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コルシカの修復家 作者:さかな

6章 マスカレード・カーニバル

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第二六話 独立図書館

 身の丈の数倍以上も高さのある木製扉を押し開くと、古い紙のにおいがした。
 通路の両脇にはあめ色の書架がずらりと並び、革張りの本がびっしりと詰め込まれている。書架の間に並ぶ円柱には人魚の男をかたどった彫刻があしらわれ、その手に照度の低いエネルギーランプを(たずさ)えている。頼りない灯りのせいで、まっすぐに伸びる大理石の通路は先が暗闇に呑み込まれてしまっていた。

「なんだか違う世界に来たみたい」

 荘厳な雰囲気に、二ノンは誰に言われるでもなく声をひそめた。
 ふと三階分の吹き抜けを見上げた。円柱に支えられたアーチ状の天井に、天井画が広がっている。

「すげぇな。この天井画」

 美しい絵画に心を奪われていたのはルカだけではなかったようだ。淡い水色の空に天使が微笑みを讃えて舞っている。画の中央に向けて指をさしている男は、神だろうか。それとも救世主の弟子だろうか。
 天井を仰ぎ見ながらのんびり歩くアダムをよそに、二ノンはあたりをきょろきょろと見渡しながら、時折目を細めたりして何かを探していた。「あっ」と小さな声をあげて二ノンが駆け出したのは、ルカがようやく天井画から視線を外した時だった。

「どうしたんだよ」
「歴史」
「あ?」

 二ノンは書架の上部に備え付けられた分類用のプレートを指差して「地理・歴史」と、口に出して読み上げた。よく見ればプレートは一つ一つの棚に設置されていて、左右のプレートには〈社会科学〉〈芸術〉などと記されている。

「何か思い出すかもって思って」
「歴史ねぇ……」
 アダムは胡散臭そうに呟いた。

 それから三人は思い思いに本を抜き取り、廊下の中央に常設された長テーブルの上に積み上げた。島一番の図書館とあって、すれ違う利用者の数はそれなりにある。しかし、歴史に関する本を利用する者はほとんどいないようだ。手に取る本はどれもこれも埃っぽい。

「ベルナールって、大きいお家なんだよね」
 黄ばんだ紙をペラペラと(めく)りながら二ノンは呟いた。
「うん、多分。父さんたちの話ぶりだとそんな風に聞こえたけど」
「だったら、本に載ってたりしないかな」
「いやいやいや。相当歴史を動かさなきゃ本になんか載らねーっての。例えばサンジェルマン伯爵とか、この島の英雄ディアーヌとかさ。……いや待てよ、ベルナールか。どっかで聞いたことある名前なんだよな……ううん」

 アダムは首をひねりながら流れるような速さでページをめくった。
『ベルナール』という単語を頭の中でぐるぐるかき回しながら、ルカも同じように首をひねる。確かにどこかで聞いたことのある名前のような気がしていたのだ。だけど、それが誰で、一体いつ聞いた名前なのかもさっぱり思い出せない。

「ねぇ、ナントカ伯爵って?」
「ああ――サンジェルマン伯爵?」
「そう、それ」
「AEP発電装置を開発した科学者だよ。生ける伝説とか、現代の救世主とか色々呼び名もあって。とにかく今世紀最大のヒーローだな」
「ふぅん。じゃあ英雄ディアーヌは?」
「ちょい待て待て。お前、何のために図書館に来たんだよ。ちょっとは自分で調べるとか――あった!」

 古びた本のページをぱしんと叩いてアダムが叫んだ。その途端、すぐそこで本の整理をしていた職員が、冷酷な眼差しを三人にキッと向ける。そそくさと背を向けたアダムは、声をひそめて「これだろ」とページの小見出しを指差す。三人はなるべく音を立てないように顔を寄せ合った。

「ベルナール家、ラピスラズリ採掘により財を成した〈ボニファシオ〉の領主――ああ! そうだ、ラピスラズリの大富豪だ」

 三人はページにひしめく文章を目で追った。
 ベルナール家とは、コルシカ島最南端の町〈ボニファシオ〉を治める領主であったらしい。コルシカ島はラピスラズリの発掘によって発展を遂げた島だ。その総指揮を取っていた一家がベルナール家であり、ルカやニコラスが忠誠を誓う名家ということになる。そしておそらく、その末裔が二ノンなのだろう。

 ルカは何年も前の歴史の授業風景を脳裏にうっすらと思い浮かべた。教壇に立つ若い教師が、一度くらいその名を口にしていたかもしれない。ルカは授業中に一度たりとも眠ったことなど無かったので、おそらくラピスラズリの話が出た時に耳にしているはずだが、己の記憶に自信がない。ただ、教科書の文章をなぞるような表面だけの授業だったので、ひどく退屈な時間だったことだけは覚えている。

 採掘現場を写した白黒の写真の下に、つらつらと歴代の当主の名前が羅列されていた。驚くことに初代の生年は今より三〇〇年以上も昔だ。二代目、三代目……名前の羅列は十代目でぷつりと途切れていた。没年数は約五〇年程前。ルカはそこではた、と目を留めた。
 最後の当主が没してから今までのベルナール家の記録が残っていない。まるでそこだけ切り取られたかのように余白が広がっていた。
 光太郎の口から出た『ベルナールの末裔』という言葉。あの大きなラピスラズリのペンダントからして、二ノンがベルナール家の血を継いでいるのはほぼ間違いない。

「何か気になることでもあったのか?」
 ページを捲る手を制したルカに目をやり、アダムはいぶかしげな顔をした。
「最後の当主が亡くなってから今までの五十年間の記録が無い」
 トン、とルカは余白を指でさした。
「そんなこと――うわ、マジだ。どういうこった?」
「さぁ……。でも、きっと何かあったんだと思う。二ノンもなんらかの事件に巻き込まれていた可能性がある」

 むしろ可能性なんて言葉を付け加えなくても良いくらいだな、とルカは口にしてから思った。記憶なんてそうそう無くなるものじゃない。彼女が何らかの事件に巻き込まれたと考える方が自然だ。

「だったらさ、ニコラスもじゃねえ?」
「ああ。うん。確かに」

 もう一人の記憶喪失者、ニコラス・ダリ。そしてもう一人のベルナールの指輪の所持者。おそらく彼が記憶を失くすきっかけとなった事件と、二ノンの記憶喪失は関係している。ニコラスの弟、ダニエラも何か関係しているはずだ。
 ルカが考えに耽っていると、アダムが突然ページからがばっと顔を引き上げた。それからぱちぱちと目を瞬いて、「分かってしまった……」と深刻そうに呟いた。

「金だよ」
「カネ……?」
「そうだ。金だ。ベルナールはその昔、コルシカ島を牛耳る大富豪だったんだぞ。きっと莫大な遺産が残ってるに違いないぜ。その争奪事件に巻き込まれたんだよ! なぁ、お前、遺産のこととか何か思い出してねぇの?」
「アダム、ちょっと、鼻息荒い」

「わりぃ」などと心にも思ってもいない言葉をアダムは即座に口にした。その瞳には幻想の金貨がごまんと映し出されていて、ギラギラと卑しい輝きを放っていた。

「とにかくだ。そういうことなら合点がいくだろ? ルカ、お前が二ノンを護るように言われたのだってさ」
「そう……なのかなぁ」
「そうに決まってんだろ! だんだん分かってきたぜ。ほら、あの絵画ってのもよ、もしかしたらベルナールの遺産についての手掛かりだったりして――」

「なになに、ベルナールの遺産が何だって?」

 突如、頭上から楽しげな女の声が降り注いだ。三人はぎょっとして、同じタイミングで声のした方へ顔を上げる。

「あはは、雛鳥がエサを待ってるみたい!」
「あ、あんた誰?」

 素っ頓狂な声をあげるアダムを見下ろして、女はまたしても耳につく高い声で笑った。
「あたしは世界を駆け巡るフリーライターよ。はいどうぞ」
 と言って、女はポシェットから抜き取った名刺を、ぽっかりと開いたままになっていたアダムの口に差し込んだ。慌てて取り出すと、そこにはシンプルな字体で『フリーライター ベッキー・サンダース』と印字されていた。

「渡し方ってもんがあるだろ……ああもう、湿っちゃったじゃねェか」
 指先でつまむようにして名刺を持ち上げた時、ふいにブロンドのポニーテールが揺れた。ベッキーはぐるりと回り込んで机の上にぞんざいに腰を下ろした。

「ね、君たち。ベルナールについて何か知ってるの?」

 ルカはとっさに緩くかぶりを振る。笑顔のマスクの裏側で目をらんらんとさせている目の前の人物が、信頼するに値するかどうか分からなかったからだ。
 ベッキーは「ふぅん」と呟いて、ジーンズのショートパンツから伸びるスラリとした脚を組み替えた。彼女の崩れない微笑みが、胡散臭さをさらに助長させている。

「なぁんだ。あたしはてっきり、ベルナールの火災事件(、、、、)について調べてる人がいるのかと思ったんだけど。ま、そんなモノ好きにそうそう出会えるわけないか……」
「火災事件?」

 事件という単語に二ノンが食い付いた。そこでベッキーは足をぶらぶらさせるのをぴたりと止めた。代わりに、おもちゃを見つけた子供のようなにんまりとした笑みを二ノンに向ける。

「そんなに知りたい? 事件のこと」
「うん。知りたい。教えて!」

 最後の方はほぼ叫んでいた。それはしんとした室内にうわんと広がった。本に没頭していた人々は次々と面をもたげ、声のした机の方を見やった。
 はっと我に帰った時には後の祭りだった。勢いあまって席から立ち上がった二ノンの背中に、カツンカツンカツンともの凄い勢いで足音が迫る。振り返るとそこには痺れを切らした図書館の職員が眉間にいくつもしわを寄せて仁王立ちしていて、誰かが口を開く前に無言でびしっと人差し指を出口へ突きたてた。

 *

「ったく、出入り禁止になったらどうしてくれんだよ」
「え、なになに、あたしのせいなの?」
「原因作ったの明らかにおめーだろ!」

 静寂な空間から放っぽりだされたベッキーは、太陽が昇りきった空にいっそう大きくケラケラと笑い声を響かせた。何がおかしいのか分からないがよく笑う女だ。ルカは未だに、素性の知れない彼女への疑惑の視線を払拭できずにいた。

「あれ? ニコラスがいねぇ」
「え?」
「いや、あのベンチのところでさ、踊りっていうのか――大道芸をやってたんだよ」

 ニコラスが踊りを踊っていたのは、確かに図書館から見て左側のベンチの側だったはずだ。しかしそこは既にもぬけの殻で、人の座っていないベンチがぽつんと置かれているだけだった。おっかしいな、とアダムはがしがし頭を掻いた。

「じゃああのベンチで事件について教えてあげる。お腹が減ったから何か食べに行ってるんじゃない? しばらくすれば戻ってくるでしょ」
「もうお昼だしね」

 その途端、相槌のように二ノンのお腹からきゅるきゅると可愛らしい音が鳴った。

「ね、あたしたちも何か食べようよ」

 少しだけ顔を赤くしながら、二ノンはこくりと頷いた。


 ◯◯◯


 薄ぼんやりと水面に映り込んだ顔は、濁った水のせいでエイリアンのような緑色をしていた。しかしそんな気味悪さよりも、濁っていても水鏡になることの方がニコラスには驚きだった。

「それ、私がやりましょうか」

 一体どこにそんな力が隠されているのだろう、と首をかしげてしまうくらい細い腕で力強く小舟を漕ぐ少女に、ニコラスは遠慮がちに声を掛けた。すると少女は一瞬呆気にとられた様な表情をして、しかしすぐにそれを引っ込めると大げさに首を振って申し出を断った。

「コツさえ掴めば女の子でも簡単に漕げるよう作られてるから。この町に生まれた人間は速く駆けることよりも先に、舟を漕ぐことを覚えるんです」

 ハープの音色のように繊細な少女の声は、水の溢るる町の景色によく映える。
 湿った木製の小舟はせまい水路を何度も曲がり、城壁のようにぴったりとそびえ立っていた建物はいつしかまばらになった。
 しばらくすると辺りの景色は少しずつ霞み始めた。白くモヤモヤとしていて、高度を下げて漂う雲のように見える。その正体は霧だ。「あの」と微かな声が、霞む景色の向こう側から聞こえた気がした。

「その……本当にありがとうございます。無理言ってこんなところまで」
「あら、そんなに(へりくだ)らないで。私だって嬉しいのよ。だって私のことを知っていてくれる子たちがいるだなんてね」
(へりくだ)ってなんか……! あなたは弟にとっての、ううん、私にとっても、ヒーローなんです。だからきっと、あなたに会えば弟は元気を取り戻すはずなんです」
「嬉しいわ」

 だんだん深くなっていく霧は二人の間を隔てた。それでも、ニコラスは少女に向かって満面の笑みを絶やさずにいた。
 そしてついに小舟は広々とした湖のような場所に出た。示し合わせたように晴れてゆく霧の向こうに、ぽつんと浮かぶ小さな離島。そのほとんどをマキ――コルシカ島に群生する植物群――が覆ってしまっている。
 少女は小舟を島に続く石階段まで近付けると、地面から突き出た木の棒に丁寧に縄を結んで舟を固定した。

「ようこそ、仮面職人の島へ」

 ふいに、マキから発する独特の香りが潮風にのってニコラスの元まで届いた。
 それはひどく懐かしいにおいだった。
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