有形の悪意(脚本ver)
有形の悪意
話を成立させるための下準備として以下の偽の粗筋を流しておく。
“二人の科学者に実験台として捕まえられた不幸な少女。脱出を図る彼女は二人から逃れられるのだろうか?”
舞台中央付近に二人の男。一方は若い長身の青年で、もう一方はそれより歳をとった初老の人物。二人とも白衣を来ている。二人は休憩をとっているところで、青年はくつろいだ様子で椅子に腰をおろしているが、初老の方は落ち着きなく舞台の上をゆっくりと歩いている。
ギデオン(初老の男)「いま私たちが認識している現実が、そう、たとえば舞台の一幕なのではないか、そう考えたことはないかねウォーカー君。今我々は自分たちの研究所にいると思っているが、本当はグランギニョール劇場の舞台に立っているのかもしれない。それともどこかの学校の講堂なのかもしれない」
ウォーカー「ありがちな空論ですね。特に思春期を迎えた子供が陥りがちな」
ギデオン「馬鹿げた考えだと思うかね?」
ウォーカー「あたりまえでしょう」
ギデオン「本当にそうだろうか。きみは研究者などではなく、ハイスクールの生徒なのかもしれない。ウォーカーなどというアメリカ人ではなく。そう、例えば(演じている役者の名前)という日本人がきみを演じているのかもしれない。彼はきみを自由に操ることができるが、その逆は決してあり得ないんだ」
ウォーカー「どうしたんです。なぜいきなりこんな話題を?」
ギデオン、ようやく立ち止まりもう一方の椅子に腰を下ろす。
ギデオン「わからないんだよウォーカー君。なぜ私は馬鹿げた議論をきみにふっかけたのだろう。今までこんなことは考えたこともないはずなんだ。きみに話すほんの数秒前まではね。それこそ私たちを作り出した脚本家が私に言わせた台詞なのかもしれないな。例えばこんな粗筋はどうだ──“二人の科学者に実験台として捕まえられた不幸な少女。脱出を図る彼女は二人から逃れられるのだろうか?”」
ウォーカー「疲れているんでしょう。こう連日徹夜が続いてはね」
ギデオン「だがその甲斐あってようやく二人目に取り掛かれるのだ。安い代償だよ」
ウォーカー「ところで……依然お話しした件は考えていただけたのですか?」
ギデオン「まだ時期ではないよ。以前ほど声高に生体倫理が叫ばれることはなくなったが、かといって好き勝手にできるわけでもない。安全性が保証できない段階で本人への承諾なしに実験を行っているなどと知られてみろ」
ウォーカー「しかしスポンサーは必要です。私が今回の被験者を確保するのにどれだけの労力を払ったか。一度目のような手は使えませんしね。時間を無駄にし過ぎている」
ギデオン「焦る理由はない。気持ちが早るのはわかるがね。まだ研究を公にするわけにはいかないんだ。この話は終わりだよ、そろそろ準備を始めてくれ」
暗転
舞台中央に寝台があり、女性が一人横たわっている。作業台の上にはメスや縫い針といった医療道具の他に丸鋸などの工具、人間の頭より一回りほど小さな金属製箱が置かれている。ギデオン、ウォーカーはすでに寝台を囲むように向かい合っている。
ウォーカー「被験者は10代後半の白人女性。体型は標準、健康に異常は見られません。現在は高濃度の麻酔で昏睡状態です」
ギデオン「氏名は?」
ウォーカー「不明です」
ギデオン「どこで買い付けた?」
ウォーカー「知り合いにつてがあったものですから。高くつきましたよ」
ギデオン「三人目が必要になった場合、同じ筋から確保できるかね?」
ウォーカー「難しいでしょうね」
ギデオン「まあいい、そのことは後で考えよう。鋸だ」
ギデオン、女性の頭蓋を切断する。メスのような刃物で脳神経を切断していく。脳を取り除くと金属の箱を代わりに入れる。
ギデオン「培養液を」
筒状の容器に脳を移す。頭蓋を元のようにかぶせ楔のようなものでくっつけていく。皮膚を縫って元通りにする。
ギデオン「状態は?」
ウォーカー、機材の数値を確認する。
ウォーカー「非常に危険な状態です。難しいですね」
ギデオン「やるしかあるまい。バックアップをとる準備をしろ」
筒から伸びた配線を頭の後ろの方につなげる。
ギデオン「どうだ?」
ウォーカー「信号は届いています。しかし被験者の体が持つかどうか」
やがて作業が終わったらしく、線を外す。
女性はぐったりとしたままで、動く様子はない。
ギデオン「起動させろ。自律神経を早く回復させなければまずい。あまり長時間人工心肺を使いたくない」
ウォーカー「やっていますが、反応しません」
ギデオン、ウォーカーを押しのけて機器をいじる。
ギデオン「失敗だ!」
寝台を倒して女性を蹴る。
ギデオン「役立たずが」
ウォーカーの方を振り向き、しばらく無言。その後ゆっくりと倒れる。
ウォーカー「博士?」
ウォーカー、ギデオンに近づき調べる。
ウォーカー「息をしていない」
蘇生を試みるが効果はない。ウォーカー、諦めてギデオンの服装を整えてやる。
ウォーカー「まずいことになった。今彼を失っては研究を続けるのは困難だ……しかし公表に反対する要素がなくなったのも事実だ。スポンサーさえ見つかれば彼なしでも──」
女性の体がすこし動き、ウォーカーがそれに気づく。ウォーカー、彼女の体を調べる。
ウォーカー「起動している……しかし今彼女が存在していては困る。博士の言っていたように、不当な人体実験を行っていたことが知られるわけにはいかない。惜しいが、彼女は処分するしかないあるまい。それにしても、博士はなぜ亡くなったのだろう、持病など持っていないはずだが。研究を公表する以上、彼の死も公表しなければならない。彼は遺言にこの研究所を私に譲ると書いているはずだ」
暗転
ウォーカーの呼んだ警察の人間が数人ギデオンの遺体を調べている。実験台の女性はすでにウォーカーによって処分されていて、人体実験が行われた証拠も処分されている。
まだ若い捜査官が言う。
エリック「面倒な死に方をしてくれたもんだ。こんなのに係わるくらいなら西海岸の連続殺人鬼を追っていた方がどれだけ楽か。
それで、実験の途中に突然お倒れになったと、そういうわけですね」
ウォーカー「ええ。幾つか蘇生法を試してみましたが、無駄骨でした。疲労がたまっていましたから、心臓発作か何かを引き起こしたのでしょう」
エリック「脳の研究をされていたというお話でしたね?」
ウォーカー「ええ」
エリック「詳しくお話してくださいますか」
ウォーカー「なぜです?」
エリック「すこしばかり興味深い符号なものですから」
ウォーカー、不審に思いつつも話し始める。
ウォーカー「脳は人体の他の臓器とは違い、これまで代用が効かないものだと考えられていました。なぜなら脳が司る人格こそが人間そのものを決定づけるのであり、脳を失うことはその人間が存在しなくなるということです。
ではそもそも脳が作る人格とは何なのか、これははっきりしていて、脳内物質の化学反応が表現する電気信号です。つまり人間は電子なのです。根本的には機械とそう大差はない。要は素材の違いです。
博士と私の研究は脳を機械化することでした。頭蓋に収まる大きさの外部からの電波などによる干渉を避けるため鉄の箱に電子回路を詰め込み、脳の信号のパターンを検出して回路に書き込みます。それを脳の代用とするのです。オリジナルが何らかの原因で故障したとしても、これを使えば修復できるというわけです」
エリック「まあわかるようなわからないような。SFかなにかのようですね。実際にそんなことができるとは思えませんが」
ウォーカー「できますよ。実際にできたのですから」
エリック「人体での実験を行ったのですか?」
ウォーカー「一度だけ。無論本人の承諾を得て方に沿った手続きを踏まえてです。実験は成功し、被験者は今も生きていますよ。機械の脳のまま。
それで、あなたのいう符号とはなんですか?」
エリック「彼の死因についてですよ。あなたは先ほど心臓麻痺だろうと想像されましたがそれは外れています。彼が死んだのは脳が消えたからです」
ウォーカー「わかりませんね。消えたとはどういう意味です」
エリック「溶けたんですよ」
ウォーカー「溶けた? そいつは……なにかの比喩的表現ですか? 彼は麻薬の類には手を出していなかったはずですが」
エリック「文字通りの意味ですよ。彼の脳みそは物理的意味で溶けたんです。まあすぐには信じられないでしょうが
さて、あなたもご存じのように人間の人格や感情とは単なる電気信号です。ではそれによってある種の電磁波のようなものが発生するといったらどう思いになられます? その電磁波には人間の脳を溶かしてしまう作用があると言ったら?」
ウォーカー「馬鹿げてる。いくらこれが舞台だといってもリアリティがなさすぎる」
エリック「舞台?」
ウォーカー「いえ、こちらの話です。ともかく、簡単には信じられませんね」
エリック「でしょうね。こいつはつい最近分かったばかりで一部の専門家が知っているくらいなものです。この電磁波には幾つか特徴がありましてね。
まず、この電磁波は非常に強い“悪意”によって発生するのです。他の感情の電気信号ではこの現象は起こりません。また影響を受けるのはその悪意を向けられた個人だけです」
ウォーカー「悪意を抱いただけで人が殺せる?」
エリック「そういうことになりますね。日所に稀なことではありますが。というのもその悪意はかなりの強さのでなければならないからです。
この電磁波は発生した瞬間に、長くて半径数百メートルに広がり、その範囲より遠く対象がいる場合は殺せません。それから感情の抱き方に関係があるのか、指紋と同じで微妙に周波数に差異があるようです。
また、当然と言えば当然ですが、殺せるのは悪意を向けることができる人間のみです」
ウォーカー「知らない人間に悪意の持ちようがない?」
エリック「そうです」
ウォーカー「(小さな声で)では彼女ではありえないのか……彼女は博士を知らなかったはずだ」
エリック「後であなたに事情聴取させていただくことになると思います。彼にもっとも近い人物ですからね」
ウォーカー「まってください。これを殺人として扱うるもりですか?」
エリック「もちろんです。第三者の悪意ある行動によって人が死んだのですから当然これは殺人です。まあ陪審員が有罪にするとはちょっと考えにくいかもしれませんけどね。そんなことは我々には関係ありません。殺人が起こった以上容疑者を探さなければならない。
彼に悪意を持ち得る人物をご存じないですか? あなた以外で」
ウォーカー「彼は殆どここに閉じこもっていましたから付近にそう親しい人間はいませんでした。甥が一人西海岸にいるようですが」
エリック「調べてみましょう。名前は?」
ウォーカー「ジャックハドソン」
暗転
ジャックの自宅。彼は刃渡りの長い包丁を持っている。彼の子供が前に蹲ってい泣いている。
ジャック「見てしまったのかい」
子供「お父さん……この人は誰? 血だらけでどうしてクローゼットの中にいるの? 揺さぶっても全然返事をしないんだ。どうしたらいいかわからなくて……。廊下を通りかかったら変な臭いがしたんだ。なんだろうと思って部屋に入るとクローゼットから酷い臭いがしてるみたいで、開けてみたら……段ボールにこの人が……」
ジャック、クローゼットに近づく。
ジャック「……ああ。ドライアイスが溶けてしまったんだね。もっと沢山入れておくべきだった」
子供「ねえお医者さんを呼ばなくていいの? この人全然動かないんだ。顔も真っ青だし──」
ジャック「心配しなくていい。お前はゆっくり眠って、忘れてしまうんだ。いいね」
ジャック、子供を蹴り倒し包丁を突き立てる。
暗転
再び研究室。ウォーカーとエリック意外には誰もいない。ギデオンの死から数日経過している。ウオーカーはエリックを気にせず作業に没頭している。
エリック「例のジャック……ハドソンでしたか? どうやら彼ではありえないようですね。ギデオン博士が死んだ時刻、彼はここから200キロ離れた西海岸の自宅にいたことがはっきりしています」
エリック、ファイルから紙を取り出す。ウォーカー、作業を中断しそれを受け取る。
ウォーカー「死亡診断書?」
エリック「ええ。彼は博士とほぼ同時刻に死亡しています。しかも彼も脳を失っているんです。ところで、西海岸で起きていた連続殺人のことはご存じですか?」
ウォーカー「ええ」
エリック「どうやら彼はその犯人のようなんです。発見された際彼は自分の子供を刺殺しているです。そばにあったクローゼットのなかにはダンボール詰めにされた女性の絞殺体が発見されました。手口から見て間違いないようです。死体を子供に発見され、子供を片づけたところで息絶えた」
ウォーカー「なら悪意を持ったのはその子供でしょうね。刺し違いになったのでしょう」
エリック「ありえません。というのもジャックの死体から検出された例の電磁波の周波数がギデオン氏から検出されたものと一致しているんです」
ウォーカー「それはおかしいでしょう。なら200キロの距離はどうなります?」
エリック「それが問題なんです。私の友人二人を知る某はいったいどうやってこの距離を乗り越えたのか?」
ウォーカー「以前にもお話ししてように、私ではありえませんよ」
エリック「それはわかっています。距離を何とかしたとしてもあなたには殺せなかった。機械化の成功例であるあなたには悪意で人を殺せないし、殺されもしないのですから。しかしそうなると一体どこに犯人を求めればいいのでしょうかね」
ウォーカー「……亡くなる直前にギデオン博士が妙なことを口走っていました」
エリック「なんです?」
ウォーカー「“我々の認識している現実というのは舞台の一幕にすぎないのではないか?”」
エリック「そりゃいったいまたどういう意味です?」
暗転
舞台中央にウォーカーが立っている。他には何もない。
ウォーカー「既に気づいておられでしょうが、この演劇は当初の粗筋とはかけ離れた物語を紡いでいます。いったいなぜこうなってしまったのでしょうか。主要キャラクターや主人公になるはずだったものが次々に命を落としています。もちろんこんことは筋書きには書かれていないし、公演前のリハーサルの時まで、一度もこんな事態はおこりませんでした。したがって今までになかったある要素が原因なのです。その要素が当初の筋書きの設定を使って200キロの距離を離れたキャラクターをほぼ同時に殺し、この劇を書き変えてしまった。この本番で初めて加わった要素は一つだけ。私の前にいるあなたたちだけです。
ところで、私は劇中でスポンサーを探すべきだと主張していましたが、運のいいことに無事とある人物が引き受けてくれました。もし私がなにかの理由で彼にこのことを話したとしたら……彼はどう思うでしょうね」
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