第八十九話 まず服を買った
余裕を持って広場に着き、周囲の人をぼんやりと眺めながら時間を潰していると、不意に背後から気配を感じた。
振り向くと、頬に指先が刺さる。また、つつかれてしまったのか……。
突き立てられた指の向こうには、ヴィネッサさんの少し驚いた顔があった。
「振り返るの早いよ。まだ肩に手を乗せてなかったのに。痛くしなかった?」
「ああ、大丈夫です。あと、そんなわかりやすく後ろに立たれたら、嫌でも気づきますから」
「おかしいな。私、それなりに気配消すの得意なんだけど……」
まあ、実際はただの負け惜しみである。むしろ、こんなに同じ手を使われてもなお引っ掛かってしまうのだから、結局僕が鈍いのだ。
そう思っている間に、キルアみたいなことを言ってた彼女は取り直すような笑顔を作った。
「しっかし、ジョージくんって本当に真面目だよねぇ」
「何がですか?」
「いつも集まる三十分前には来てるって評判だけど、休みの日ぐらいルーズでいいのに」
別に、習慣になってしまっているだけだ。本質的な真面目さとは無関係だろう。
「でもさ、あんまり一人で早くからいるものじゃないよ?」
不意に声のトーンが、やや真面目なものとなった。
「すいません。気を使わせましたか?」
「じゃなくて、安全の意味で。こんな場所でいきなり襲われるなんて滅多にないけど、常に一人だけ早く動いてると狙われやすいよ?」
今度のは、単なる持ち上げヨイショではなかったらしい。思えば、ここは日本ではなく財布をスられる程度は当たり前の外国。
もっと言うと、魔力を用い元の世界とは全く違う文明の発達を遂げてきた、異世界なのだった。
「ただでさえジョージくんは目立ってるんだからさ、簡単にはやられないにしても、さすがに人数かけられたらキツいでしょ?」
状況が頭に浮かび、思わず冷や汗が浮いてきた。教えて貰えなかったら、いつか必ずそうなっていたことだろう。
「何かある前に教えてもらえて助かりました。これからは気をつけます」
「うむ。感謝するように」
頭を下げる僕を見て、ヴィネッサさんが満足げに胸を反らす。そのとき、ようやく向こうがちゃんとした服を着て来てることに気づいた。
仕事中の、基本的に簡素かつラフながらも機能美に優れた格好も様になっているのだが、今日のスカートを履いているヴィネッサさんの格好も、素敵な感じだ。
タイトなスカートから惜し気もなく披露された脚線美に、襟ぐりの深いブラウスのようなもの。
スタイルの良さを意識させられる姿は、まさに着こなしという言葉がぴったり似合う。容姿に自信がなければ着れない服だ。
彼女もまた、フェミニンなオリヴィアさんとは違った方向でオシャレな人だったらしい。
「まあ、デートの相手としては高ポイントだけどね。あはは」
「で、デートじゃありませんから……」
「その着て来た服を見るに、ジョージくんはその気じゃなかったみたいだなー。お姉さん悲しいなー」
目を逸らした僕に、ヴィネッサさんが莞爾と笑いながら追い討ちをかけてくる。
別に、本気で責めている様子はない。だからこそ、こっちは適当な服で来てしまっただけに気まずい。
もう少し、まともな服を選んでくればよかったな……そう後悔していると、ヴィネッサさんが手の平を叩いた。
「よし、じゃあ最初の行き先は服選び! ついてきて!」
こっちの服屋は、日本と違い服が無造作に積まれている。南千住や西成にだって、ここまでの乱雑な店はなかった。
中には、畳むこともせず山になっている場所まであった。これでは、とりあえずマネキンの服を買うということもできやしない。
アンナさんやエマさんと行った場所は、ここまでではなかったと思うが……防具なんかも一緒に売る店だったぶん、多少はきちんとしていたのだろう。
そんな店内でも、ヴィネッサさんは手際よくそれらしい服を見つけては、サイズや縫合の甘さを確認して、キープとリリースを繰り返していった。
「ここ、前も来たことあるんですか?」
「んーん」
そんな生返事をしている間も、またヴィネッサさんは山の中から僕以外が着たらよさそうな服を抜き取る。慣れの問題なのか……?
「目ぼしいのは、だいたいこんなもんか。じゃあ……まずはこれ、着てみて」
「こっ、ここでですか……?」
手渡された一式を受け取るも、ここには着替えるためのスペースなどない。
狼狽してしまった僕を、待ち受けていたかのようにヴィネッサさんは笑った。
「向こう向いててあげるからさ、ほら、早く」
「はあ……」
とりあえず、言われた通りにしようと脱いだ服を収納魔法のスペースへ仕舞う。
そんなとき、首筋に触れた細い指が、妙なタッチで背骨をなぞるように降りていった。
「おっ、結構いい体してるね。お尻もカッチリしてて……」
「む、向こう向いてるって言ってくれたじゃないですか!」
指が掛かりかけたパンツを両手でガードし抗議するも、ニヤニヤと笑う顔はまるで意に介す様子を見せない。
「冗談だって。さすがに、こんな場所で下ろすようなことはしないから」
どうだか。体育会系に身を置き続けた僕は、その悪ふざけの無軌道さや収拾のつかなさを嫌と言うほど知っているのだ。
「もういいですよ。そっち向きながら着替えますから」
「おっ、サービスいいねぇ! じゃあじっくり見ててあげる!」
思わず、長い溜め息が出る。なんだか、怒るのも馬鹿らしくなってきた。
「だいたい、これのどこがいい体なんですか……もっと肩とかゴリゴリの人、普段から見てるでしょ?」
日々解体工として働いていたこともあり、日本では身長以外さして恥じることのなかった僕の体ではあったが、庶民が高い魔道具へ手を出せず手作業がデフォルトのこちらに来れば凡庸もいいところ。
むしろ、日本人と外国人という骨格の違いも影響してか、同期の男の子たちと比べても華奢に見え恥ずかしい思いをしているのが現状であった。
「んー、まあね。でも、ジョージくんはまだ子供だし、これからだよ」
これからなんか、ないんだよなあ。もっとも、絶対からかってくるから絶対に言わないけど。
「よく食べないとねぇ。私の頃は食べ物も少なかったから、おかげでこんな小さな体だよ」
店番のおばちゃんが、僕らの会話へ加わってきた。
「こっちのほうで、昔何かあったんですか?」
「戦だよ。若い子は知らないかも知れないけど、もう大変だったんだから」
「そうだったんですか……苦労されたんですね」
相槌を打ちながら、僕は続きを促した。こういう話を耳にできる機会は、不謹慎ながら大変貴重だ。
とくに、僕のような土地に馴染みのない人間にとっては、それがどの程度事実かはさておき、感じ方の違いも含め重要な情報となる。
「ほんとだよ……。それから少し経ったあとの戦は、こっちが戦場にならなかったとは言え、先代の領主様が亡くなる原因の傷を負ってしまったしね」
シャロリア様のお父さん、エドモンド・ノースマディソンのことだろう。
アリアさんのご実家が没落されていたり、あと侍女かと思っていたケイトさんが後継ぎなのも、それが原因なのかも知れない。
「シャロリア様は領民思いだし、ギルド長の人も先代からのよしみで支えてるから、今はなんとかなってるけど……熊の魔物の騒ぎがあっても私らがなんだかんだで飢え死にしないのだって、そのおかげなんだろう?」
情報を自分なりに咀嚼する中、ヴィネッサさんが明るい表情をおばちゃんに向けた。
「大丈夫ですよ。レッドベアの駆逐もだいぶ進んできたみたいですし、あと少しの辛抱です!」
「なら、いいんだけど……ところで二人とも、どこの人だい? 被害にあって逃げてきた開拓民の人達ってわけじゃなさそうだけど……」
「私たち、討伐隊なんです。レッドベアなんてみんなやっつけちゃいますから、待ってて下さい」
ヴィネッサさんの言葉に、おばちゃんは目を見開いたあと、目尻に少し光るものを溜めた。
「そうかい、あんたたちが……ありがとうね。これ、少ないけど」
「えっ、いやいや、いいですって!」
僕らにお金を渡そうとするおばちゃんの手を、僕は必死に押し返す。地元にいた頃よく気にかけてくれた、働き者と評判な祖母の手にそっくりだった。
「なら、服はタダでいいよ。いくらでも持っていってくれて構わないから」
「い、いや、ちゃんと払いますから」
制してもなお提案してくるおばちゃんになんとか納得してもらった僕は、むしろ本来の値段より多目に渡して店を出た。
食料や生活必需品の値段も上がっている現状、どれだけ足しになったものかもわからないが……まあ、金はないよりはあったほうがいいよな。うん。
だいぶ遅れ、すいませんでした。