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コルシカの修復家 作者:さかな

5章 虹のサーカス団

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第二十話 ウィグルとハビエル

 機材の修理に希望が見えたところで、三人は今回の本業の掃除――もとい絵画の捜索活動を再開することにした。床上浸水の被害を拡大させまいとアダムがモップのしぼり方を教えてやったので、ニノンの手に握られているモップから水が滴り落ちることはもう無い。
 開演まで残るところ数日となった今、日中の練習時間は貴重だ。相談した結果、ウィグルには練習時間外に話を聞くことにして、今はなるべく自分たちで手がかりを見つけよう、ということになった。彼らの拠点はメインテントと倉庫テントの二つしかない。ざっと見て回っても一日もかからないだろうとふんだのだ。

「探すって言ってもな。何か手がかりはあるのか?」

 手を首の後ろに回してアダムは倉庫テントをぐるりと見渡した。懸命に掃除をしたおかげで少しは小奇麗になったけれど、やはりどこか埃っぽい。

「一つ目の絵画は、厳重にロックされた扉の向こうにあった」
 ルカは右手の薬指にはめられた指輪をかざしてみせた。ゆらめくランプに照らされて、ベルナールの紋様を作り出すわずかな溝に影が落ちる。
「この指輪が鍵になってるんだ。多分、二枚目も同じように厳重に管理されてると思う」
「そうだけどさ。あの時みたいに地下室があるって訳でもないだろ。とりあえず、それっぽい鍵つきの箱か何かを探せば良いんだな」
一概(いちがい)には言えないけど……」

 ルカが言いかけた時、カサカサ、とテントの奥で何かの物音がした。三人は口を噤んで音のした辺りをじっと見つめる。倉庫に備え付けられているランプは相変わらずぼやけたようにしか発光しないので、物陰になっているところは暗く、何が潜んでいるのか分からない。

 もしかしてこの世の者ではない何かかも――そんな恐ろしい可能性に、ニノンはルカの袖をぎゅっと引っ張った。
 一方アダムは首だけを回して「絶対ヤツだ。復讐しにきたんだ」と口をぱくぱくさせた。
「…………」
 まるで両腕に重りを吊るしてトレーニングに勤しむアスリートのように、ルカはずるずるとぶら下がる二人を引きずって物陰に近付いた。

「ハビさん。こんなところで何してるんですか」

 積み上げられた木箱の裏で、ハビエルが身を屈めて隠れていた。「なんだぁ、ハビさんか」と安堵のため息をもらす二人に苦笑いを向けると、膝をついて立ち上がった。

「君たち、一体何者なんだ?」
 一転してハビエルの表情が険しくなった。今朝ほどではないが、まだ血の気の悪い顔色をしている。
「な、何者って。俺たちただの雑用係っすよ」
「鍵の付いた箱のこと、君たちも何か知っているのか?」
「え? 君たち『も』って……」
 ハビエルはきまりが悪そうにがしがしと頭をかいた。そして、放置されていたペール缶に静かに腰を下ろすと、重々しく口を開いた。

「昨夜、大通りであやしいおばあさんに会ったんだ」

 近いうちに災いが起こること、ゾラの霊が行き場を失くしてさまよっていること、それが謎の箱に憑りついていること。「最初はただの物乞いで、でたらめを言ってると思っていた」とハビエルは言った。しかし翌朝のトラブルがどうにも引っかかっているという。

「あの辺を組み立てたのは僕なんだ。枠組みとして使用する部品はちゃんと確認してから使ってる。だからボルトの経年劣化はあり得ない。組み付けも……僕自身はしっかりやったと思ってるんだ」
「それでゾラさんの亡霊が憑りついてる鍵付きの箱を探してたんだ」
「そんな話を鵜呑(うの)みにするなんて馬鹿げてるって自分でも思う。だけど君たちも同じような話をしてたから、もしかしたらと思ったんだ。路上でおばあさんに会ったのか?」
「あー、ええと。おばあさんには会ってないんだけど」
「じゃあどうして箱のことを?」
「それは……」

 三人は目くばせした。そして、言葉なく頷きあうと、ハビエルに今までの経緯について洗いざらい話すことにした。

 *

「とりあえず、僕たちの目的は一致していると考えていいんだね」
「絵画が鍵の付いた箱に入ってるならば、です」

 ハビエルは頷き、立ち上がった。顎に手を添え辺りをうろうろすると、背が高いので吊るされたランプに頭が当たりそうになる。フードの紐先をいじっていた手を止めて、ニノンはハビエルを見上げた。

「手分けしようよ。ハビさんは、ウィグルさんに話を聞く担当ね」
「ウィグルにはもう聞いたさ。これが『知らない』の一点張り」
 ハビエルは肩をすくめてお手上げのポーズをしてみせた。
「でもそれは多分嘘だ。あいつ、きっと何かを隠してる」
「どうして分かるの?」
「分かるよ。ずっと一緒に組んできたからね。それにウィグルは単純だから嘘が下手くそなんだ」
 そう言ってハビエルは笑った。できる限りの優しさを精一杯つめ込んで。

「君たちにはテントの中の捜索を任せても良いのかな」
 ニノンは右手の親指を突き立てると、自信満々に自分の胸をトントンと突いてみせた。同タイミングでアダムも同じ仕草をした。するとお互い顔をつき出して、「真似すんな」「真似じゃないもん」とまたしても幼稚な喧嘩が始まった。そこへすかさずルカは右手をつき出す。そして、二人の間を裂くようにその右手でざくざくと空気を切る。幾度となく繰り返されるルーチンワークだ。

「あはは、君たちは面白いね。何だか予定通り公演をスタートできるような気がしてきたよ」
「弱気なこと言ってないで、ハビさんはきっちりウィグルさんと空中ブランコ成功させてくださいよ」

 励ましのつもりかアダムは遠慮なくハビエルの背中をばしんと叩いた。「それが一番の難問かもしれないなぁ」と苦笑いを浮かべながら、ハビエルは三人に見送られて倉庫テントを後にした。


 再び静けさを取り戻したテントは光が少ないからなのか、どこか不気味さが漂う。きっと物乞いの老婆が亡霊などとのたまっただなんて話を聞いたせいだな、とアダムは己に言い聞かせた。気合いを入れるためそそくさと腕まくりをする隣で、ニノンがふいに呟いた。

「何か――感じる」

「ニノン、そういう冗談は言うもんじゃねぇよ。寄ってきちまうだろ。ほら、さっさと探そうぜ」
 顔を青くさせながら、アダムは呆然と立ち尽くすニノンの肩を引っ張った。しかし彼女はある一点から目線を外そうとしない。おそるおそる視線の先に目を向ける。
 そこにあったのは――

「うわ! ……って、この間の不気味な絵画かよ。まったく、ビビらせんなよな」

 男と女の、横を向いた生首が一体ずつ暗闇にぼうっと浮かんだような構図は、初見でなくとも気味悪さを覚える。ニノンはアダムを振りほどき、引き寄せられるように絵画の前に立った。

「この絵画、何か言おうとしてる。でもイメージにモヤがかかってて、うまく読み取れないの。――何かメッセージが込められてるみたいなんだけど」

 ルカもその不気味な絵画の前に立って生首をじっと見つめた。ニコラスは生前ゾラが大切にしていた絵画だと言っていた。そのことと、探し求めている絵画には何か繋がりがあるのだろうか。
 木箱の上に立てかけられていた絵画をそっと持ち上げ、テーブルへと移した。ぱっと目につくほどに埃をかぶっている。額縁の部分に積もった埃の層を手で払いのけてやった。

「まさかルカ、その気味悪ぃ絵画、修復するとか言うんじゃねぇだろうな?」
「うん。そうだけど」
「やめとけやめとけ。探してる絵画と関係ねぇんだろ? それに頼まれてる訳でもねぇんだし」
「ニコラスさんに許可はもらう」
「良かったね。ルカが治してくれるんだって」
 ニノンは絵画に優しく語りかけた。
「はぁ……ほんと、この修復バカは」
 ほとほと呆れるぜ、とアダムは盛大にため息をついた。

 関係あるか無いかは問題ではない。ルカにとって重要なのは、そこに修復を望む絵画があるかどうかということだけだ。目の前の絵画は今まさに助けを求めている。ならばそれを救うのが修復家の定めであり、修復家と名乗る者のプライドなのだ。


 ○○○


「痛いところはない?」
「団長ってば、大げさなのヨ。ちょっと擦りむいただけなんだから」

 ステージの上でうずくまるシュシュは強気だった。膝が少し擦りむけ血が滲んでいる程度で、大した怪我ではなかった。
「すまない、シュシュ」
「ルーのせいじゃないわ。私のミスだもん」
 普段の練習でも滅多にミスをしない彼らのアクシデントは、メンバーたちに一抹の不安を残していく。

 トランペットのピストンバルブにせっせと注油するグリエルモの脇を通り過ぎ、ハビエルはウィグルの元へやってきた。

「シュシュ、なんだか元気ないね」
「珍しくミスしたから、しおらしく落ち込んでんじゃねぇの」
「そうなのかなぁ。朝から元気がなかったから、もしかしたら体調が悪いのかな」

 さぁな、と空返事をして、ウィグルは右足をめいっぱい伸ばしてストレッチを始めた。それにならってハビエルも屈伸を始める。筋肉を引き伸ばして、深呼吸。目の前で黙々と準備運動をこなす男の様子をチラチラと伺いながら、ハビエルはいつも通りの口調で話しかけた。

「ウィグルはどう思う?」
「なにが」
「その――公演をやるかやらないかって話だよ」
 足の裏側をぴったりと床につけて肺の中の空気を全て吐き出す。まるで服がたたまれるみたいに上半身を足に沿って折り曲げながら、ウィグルは「分からない」とだけ答えた。

「やりたいからやる。やりたくないならやらない。そんな単純なことじゃ駄目なのか? 難しいことは俺には分からん。大人ってのは面倒な生き物だ」
「単純に生きられるのは多分、言葉も知らない赤ん坊くらいだよ。僕たちの人生は自分のものだけじゃないんだから」
 その言葉を耳にして、ストレッチを終えたウィグルがゆっくりと顔をあげた。

「最近、俺、お前のこともよく分からない」

 放り出された言葉はガラスの破片のようだった。目に見えないのに、踏むと皮膚にざりざりと刺さる。そして、体内に入り込んだたくさんの破片は再成型されて、二人の間に隔てられた壁を分厚いものにしていく。

「俺は馬鹿だし、エスパーでもない。だから、言葉からしか気持ちを探し出せない」
「それは僕に対する文句なのか? 悪いけど、ウィグルの言いたいことが分からないよ」
「――悪い。ちょっと外出てくるわ」
「ウィグル!」

小さくなっていく背中を追いかけることはできなかった。胸の内にくすぶる苛立ちをどうすることも出来ずに、ハビエルは床をだん、と蹴りつけた。
「分からないのは僕の方だよ……」

 今回のプログラムでは、ラストのシーンでバックカーテンに大きな虹がかかる。その虹を渡るようにして空中ブランコのパフォーマンスが行われ、プログラムは大団円を迎えるのだ。
 経験は人を大人へと成長させる。しかしその過程で、失敗を減らすためのフィルターが体にどんどんへばりついてがんじがらめになっていく。保身的な考え。危険予知。汚れてしまった角膜では七色のアーチを見つけられない。そうすればもう、二人で宙を飛ぶことはできないだろう。

――僕たちの目ではもう、虹を見つけられないのでしょうか。ゾラさん。

 誰もいないテントの入り口を呆然と眺めながら、ハビエルは心の中で呟いた。
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