挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
コルシカの修復家 作者:さかな

8章 孤独に咲くひまわり

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

54/108

第四九話 消えた黄色の村

「誰がパパだって――俺が? あはは、まさか」

 なぁ、とアダムは軽い笑顔を三人に向ける。だが、返ってくるのは非難と軽蔑の入り混じった視線ばかりだ。
「はあァ?」
 堪らずあがった抗議の叫び声が町なかに響いた。一瞬静まる空気。道行く人々がチラチラと視線を寄越し、そのまま足早に去っていく。アダムは口を引き結んで控えめに咳払いをした。

「ちょっとした冗談よ」
 地面にバラけた絵の具を拾いながら、ニコラスは苦笑をもらす。
「えっ、パパじゃないの?」
 純粋に驚いた様にニノンは首をかしげた。それを見て、アダムが心底驚いたように「違うに決まってんだろ」と叫んだ。
 ルカは苦笑いを浮かべながら拾い集めた絵の具を次々と紙袋に突っ込んでいった。アダムの足に抱きついたまま、幼い少女が首を伸ばして大人のやり取りを興味津々に聞いている。

「ムキになるのが怪しいよね」
「怪しくねェわ!」

 探偵の真似ごとでもしているのだろう。渋い表情で顎をさするニノンを無視して、アダムは抱えていた紙袋を足元に降ろした。そのまま少女と目線が合うところまでしゃがみ込み、小さな肩を手のひらで包み込んだ。

「お嬢ちゃん、顔よく見てみな? 俺はアダムっての。君のパパじゃねェ」

 ほら、とアダムは己の顔を突き出してみせた。俺みたいな若い年のパパがいるもんか! とでも言いたげな、引きつった笑顔を浮かべながら。
 分厚い瓶底によく似た翠色の瞳が、眼前の少年をまじまじと見つめ返す。「な?」と念を押すアダム。
 少女は満面の笑みを向けて――

「パパ!」
 と叫びながら、嬉しそうに少年の首元に縋り付いた。
「うわっ」
 反動でアダムの上体ががくりと下がる。ふわっと鼻を掠める甘い香り。子ども特有の温かな体温。柔らかい皮膚の感触。
 周りから見れば、まるで離れ離れになっていた親子が再会した感動のワンシーンのようだった。アダムは首にぶら下がった小さな重みが地面にずり落ちてしまわないように、両手でそっと支えてやった。

「アダムちゃん、やっぱり隠し子……」
「違う、誤解だ!」
「パパ、怒っちゃだめ」
「あ? ああ、うん――じゃなくて!」

 ぐしゃぐしゃとオレンジの髪を掻きむしり、アダムは長い溜息を吐いた。こてんと首をかしげる少女。そこでついに観念したのか、アダムは幼い体を抱き上げた。

「家まで送ってやるよ、名前は?」
 あれ、とルカは思った。どうやら目の前の少女を、ただの迷子だと強引に決めつけたようだ。
 パパと呼び慕う男に抱きかかえられて、少女はくすぐったそうに笑った。

「あたし、コニファー。お家はあっち」
 おもちゃみたいな小さな指が、どこかよく分からない空中を指す。大通りの両脇には小路地が入り組み、似たような煉瓦造りのアパートメントが建ち並んでいる。
「あ、どれ?」
 指先を辿って眉を歪ませるアダムに、コニファーが「ちがーう」と頬をむくれさせた。

「みゅあしおるだよ」

 舌足らずな言葉を呑み込むのに数秒かかった。しばらくして、ああ、と頷いたのはアダムではなく、ニコラスだった。


 *


 遠くから、かと思えば近くから、そこかしこで蝉がわんわん鳴いている。先ほどよりも鳴き声がまろやかに聞こえるのは、きっと空が広いせいだ。
 この村は本当に小さな農村で、人で賑わうヴィヴァリオにひっそりと寄り添うように存在していた。
 縦にも横にも広がる青空。スタンプみたいにくっきりと連なる岩山。そのたもとには真緑のじゅうたんがゆるやかに波打ち、波は視界の端から端まで続いている。一体何の畑だろう、とルカは首を傾げた。

「おかしいね」
 ニコラスは顎をさすった。男を見上げるニノンの瞳が、何が? と言っている。
「ミュラシオルは夏になると、一面ひまわり畑になる〈黄色の村〉だって聞いてたんだけど」
「黄色?」
 ニノンとルカは、互いの顔と前方に拡がる景色を交互に見合わせた。
「どっちかと言うと、緑?」
「確かに」
 ルカがひとり頷いていると、隣から鼻で笑う音が聞こえた。

「お前ら本気か?」
 え、と振り向けば、そこには水を浴びたように煌めいたまん丸の瞳があった。彼の声は震えていた。それは馬鹿にしたような響きじゃない。抑えきれなかった興奮が声色にじわりと滲んでいる、そんな響きだ。

「ミュラシオルっつったら、現代の巨匠の生まれ故郷だぞ」

 この大自然の中でたくさんの作品が生まれたのか、とか、あの山が何々の作品のモデルかぁなどと一人でぶつぶつ呟きながら、とにかくアダムは興奮しきっている様子だった。

「現代の巨匠って――」
 そうニノンが問いかけた時だった。

「コニファー!」

 突如、背後から怒りにまみれた怒号が(とどろ)いた。五人は肩をびくっと揺らし、揃って後ろを振り返る。緩いウェーブのかかった髪を乱しながら駆け寄ってくるのは、まだ年の若い女だった。

「知らない人についてっちゃだめって、いつも言ってるでしょう。どうして言う事が聞けないの」
「でも、パパが」
「パパが何!」
「パパ、見つけたんだよ」
 怒りをはらんだ鋭い視線がアダムを射る。

「ど、どうも……パパです」

 勢いに気圧されて、アダムは思わずへらっと笑った。その瞬間、女はカッと目くじらを立て、アダムの腕から少女を引き剥がすように奪い取った。
「え――え?」
 アダムが口をぽっかり開けていると、女はコニファーを力いっぱい抱きしめながら、腹に溜め込んだ苛立ちを一気に口から吐き出した。

「このっ、人さらい!」

 言うや否や、女は少女を抱きかかえたまま家の中に駆け込んで、バタンと扉を閉めてしまった。

「人さらいって……俺、さらったのか?」

 驚きに目をまるくするアダムの肩を、労いの気持ちを込めてニコラスが叩く。『人さらい』ではなく『人違い』の間違いなのになぁと、ルカも彼の横顔に哀れみの視線を送った。


 結局四人は、刺すような日差しに体力が奪われる前にヴィヴァリオへ引き返すことにした。
 舗装のされていない土道は照り返しこそ無いものの、急勾配はなかなかのキツさだ。一歩踏み出すごとに額から汗が噴き出して止まらない。

「どうしてあの子はアダムのこと『パパ』って呼んでたのかなぁ」
「そんなの俺が一番知りたいね」
 釈然としない気持ちをぶつけるように、アダムは足元に転がる小石を蹴飛ばした。

 坂道の上に広がる岩山の帯が陽炎(かげろう)に揺れている。いよいよ天に近付いた太陽が、容赦なく大地を照りつける。
 口を開くのも億劫な暑さだ。揺らめく空気をぼうっと眺めながら四人が坂道を登っていると、ふいに道のてっぺんに二つの人影が現れた。溶けたプラスチックのようにゆらめく影は、こちらに向かうにつれて、次第に輪郭をくっきりとさせてゆく。

「ねぇねぇ、さっき言ってた『現代の巨匠』って?」
「ああ、お前知らないもんな」
 アダムは独りごちて、ふと空を見上げた。孤高の王族鷲が一匹、弧を描きながら海のような空を泳いでいた。

「エリオ・グランヴィル」

 少年の琥珀色の瞳が、懐かしさにすっと細められた。

「今この世で最も有名な画家さ。数いる有名な画家たちの中でも、エネルギー還元総量がズバ抜けて高い――」

 俯きがちの男が二人、四人の傍を通り過ぎた。アダムはハッと目を見開き思わず振り返る。気怠そうに坂道を下ってゆく男の背中。
 その瞬間、昔の記憶が洪水のように頭になだれ込んできた。まだ孤児院で暮らしていた頃の、突然訪れた特別な数日間の記憶――

「ちょっとアダムちゃん、どこ行くんだい」

 気がつけば、アダムは地面を蹴って駆け出していた。
 勢いをつけすぎて止まらない両足に急ブレーキを掛け、そのまま男たちの前に回り込むと、アダムは両手を前に突き出して「ストップ、ストップ!」と声を荒げた。

「なぁ、カヴィロにシャルルだろ! 俺だよ俺!」

 期待をはらんだ瞳が、二人の男を交互に見つめる。男たちは探るようにしばらく少年を()めつけていたが、やがて何かを思い出したのか「あっ」と小さく声をあげた。

「アダムか?」
 緩やかにウェーブがかった髪の男が呟いた。
「今思い出したのかよ!」
「悪い。なんせチビの頃のお前しか記憶にないから」
 許せよ、と今度はストレートヘアの男が微笑みながら答えた。

 久々の再会だったのだろう。嬉しそうに言葉を交わす三人は、放っておいたらこの炎天下でも平気で数時間は立ち話を止めそうにない。それはさすがに困ると、ニコラスは慌てて口を挟んだ。

「あんたら知り合いなのかい?」
 はた、と会話が止まる。
「そうだよ」
 と、アダムは子どものように無邪気に笑った。

「毛がくるくるパスタみたいな方が〈カヴィロ・アングル〉。サラサラな毛の方が〈シャルル・ド・シスレー〉。二人とも画家やってんだよ」
「おいおい、随分雑な説明だな。パスタは無いだろ、パスタは」
 言いながらも、カヴィロは嬉しそうに毛先を指に巻きつけた。

「お前はこんなところで何してるんだ」
 観光か、とシャルルが落ち着いたトーンで尋ねる。
「んー、まぁ色々あって。今はこいつらと一緒にコルシカ島を旅してんだ」
 親指でくいっと指され、ルカたちは順に頭を下げて軽く挨拶を交わした。

「ところでさ」
 各々の挨拶が終わるタイミングを見計らっていたのか、アダムはおずおず口を開いた。

「今日は、エリオは一緒じゃないのか?」

 エリオ――それは、先ほど彼が口にした巨匠の名だった。アダムの期待とは裏腹に、目の前の男たちは無表情のまま口を開こうとしない。
 しばらくの沈黙の後、カヴィロは声帯を絞るようにして言葉を返した。

「今からあいつの家に向かうところなんだ」
 言いながら、カヴィロは薄っすらと微笑んでさえいるのに。彼の声色にはどうしてこんなにも気まずさが滲んでいるのだろう。
「お前たちも来るか」
 アダムはざわつく心を抑え込んで、明るく頷いた。


「何の御用かしら」

 扉が開いた途端、女は氷のように冷たい言葉を浴びせた。画家二人を除く四人は目をまるくするしかなかった。カヴィロは「エリオの家に行く」と言っていたのではなかったか。だったらどうして今、アダムを人さらいと罵った女が扉の向こうからこちらを睨みつけているのか。

「ベル、久しぶり」
「本当にね」
 ベルと呼ばれた女は、カヴィロの挨拶をばっさりと切り捨てた。カヴィロは平然を装ってつづける。
「エリオに会いたい」
「無理よ」
「どうして」
「会える状態じゃないわ――分かってるくせに。用件だけ聞く」

 扉の奥の方からトタトタと小さな足音が聞こえた。ベルの長いスカートの傍からひょこりと小さな顔が覗く。
「サロンに出す絵画は順調なのか」
「……分からないわ。もしかしたら、今回は出展できないかも」
 コニファーはスカートの裾を掴みながら、満面の笑みで手を振った。アダムの頬が思わず緩む。小さく手を振り返せば、ベルにスカートでさっと少女を隠されてしまった。

「アダムが来ていると伝えてくれ」
 沈黙が続く二人の間を割いて、シャルルが口を開いた。
「『アダム』?」
「こいつだよ」夏というには白すぎるシャルルの親指が、オレンジ色の髪の少年を指す。「エリオに言えば分かる」

 空の高いところで二羽の王族鷲が翼を広げそらを飛ぶ。そこから離れて旋回する一羽の王族鷲。

――ピーヒョロロロ。

 笛のような鳴き声が、まるで誰かを呼ぶように夏空に高く響いていた。

cont_access.php?citi_cont_id=735031982&s
nojs.php?00178171&guid=ON
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ