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コルシカの修復家 作者:さかな

6章 マスカレード・カーニバル

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第三一話 ドロシーお嬢様の執事

「お嬢様!」

 若い男の声が店じまいをはじめた市場の通りを滑り抜ける。段ボールが山盛りに積まれたワゴンを、カーチェイスのように避けながら走る少女――ドロシーは、チラリと後ろを見やって余裕たっぷりに微笑んだ。

「また体力が落ちたんじゃなぁい、ジル!」

 当たり前だろう、と言いかけた言葉を呑み込んで、男は眉根を寄せた。身軽な布でできたワンピースを身に纏った十代の若い体に対して、こっちは重たい生地の制服を着せられた二十代も半ばの男だぞ。心の中で悪態をつきながら、男は顔を崩さずに叫んだ。

「ベルトネさんッ」
「ほいきた!」

 FISHMANと書かれたタオルを頭に巻いた男が、己の腹をパァンと叩き鳴らして通りに飛び出した。いきなりあらわれた肉の壁に思いきりぶつかったドロシーは「きゃっ」と小さく悲鳴をあげて跳ね返った。追いついた男はすかさず少女を抱え込む。
「ひきょう者!」と叫びながら手足をばたつかせるドロシーを丸め込み、男は魚屋の男に一礼した。

「今日の余りのお魚全部買います」
「毎度あり! ジルベールさんはいつも気前が良いねェ」
「大人ってひきょう者ばっかりよ!」
「ワリィねお嬢様」

 魚屋の男は歌いながら魚を取りに店の奥へと消えていった。いつの間にか野菜売りや精肉店の店主たちも軒先から首を突きだして騒動を見物している。「今日はジルベールさんの勝ちかね」と誰かが口にすると、途端に店々から笑い声が漏れた。

「帰りますよ、お嬢様」
「ねぇジル、私フィッシュバーガーが食べたい」
「何言ってるんです。今日は久しぶりのテーブルマナー講習もありますからね。逃がしませんよ」
「いやいや嫌よ、絶対イヤ!」

 いくら手を引っ張っても頑として動こうとしない様は、まるで散歩帰りの子犬のようだ。また始まった……とジルベールはため息をついて、嫌がるドロシーを旅行カバンでも担ぎ上げるようにして肩に乗せた。

「放しなさいよ! ちょっと聞いてるの、ジル!」
「放したら逃げるじゃないですか」
「その通りよ――こんな、ジルの枝みたいな腕なんて、ふんっ、く……!」

 バタバタと暴れ回る足に腹を蹴られながらも、ジルベールは市場を振り返り「お騒がせしました」と一礼した。


 機嫌が悪い時はいつもこうだ。もう何年もワズワース家四女に執事として仕えているジルベールにとっては日常茶飯事のイベントのようなものだ。大脱走の末、大半はドロシーがとっ捕まり、こうして荷物のように担がれて屋敷へ連行される。不機嫌そうにむくれた顔は食後のデザートを食べれば大抵元通りになる。

「お父様に入れ知恵したわね」
 背後から唐突に不機嫌そうな声がもれた。
「今朝のことですか?」
「そうよ。お父様があんなずる賢いこと思いつくはずがないもの」
 きっと舟を停めるロープに印を付けたことを言っているのだろう。
「お部屋でお姉様たちと話していただけですよ。ロープを使ったなぞなぞがありますってね」
「……ジルってほんっと、ひきょう者だわ」

 先ほどから地味に続いているドロシーの足蹴りのせいで脇腹がやんわりと痛む。空いた手で腹をさすりながら、ジルベールは鼻でため息をついた。

「あんまり我儘を言っているとカーニバルを中止にされますよ」
 一瞬何かを言いかけたような吐息が聞こえたが、それきりでドロシーは言葉を返さなかった。代わりに、石畳に伸びる影が心なしかしょげた気がした。
「カーニバルの復活を一番に望んでいたのはお嬢様でしょう。あなたの必死の訴えがなければ、ワズワース様はきっとマスカレード・カーニバルを開催しようとはしませんでしたよ」

 愛する娘の望みとあらばなるべく叶えてあげたいのが親の性。普段怒ってばかりのワズワースも例に漏れず、一端(いっぱし)の父親だったということだろう。あるいは、ドロシーが執拗にマスカレード・カーニバル復活を願うのは、単なる我儘の延長線ではないと感じたからなのかもしれない。
 しかしジルベールにはやはり、ドロシーの主張は単なる我儘にしか見えなかった。お祭りは楽しいものだから復活させたい、とでも思っているのだろう。そんなことを考えながら、ジルベールは肩に乗せた小さな体を担ぎ直した。

「あまりお父様を困らせてはなりませんよ」
「……どうしてカーニバルは廃止になったの? ここだけじゃないわ、イタリアだってそう。中止にする理由がある?」
「それは――」
 ジルベールは言葉に詰まって、一瞬口をつぐんだ。
「政府の方針でしょう」

 エネルギーショックを期に世界の中心はアメリカからフランスへと移った。理由は言うまでもなく、フランスがAEP発電所を所有しているからだ。人類はエネルギーを無駄なく使い、効率よく生きること。それがフランス政府の方針だった。そして、その方針は盆から溢れ出た水のように世界中に浸透していった。

「そんなのって非道よ。理由になってないわ」
 再びじたばたとし始めた両足を見て、ジルベールは腹に力を込めた。
「人間はこれ以上無駄な行為をしてはいけないんです。お嬢様も習ったでしょう……エネルギーショックの教訓ですよ。人類は効率よく生きていかねばならないんです」
 肩越しにドロシーがむくれるのを感じる。
 はぁ、とわざとらしくため息を漏らすとジルベールは「いいですか」とばか丁寧な口調でたしなめた。

「あまり大々的にカーニバルを開催していれば、きっとこの町は政府に目をつけられます。その責任は誰が取るんです? あなたのお父様ですよ」
「分かってる。分かってるわよ。でも、全然分からない! 何がいけないの? エネルギーを無駄に使ってなんかいないじゃない。カーニバルを楽しみたい人はきっとたくさんいるはずなのに……」

 そんな質問が飛び出ること自体が子どもなのだ、とジルベールは思う。

「人間が取りうる()()()()()()()()()を助長させないために、政府は厳しく取り締まっているんです」

 現代(いま)を生きる人間を照らすのは太陽ではない。自分たちのことだけを考え、傲慢な態度で自然を破壊した人類に残された唯一のともし火。それは人々を明るく照らし出してくれるAEP――〈絵画エネルギー〉だ。近代以前には『芸術』と呼ばれていた、今や重大なエネルギー源を、無駄に使うことなどあってはならない。それこそ五十年前の二の舞になりかねない。
 だから、危険な芽を摘み取るという政府の行為は当然のことであり、自分たちや将来の子孫の為にも守られねばならない方針なのだ。ジルベールは目を輝かせ、誇らしげに胸を張った。

「あーもう、分かったわよ。降ろして! 自分で歩けるわ!」

 半ば引きずり落ちる形でドロシーはジルベールの肩から脱した。すっかり機嫌を損ねてしまっている。たかが数日のお祭り騒ぎにどうしてそんなに執着するのか、ジルベールにはさっぱり分からない。

「お嬢様はどうしてそんなにカーニバルにこだわるんです?」
 へそを曲げはするものの、普段なら咎められればそれ以上粘ったりしない。それでもマスカレード・カーニバルに対してだけは意気込みが違ったのだ。何度突っぱねられようとも彼女は妥協しなかった。

「――会いたい人がいるの」
「え?」
 運河を走るボートの音にかき消されそうになりながらも、ジルベールは聞き捨てならない小さな呟きをしっかりと耳に留めた。
「ずっとずっと前にね、水路で私を助けてくれた人を探してるの」

 ドロシーは大切なアルバムをそっとめくるように、優しい声で呟いた。


 あの時の光景は今でも鮮明にまぶたの裏側に焼き付いている。
 やっと一人で舟が漕げるようになった二年前、濃い霧の中でまだ町が眠る早朝のことだった。水路をくだって探検をしようと、ドロシーは単身で小舟に乗り込んだ。

 生まれてからずっとこの町の景色ばかり見てきたのに、その日の朝、そこはまるで違う世界に見えた。
 ドロシーは小さな頃から絵本を読むことが大好きだった。主人公が仲間たちと共に不思議な世界をかけめぐるファンタジーの物語。ページをめくる度にわくわくが胸いっぱいに広がって、まるで自分も一緒になって冒険しているような気分になるのがどうしようもなく好きだった。

 そして今、ドロシーはまるでおとぎ話の世界に迷い込んでしまったのではないか、なんて夢のようなことを考えていた。覚えたての手つきで懸命に舟を漕ぐ。真っ白な霧の中で、舟の舳先(へさき)だけがコンパスの針のようにゆらゆらと揺れた。この水路がどこか違う世界に繋がっていることを指し示すようだった。白い霧が晴れたら、その先にはきっと、憧れていた冒険が――

「!」

 その時、ふと霧が薄らいだ。突如現れた小さな橋。その上で踊る、一人の仮面の男。
 片手で逆立ちしたと思ったら、まるでうさぎのように跳ね、橋の上を綱渡りのようにトントンと軽快に行き来する。両手が霧を掻く。重力を感じさせない男の動きは、まるで道化師のようにも見える。
 奇妙な踊りだった。しかし、ドロシーはその光景に見入った。ぼうっとしすぎたのだ。突如バランスを崩してボートがぐらりと揺れた。

 落ちる!――ぎゅっと口をしばって身を固くしたドロシーの手を、何者かが握りしめた。はっと目を見開くと、そこには橋の上から手を伸ばす仮面の男の姿があった。ドロシーはそのままバランスを崩して、男と共にバシャンと水しぶきをあげて水路へと落っこちた。

「きゃあっ! た、助けて、私、泳げない――」
「落ち着いて。暴れちゃだめだ」

 それは若い少年の声だった。少年はドロシーを抱きかかえ、水を掻いて岸へと泳いだ。ボロ雑巾のようにくすんだパーカー、顔にへばりついたカーニバル用の仮面。容姿が何一つ分からない少年の腕の中で、ドロシーの心臓はうるさいくらいに悲鳴をあげていた。まるで夢見たおとぎ話みたいだった。お姫様がピンチになった時にさっそうと現れる王子様。運命的な出会いを果たした二人は、やがて恋に落ちるのだ。

 ドロシーを陸にあげた仮面の少年は、一言も口を開かないまま踵を返した。

「ま、待って。助けてくれてありがとう。その、お礼をしたいから……顔を見せて」

 少年は一瞬たじろぐように肩を揺らした。そして、期待に満ちた瞳を振り切って、逃げるように霧の中へと走り去っていく。
「あ、待って!」
 後を追ってみたが、もう少年の姿はどこにもなかった。その日に限って霧が晴れるのが随分と遅い。ここが町のどこかも分からなくてドロシーは途方に暮れた。残されたのはほてった頬と、高鳴る鼓動だけだった。
 少女は自信の胸をぎゅうっと握りしめて、少年のことを想った。人生に運命が存在するなら、この出会いを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

 それからずっと、ドロシーは人知れずその少年を探していた。
 薄茶色の、小花のようなシンプルな模様が描かれたヴェネチアンマスクを被った少年を。


「なるほど。カーニバルでその仮面を手掛かりに、少年を探そうということですか」
「絶対にお父様には言わないでね。まぁ、ジルはいざとなれば口が堅い男だって、私はちゃんと知ってるけど」
「左様でございますか……」

 口の端を痙攣させながら、何とか差し障りない相づちを打つ。
 ほら、やっぱりただの我儘だった。そう言いたいのをぐっと堪えて、ジルベールは本日何度目になるか分からないため息をついた。

「なによぉ、その冷めた態度は。ジルにもあるでしょう? 私よりも二倍は生きてるんだから、ロマンチックな出会いのひとつくらい」
「お言葉ですがお嬢様、二倍も生きておりません。人を勝手に三十路にしないでください」
 そうだっけ、ととぼけた顔でドロシーは石畳の上をスキップした。
「恋人はいないの? 気になる人は?」
「ああもう、人のことは放っておいてください!」

 今度はジルベールが肩をいからせてドロシーの先を歩いた。
 二十代も半ばの男だ、異性を気にすることくらいある。しかしジルベールは至極真面目な性格だからか、それとも不器用だからなのか、その気持ちがはたして『恋』なのか、自分でも良く分かっていなかった。

 たくさんの人で賑わう市場。偶然ぶつかってしまった、指先がぼろぼろの素朴な少女。バラバラと地面に落ちるたくさんの仮面を慌てて拾う少女は、恥ずかしさと焦りで今にも泣きそうだった。――そんないつかの光景を、ジルベールは思い浮かべた。
 ドロシーの語る仮面の少年が彼女の『運命の相手』だと言うのなら、おそらくそんなに良いものでもない。しかし、憂いを帯びた少女の横顔があまりにも美しかったことを思い出して、ジルベールは少しだけ頬を赤らめたのだった。
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