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コルシカの修復家 作者:さかな

6章 マスカレード・カーニバル

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第三七話 仮面の修復〈1〉

「お前さぁ、なんで熱くないわけ?」

 恨めしそうに言いながら、アダムは真っ赤に染まった己の指先に、ふぅふぅと息を吹きかけた。

「指の皮が厚いとか?」

 鋭利な刃先が、蒸かしたての真っ黒い木皮をこそげ取ってゆく。剥がれた所から立ち昇る湯気。栗を蒸した時のような甘い香りが、くゆる湯気とともに辺りを漂う。

「ンなの関係あるかよ。あー腹減った」などと、飽きもせずにアダムはぶつくさ言っている。
 ルカは手を止めずに、隣で唇を尖らせる少年の指先に目をやった。それは熟れたスモモのように真っ赤で、確かに熱そうだった。

 二人は屋外の庭――といえば聞こえは良いが、実際のところただの荒れ野原である――にどっかりと腰を下ろして、『コウゾ』と呼ばれる木の外皮をナイフでひたすら剥いていた。黒い外皮が混じって和紙が雑色になるのを防ぐためだ。
 外皮が剥きやすくなるようにコウゾは一旦蒸し焼きにされる。だから作業者は、爪の先に突き刺さる鋭い熱と格闘しながら外皮剥きをしなければならないのだ。

「あー、無理無理。もう無理絶対ムリ。俺の綺麗な手がどんどん火傷を負っちまうぜ」

 口から転がり出た愚痴と共に、中途半端に外皮の剥がれたコウゾが雑草の上に投げ出される。同じタイミングで背後から男の笑い声が聞こえた。

「なに女々しいこと言ってんだ」
「うぇ、クロードさん」
 とっさに首を回して男に視線を向ける。
「そんな、冗談に決まってるじゃないスか」

 アダムは無様に転がるコウゾをそそくさと拾い上げ、何食わぬ顔で作業を再開した。
 初対面では『おっさん』などと失礼な呼び方をしていた割に、今や掌を返したようにへつらっている。彼曰く、「仕事のできる男はかっこいい」らしい。

「時間はカツカツだからな。無駄なく動けよ。剥き終わったやつからこの鍋に入れてけ。で――佳那子、見つかったか?」

 クロードは振り向きざまに、佳那子の不機嫌そうな顔を確認した。その手には幾つもの袋を抱えている。

「ほんっとにもう、人使いが荒すぎますわ」
「ああ、そうそう。これだ」
「なんスか、それ」

 興味津々に覗き込むアダム。真似するようにルカも首を伸ばす。両手に収まるほどの大きさの袋は、コルシカ島民であればよく見知った物だった。
「重曹」
 洗濯する時に使う薬剤だ。ルカの呟いた言葉にクロードは頷き、顎で背後に佇む家をしゃくった。

「この家からちょっくら拝借したんだ。お前ら、皮剥きなんかさっさと終わらせろよ。この後そいつらを重曹と一緒に煮込むからな、三時間」
「三時間!」

 素っ頓狂な声をあげるアダムにすかさず「手を動かせ」と厳しい声が飛ぶ。

「和紙を作るために必要な日数は最低でも5日だ。つまり普通に作ったって仮面の修復に充てられる日数は一日しか残らない。分かるな? ムダ話してる暇なんてないぞ――カーニバルに間に合わせたいならな」

 クロードは佳那子の腕からふんだくった袋を豪快にバリッとやった。鍋いっぱいに集められた内皮の上に、白い粉がザァザァと降り積もる。
 おかっぱの少女に次の鍋の準備を支持してから、男はコウゾいっぱいの鍋を担いで家の中へと入っていった。


「これさぁ、本当に間に合うのかよ?」
「間に合わせるよ」

 ルカがあまりにもきっぱりと言い放ったので、アダムは吐きだそうとしていたため息をごくんと呑み込んだ。
「それしか今出来ることはないし」

 時間は待ってくれはしない。だとすれば、やはり人間が時の流れに必死にしがみつくしかないのだ。
 アダムは何かを確かめるように何度かゆっくり頷いて、「うん、そうだよな」と独りごちた。最後に彼の口から薄く吐き出されたため息の意味は、ルカにはよく分からなかった。

「お前の真ん中に通ってる、ブレない芯を俺にも分けてくれよ」
「はは、なんだそれ」
「――褒めてんだよっ」

 アダムはぶっきらぼうに吐き捨てて、それっきりだんまりを決め込んでしまった。ルカも言葉を返すのは止めた。代わりに、作業に勤しむ友人の横顔に向けて少しだけ微笑んだ。

 できることをするしかない――ルカはもう一度心の中で呟いた。一人の人間がやれることはそう多くはない。
 しかし、たくさんの力が集まれば成し遂げられることもあると知ったのだ。港町のレストランで。寂れた村で。あるいは虹色の旗がはためくサーカステントで。

 ふと三角屋根の家を見上げた。二階に位置するレンガ壁。散りばめられた曇りガラスの円窓。
 仮面職人ロクスの説得をどう進めているのか、ルカには皆目見当もつかない。そこはニコラスがうまくやれるよう願う他ない。ルカは手元に視線を戻し、ぐ、とナイフの柄を握る手に力を込めた。


 ○○○


 K.M――道野光介。道野琉海の祖父。
 小花柄の描かれたマスクの裏に刻まれたイニシャルを、ニコラスの細長い指が撫でた。

「ねぇ、ロクス。この仮面に絵を描いた修復家の名前ってさ――『ミチノ』じゃなかった?」

 製作机に肘をついて指先をいじくっていたロクスは、しばらく首をひねって考え込んだ。それから随分間を置いて「…ああ、そう、そうだった気がする」と、歯切れの悪い返事を寄越した。

「あの、でも、どうしてニコラスさんが知ってるの?」
「ああ。それはね、私が一緒に旅してるルカってのが、そのじいさんの孫だからだよ」
「へぇ……、え?」

 頷きかけた頭をぐるんと回して、ロクスはあらん限りに目をまん丸くした。

「た、旅って……サーカス団は?」
「やめたよ」
「やめ――」

 言葉が途切れたと思ったら、ロクスは操り人形の糸がぷっつりと切れたように肩を落としていた。ニコラスは縮こまった背中をぱしんと叩いて「まぁ色々あるもんさ、人生なんて」と軽やかに言った。

「それよりこの仮面、アンタにとって大事なもんだったんだろう?」
「……分かるの?」
 ゆるゆると持ち上がった顔は、ショックの色が塗りたくられたままだ。
「使い終わった仮面は全部一階の壁に掛けてあるのに、これだけここにあるんだもの」

 違和感と呼ぶほどのことではない。だけど、側に置いてあることに少しくらい意味があったって良い。そしてその理由が、彼の目を外に向けるきっかけになるとすれば――漠然とそんな事を考えている時だった。

「僕の作った下手くそな仮面、褒めてくれたんだよ」
 ぐしゃぐしゃの前髪の奥で、優しい色が滲んだ。

 まだロクスが姉の身長を越していなかった頃。修復家の男は筆を手に取り、一つの仮面に絵を描いた。
 今風の装飾など何一つ飾られていないし、派手な色が使われているわけでもない。なのにどうして心惹かれるのだろうと、ロクスは幼心に思った記憶がある。

 何を描いたのか、なんとはなしに尋ねてみた。
 すると男は「南の方に咲いている花を」と答えた。花は分かる。そう言いかけたけれど、表情に表れていたのか、ロクスが口を開く前に男は続けた。

――心を込めて作ったものには想いが宿る。まるでアルバムみたいだろう。そういうものを『芸術』と呼ぶんだ。

 芸術って? と、無垢な瞳を向ける。老人は少しだけ笑った。合わせて白髪交じりの黒髪が揺れる。

――いつか分かる時がくる。

 終始寡黙な老人だったけれど、その時だけは饒舌で、口元は少しはにかんでいるように見えた。


「ふふ、言いそうだわ」
 ニコラスは笑みをこぼした。
「会ったことがあるの?」
 え、と言うような顔をして、ニコラスは「違う違う」と慌てて手を振った。

「孫がね、そのじいさんに良く似てるんだよ。そいつも腕利きの修復家でね。その仮面もきっと直してくれるはずさ。そうしたらアンタだってきっと――」

 言いかけて、ニコラスは口を噤んだ。ロクスの顔が一瞬にして曇ってしまったからだ。
 焦るんじゃなかったと、ニコラスは心の中で独りごちた。今のロクスには自信も勇気も無い。無理に自信を持てと言ったって、暗闇の中で真っ黒な絵画を探させるようなものだ。
 だったらせめて光の当たる場所で――その時、ロクスが小さく息を吐きだした。光のうぶ毛が舞う。無音の中に刻まれるリズム。解放の踊り、カポエイラ――

「……ダンス、か」
 え、と少年が訊き返すより早く、ニコラスはベッドから軽快に立ち上がった。

「私と一緒に踊ってみない? ずっと考えてたんだ。アンタには踊りの才があるよ」
「あの、でも、僕――」
「別に大勢の誰かの為にってわけじゃない。私は、アンタと一緒に踊れたらどれだけ楽しいだろうって思っただけさ」
 カーキ色の瞳がみるみるうちに水の膜で覆われてゆく。

「今朝見せてくれたあの踊り、ぜひ私に教えてくれないかい」

 ついに少年は折れた。尊敬する人の笑顔にはどうしたって抗えない。ロクスは両頬を真っ赤に染めながら何度も何度も頷いて、ぜひ、と蚊の鳴くような声を絞り出した。


 ○○○


 和紙作りは順調に進んでいた。
 少しでも完成を早めようと、連日早朝からの作業が続いた。ルカはいくつもの手順を着実にこなし、時折熱心な眼差しでクロードに何事かを尋ねたりした。アダムもあれ以来大げさに弱音を吐くようなことはしなくなった。

「今更だけどさ、こんなの作って仮面の修復に繋がるのか?」

 四角い枠の中に重しをはめ込む。体重を掛けながら、思いついたようにアダムは口を開いた。色んな材料の混ざったコウゾから、ぐじゅりと余分な水分が滲み出る。

「うん。裏打ちに使うんだ」
「『裏打ち』?」
「劣化して弱くなった表面を補強するのに、裏から紙とか布とかを貼りつけるんだよ」
 紙ねぇ、とアダムは首をひねった。
「普通の紙じゃ駄目なわけ?」
「裏打ちには『和紙』が最適なんだよ」
「ふぅん。わっかんね」

 ぐじゅ。じゅぶり。型の底面から次々と水が滲んで流れてゆく。これを何度か繰り返した後、天日干しをして和紙は完成する。
 手間暇かけて作られる和紙は、他の紙にはない強靭(きょうじん)さを持っている。それはこの紙が生まれた国の、粘り強さや我慢強さに通じるものがある。
 ルカは行ったこともない日本について、たまに思いを馳せることがある。祖父や、曾祖父の生まれ故郷だからだろうか。それともコルシカ島と同じように、海にぽっかりと浮かんでいるからだろうか。そんなことを考えて、どうしようもなく懐かしい気持ちに包まれたりする。

「っつかさ、あいつマジで何やってんだよ。どこ行きやがった?」

 あいつ、とはおそらくニノンのことだろう。そういえば仮面の在庫数の報告を受けてからろくに姿も見ていない。
 作業に慣れはじめたアダムの口数は賑やかだった。相変わらず口悪いなぁ、なんて思いながらルカは苦笑いを浮かべる。

 噂の少女の声が向こう岸から聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。走り回る子ども一人分くらいの重しを出し入れしていたせいで、そろそろ腕の筋肉が伸びそうになっていた。小舟の上で、ニノンは二人に向かって無邪気に手を振っている。

「さっきお前の話をしてたとこだ」
「え?」
 なぜかニノンの瞳はパッと明るくなった。
「悪い方の噂だよ、バカ!」

 岸辺に寄せた小舟からぴょんと飛び降りたニノンは、「どうしてそんなにイライラしてるの」と頬をむくれさせた。

「ロクス君、いるかな?」
「いるんじゃねえの」
 刺々しいぶっきらぼうな声だった。
「もう。カリカリしないでよ。はい、これ」

 ニノンは茶色い紙袋を二人に手渡した。受け取ってみるとそれはほんのり温かくて、少し甘い香りがした。

「栗のクッキーだよ。お腹減ってると思って」

 相槌を打つようにアダムの腹からきゅるきゅると音がなった。少女なりの気遣いが、素朴な香りと共にじんわりと心に沁み入る。アダムは先ほどまでぶちぶち言っていた自分を恥じた。そして家へと向かうニノンの背中にお礼を言いかけたが――。

「っておいニノン、お前さては町で遊んでたな!」

 ニノンからの返事はなく、代わりにバタンとドアの閉まる乾いた音だけが辺りに響き渡った。
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