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コルシカの修復家 作者:さかな

7章 マーカブラホテルへようこそ

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第四二話 夏の嵐と不気味なホテル

挿絵(By みてみん)

 平坦なコンクリートの道をひた走る一台の車。ベッドの上で光太郎が示した、三つ目の絵画が眠る町〈コルテ〉へ行くには、コルシカ島の中央に連なる険しい山岳地帯を越えなければならない。
 前方にそびえる岩壁はまだ遠くに霞んでいる。それよりも手前に広がる真っ黒な影――深い森の方が、陰気なオーラを放ちながらビートルを通せんぼしているようだった。

「コルテまでどれくらい?」

 言葉にしたはずなのに、己の耳にもそれが届かなくて、ニノンは自分が口だけをパクパクと動かしている気分になった。ボウボウと燃えるような音を立てて、開け放たれた窓から空気の塊が次々と車内に飛び込んでくる。運転席からの返答はない。
 仕方がないので、ニノンは背もたれから覗く肩をワイシャツ越しに突っついた。反応がない。
 ワイシャツを摘む。またしても反応がない。
 ニノンはルカと顔を見合わせ、大げさに肩をすくめてみせた。いつもなら絶対に何か一言返すような少年なのに。今日の彼はどこかおかしい。

 そのまましばらく言葉のない背中を眺めていたが、ニノンはやがて視線を窓の外にやった。(どぶ)を流れる濁った水のような、酷い色の空が広がっている。

「嵐が来そうだね」
 図ったようにニコラスが口を開いた。
「窓、閉める?」
「そうだね。じきに雨が降るよ」

 諭されて、ルカとニノンはサイドのハンドルを回して後部座席の窓を閉めた。旅を始めてからずっとこの車に乗っているせいかもう誰も疑問には思わないが、相当年季の入った型式に違いない。今時手回しハンドルの付いた車なんてどこを探しても売っていないはずだ。

「アダム?」

 運転席側の窓が一向に閉まらないので、ニノンは不思議に思って声をかけた。ヘッドシートの向こう側で、オレンジ色の髪が風に煽られてなびいている。

「ア、ダ、ム。窓!」
「あ? ああ」

 寝ぼけた相槌を打って、アダムは慌てて窓を閉めた。
 やっぱりおかしい。いつも暇さえあれば口が開きっ放しの男が、今やセミの抜け殻のようにうんともすんとも言葉を発しないのだ。体調でも悪いのだろうかとニノンは心配したし、ルカも舞踏会で張り切りすぎて寝不足なのだろうかと考えを巡らせた。
 ルームミラーに映っているアダムの顔を覗き込めば、顔色はそれほど悪くもない。ただぼうっとしているだけだ。放っておけば「良い天気だな」なんて呟きそうなほどに、二つの目はどこか遠いところを眺めている。

「運転、代わろうか?」
 見兼ねたニコラスがため息混じりに申し出た。

 あの日の晩――舞踏会の夜。アダムはアシンドラという名の少年といざこざを起こした。詳しい話までは分からなかったが、その事実を知るのはニコラスだけだった。あの時は大丈夫だと笑顔を見せていたけれど、笑って済ませるほど簡単な問題でも無いことは端から見ていたニコラスでも容易に想像できた。
 だから今、なぜアダムがぼうっとしているのかぐらいだいたいの察しはつく。

「大丈夫だって」
 アダムはぼんやりとした視線をフロントガラスの向こうに放り投げたまま、ハンドルを緩やかに切った。ビートルは二股に分かれた道を右側に進む。
「アンタの心配してんじゃないのよ。事故にでもあったらニノンたちが可哀想でしょうが」
「はいはい……って、俺の心配もしろよ」

 少しだけ普段通りの彼が顔を出したように見えた。後部座席で二人はまたも顔を見合わせてうっすらと笑いあった。
 ざっと周りの視界が暗くなる。灰黒い空が背の高い木々に阻まれてあっという間に見えなくなった。

 それから直ぐに、アダムは起きたての体を奮い起こすように肩をボキボキと鳴らし、伸びをした。運転席から「っし」と気合いを入れる声がしたと思ったら、ビートルはいきなりスピードをぐんと上げた。四人の体が後ろに引っ張られる。

「嵐が来る前にこの森抜けちまおうぜ」
「こら、片手運転はやめな!」
「わァかってるって」
 アダムは適当にあしらいながら、更にアクセルペダルを踏み込んだ。

 四人を乗せた車が突っ切った後――残された三叉路に嵐の訪れを告げる強い風がふいた。風に煽られてカタカタと揺れる木看板。根元の木が腐り落ちて支柱からボッキリと折れているその看板には、剥げかけた赤のペンキで『旧街道』と書き殴られていた。

 *

 点々と雨粒がフロントガラスにぶつかり始めたのは、森に入って間もなくのことだった。雨は一瞬の内に量を増し、まるで滝のようにガラスへと叩き落ちてくる。

「降ってきた!」

 ニノンの声はどこか楽しげだった。
 彼女が嵐を体験したのは一度だけだ。雨と言うには激しすぎるバチバチという音を聞きながら、ルカはレヴィを発った前日を思い出していた。あの日もこんな嵐の夜だった。全ての始まりの日。自分の運命が変わった日。
 何が楽しいのかそわそわと体を揺らすニノンの隣で、ルカは己の薬指にはまった指輪をそっと撫でた。

「降ってきたー、じゃねェよ、ったく。呑気なやつ……」

 視界は最悪だった。思った以上に雨の勢いは激しく、弾丸のようにぶつかってくる雨粒が弾けてひっきりなしに飛沫(しぶき)をあげている。

「ちょっとこれ、本当に大丈夫かい?」
 ニコラスが思わず不安を口にする。
「いや、なんとかするしかねェけどさ……くっそ、この野郎」

 左右に忙しなく動くワイパーがまるで使い物になっていない。車道の輪郭さえ溶け消えて、もはや目の前は絵筆を洗うバケツの中身同然に濁っている。そんな中感覚だけでハンドルを切っているのだ。大丈夫なわけがない。
 それでもアダムは肩に力を入れ、綺麗な形の瞳を細めて、雨でぐちゃぐちゃの前方を睨みつけた。

「あー、駄目だ、全っ然見えねェ!」

 ついにアダムは根を上げた。助手席で慌てふためきながらニコラスが何かを言っているが、車のボディを四方八方から叩きつける雨音に掻き消されて聞こえない。

 そんな時だった。ルカは嵐に沈んだ景色の中に、ぼんやりと光る何かを見つけた。赤くて、人工的な、ぐねぐねとミミズのようにうねる――。

「ホテルだ」
 そうだ。あれは多分ホテルの看板だ。
「は? 何だって?」
 アダムが耳の遠い老人のように大声で聞き返した。
「『ホテル』だよ。ほらあそこ、右側の」
 そう言って、ルカは人差し指を窓の外に向かって突き差した。三人は揃って右側に首を回す。
「ホテルだァ? この辺にそんなもん――」

 無ぇぞ、と続けるはずだったアダムの言葉を、ニノンの「あった!」という声が遮った。全員の視界に、確かな赤いネオンカラーが映り込む。雨で滲む窓越しでは何の文字かまでは分からない。しかし光の大きさ的にホテルのような気もする。

「とりあえず入るぞ!」

 アダムは思いきってハンドルを切った。車内ががくんと揺れる。体が遠心力に持っていかれそうになる。ビートルは道路の窪みに溜まった水をばしゃんと跳ね上げながら、門らしき柱を猛スピードでくぐり抜けた。


 *


「ごめんくださ――」

 大きな扉を押し開いた瞬間、ニノンの言葉はぴたりと止まった。建物内はどこかしこもみな真っ暗だった。ここはホテルではなかったのか。

「誰かいませんか?」

 ニノンの代わりにもう一度ルカが呼びかける。声は暗闇にやけに響いた。ということは、この部屋は天井の高い、相当大きな造りなのだろう。例えば洒落たホテルのロビーのような。
 返事が無いので、ルカはそのまま暗がりへとつかつか踏み入った。ずぶ濡れの靴が空気を含んでぐじゅぐじゅと音を立てる。

「おい、おいってば」
 びたびたに濡れた服の裾を摘まれて振り返ると、顔面蒼白になったアダムの顔が暗がりの中にぼんやりと見えた。
「待て待て、ルカ。やっぱ止めよう」
「止めるって、何を」
 どうしてそんなに泣きそうな顔をしているのか。首をひねっていると、アダムはルカの肩に手を回してぐっと顔を近付けてきた。と思ったら、いやに息を潜めて慎重に呟いた。

「噂の幽霊ホテルかもしれない」

「は?」
 間の抜けた声がルカの口から漏れる。
「な、何言ってんのさアダムちゃん。雨に打たれて頭おかしくなっちゃったの?」
 次いでニコラスも変に明るい口調でおどけてみせる。隣ではニノンが不思議そうに口をぽかんと開けている。あれはおそらく「幽霊ってなんだろう」などと考えている顔だ。

「や、だからさ」
 アダムはルカの腕を引っ掴み、入り口に向かって強引に引っ張っていく。反動でずぶ濡れの服や髪から水滴がぱたぱたと飛び散る。

「俺、多分道を間違えたんだ。旧街道の方に来ちまったんだよ」
「旧街道?」
「ああ。噂――そっか、お前知らなさそうだもんな。ニコラスも知らねェのか? 旧街道の幽霊ホテルって有名な心霊スポッ――」

 その時、カッと視界が白く光った。頭上からはバキバキと地を裂く轟音。ビリビリと体を伝う地響き。
 雷と同時に三人のけたたましい叫び声が響き渡った。ルカは耳をつんざくその音を背にぐっと足を踏ん張り、再び暗闇に戻った視界に目を凝らす。
 一瞬の光の中に、何か――人が立っていたように見えたのだ。それも随分と距離の近い、真正面に。
 おそらくこの場にいる全員が目にしたのだろう。背後から「は、はは」とアダムの乾いた笑い声がした。

「俺は、頭がイカれちまったのかもしれない……」
 冥界から立ち昇ってきた煙のような、死にそうな声だ。
「今そこに、人が」

 言いながら、力なく前方を指差した瞬間。
 ボッ、と音を立てて目の前にあかりが灯った。揺らめく蝋燭の火の裏側に、骸骨のような不気味な顔が浮かび上がる。

「――――ぎゃあ!」

 アダムとニコラスは飛び上がり、情けなくも一番年少のルカにしがみついた。驚きに身を任せ、ニノンも慌ててその輪に混ざる。
 三つの塊が団子のように重なってがんじがらめにされてしまったルカは、身動きが取れない代わりに必死に目の前の男を凝視した。

 洞窟のように落ちくぼんだ目元。縦長の鼻の穴。禿げ上がった頭のサイドには、申し訳程度の白髪がへばりついている。その顔に生気はない。
 一言で言ってしまえば『ガイコツ』だ。目の前の男を表現するのに、これ以上ぴったりな言葉をルカは知らない。
 幽霊など信じないタチだが、立ち込める空気が氷のように冷たくて、ルカは危うくアダムの噂話を信じそうになった。

「もし」
「え、あ、はい」
 ぽつりと呟かれた言葉にふいをつかれ、ルカは歯切れの悪い返答をした。
「これはこれは、宿泊のお客様でございましょうか」
「え――はい?」
「申し訳ありません。少しブレーカーを弄っていたもので。直ぐに電気をお付けいたします」

 そういって男は蝋燭の灯りを頼りに、暗闇の奥へと消えてしまった。室内のランプが点灯したのはそれから間もなくのことだった。

 そこはまさしくホテルのロビーといった風貌だった。フロア三階分は吹き抜けているであろう広々とした空間。真正面を控えめに陣取る無人のフロント。右手にはどこか中世の宮殿を思わせる階段が上の階まで伸びている。

「あの、いい加減重たいんだけど」
 堪りかねてルカは呟いた。
「あ、悪ィ」
 フンコロガシの糞よろしくルカにへばりついていた三人は、はっと我に帰り恥ずかしげに身を引っぺがした。

「ふ、ただの勘違いだったぜ」
「だったぜ、じゃないわよ。ちょっと驚いたじゃないの」
「ああ。ニコラスかなりビビってたもんな」
「アンタに言われたかないわよ」
 どっちもどっちだ、と会話を耳に挟みながらルカは心の中で呟いた。

「結局ここは幽霊ホテルじゃないの?」
「声でけェよ、ニノン。ホテルマンさんに聞こえたら失礼だろ」
「ええ? 最初に幽霊ホテルって言ったの、アダムだよ」
「だから声がでかいんだって!」

 結論から言うと、ここは何てことないただのホテルだ。心霊スポットなんかじゃない。ルカはふと目線を落とした。車から出て建物に入るまでに随分と雨に打たれてしまったので、服は下着までぐっしょりだった。これでは寒気も感じるはずだ。

「ねぇ、幽霊ってなに?」
「あ? 幽霊ってのは――」

 ルカは視界をフロントの左手に移した。客の待合室だろうか。品の良い革張りのソファが、これまた品の良い机を囲むようにして置かれている。ゴテゴテと装飾のされていない、センスの良さが光る内装だ。ただひとつ装飾されているといえば――ルカの視線は壁に掛けられたあるものに留まった。

 額縁が等間隔に並んでいる。
 あれ、とルカは思った。
 額縁()()だ。

「大変お待たせいたしました」

 しゃがれた老人の声に、ルカは額縁から視線を逸らした。そこにはあの骸骨のような風貌の男が立っていた。強い灯りの元で見るその顔は、暗闇で見るよりも随分と――当たり前だが――普通の老人だった。

「酷い嵐でしたねぇ。さぁさ、そのままでは風邪を引かれてしまいます。こちらの者が直ぐにお部屋にご案内致しますよ」

 ヴァネッサ、ホテルマンはそう呼び掛けるとさっと身を引いた。すぐ後ろから、陰鬱そうな顔をしたロングスカートのメイドが姿を現わす。

「どうぞ、お客様」

 ヴァネッサと呼ばれたメイドは、抑揚のないロボットのような声で二階に続く階段へ進むよう促す。四人は思わずぎょっとした。燻んだ赤茶のショートカットを耳にかけた少女の顔が怖いくらい無表情だったからだ。
 端正な顔立ちをしているだけに、はっきり言って不気味だ。

「あの、受け付けまだしてないんだけど」
 おそるおそるといった口調でアダムが告げる。途端に、ヴァネッサの硝子玉のような灰色の瞳がぎょろりと動いてアダムを射抜く。
「あ、いや、無くて良いなら別に……」

「それにつきましては問題ございません」
 ヴァネッサの代わりにホテルマンが応える。
「あなた方は記念すべきお客様でございますから。どうぞ無償でご宿泊ください」
「無償で?」
 ニコラスが疑いの眼差しを男に向けた。
 男は「そうですとも」と胸を張る。

「あなた方は記念すべき――このホテル()()()お客様でございますから」

 まるで四人を歓迎するように、またしてもカッと視界が白く光った。
 メリメリと空を裂く雷の音。打ちつける雨の音。

「申し遅れました。わたくしはこのホテルの支配人であります、ジーノ・トワイニングと申します」

 男は禿げ上がった頭を深々と下げた。それからたっぷりの間を空けて顔を上げ、意味ありげにニヤリと口元を歪めた。

「ようこそ――マーカブラホテルへ」
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