ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
           第39話
 聡は、嫉妬に狂って、とんでもない真似をしていることに気付いていない。
「止めて……こんなのはいや!」
「黙れ! お前は俺の妻なんだ。俺の言うとおりにしろ! 逆らうなら、悠を取り上げて裸で叩き出すぞ!」

 セックスはかろうじて二人を繋ぐ絆だった。どうしようもなく求め合い、悦びの果実を分け合うことで、夏海は聡との関係に可能性を見出せたのだ。
 しかし、この夜のセックスは、愛し合うことではなく、ただの暴力であった。


 聡にしても、快楽とは程遠い、こんな抱き方は本意ではない。だが、心の底に染み付いたコンプレックスが強烈な妬みを生み、彼の心と体をコントロール不能に陥れた。
「どうせ、セックスに不慣れな俺を匡と笑っていたんだろう? ああ、その通りだ。昔も笑われて、散々馬鹿にされたさ。ちょっと何かあると、すぐに勃たなくなる。三年前もそうだ。お前に騙されて裏切られて……女は抱けなくなった。なのに、お前は抱けるんだ! すぐにこうなる。悔しいが……俺は、お前の体の虜だ!」
 聡は、一度堰を切ったどす黒い感情を止める事が出来ない。
「同じ女に、二度も裏切られるのはご免だ。その時は、一生女が抱けなくても、お前とは別れる! 悠と離れたくなければ、俺に従え。判ったな!」

 苦痛に顔を歪ませ、やめてほしい、と懇願する夏海に……聡は一方的に思いを遂げたのであった。
 

〜*〜*〜*〜*〜
 
 
 赤く充血した目と、涙で腫れあがった瞼をタオルで冷やしながら、夏海は朝を迎える。
 そんな母親の気持ちを察したかのように、翌日、悠は熱を出して寝込んでしまうのだった。幸い、重いものではなく、一日で平熱に戻ったが…… 
「旅行はキャンセルしよう」
 そんな聡の言葉に、夏海はホッとしたのだった。


 ――少し頭を冷やそう。夏海と距離を置こう。

 夏海と同じく、一睡も出来ずに、気がつけば夜が明けていた。
「昨夜は酔っていたんだ。……すまなかった」
 開口一番で謝罪した聡を、夏海は怯えた瞳で見上げた。彼女の全身から、接近禁止命令が出ている。聡はそれ以上、一歩も踏み込めずにいたのだった。
 せめて、熱を出した悠の傍には居たかったが、夏海がそれを望んではいない。
 聡は諦め、如月に伝言を頼む。
「来月に予定していた北京への出張だが……アポが取れたので早める事にした」
 と。そして、そのまま成田から飛び立つのだった。


 しかし、そんな聡なりの配慮は、まるで意味のないものになってしまう。
 事態は夫婦の問題ではなく、笹原智香の悪意によって、一条家全体を巻き込みつつあった。


〜*〜*〜*〜*〜


 匡・由美夫婦は白金台のマンションに住んでいる。由美の希望だ。
 子供が産まれても四〜五年は夫婦で暮らす予定にしている。そして、落ち着いた頃を見計らい、一条の両親と同居する約束になっていた。

 四LDKの一部屋は、床をコルク素材に取替え、アーチ型の窓には、すでにピンクのカーテンが掛かっていた。
 ベビーベッド、ベビータンス、天井からはメリーゴーランドが下がり、後は子供の誕生を待つばかりだ。

 そんな幸せいっぱいの新婚家庭のリビングに、およそ不釣合いな表情で智香は座っていた。

 由美は、義兄・聡の結婚が、事実上三度目になることだけは聞かされていた。
 匡と見合いをしたのは昨年の春。その頃には智香は日本におらず、二度と一条家に関わる人間ではないと、誰もが思っていたからだ。由美自身も、実際に会うことはないだろう、と思い、名乗られてもピンとこなかったくらいである。
 そんな、いわく付きの女性に、自宅まで訪ねて来られ……。戸惑う由美だったが、夫のことで話があると言われたら、無下に追い返すわけにもいかない。そして智香が口にしたのは、あまりに突拍子もないことだった。

「妻である由美さんがご存知ないのがお気の毒で……。匡さんの子供なら、あなたにも知る権利があるでしょう?」
 なんと、間もなく臨月の由美に、智香は偏見に満ちた自説をぶちまけたのだ。

「あの女は本当に恐ろしい女だわ。一条家に入るために、兄弟を手玉に取るんですもの。三年前は、聡さんが目を覚まして私を選んで下さったから、あの女は捨てられてしまったのよ。でも今度は、子供を盾に脅して来て……」

 この智香に、聡がいかに苦労させられたか……由美は何も知らない。それが裏目に出てしまった。
「聡さんがあの女と結婚したのは、匡さんのためですのよ。だって、聡さんには子供を作る能力がないんですもの。彼が父親のわけがないわ。そうなったら……父親はねぇ。大変ですわね、お腹の赤ちゃんに腹違いの兄なんて」

 そして、青ざめる由美にとどめを刺す。
「これから、どうなるのかしら? 二人で会っていても、家族と言えますものね。二人三人と作る気かも知れませんわ。あなたに男の子がお出来にならなければ……あの女のことですもの、妻の座も狙ってくるんじゃないかしら。頑張って後継ぎをお生みにならないと」

 由美の脳裏に、夏海の息子・悠が「おとうとがほしい」と言ったときの、微妙な空気が思い出される。
 それらが指し示す驚愕の真実に、背筋が凍りついたのだった。


 それから間もなく、臨月に入ってすぐの検診で、早産の危険性を指摘され、由美は成城の一条邸に移った。
 十代で母親を亡くした彼女は、実家には帰省せず、出産前後はあかねの世話になることが決まっていたからだ。

 由美は、智香から聞かされた言葉が耳から離れない。真偽は気になったが、真実を知るのが怖くて、匡を問い詰められずにいた。しかし、その由美の元に、夏海が悠を連れて現れたことで、事態は最悪の展開を迎えたのだった。

拍手&メッセージお待ちしております。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。