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コルシカの修復家 作者:さかな

side:Louvre Ⅳ

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日曜日にやってくる男

 コルシカ島北西の港町、カルヴィ。
 ここには他の町にないものがふたつある。
 ひとつは鐘塔。頂上から海を一望できる立派な建物は町のシンボルと言ってもいい。ひとたび鐘が打ち鳴らされれば、その響きの美しさに誰もが一度は足を止め、天まで届きそうな鐘塔のてっぺんをぐうっと見上げたという。残念なことに今はもう使われておらず、鐘はただ粛々と沈黙を守っている。
 もうひとつは『花の孤児院』と呼び慕われる、この町唯一の孤児院だ。エドガー・オーズ牧師の営むその孤児院では、それはそれはたくさんの美しい少女たちが暮らしているという――。

 秋晴れの空をキョオ、キョオ、と鳴きながらカモメが飛んでいる。
 あらかた建物の周囲を掃き終わったミモザは、最後にもう一度だけ礼拝堂の入り口を箒で軽く掃いた。
 日曜日は孤児院――(セント)フローラにとっては特別な日だった。ミサの後にちょっとした催しがあり、それを目当てに遠方からたくさんの人々が押し寄せる。だからいつも以上に、修道院や教会の周りを小綺麗にしておかなくてはならないのだ。

 午前十時を知らせる鐘が鳴る。ミモザは手をとめて空を見上げた。すっきりと晴れた水色の空を背に、コーラルピンクの建物がどっしりとそびえ立っている。鐘は孤児院のてっぺんの小さなやぐらに取り付けられている。自動式で、時間が来れば勝手に時を知らせてくれるものだ。
 町一番の鐘塔の鐘が鳴らなくなって久しい。時を知らせるのにいつからこの孤児院の鐘が使われだしたのか、もう忘れてしまった。
 だがこの町の人間はそれでも、あの大きくて荘厳な鐘の音を、何かの拍子に時々こうして思い出すのだ。

 ふと視線を戻した先で、孤児院の裏手の扉が開くのが見えた。中から出てきたのは白地の祭服(アルバ)に身を包んだ修道女たちだ。何か囁いては頬を寄せあい、くすくすと笑って楽しそうにしている。少女たちの髪の毛は丁寧に結わえられ、少しばかりおしろいをはたいていたりもする。本日の催しに備えて先ほどミモザがしつらえてやったのだ。
 と、一番前を歩いていた少女がこちらに気がつき、ぱっと笑顔を咲かせて駆けだした。

「ミモザ!」
「走っちゃだめよ、マグノリア」

 とっさに咎めると、マグノリアの足取りはスイッチを切り替えたように急におしとやかなものに変わった。あとに続く少女たちもそれに倣ってしずしずと歩いてくる。
 やがて礼拝堂の前までやって来ると、少女たちはミモザをぐるりと取り囲み、我慢しきれないといった風に口々にお喋りを始めた。

「ねぇミモザ、私今日の髪型とっても好きだわ。次もこの結い方がいいな」
「見て見てミモザ、ほらこの髪飾り。この前オレッタの町のおじ様からいただいたの。綺麗でしょ」
「この祭服の匂い、あたしだいすきよ。もしかしてポプリを新しくしたんじゃない?」

 まるで親鳥に餌をねだる雛のように、小さな口がぱくぱくと動いている。実際ミモザはこの中では最年長で、親鳥みたいなものだ。中には十歳以上年の離れた幼い少女もいる。

「ええ、じゃあマグノリアは来週も三つ編みで冠を作りましょう。ミリオンベル、その髪飾りほんとうに素敵ね。あなたの瞳と同じ緑色の宝石がついてる。ふふ、ラムズイヤーはとっても鼻がきくのね。昨日からホワイトブーケのポプリに変えたのよ……サンダーソニア、ボタンが取れてるわ。こっちにいらっしゃい」

 ミモザは一段と背の低い少女を手招きした。「えっ」と慌てる少女の肩を掴み、そのまま後ろを向かせる。先ほど首筋に塗ってやった練り香水がふわっと香る。たしかニースからやって来た男性が、手土産として持ってきたもののはずだ。トップノートがラベンダーの上品な練り香水。ラストノートはなんだったか。
 ミモザは襟首の一番上にあるボタンをぱちんと留めた。

「ありがと、ミモザ」

 サンダーソニアは首をひねって振り返り、鼻にしわを寄せるようにして笑った。鼻の頭から頬にかけて広がるそばかすが素朴で可愛らしい少女だ。癖のある赤茶色の髪は高いところでふたつの三つ編みに結わえられていて、顔を動かすたびにぴょんぴょんと揺れた。

「サンダーソニアは今日が初めての主日演奏会よね。どう、緊張する?」

 少女のうちの一人がサンダーソニアの顔を覗き込んで言った。隣で別の少女が「男の人も、女の人も、うんと見に来てくれるものね」と付け加える。「私は今でも緊張するわ」「あたしも!」と口々に囁かれる言葉を耳にして、サンダーソニアの大きな瞳はみるみるうちに小さくなった。

 一連のやり取りを端から見ていたミモザは、やれやれと溜息をついた。
 マグノリアたちはいじわるのつもりで言っているわけではない。きっと、妹分に対してお姉さんぶりたいだけなのだろう。それが逆効果になっているとも知らずに。
 怯えきった瞳が助けを求めるようにこちらを見上げてくる。ミモザは膝を曲げて目線を合わせ、力がこもって固くなっている少女の肩を優しくさすった。

「大丈夫よ。怖くないわ。緊張しそうになったら出入り口の上の天使の像を見つめて。歌っているうちに気持ちがよくなってきて、周りの目なんか気にならなくなるの」
「天使の像?」
「そうよ、ラッパを吹いてる小さな天使」
「ラッパ……。天使も演奏会に参加してくれるのね」

 サンダーソニアは安心したように瞳を緩めた。周りの少女たちも何か言葉を掛け合い、くすくすと花のように笑った。
 楽しそうな少女たちの顔を見て、ミモザの心はちくりと刺されたように痛んだ。これでいいのか分からない。どれが正解なのかも分からない――思考の沼に沈みそうになったところで、頭の中に蓋をする。

「そういえば」
 すっかり笑顔を取り戻したサンダーソニアが、ふと思いついたように疑問を口にした。
「ミモザはどうして主日演奏会に参加しないの?」

 主日演奏会。それは聖フローラ孤児院が毎月第一日曜日に開催している、修道女たちによる合唱を披露する会のことである。
 原則、ある時期に到達した少女は皆、この会に参加することになっている。だが例外もある。たとえば性別の制約。演奏会には男は参加できない。それからエドガー・オーズ牧師から参加を禁じられた者。条件はいくつかあるのだが、今目の前の少女たちに敢えて話すことでもないとミモザは思った。

 どう答えたものかと首を捻っていると、
「それはあれよ。ミモザはここにほら、火傷の痕があるから」
 と、ミリオンベルが自身の左頬を指しながら代わりに説明した。すぐにラムズイヤーの手が飛んで、「バカッ」とミリオンベルの肩口をはたく。そこではじめて己の失言に気がついたのか、ミリオンベルはさっと顔を青くさせた。
 ミモザはラムズイヤーに向けて首を振り、次いでミリオンベルの方を向くと「いいのよ」と微笑んだ。

「ミリオンベルの言う通り、私はこの痣のせいで牧師様から主日演奏会への参加を禁じられてるの。これでも火傷をする前はちゃんと歌を歌っていたのよ」

 ミモザは薄ピンクに変色した左頬をさすりながら、なんでもないように笑った。火傷の痕は左の額から顎にかけて、片手では隠せないくらい広範囲に及んでいる。

「ミモザは美人だし、歌も上手なのにもったいないわ」
「そうよ。おしろいをはたいてなんとかならないの?」
「そうしたらきっともっと楽しい演奏会になるのに」

 もう何年も前の傷だから痛みはまったくない。けれど、少女たちはまるで自分の皮膚が炙られているような顔をして、ぎゅっと両手を組み祈ってくれる。

「ありがとう。でもこればっかりはどうにもならないの」
 心優しい修道女たちにこれ以上心を痛めてほしくなくて、ミモザは少女たちの肩を優しく抱き寄せた。
「あなたたちが楽しく歌を歌えるのなら、私にとってそれ以上幸せなことはないわ――」

 パチパチ、と手を叩く音がどこからともなく聞こえてきた。

「ははぁ、まったく素晴らしい。相変わらず内外ともに麗しいね、君は」

 会話を遮るように背後から声を掛けられる。聞き馴染んだ男の声だ。
 振り返れば、立派なスーツに身を包んだ痩せぎすの金髪男がこちらに向かって歩いてくるところだった。ひょろりとした体にそぐわない、大きな紙袋を右手に提げている。男を乗せてきたタクシーは、扉を閉めるとすぐに駅の方へ走り去っていった。

「ヴルーベリおじ様!」
「やぁみんな。今日も美しいね」

 男は駆け寄ってくる少女たちを迎え入れるようにして両手を広げ、にこやかに笑った。

「そうだ。今回のお土産はね――」
 と、ガサガサと紙袋の中身を漁りはじめる。
「じゃーん」
 幼稚な効果音を口に出しながら、男は可愛らしい丸缶を取り出した。小ぶりのりんごほどの大きさで、振ると中からカラコロと音がする。
 途端に男の腰あたりから、わぁっと少女たちの歓声が沸き起こった。

「フルーツ・ボンボン!」
「まぁ、おじ様、モンマルトルまでわざわざ買いに行ってくださったの?」
「ジュ・ローズのボンボン、あたしだぁいすき」

 盛り上がる少女たちに囲まれて気分をよくしたのか、男はぎょろりと出た目を弓なりに曲げて微笑んだ。

「一人につき一つずつ用意してあるからね。だけと渡すのは演奏会が終わってからだよ。ご褒美だからね。さぁ、今日も君たちの素晴らしい歌を聞かせてくれたまえ」

 高く掲げていた缶を紙袋にしまい込むと、男はさぁさぁと小さな背中を前へ押しやった。「はぁい」と少女たちは揃って可愛らしく返事をする。ご褒美をもらえた嬉しさからか、その足取りは軽く、少女たちは肩と肩をぶつけ合うようにして教会の方へ歩いていく。

 耳の横で壊れたおもちゃのように手を振っていた男は、やがて少女たちの姿が見えなくなると、くるりと体を回転させてミモザの方へと向き直った。

「で、ミモザちゃんは今日も演奏会に出ないんだ?」
「あ、えっと、はい。そうですね。今日も……」

 今後も一切出る予定はないとまでは口にできなかった。この男は日曜日にやってくる度に、こうして演奏会への参加を促してくる。だが、いくら懇願されたところでミモザが演奏会に参加することは決してないのだ。
 期待のこもった眼差しに耐えきれなくなり、ミモザはそっと視線を逸らした。視界の隅でヴルーベリの肩が残念そうにすくむ。そのまま、今度は肩掛け鞄の中身をゴソゴソ漁りだした。不思議に思っていると、ヴルーベリは小さな包みを取り出し、ミモザの手の上にちょこんと乗せた。

「あの、これは」

 言いかけたところでヴルーベリの人差し指が唇の前に突き立てられる。おず、と目線を上にやると、ヴルーベリはにんまりと、今日一番の微笑みを浮かべている。

「それはミモザちゃんにだけの特別なお土産。他の子にはないからね」

 ぐっと顔が近付き、囁かれた。生暖かい息が首筋にかかる。袖の内側でさっと腕に鳥肌がたつ。ごまかすように笑みを浮かべる。
 さり気なく一歩後ずさり、ミモザは手渡された小包みをそっと開いてみた。少しだけ開いた口の中に、キラリと光るものが見える。

「これは……」
 小ぶりの宝石がついたネックレスだ。
「い、いただけません! こんな高価なもの」
 弾かれたように小包みを男の胸に押しつける。が、ヴルーベリは「いいのいいの!」と大げさなほど高い声で何度も繰り返し、ネックレスを袋ごとミモザの手に握り込ませた。

「僕がプレゼントしたくてやってるだけなんだから」
「でも」
「ここで突き返された方が傷付くよ。ね、僕のためを思うなら受け取ってほしい。それともアクセサリーはあんまり嬉しくないのかな?」
「いえ、そういうわけでは」
 個別のプレゼント自体がまずいのだ。
「じゃあ次からは珍しいお菓子にしようか。それともハンドクリーム? 季節の果物かな? 君の望むものであればできうる限り用意しようじゃないか」

 もうこちらの言い分など耳に届いていないようで、ヴルーベリは一人で盛り上がっている。ミモザはちらりと目の前の男に目をやった。『君の望むものであればできうる限り用意しよう』。今しがた言った男の言葉を頭の中で反芻する。

「あの……でしたらひとつ、お聞きしたいことがあるのです」
 ぱっとヴルーベリの瞳が輝いた。
「なんだね。なんでも言ってみなさい」
「ありがとうございます。ヴルーベリおじ様はたしか、以前、サロン・ド・コルシカの代表を務めることになったと仰っていましたよね」
「ん。ああ、そうだが」拍子抜けしたような顔をして、ヴルーベリは頷く。「それがどうかしたのかな?」
「実は今年のサロンに知人が参加しているんです。おじ様なら結果をご存じかしら、って」

 ここのところ、孤児院にはアダムからの便りが定期的に届いていた。中には近況を知らせる手紙と、小さなポストカードにスケッチされた町々の風景が同封されている。
 直近の手紙に押された消印は山間のヴィヴァリオという町のもので、手紙には「サロン・ド・コルシカに参加することになった」と書かれていた。その後についての近況を記した手紙はまだ届いていない。だからずっと結果のことは気になっていた。

 そうだったのか、とヴルーベリは至極残念そうに天を仰いだ。
「なら君もサロンに招いてあげるべきだったな」
「いえ、そこまでは」
「いい、いい。来年は特等席にて君を招待してあげよう。で、その知人とやらはなんという名前なのかな」
 問われて、ミモザは修道服の上で両指をそっと絡ませた。

「はい――アダム・ルソー、と」

 その瞬間、男の顔から表情が消えた。思わずミモザまで肩を強張らせる。何かまずいことでも訊いてしまったのだろうかと、不安になる。ヴルーベリは地面に視線を突き刺したまま、ぎょろっとした目玉をギリギリまで見開いた。

「その男と知り合いなのか?」
「え……」

 ミモザは一瞬返答をためらった。男の声に不平とも苛立ちとも取れる色が混じっていたからだ。名前を告げただけなのに、と不思議だった。サロンで何かあったのだろうか。あったにしても、男の様子から察するに『良いこと』では決してないだろう。

「アダムは孤児院(ココ)の一員だよー」

 ふいに背後からひょうきんな声がした。
 振り返る前に、声の主はミモザを追い越していく。黒い修道服(トゥニカ)にはピンク色の腰紐が巻かれている。聖フローラ孤児院の制服である。颯爽とやってきた少女は異様に背が高く、修道服の裾からくるぶしが完全に見えている。
 驚いて固まったままのヴルーベリをよそに、およそ修道女らしからぬガサツな歩みで男の真ん前まで詰め寄ると、少女は分厚い瓶底メガネを指でくいっと押し上げた。

「オジサンさあ……」
「な、なんだね」
 顔を寄せすぎて、レンズと男の鼻先がぶつかった。
「ガリガリの蛙みたいな顔してるね? ひゃひゃひゃ」
「えっ!」
 鉄砲をくらった鳩のような顔をするヴルーベリを見て、修道女は腹を抱えて笑った。

「マートル、やめなさい。――おじ様、ごめんなさい」

 彼女の腕を引っ張りながら、ミモザは代わりに頭をさげる。ヴルーベリの顔は遅れてやってきた怒りによってわななき、真っ赤になっている。噴火直前の火山のようだ。

「な、な、なんなんだね君は! 失礼だろう!」
 と、ヴルーベリは怒髪天の形相で唾を飛ばす。マートルと呼ばれた修道女は怯んだ様子もなく、男の背後をスッと指差した。
「そんなことよりオジサン、もうすぐ始まるんじゃない? ミサに行かなくていいのー?」

 あっと声をあげて、ヴルーベリは腕時計に目を落とし、次いでぐるんと振り返った。礼拝堂の扉は開け放たれ、訪れた人々によって入り口付近に列が出来ていた。
 舌打ちをして、ヴルーベリは踵を返した。

「あの、おじ様、本当にごめんなさい。この子にはちゃんと言って聞かせますから……」

 去る背中に慌てて声を掛ければ、苛立った声で「そうしてくれ!」と返ってくる。それから、と、ついでとばかりに乱暴な口調でこうも続けた。

「さっきのアダム・ルソーだがね。圏外だよ。圏外。参加するだけ無駄だったね、彼は」
「え――圏外?」

 訊き返した声は、町中の方にまで飛んできたカモメの鳴き声に掻き消されてしまった。
 今知らされた事実を二度確認せずとも、既に口の中は十分な苦さでいっぱいだった。「圏外」の二文字はいったいどれだけ彼の心を傷つけただろう。アダムの心中を思うと肺をぎゅっと握りつぶされる心地がした。どのような顔で次の手紙を受け取ればいいのか、今のミモザには分からない。
 ぼんやりとした視界の隅で、男は相変わらずひょろ長い身体を苛立ちまぎれに乱暴に揺らしている。やがて男は吸い込まれるようにして礼拝堂の中へと消えていった。

「マートル」
 くるりと振り返り、ミモザは頭の後ろで腕を組みぶらぶらとしている少女をじとりと見つめた。
「だってミモザも嫌そうだったよ? それにあのオジサン、本当に蛙に似てたでしょ。ゲーコ、ゲーコって。ひゃひゃひゃ」

 あくびれもなく笑いながら、マートルはぴょんぴょんと地面の上を跳ねた。蛙などと貶されて、彼はすっかり憤慨してしまっていた。後ほど改めて謝罪しなければならないだろう。もちろん彼女抜きで。ミモザはため息をついて町中に視線を移す。
 マートルがここにいるという事は、他にも何人か、仕事を終えてカルヴィに帰還している者がいるということだ。主日演奏会という表舞台に立つことを許されなかった、選ばれざる者が……。
 そんなことを考えていた矢先。背後でざりっと石畳を踏む音がした。

「おかえりなさい。アシンドラ、それからモナルダも」

 振り返った先で二つの人影が佇んでいた。法衣(カソック)に身を包んだ褐色肌の少年と、その陰に隠れるようにして身を縮こめる修道女。少女はまるで地面を睨みつけるようにして、不自然なほどに俯いている。

「帰ってたのね。今夜はお夕食一緒に食べられるんでしょう?」

 久しぶりに顔を見れたことが嬉しくて、ミモザはつい笑顔になる。対してアシンドラは変わらず無表情のままだ。氷のような薄水色の瞳を礼拝堂に向けたまま「ああ」と頷く。

「明日になればまた出ていく」
「そう、なの。忙しいのね」
「おっきな仕事がはいってるからねー!」

 びっくり箱から飛び出した人形みたいに、マートルが視界の横から顔をヌッと突き出した。小さく悲鳴をあげると、マートルはひゃひゃひゃ、とかすれた声で笑った。

「……ねぇ、アシンドラ。お仕事って、どんなことしてるの?」

 風にのって、かすかにパイプオルガンの音が聞こえてきた。その後を追うように響く少女たちの合唱。アシンドラは答えない。

「危険なことはしてないのよね?」

 礼拝堂の扉がかすかに開いていたらしい。入り口の扉が閉められると同時に、音はぱたりと止んだ。

「もう少しで全部終わる。だからそれまでは辛抱してくれ、ミモザ」
 アシンドラはばさりとフードを被って顔を隠した。ミモザは負けじと食らいつく。
「全部終わるって、どういうこと?」
「今は言えない」
「言えないことをしてるってこと?」

 一瞬裾を掴んだが、軽く振り払われてしまった。アシンドラはそのまま外套を肩下で翻し、孤児院へと歩いていく。「マートル、モナ、行くぞ」と声をかけられ、二人も彼の背中を追って踵を返した。
 風が吹いて、菩提樹(ぼだいじゅ)の黄葉が空に舞う。去っていく三人の背中に幼い頃の自分たちの姿が重なったような気がして、ミモザは一瞬息を呑んだ。
 アダムとミモザとアシンドラ。
 昔は隣を見ればいつだって、当たり前のように二人の笑顔があったような気がする。

「アシンドラ」
 呼びかければ、少年の歩みはぴたりと止まる。
「なにか、私にできることがあれば」

 いつから。
 いつから二人は隣からいなくなってしまったのだろう。

「妹たちを頼む」

 こちらに背を向けたまま、しかしアシンドラはよく通る声ではっきりと言った。
 ミモザは自身の口元をうっと手で覆った。二人が隣からいなくなってしまったのは、自分が立ち止まったままだからと気付いてしまったからだ。変わらなければならないのに、変わることを拒んだ罰だと思った。

 歩幅の広いアシンドラたちの後を必死で追っていたモナルダが、ふとこちらを振り返った。町の合間をぬって吹き抜けた風が、フードを一瞬だけ浮き上がらせる。その奥に隠れた、悲しそうな瞳がわずかに見えた。
 助けてくれと、訴えているようだった。

「モナルダ……?」

 気弱に発せられた声は数メートル離れた相手に届くはずもない。モナルダはフードを深くかぶり直して瞳を隠すと、もう随分と先に行ってしまったアシンドラの背中を追って駆けていった。
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