と青山が言い争うシーンで、中原は笑って「嬉しいなぁ」と漏らしましたが、あれは伝説上では、「先に奪ったほうが、後に奪われる」ことになるので、中原は結局は自分のものになるのだと思っていたからです。

そのシーンで中原は、青山に「私は樹にお守りをあげた」と漏らしています。


それを知った青山は樹に抱きついてお守りをこっそりと盗みますが、これこそが中原の狙いでした。


中盤、青山が爆笑して樹を手に入れたことを喜ぶシーンがありますが、あそこで「風神様」などとほざいているように、青山は宗教に対して熱心です。

それを知っていた中原が、お守りの中に『伝説の通りならば〜〜』という紙を入れ、青山を挑発していたのです。

だから、青山からのメールの内容が「別れるなら草原へ、付き合うなら寝ろ」と言っていて、中原はそのメールの内容を知っていた、というオチです。

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[一言] 貰ったものが二つなので返すものも二つということで、どうも、ガルドです。こっちは長編が混じっているので実際フェアじゃないけれど。 今回とっても辛いので、取って付けたようにならないよう先に甘い物…
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