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ノワイユ伯夫人は誰を選ぶのか?
作者:小宮山蘭子
 シャルロッテ・ノワイユ伯(爵)夫人が重い病にかかっているという噂は、あっという間に宮廷に広まった。
 ベルサイユきっての美貌の持ち主であり恋多き女であるノワイユ伯夫人は、常に憧憬や羨望・嫉妬の的だった。その彼女が病に伏し、宮廷から姿を消したことは、多くの男たちを失望させ、多くの女たちを安堵させた。
 病状について様々な憶測が乱れ飛んだが、やがて、彼女は原因不明の熱にうなされ、顔の右半分がまるで火傷でも負ったように(ただ)れ、無残なものになっているらしいとわかった。
 貴族たちは、
「彼女はもう二度と戻ってこられないだろう」
「ベルサイユの火が消えたようだ」
「未亡人であるのをいいことに、これまでさんざん遊び呆け、好き放題をしてきた報いだ」
などと口々に言い合った。そして最後には、
「彼女の愛人たちは、これからどうするのか?」
という話題で持ちきりとなった。

 ノワイユ伯夫人には、三人の愛人がいた。

 その頃一番深いつきあいをしていたのは、フレデリック公爵だった。病に倒れる直前まで「彼女は再婚相手に彼を選ぶのではないか?」という話が持ち上がるほど親密だった。
 フレデリック公爵は、彼女の病状を知ると、「少しでも気が晴れるなら」と、高価な宝石や美術品などを届けさせた。だが、一ヶ月も過ぎた頃には、さっさと新しい恋人を作ってしまった。
「あまりにも冷酷だ」と非難する者に対し、彼は、
「彼女は強く誇り高い人だ。同情されるのを心から嫌悪するはずだ。だから私は、新しい人生に踏み出したのだ。二度と会えないのなら、彼女のことは美しい思い出のまま、胸の奥に封じ込めてあげるのだ」
と、告げた。そして、遠くを見つめながら、静かに言った。
「彼女は、それを望んでいるに違いないよ」


 二人目は、ジルクール近衛兵長官。
 王家の信頼厚き名家の出身で、美男子で若くて、それまでも様々な女性と浮名を流してきた男だった。ノワイユ伯夫人とジルクール長官が並んで佇む姿は、さながら一枚の絵画のように美しく、二人の情熱的でロマンティックな恋のかけひきに、宮廷の者たちはオペラでも鑑賞するようにため息をついたものだった。
 彼は彼女の重い病状を知ると、側近の者の前で、眉一つ動かさずこう言った。
「あの人が美しさや恋を失うことは、死よりもつらいことだろう。だから、本当に二度と見られない可哀そうな顔になってしまっていたら、私はこの手で、ひと想いにあの人を殺してやろうと思う」
 ジルクール長官は、その覚悟をしたためた手紙を彼女に送った。そして、
「あの人は、それを望んでいるに違いないよ」
と、言い放った。
 
 三人目は、彼女と最もつきあいの長い、カロニャック伯爵だった。
 互いの生家が対立関係にあったため結ばれることはなかったが、二人の愛人関係は長年深く進行しており、周知のことだった。今は亡きノワイユ伯爵よりも彼女を理解し、深い愛で見守ってきた男だと思われていた。
 彼は嘆き悲しみ、異国から種種の薬を取り寄せるよう命じた。そして、そのすべてを彼女に送った。
「シャルロッテはどんなに不安な日々を送っているだろう。とにかく一日でも早く治るように、できるだけたくさんの良薬を送ってあげるのだ。彼女が美しさを取り戻し、私の元へ帰ってくるのを、いつまでも待ち続けるよ」
と、言った。そして、消え入るような声でつぶやいた。
「シャルロッテもきっと、それを望んでいるに違いないよ」


 一年ほど過ぎたある夜、シャルロッテ・ノワイユ伯夫人は、再び宮廷に姿を現した。
 病み上がりとは思えないほどの……否、以前にも増して神々しく華麗な姿で、まばゆい光を放ちながら、皆の視線を釘付けにした。
 たくさんの貴族たちが取り巻き、次々に声をかけた。
「もうお加減はよろしいの?」
「お元気になられて、本当によかったですね」
「お変わりない美しさに、ため息が出ましたわ」
 ノワイユ伯夫人は艶やかに微笑み、一人一人に丁寧に答えながら、宮廷の真中を進んでいった。
 彼女を見守る群れの中に、三人の愛人たちもいた。
 フレデリック公爵は、横にいる新しい恋人とノワイユ伯夫人を見比べ、「早まった」と内心後悔していた。けれども、それをおくびにも出さず、余裕たっぷりの笑みを浮かべて、彼女に会釈した。
 けれども、彼女はそれを無視した。
 ジルクール長官は、豪華な装飾のついた拳銃を握り締め、それを彼女に向けて使わずに済んだことに心から安堵していた。満面の笑みをたたえ、ダンスを申し込むために華麗な足取りで彼女の側に進み出た。
 けれども、彼女はそれを無視した。
 カロニャック伯爵は、目に涙を浮かべ、喜びに打ち震えていた。「ああ、私のシャルロツテが帰ってきた」と、何度もつぶやいていた。そして、その熱い想いのまま、彼女の前に歩み寄り、跪いた。
 けれども、彼女はそれを無視した。
 口元に笑みを浮かべながらも、顎をツンと上げたまま愛人たちを見向きもしない彼女の姿に、
「ノワイユ伯夫人は、あの三人とは決別したのか?」
 宮廷のいたるところで、波のようにさざめきが広がった。

 それならば彼女は、今夜、誰を相手に選ぶのだろうか?
 帰ってきたシャルロッテ・ノワイユ伯夫人。
 宮廷一の美の女神に、新しく選ばれる運命の男は、果たして誰か?

 ノワイユ伯夫人は、そのまま王妃のもとにまっすぐ進み、ドレスの裾をつまんで恭しく挨拶をした。王妃は優しいまなざしで彼女を見つめて、
「ノワイユ伯夫人、もうすっかりお元気になられたのね?」
「王妃様の紹介してくださった、オーストリアのシャルル先生のおかげです」
「よかったわ」
「誠にありがとうございます」
 王妃は扇で口元を覆いながら、意味ありげな笑みを浮かべて、ノワイユ伯夫人の耳元でささやいた。
「それで、今夜のダンスのお相手は、どなたに?」
 宮廷は水を打ったように静かになり、皆、固唾を呑んで彼女の言葉を待った。
 彼女はすうっと背筋を伸ばし、手を挙げた。
「……あの方に」
 その指が差し示した方に、宮廷中の視線がいっせいに注がれた。
 そこには……
 ギリアンという名の、音楽家がいた。
 宮廷作曲家の卵として、広間の片隅でピアノを弾くことだけ仕事の、身分の低い男だった。
「まあ、どうしてギリアンを?」
 王妃の問いに、ノワイユ伯夫人は皆にも聴こえるよう高い声で、滔々と答えた。
「私が病に伏せっていたこの1年、毎日私に会いに来てくれた方です。私を元気づけようと曲を作って見舞いに来てくれ、やがて介抱までしてくれるようになり、汚れた私の体を抱きしめ、醜く爛れた顔に頬ずりし、〝あなたの苦しみや哀しみ・寂しさを分かち合えるなら、たとえ病が移っても後悔しない〟と、すべてを受け止めてくれた方です」
 それまで壁の染みのように息を殺して佇んでいたギリアンは、意を決して一歩踏み出した。そこにあった貴族の群れは割れ、彼のために道を開けた。
 ギリアンはノワイユ伯夫人の前に進み出ると、膝をつき、深く頭をさげた。小さくかすれた声で、
「もったいないお言葉です」
と、ささやいた。
 ノワイユ伯夫人はうるんだ瞳で彼を見つめ、そっと右手を差し出した。
 ギリアンは一瞬躊躇したが、その手をとると、そっと、唇を押し当てた。
 歓声が上がった。
 元の愛人たちは、自分の考えていた「彼女の望み」が、まったく検討違いであったことを知り、呆然としていた。

 貴族たちの熱い視線を浴びながら、シャルロッテとギリアンは軽やかにダンスを舞った。



                            FIN
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