68.8話 罰
『…………』
『ヘイト』が出て行ってしまってから。
私たちはもう一度お祝いをする気にもなれず、無言のまま料理を片づけた。
残った料理は、もったいないから私たちの晩ご飯に食べることになりそう。
……その時、『ヘイト』が帰ってきて、食べてくれるかは、わからないけど。
「……シエナちゃん、ごめんね?」
「お母さん?」
片づけが終わって、またお客さんを待っていた時に、お母さんがすごく気落ちした様子で謝ってきた。
「ヘイト君に、詳しく知られたくない事情がある、ってことは、面接の時からわかってたはずなのに、余計なことしちゃって。まさか、ヘイト君にそんな過去があったなんて、思いもしなかったから、踏み込み過ぎちゃって」
「……ううん、お母さんが悪いわけじゃないよ。あれは、事故みたいなものだよ」
今にも頭を下げてきそうだったお母さんを制し、私は首を横に振った。
「考えてみたら、私たちとヘイトって、まだ出会って一ヶ月くらいしか経ってないんだよ? それくらいしか付き合いのない人たちに、自分のすべてを話すなんて、普通しないよ。反対に、私たちだって詳しく話していないことも、いっぱいあるんだから」
今回の失敗は、『ヘイト』との距離を測り損ねちゃってたことが、原因だ。
私も、お母さんも。
まだ、一ヶ月程度しか一緒にいないはずの『ヘイト』を、ずっと『家族』のように一緒に暮らしてきたように、感じてたんだと思う。
私やお母さんだけじゃない。最近はお父さんも、『ヘイト』との距離は縮まってた。
当たり前の仕事が出来ない『ヘイト』を怒ってたお父さんだったけど、近頃は『ヘイト』に怒鳴りつけるのが楽しそうにも見えた。
直接聞いたことはないけど、お父さんも、『ヘイト』を自分の息子みたいに、思ってたんじゃないかな。
そうじゃなかったら、『ヘイト』を本気で怒らせちゃった時に、お父さんが気後れして黙っちゃうはず、ないもん。
「ずっと、私たちはヘイトに甘えてたんだと思う。口は悪いけど、ヘイトって、優しいから。だから、知らず知らずの内に、ヘイトだったら、『家族』みたいに思えるヘイトだったら、大丈夫、許されるって、思っちゃってたんだよ」
こんなことになっちゃったのは、私たちが『ヘイト』に依存してて、それに気づいていなかったから。
お店の経営を見てもらって、勉強を教えてもらって、毎日の赤字まで工面してもらってて。
一緒に、お店をやっている気分になってて。
勝手に、『ヘイト』も『トスエル』の『家族』だって、思いこんじゃってて。
触れられたくない過去を、引きずり出してしまった。
それは、『ヘイト』のことを全然考えていなかった、私たちの過ちだ。
「だから、さ。帰ってきたら、ヘイトに謝ろう? 無神経だったって、嫌なことを思い出させちゃったって、ごめんなさいって、言おう? ……大丈夫。ヘイトは、一度口にしたことは、絶対守ってくれる。夜になったら、帰ってきてくれるよ、絶対に……」
「シエナちゃん……」
痛みをこらえるようなお母さんの顔に、私は今出来る精一杯の笑顔を作った。
何となく、お母さんが私と『ヘイト』をくっつけようとしていることには、気づいていた。
それくらい、お母さんは『ヘイト』のことを気に入ってたんだろう。私が満更でもない態度をしてたから、余計に。
だから、お母さんは『ヘイト』を怒らせちゃったことに、ここまで気に病んじゃったんだ。
私たちの関係を、変な勘ぐりで悪化させてしまったって、すごく気にして。
でも、そもそも私と『ヘイト』の関係なんて、進んですらなかった。
ついさっき、『ヘイト』も言ってたじゃないか。
私たちとは、ただの『雇用者』と『労働者』だ、って。
私のことだって、『ヘイト』が『雇用者』として扱っているお母さんの娘って程度しか、『ヘイト』は考えていないはずだ。
一人の女の子としてなんて、見てくれていない。
そんなこと、わかってた。
…………だから。
そんな顔、しないで?
「邪魔するぞ」
「あっ、いらっしゃいませ!」
すると、入り口から人の声が聞こえて、私はすぐに営業スマイルを浮かべ、玄関近くまで歩いて出迎えた。
お母さんもはっとして、一度壁の方に顔を向けていた。気持ちを落ち着かせるためだろう。
「何だ、この有様は? 客が一人もいないじゃないか?」
「あ……、ミューカス、さん」
でも、来店してきた人がすぐにお客さんじゃないことに気づいた。
チール商会の次期会長として名前が知られている、ミューカスさん。私たちと同じイガルト人の血を引く現会長の実子で、今年で三十五歳になる。
後ろには護衛として雇われたらしい冒険者の人たちが控えていて、ちょっと威圧感を感じてしまう。
チール商会で一番利益をあげている、土地や賃貸を主に扱っている事業部の長をしている。『トスエル』の建物を紹介してくれた職員さんの、ものすごい上司に当たる人だ。
見た目は、お世辞にも格好いいとは言えない。仕立てのいい服がぽっこりとお腹で膨れていて、髪の毛はところどころ薄くなっている部分が目立つ。
腫れぼったい目はいつも不機嫌そうに見えるし、脂肪で膨らんだ顔は魔物みたいで、正直気持ち悪い。
外見以外にも、私は個人的にこの人を好きになれない。
仕入先のお店の人によると、気に入った女の人を何人も奥さんにしたり、断ろうとすると経済的に追いつめてレイトノルフから追い出そうとしたりと、悪徳貴族みたいに振る舞う人らしいからだ。
それに、経営者としての腕も、噂を聞く限りあまりいいとは言えない。
お金が足りなかったら土地代と家賃を上げろ、回収できなかったらクビだ、と従業員の人に無理難題を押しつけるのが当たり前なんだって。
それでも次期会長として知られているのは、現会長の子どもがミューカスさんだけだから。
優秀な部下がいても、ミューカスさんは自分がチール商会を継ぐのは当然だと思ってて、現会長も扱いに困っている、という噂はレイトノルフ中に知れ渡っている。
でも、そんな人が、どうしてうちなんかに?
「お前は?」
「失礼しました。私、『トスエル』を経営しているティタネスとミルダの一人娘、シエナと申します。以後、お見知り置きを」
出来ることなら見知って欲しくなかったけど、お店を開く時に多大な支援をしてくれた商会のお偉いさんだ。
小さな町宿の娘ごときが、失礼を働くわけにはいかない。
『ヘイト』に習ったことを思い出しながら、私は平民がしてもおかしくないという淑女の礼を取った。
将来、この店を継ぐだろうってことで、『ヘイト』から最低限の礼儀作法やマナーも教えられている。
必要になるかもしれないから、って『ヘイト』は言ってたけど、こんなすぐに使うとは思わなかった。
「…………ふむ、少々地味だが、素材は悪くない」
だけど、ミューカスさんは挨拶の返事もしないままこちらに歩み寄り、いきなり私の顔をじろじろと観察しだした。
時々、顔だけじゃなくて、胸とかお尻とかにいやらしい視線を感じ、一気に鳥肌が立った。
それに、ミューカスさんの言葉……。
まさか…………?
「あ、の、ご用件は、なん、でしょうか?」
心に浮かんだ恐怖が顔に出ないよう、必死に表情を笑顔で隠して尋ねると、ミューカスさんは当然のように胸を張って、私に言い放った。
「用件? 決まっているだろう? 私の『新しい妻』の顔を見に、わざわざこのような狭苦しい店にまで来てやったのだ。光栄に思うのだな」
新しい、妻。
その言葉に、頭によぎった最悪の予想が、見事に当たってしまったことを、悟った。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「ん?」
頭から血の気が引き、何も考えられずに背後へ倒れそうになったところを、後ろから誰かに支えられた。
振り返ると、お母さんが厳しい顔でミューカスさんへ視線を向けていて、私の横からお父さんが割り込み、ミューカスさんからの視線を遮ってくれた。
「それはどういうことですか!? 私たちは、何も聞いていません!」
「それに、当事者である娘も、この様子を見る限り初めて聞かされたようです。いったいどういうことか、ご説明していただけませんか?」
お父さんはかなり感情的に、お母さんは冷静そうに見えてかなり怒った様子で、ミューカスさんに問いただしていた。
「どういうことか、だと? それは貴様らがよく知っているだろう?」
「何をっ、……こ、れは?」
でも、ミューカスさんは私たちを小馬鹿にするように鼻を鳴らし、困惑するお父さんの眼前に一枚の紙を突きつけた。
「貴様らがこの物件を契約するときに交わした契約書だ。ここに書いてあるだろう? 『もし、支払いが著しく滞った場合、チール商会が求めるものを代わりに納めることで、金銭の代わりとする』と。それが、そこのシエナとかいう娘だと言うだけだ」
「ぇ……」
私は目を丸くして呼吸が止まり、ミューカスさんが広げた紙を見上げた。
お父さんは急いで契約書を受け取り、文字を目で追うけど、難しい言葉が使われているらしく難しい表情のまま固まってしまう。
「……ミューカスさん。確かにこの契約書の規約にそうした記述はあります。しかし、いくつかの文言がイガルト語ではない異国語で記述されているではありませんか。ミューカスさんが口にした規約も、隣国の言語で書かれています。
これは、私たちが事前に説明を受けなければ、知りうる情報ではなかったはずです。商業だけでなく、こうした契約は双方の同意がない状態で結べば、契約自体を無効とできる決まりのはずです」
助け船を出したのは、お母さんだった。
横から契約書をのぞき込んで、瞬時に契約書の内容を確認したらしいお母さんは、厳しい表情のままミューカスさんに反論する。
お母さんの言う通り、イガルト王国では契約という行為はかなり厳密なルール付けがされており、それを破ると重罪に処せられることもある。
契約書には、『トスエル』の家賃だけじゃなくて、お店の初期費用などで借り入れた借金全部も含まれているらしく、私はその借金の代わりとして、ミューカスさんに連れて行かれようとしているようだ。
「バカか貴様は? 現在この領土はイガルト王国の一部ではあるが、以前はネドリアル獣王国であっただろう? 政変の混乱があり、王都アクセムの権勢が行き届いていないレイトノルフには、まだイガルト王国の法を適用するという正式な通達はなされていない。
だとすれば、この町に当てはめる国法は『イガルト王国』ではなく、『ネドリアル獣王国』の法であるべきだ。そちらの法律によると、交わした契約は厳守すべきとはあるが、両者の合意を必要とする、とは書かれていない。
よって、ここにチール商会と貴様らのサインがある以上、契約上は何の問題もない。知らなかったから無効だというのは、いささか貴様らに都合がよすぎる話ではないか?」
『なっ!?』
今度はお父さんとお母さんが目を見開いて絶句した。
『ヘイト』の勉強のおかげで、少しはミューカスさんの言い分も理解できたけど、それは屁理屈以外の何物でもなかった。
現在はレイトノルフもイガルト王国の一領土である以上、イガルト王家の決めた法律を無視することは、言い訳のしようがないくらいの国家反逆行為だ。
イガルト国王からの通達がないから、法律はネドリアル獣王国のものを使うだなんて、不敬罪で死刑にされてもおかしくない。
それなのに、ミューカスさんはそれを堂々と押し通そうとするなんて、正気とは思えない。
「ミューカスさんこそ何を考えているのですか!? そんな横暴をまかり通そうとすれば、いずれ貴方がイガルト王国の粛正対象と見なされ、処罰されるのですよ!? わかっておいでなのですか!?」
「町宿の店主風情が、知った風な口を叩くな。それに、現実として考えてもみろ。イガルト王国がネドリアル獣王国を攻め滅ぼしたのは事実だが、これほどまでに広大な領土全域まで目が行き届くと思うのか?
レイトノルフの領地管理を担当する貴族でさえ、ここから三つの町を越えたところに居を構え、複数の領地を同時に管理しているのだぞ? 辺境の町でどのようなことが起こっていようが、黙っていれば問題にすらならない」
「このような仕打ちを受けて、私たちが黙っているとでもお思いですか?」
「では私を告発するか? 町をいくつも超え、レイトノルフの管轄である領主に訴えでもしてみるか? 無理であろう? 貴様らのような貧乏人に、そこまでの旅費があるのか? そんな無駄なことに金を使うのであれば、少しでもチール商会への借金返済に回すことだな」
「くっ…………!」
屁理屈だった。
最初から最後まで、何もかもが屁理屈で、理不尽だった。
でも、ミューカスさんの言葉は、私たちじゃどうしようもない『現実』でもあった。
ミューカスさんの主張は罪だが、その罪を裁く領主が、レイトノルフにはいない。
管轄の領主に訴え出ようにも、町を三つも越えなきゃいけない上、ただの平民である私たちの話をまともに聞いてくれる保証もない。
そもそも、町を出るためのお金さえない。
そして、相手取ろうとしているのは、レイトノルフの経済を手中に収めているといってもいい、商人ギルドのトップにいる大商会だ。
町の片隅で細々と経営している宿屋一家じゃ、どうやっても勝ち目なんてあるはずがない。
だから、ミューカスさんの横暴に抵抗する術なんて、最初から、私たちには、ないんだ。
「ふん。わかったら大人しく私の命令に従え。無駄にあがくのは見苦しいぞ。とはいえ、先ほども言ったが、今日はただの事前通告だ。実際にその娘をもらうのは、今月末の返済期限日になる。せいぜい、家族との最後の時間を楽しむことだな」
体の震えが止まらない私に、また気持ちの悪い笑顔を向けて、ミューカスさんは護衛の人たちを引き連れて出入り口をくぐった。
「それとも、そんなに娘を手放すのが嫌なら、今月までに今までの借金を全部揃えてみるか? それが出来たら、考えてやらんでもないぞ? ぎひゃひゃひゃひゃ!」
最後に、私たちをとことんまで下に見て、ミューカスさんはくぐもった笑い声を上げながら帰って行った。
外に馬車を止めていたらしく、ガタゴトと車輪が地面を踏みしめる音が響き、やがて去っていった。
「くそっ!! ふざけやがって!!」
「…………シエナちゃん」
お父さんは近くの机に拳を振り下ろし、ミューカスさんが出て行った玄関を強く睨みつけていた。
お母さんは、まともに立っていられなくなった私を抱きしめ、ゆっくりと背中を撫でてくれる。
今月末。
ミューカスさんは、そう言っていた。
『ヘイト』が教えてくれた私たちの借金は、総額で金貨10枚にも及ぶ。
そんな大金、一ヶ月で用意するなんて、できっこない。
「……大丈夫だよ、大丈夫」
「シエナ、ちゃん?」
考えた。
考えて、考えて。
どうにも出来ないって、わかって。
私は、覚悟を、決めた。
「私が、ミューカスさんのところに行けば、全部、丸く収まるんだったら……」
「シエナ!」
「何言ってるの、シエナちゃん!」
思ったよりも弱々しくなっちゃった私の言葉に驚き、お父さんとお母さんが強い口調で叱りつけてきた。
「じゃあ、どうするの? 残りの借金を返せるだけのお金が、すぐに用意できる額じゃないことは、私も知ってる。それどころか、今のままだったら、一生かかっても返せないかもしれないことも、わかってる…………。
でも、私が我慢すれば、『トスエル』の借金は、なくなるんでしょ? そうすれば、お店を続けられるかもしれないんでしょ? そうするしか、私たちに出来ることって、ないんでしょ?」
けど、二人とも、わかっているはずだ。
もう、こうするしか、方法がない、ってことを。
それに、こうして突きつけられた『現実』は、全部私たちの見通しの甘さが原因だ。
お金がないのに、『トスエル』にこだわって大きな家を契約して、足りないお金を借金して。
知識がないのに、料理のメニューの値段を適当に決めて、お会計をお客さんに任せて騙されて。
考えが足りないのに、スラムの子どもを強引に雇って、何度も逃げられてお店に損害をだして。
それに、悪気がなかったとはいえ、私たちによくしてくれている『ヘイト』のことも、傷つけて。
そんな、私たちの失敗が積み重なった結果が、今ある『現実』。
しかも、もとを糺せば、全部私のせいなんだ。
バカで、わがままで、『現実』を見なかった私がいたから、罰が当たっちゃったんだ。
だから、私が償わないと、いけないんだ。
「言ったでしょ? 今年の目標は、大人になることだ、って。もう、『現実』から逃げちゃ、ダメだから。きちんと、向き合わなきゃ、ダメだから。私が、ミューカスさんのところに行けばいいだけなんだから、それで、いいんだよ……」
もう、『現実』から目を背けるのは、止めなきゃいけない。
大人になるんだから。
私が、お父さんとお母さんに負担をかけたんだから、他でもない私が、負担を軽くして上げなきゃいけないんだ。
「……そうだ。ヘイトには、このこと、言わないでね。たぶん、ヘイトに気づかれちゃったら、何とかしようとするかも、しれないでしょ? ヘイトって、口は悪いけど、優しい、奴だから、迷惑、かけちゃうかも、しれない、から…………」
「シエナ……」
「シエナちゃん……っ!」
でも。
今は、今だけは。
体が震えてしまうのは、許して欲しい。
私の不安を取り除こうとしてくれる、お父さんとお母さんの温もりを、感じる時間を、許して欲しい。
私が、まだ、子どもでいられる、この時間だけは。
許してください、神様。
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名前:シエナ
LV:15
種族:イガルト人
適正職業:接客業
状態:健常
生命力:120/120
魔力:80/80
筋力:16
耐久力:10
知力:10
俊敏:13
運:55
保有スキル
『接待LV4』
「運送LV2」「斧技LV1」「記憶術LV1」「算術LV5」
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