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コルシカの修復家 作者:さかな

5章 虹のサーカス団

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第十七話 ウィグルとニノン

「虹のサーカス団ー、アルカンシェルでーす……」

 歩くマッチ棒は大量のチラシを手に、ふらふらとアジャクシオのメインストリートをさまよい歩いていた。
 楽しげな笑い声をあげながら傍を通りすぎるのは、二ノンと同じくらいの歳の少年少女たち。どこの国からの旅行客かは分からないが、色鮮やかな服やおしゃれな帽子を身につけている。そのすぐ後を追うのは駆けていった子どもたちの両親だろう。あっという間に過ぎ去っていった親子に、二ノンは出しかけていたチラシを元の束に戻した。

――姉さん。姉さんは今、どこにいますか?

 二ノンはふと、心の中で呟いてみた。流星群が流れた夜、まるで流れ星が連れてきてくれたみたいに鮮明に蘇った記憶を、忘れないよう脳裏でなぞる。柔らかくて優しそうな声や、自分とは違う普通の毛色、繋いだ手の温かさ。それらはまるで、ほんの昨日の出来事のようにも、遠い遠い昔のようにも感じられた。それから、私のお父さんとお母さんは元気だろうか、と二ノンは思う。
 閉じていたまぶたを押し上げると、そこにはやはり誰も居ない。ただありとあらゆる人種の群れが、大通りを行き交う景色が広がっているばかりだ。
 二ノンはすっかり宣伝する意欲も失くし、ショーウィンドウ越しにディスプレイされた(きら)びやかな商品をぼんやり見て回ることにした。

「お嬢ちゃん、ちょっと見ていかないかい」

 そう声をかけられたのは、道端にぽつぽつと露店が現れはじめた頃だった。
 気の良さそうな小太りの男はワゴンいっぱいに積まれたアクセサリーを鷲掴みにすると、ミサンガだよと言って天高くそれらを掲げた。二ノンはポケットに眠っていた、何ユーロあるか分からない小銭を全てほじくり出して、男に全て渡した。おまけとして多めに貰ったミサンガをありがたくポケットにしまいこみ、再び歩き出す。
 ガラス越しに映される自分の姿がひどくちんけに思えて、二ノンはたまらず赤いフードをばさりと外した。一人でいるとろくなことがない、と二ノンは思う。考え込めば考え込むほど自ら暗い方へと歩いていってる気がしてならない。それならば、どんなにつまらない話でも、誰かと語り合っている方がましだ、と。

 しばらくして、ニノンは周りが妙にざわめいていることに気がついた。歩みを止めずに人々の様子をうかがうと、数人の女性たちが耳を寄せ合って何事かをささやきあっていた。珍しい物でも見るような表情で通り過ぎていく人々や、遠くでは指さすカップルまでいる。そのどれもが、少女の珍しい髪色に注目しているようだった。
 すると、突如後ろから子どもたちの駆ける足音とともに騒がしげな声が近付いてきた。

「うわぁ、おねえちゃん色ナシなの?」
「はじめて見た! ホンモノの色ナシだー」
 みるみる内に子どもたちに囲まれてしまったニノンは、口々に喋りだす彼らに「色ナシってなぁに?」と尋ねた。子どもたちは目をぱちくりとさせて、互いに顔を見合った後、「そんなことも知らないの?」と笑う。
「ヘンな色の髪のことだよー」
「……そうなんだ」

 脱色症のことだ、とニノンはすぐに気がついた。子どもには難しい名前だから『色ナシ』という分かりやすい名称が浸透したのか、それとも別の意味が含まれているのかは分からない。純粋な子どもたちの笑顔を見ていると、そこに他意などないように思える。けれど、なぜだかニノンの心は細い縫い針に刺されたかのようにチクチクと痛んだ。

「暇をもてあそんでるガキども、もっと珍しいもんを見たくないか?」

 ふと背後から降ってきた男の声。途端に子どもたちは「見たい!」と騒ぎはじめる。ニノンの肩越しににゅっと伸びた筋肉質の腕が、チラシを数枚つかみ取った。
「変てこなピエロとか体がグネグネのチャンネーがいるぞ。一週間後だ。かーちゃんに頼んでこい」
 チラシをもらうために夢中になっている子どもたちに、男は「あとオカマもいたわ」と付け加えた。

 子どもたちが嵐のように過ぎ去った後、ニノンは背後を振り返った。
「ウィグルさん」
「何やってんだよ新人。てっきりビラ配ってるのかと思ったが」
 全くと言っていいほど厚さの変わっていないチラシの束を見るなり、ウィグルは面倒くさそうに頭をかいた。

「ウィグルさんはどうしてここに? お散歩?」
「そりゃこっちの台詞だ」

 彼は手に小さなポリ袋を提げていた。中にはくしゃくしゃに丸められた包み紙。袋には『ブラボーカバブ』と印字されている。
 ここに来る途中に並んでいた露店のひとつに、同じ名前の看板があったことをニノンは思い出した。大きな肉の塊がくしに刺さっていて、観光客が前を通り過ぎるたびに、陽気なトルコ人がのこぎりのような包丁を使ってこれみよがしに肉を削ぎ落としていたお店だ。

「……よだれをふけ」
「はっ、ごめんなさい。かぐわしい香りを思い出して、つい」
 そう言いながら、腹からきゅるきゅると情けない鳴き声をあげるニノンを見て、ウィグルはこめかみを押さえた。

 *

「ウィグルさんってもっと恐い人なのかと思ってた」
 ウィグルは本日二度目のカバブサンドを頬張りながら「こういうの、餌付(えづ)けって言うんだよ」と笑った。
 二人は大通りに比べてずいぶんと人気の少ない港までやって来ていた。表の大きな港から少し離れたこの場所に停泊する船は小ぶりなものが多く、針金のような穂先に邪魔されずにすっきりと水平線を眺めることができた。
「それから、もっと元気がないと思ってた」
 ニノンは地面から突き出た巨大なネジのような形をしたボラードに腰かけながら、ウィグルに奢ってもらったカバブにかぶりついた。
「親父のこと、聞いたのか」
「二週間前に亡くなったってことだけ」
 ヘビの鱗に似た細かな雲の間を、ぼやけた太陽が水平線に向かってゆっくりと落ちていく。たった二週間。そんな短い時間で親しい人との別れを理解できるということが、ニノンには不思議でたまらなかった。

「――持病だったんだ。俺も含めて、あいつらも皆、その覚悟はできてたんだろ」

 ウィグルは水色とオレンジ色の混ざった奇妙な空を眺め続けた。晴れているとも曇っているとも言えない、どっちつかずの空を。

「あんなクソ親父。いなくなって清々するぐらいだ」
「ウィグルさん、お父さんが嫌いだった?」
 ニノンの問いにウィグルは海から顔を背けて振り向いた。その瞳には、憎しみや苦しみが混ざり合ったどす黒い感情が溶け込んでいて、ニノンは少し寂しくなった。

「嫌ってたのはあっちの方だろ。こんな出来損ないの息子を選んじまったんだからな」
「選ぶ?」
 すると、ウィグルは一瞬口をつぐみ、先に続く言葉を探した。

「俺の親父はお袋と離婚してサーカス団を結成したんだよ。そン時の俺はまだアルファベットも書けねぇくらい小さくてさ。訳も分からずに気付けばサーカス団の一員として各地を点々としてた」
 冷めきったカバブに被りつきながら、ウィグルは「今でもアルファベットは間違うし、学校にもほとんど行かなかったから、バカに育った」とぶっきらぼうに言い捨てた。

「だったら私もバカだよ。だって記憶がないもん」

 一足先にカバブを食べ終えたニノンは、包み紙を手の中で丸めながら、今までのことをウィグルに話した。ウィグルもつられてぽつぽつと思いで話を話した。それはぼやけたままの太陽が水平線に重なり始めるまで続いた。


「ねぇねぇ、あの時どうして団長を殴ったりしたの? 喧嘩でもしたの?」
「お前本当に質問ばっかりだなぁ。俺の妹にそっくりだ」
「妹? 私と同じくらいの?」
「いや、今はもう立派な大人だと思う。俺の記憶の中の妹って意味さ」
「女の子はお喋りなんだよ」
「まったくだ。けどな、シュシュ――あいつは駄目だ。マセてるばっかでまるで可愛げが無ェ」
 ウィグルは立ち上がると、うんと伸びをしてからニノンの腕に抱かれていたチラシの束を奪い取った。

「ぱぱっと配っちまうか。日暮れまでに帰らねぇとお前、団長に怒られちまうだろ」
「ウィグルさんだって怒られちゃうよ」
「俺は慣れてるからいいんだよ」

 夕暮れの中歩き出したウィグルの背に、ニノンは一際大きく声をかけた。

「私ね、少し不思議な力があるの。絵画の声が聞こえるんだ」
 突拍子もない話題に、ウィグルは振り返る。
「絵じゃないんだけど、あのサーカステントにいるとね、たくさんの幸せな気持ちと、嬉しさ、楽しさを感じるの」

 それらの感情を包み込む、大きな感謝の気持ちがイメージとして頭の中に流れ込んできたことを、ニノンは思い出していた。そして、それと同じくらい膨らんだ不安な気持ちも。たくさんの夢と希望を吸い込んだテントの中に渦巻く感情は様々で、もはや誰の思いだったのかニノンには分からなかった。しかし。

「でもね、一番に浮かんだイメージははっきりしているの。ゾラさんの『ついて来てくれてありがとう』って気持ちだよ。ウィグルさんに対するね」

 熱弁をふるうニノンを見て、ウィグルは笑った。
「新しいなぐさめ方か? 面白いな、お前。もう一度言っておくが、俺は別に落ち込んでるわけじゃねぇよ。――分かったらさっさと行くぞ」
「あ、待ってよ」

 夕日を背にさっさと歩きだしてしまったウィグルを、ニノンは小走りで追いかけた。そして、いつかこの男が父親の気持ちを信じられる日がくれば良いな、と願うのだった。
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