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12・新たな事件
 東昇はその後もアリア達の足取りをつかめなかった。仕方なく東京へ戻り、数ヶ月が過ぎていた。
「一人で長時間の張り込みは限界があるから仕方がない。そのうちアリアはきっとまた現れる。そういつまでもくよくよするな」
 十無が何度そう言い聞かせても、昇は落ち込んだままだった。
「そうは言っても、何処に現れる? 全く分からないんだぞ」
 とうとう十無はしょげ返っている昇を見かねて、仕事から帰宅したある日、打ち明けてしまった。
「……実は、それらしき情報を掴んでいる」
「酷いな、兄貴だけ知っていたのか。それで暢気にしていたのか」
「お前に言ったらまた仕事そっちのけで首を突っ込みそうだから黙っていたが、今でも仕事をサボっているし……」
「いいから、早く教えろ」
「捜査中だから絶対余計なことをするな」
 十無はある住所を昇に伝えた。翌日の午後、昇は十無の予想通り仕事を放り投げ、その場所へ向かった。
 そこは、文京区、小石川にある山の手の閑静な住宅街で、古い平屋の一軒家がマンションに囲まれるようにして建っている場所だった。
 どうやら刑事達の先客はいないようだ。
 昇はその場に張り込み、谷崎たにさきという表札のある、家の様子を伺った。
 もう十月になるというのに、東京は残暑が厳しく気温は三十度を超えており、昇はじっとしていても汗だくの状態だった。
 暫くすると、眼鏡をかけた若い大学生風の男が、その家を訪ねてきた。四十代そこそこの女性が玄関で出迎えると、家の中へ案内した。
 二時間が過ぎ、再びその男が玄関から出てきた。高校生くらいの少女も見送りをしている。門の外まで見送り、かなり親しそうだ。
「家庭教師だろうか? 兄貴は出入りする人物に注意してみろと言ったが」
 昇はその男を尾行した。男は通いなれているようで、入り組んだ住宅街を迷わず歩いていく。  
 どうやら地下鉄駅に向かっているようだ。高い塀や、建物のある角を曲がり、何度も姿を見失いそうになりながら昇も急いで後についていった。
「何の真似ですか」
 昇が角を曲がるとその男が待ち構えていた。昇を睨みつけている。
 尾行で気づかれたことはそうない。得意としていると自負していた昇は驚き、声が出なかった。
「悪戯に人をつけまわすのは犯罪ですよ、そういうのを世間ではストーカーと言う」
 インテリか。嫌な言い方をする奴だと思いながら、昇はやっと落ち着きを取り戻した。
「失礼しました。人を探しているもので」
 十無から、決して接触するなと強く禁止されていたことを忘れたわけではないが、こうなっては仕方がないと判断し、昇は逃げずに対応した。
「僕に何か関係ありますか?」
「それはわかりません」
「どういうことです。じゃあ後をついて来るのは止めてください、迷惑です」
 男は眉間にしわを寄せた。大学生風のその男は、間近で見ると昇より背は低く細身で、この暑さだというのに長袖のボタンダウンシャツを着ている。前髪を長く垂らし、銀縁眼鏡の奥の瞳は切れ長で、女性受けしそうな顔立ちだった。
浮島うきしま先生、忘れ物!」
 さっきの少女が、遠くからそう言って駆け寄ってきた。
「先生、足が速いのね。やっと追いつけた。母が夕食にどうぞって、温かいうちに食べてくださいね」
 少女は黒く艶のある長い髪を揺らし、息を切らしながらそう言った。礼儀正しく、育ちのよさが感じられた。
「ああ、美弥子みやこちゃん、わざわざありがとう」
 浮島と言う男は、紙袋を受け取った。どうやらこの少女の母親が手作りした惣菜らしい。
「先生のお友達ですか?」
 美弥子が昇の方をちらりと見て言った。
「いや、ちょっと道を尋ねられただけです」
 何も言うなと言わんばかりに浮島は昇に目配せをした。
「美弥子ちゃん、それじゃあまた」
「はい、さようなら先生」
 少しこちらを振り返り軽くお辞儀をすると、美弥子は足早に去っていった。
「……変な心配かけたくありませんから。それでは僕は急ぎますので」
「待て」
「まだ何か用ですか」
「アリアって言う奴を知らないか?」
 単刀直入に名前を出して、自分でも馬鹿な質問だと思いつつも、昇はそれしか思い浮かばなかった。
「どこかで聞いたことがありますね。……そうだ、以前教えていた女子高校生のお兄さんが確かアリアと呼ばれていたような。でも、その娘は先月転校したので、もう東京にはいません」
 浮島は少し考え込み、思い出しながら話した。
「何処へ転校したのかわからないか?」
「わかりませんね」
「じゃあ、それまで何処に住んでいたのか教えてくれないか」
「いいですが、ところであなたはその人とどういう関係ですか?」
「俺は探偵で……そいつは……大事な奴なんだ。突然いなくなって心配している」
 何と答えて良いか、昇は少し言葉に詰まった。
「そうですか……この住所です」
 浮島はメモ用紙に住所を書き、昇に渡した。
「ありがとう、後をつけて悪かった」
 昇は路上駐車している車に戻り、早速その住所に向かった。
 だが、辿りついたのは何故か見覚えのあるアパートだった。
「やられた!」
 昇は思わず叫んだ。そこは以前、昇と十無が住んでいたアパートだった。
 あの浮島という男がアリアだったのだ。
  
 東昇は浮島という家庭教師がアリアだと確信し、すぐに十無へ電話をしたのだが連絡がつかなかった。署にも出向いて見たが、十無は忙しく飛び回っており、とうとうその日はつかまらなかった。
そうこうしているうちに、ことは起こってしまった。
 その日の夜、谷崎家で盗難があったようだった。
 ようだった、と言うのは谷崎家では盗難届けを出さなかったため、正確なところはわからなかった。が、谷崎家は急に人の出入りが多くなり、蜂の巣をつついたような状態だった。
 同時に、家庭教師も音信不通になり、姿を消していた。
 東十無はその情報を受けて、怒り心頭だった。
 「昇、谷崎に出入りしている奴と接触したな! 感づかれて逃げられてしまった。お前のせいで何もかもパアだ」
 明け方、十無の怒り声で昇は起こされたのだった。
 十無は徹夜明けで充血した目で昇を睨み、昇の襟首をつかんだ。
「あの家庭教師がアリアだ、あいつと接触したことを隠していただろう?」
「隠していたわけじゃない。接触する気はなかった。たまたま成り行きで……言おうと思ったが、電話が通じなかったんだ。でも、どうして先に教えてくれなかったんだ」
「お前に教えたら、それこそあいつに掴みかかって今何処にいる! と、やるだろう!」
 図星だった。昇はうなだれた。
「この次はもう邪魔をするな。ま、次があったらの話しだが」
 十無は疲れた顔をして、襟首から手を離した。
「また、行方がわからなくなったのか?」
「誰かのせいで」
 やっとの思いでアリアらしき人物を見つけ、周囲を固めていた矢先だった為、十無はチクチクと嫌味を言わずにいられなかった。
「本当に悪かったと思っている」
 昇に悪気がないのが返って厄介だった。
「終わったことだ、もういい」
 十無はベッドサイドに力なく座り込んで、額に手を当てて大息をついた。十無の落胆は大きかった。
 こんなに思い入れがあるのは、別の感情があるのではないかと昇は考えずにいられなかった。
「兄貴……前から聞こうと思っていたけれど」
 昇はおずおずと切り出した。
「兄貴は、アリアのことを……どう思っている?」
 十無は顔を上げて昇をちらと見た。
「……前に同じことをヒロにも聞かれた。……アリアは被疑者だ。きちんと罪を償ってほしいと思っている」
 少し考え、十無はそう答えた
「そんな模範解答は聞いていない。本当のところ、どうなんだ」
「どうもこうもない」
「言っていることと行動がかみ合ってない。アリアのことになると、兄貴は眼の色が変わる」
「そんなことはない」
「俺は、あいつが好きだ。あの、人を食ったような態度も、一人で何かを抱えているような所も、全部ひっくるめて何故か惹かれる」
「あいつは犯罪者だ」
「でも、気持ちは割り切れない。兄貴はそんな風に線引きできるのか?」
「……」
「以前アリアに会った時、何があったんだ」
「何も、特別なことはない」
 昇はのらりくらりの十無の態度に苛々したが、十無は変わらず静かに答えた。
「本当に何もなかったのなら、アリアと初めて会った時のことを話してみろ」
「そんなこと、どうでもいい」
「俺には大事なことだ。アリアはもしかして……」
 もしかしてアリアは、同じ顔である十無の姿を自分に映し見ているのでは……昇にはそんな嫌な予感があった。
だが、十無は口を噤んだまま話そうとはしなかった。
 追いかけても、すり抜けていく。掴んでも、掴みきれない。何処かへ消えてしまったアリア。
 折角、アリアのことを少し知ることが出来たと思ったら、今ここにアリアはいない。
 昇と十無はお互い知らずに、同じことを考えていた。
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