68.6話 理解不能
『ヘイト』が来てからの『トスエル』は、今まで以上に大変だった。
でも、それは『ヘイト』がほとんどの力仕事が出来なかったこととは、関係ない。
むしろ、『ヘイト』は私たちが教えたことをすぐに理解し、実行できたくらいに頭が良かった。これでステータスが一般的だったらと思うと、ものすごくもったいない。
ちょっと話がずれちゃったけど、大変なのは『ヘイト』じゃない。逆だ。
『ヘイト』が私たちに要求したことを、私たちが覚えるのが大変だったんだ。
きっかけは、『ヘイト』がうちにきた翌日に、『トスエル』のメニューと料金設定について尋ねてきたことから始まる。
「え? どうだったかしら? だって、うちは親切なお客さんが多いから、私たちが計算できないのを知ってて、いつも教えてくれるのよ。ありがたいわね~」
まず最初に『ヘイト』はお母さんに確認をとって、そんなことを言われたらしい。
私やお父さんにも後から聞かれたけど、当たり前すぎて何が問題なのかわからなかった。
そう正直に話したのが朝方だったんだけど、その夜『ヘイト』はいきなり説教モードに入ってしまった。
ある程度私たちの話は聞いてくれたけど、次に『ヘイト』は『トスエル』の帳簿を要求した。
お父さんは業務初日で関わることじゃない! って怒っていたけど、お母さんはすんなり渡しちゃってたなぁ。
それで、『ヘイト』はほぼ一瞬で中身を読んだ後、大きくため息をついて私たちの経営をさんざんにこき下ろした。
それに真っ先に食ってかかったのはお父さんだったけど、最終的には『ヘイト』の異様な迫力に負けてしまった。
そして、『ヘイト』は私たちに『正座』というすっごく足に負担がかかる座り方を強要した。お店の床で。
最初は渋々従って、後で文句を言ってやろうと思ってたんだけど、それからの内容はほとんど覚えていない。
『売上原価率』がどうだの、『営業利益』や『営業損失』がなんだの、『ヘイト』はとにかく難しい言葉をいっぱい使っていた。
正直、あれほど時間を長く感じた日はなかった。
丸一日同じ姿勢だと思っていたのに、実際は一時間くらいしか経ってなくて本当にびっくりした。どうやら『ヘイト』は時間を操れるらしい。
終わった後は頭から湯気が出そうなくらい痛くなり、座っていた足はしばらく何も出来なくなるほど痺れていた。お父さんやお母さんも同様で、しばらく涙目になってしまったのは仕方がない。
その日を境に、『トスエル』の経営権は『ヘイト』に全部持っていかれた。
お父さんは「今度は店ごとアイツに乗っ取られるぞ! 今すぐ追い出せ!」って言ってたけど、お母さんは『ヘイト』に任せることに決めたらしく、何かとうるさいお父さんを宥めていた。
どうしてか、お母さんは『ヘイト』をよく擁護していて、妙に信頼しているような気がする。
私だって、お父さんほど心配していないけど、『ヘイト』に店を乗っ取られるっていう不安はわかる。
今までのことを考えたら、『ヘイト』が私たちを騙して『トスエル』を私物化しようとしている可能性は、十分あるはずだ。
「大丈夫よ。だって、ヘイト君は『トスエル』の経営がずっと赤字だって知った上で、任せろって言ったのよ? 本当にお店を乗っ取るつもりなら、もっと儲かっているお店を狙うだろうし、そもそも利益が上がっていないお店に居着くメリットがないもの。
それでもうちにいてくれるってことは、ヘイト君が『トスエル』や私たちのことを本当に心配して、頑張ってくれようとしている証拠よ。ティタネスさんやシエナちゃんの心配していることもわかるけど、ヘイト君ならそんな心配しなくていいと思うわよ?」
私もちょっと気になって、『ヘイト』がいないところでお母さんに聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。
わかるような、わからないような……?
でも、お母さんが私よりも『ヘイト』を信頼している気がして、なんだか面白くない。
「あらあら、大丈夫よ。私にはティタネスさんがいるもの。ヘイト君を取ったりしないから、安心してね?」
「だ、だから違うって!」
不満が顔に出ていたのか、最後にはまた、しっかりお母さんにからかわれてしまった。
恋愛とか、ずっと仕事を手伝ってた私にはずっと無縁だったし、そういう話には本当に疎いから、どう反応していいか困ってしまう。
『ヘイト』がいないときに聞いておいて、本当によかった。
真っ赤になった顔なんて見られたら、どんな反応をされるかわかったものじゃない。『ヘイト』のことだから、執拗にからかうか、無視してくるはずだ。
……あ、想像したら何かムカついた。
「いってぇ!? 何しやがんだ!?」
だから、次に顔を合わせたときに背中を強めに叩いてやった。ふんだ。
また話がそれちゃった。
何はともあれ、『トスエル』の経営を握った『ヘイト』は積極的に活動した。
二日目に『市場調査』とかいうのをして、取引先からの仕入れでいじめみたいに値切りしたかと思うと、三日目には料理のメニューの価格をほぼ全部引き上げていて、私たちはすっごいびっくりした。
その際、値段が安すぎるとさんざん怒られたけど、理由はあまりわかっていない。
四日目からは私たちも勉強をするように言われ、空き時間に勉強をさせられている。
五日目には料理とは逆に宿代を下げ、六日目には勉強の延長で注文を書いて記録しろって命令が下った。
私たちだけでお店を管理できる、最低限の教養をつけさせるって言われたけど、私と比べると二人とも苦戦しているようだった。
こっそり『ヘイト』が「お前が大黒柱になるかもしれねぇから、頑張れ」と言ってくれて、ちょっと嬉しかったりする。
ただ、七日目になると、『ヘイト』はお客さんのお会計を監視し始めた。
『ヘイト』が言うには、うちに来てくれるお客さんはほとんどがお会計を誤魔化しているらしい。
にわかには信じられない言葉だったけど、『ヘイト』は理由もなく他人を貶める人じゃない。短いつきあいだけど、それは私もわかっている。
なぜなら、『ヘイト』は口が悪いけど、矛先はきちんと選んでいるように見えるからだ。
たとえば、ゴミ捨ての日に私が男の人に絡まれた時は、めちゃめちゃに暴言を吐いて追い払ってたけど、『ヘイト』曰く良客の人にはすっごい丁寧な言葉で話していた。
それだけでも、人を選んで扱いに差をつけているのは明らかだ。
『ヘイト』が愛想良く接する相手は少ないけど、全員に攻撃的じゃないのは見ててわかるから、やっぱりそう判断した理由があるはずだ。
だから、私は『ヘイト』の言うことを信じた。
「ありがとうございました。ええっと、お会計は……」
「ほら、銀貨二枚。色を付けておいたから、取っとけよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「待て待て、ありがとうじゃねぇよ、バカかお前は」
とはいえ、頭では気をつけているつもりでも、長年の生活で身についた癖はなかなか抜けなくて。
ついつい計算を横着してしまい、お客さんの提示するお会計で納得してしまう。
そんな時は、いつも決まって『ヘイト』が間に入って注意してくれた。
「だ、大丈夫なの!? 怪我ない!?」
それだけならいいんだけど、やっぱりお客さんは冒険者が中心で、なおかついっぱいお酒を飲んだ後だから、『ヘイト』に暴力を振るおうとする人も多い。
ほとんどは素手で殴りかかろうとするんだけど、仕事終わりで来てくれる人が多いのか、毎回お客さんは筋肉痛を起こしてしまうため、『ヘイト』に怪我はなかった。
でも時々、自分の武器まで持ち出そうとする人がいて、今回なんて危うく『ヘイト』は切られそうになっていた。
幸い、お客さんはまた筋肉痛を起こしたみたいで大事にはならなかったけど、見ているこっちは心配でたまらない。
「無傷だよ、見りゃわかんだろ。ほら、さっさと片づけて仕事に戻ろうぜ」
「う、うん……」
ただ、『ヘイト』本人は全然気にしてなくて、いつも平然としている。
冒険者の人が怒って帰っちゃった後も、特に何も感じないみたいに残ったお皿の片づけをしていたくらいだ。『ヘイト』にとっては、本当に何でもないことなんだろう。
だけど、周囲にいる人、……私が平気でいられるかは別だ。
ただでさえ、『ヘイト』は人よりステータスが低い。いつか誰かに殺されてしまわないか、いつもいつも、心臓が握りつぶされるような感覚に襲われる。
危ないことは、して欲しくない。
おじいちゃんやおばあちゃんみたいに、いなくなったりしないで欲しい。
そう思うんだけど、私がお願いしたところで、『ヘイト』は鼻で笑って冗談みたいに済ませてしまうんだろう。
『ヘイト』は、人の感情に疎いから。
色んな人から向けられる悪意にも、私たちが向ける善意にも、なかなか気づいてくれない。
そんな、自分のルールだけで生きているような、危なっかしい人だから。
「……減ったね、お客さん」
「暇ねぇ」
「ま、こんなもんだろ」
「テメェ! ふざけんじゃねぇぞコラァ!!」
『ヘイト』が来て二週間が経つと、お客さんはぱったりとこなくなってしまった。
『ヘイト』の予想では、メニューの値上げと『ヘイト』の悪評が広まってしまったことが原因らしい。
お父さんは『トスエル』の状況にとても不安がっていたけど、私はそれ以上に『ヘイト』が淡々と自分が嫌われていることについて語っていたことの方が、不安だった。
まるで、それが当たり前で、『ヘイト』自身が自分を否定しているように聞こえて。
私まで、悲しくなってくる。
「でもまあ、この状況は俺が招いたことだからな。売り上げの補填ぐらいは協力してやるよ」
でも、すっごい鈍感な『ヘイト』が、私の気持ちなんて気づくはずもなく。
お店としてはありがたいんだけど、個人的には心配しかない提案をしてくる始末だった。
「補填、って何するつもりなの? お店がこんな状態じゃ、できることなんてほとんどないじゃない?」
「ん? 出稼ぎだよ出稼ぎ。こんだけ暇なら、俺がいなくても店なんて十分回るだろ? ってわけで、ちょっくら行ってくる。いい時間になったら帰るわ」
「え? ちょ、どこ行くってのよ!?」
そう言って、私たちに詳しい説明もないまま、『ヘイト』は店を出ていった。
「…………アイツ、まさか逃げたのか?」
それからもお客さんはほとんど来てくれなくて、お店の掃除で気を紛らわせていたら、お父さんがふと、そんなことを呟いた。
私はその言葉に、大げさなくらい肩をびくっとさせてしまう。
思い出されるのは、三人のスラムの子どもたち。
食材を、お客さんの私物を、買い物のために渡したお金を持って、どこかへ消えてしまった、あの子たちの顔だ。
あの子たちと、『ヘイト』は、違う。
私もそう思ったし、お母さんも信用しているって言ってた。
でも、もし。
本当に、いなくなってしまったら……?
「あなた?」
「へ? いてっ! いててててっ!?」
不安で胸が押しつぶされそうになる感覚に堪え、胸元でぎゅっと両手を握りしめた。
大丈夫。
帰ってくる。
帰ってきて、くれる、と思う。
必死に自分に言い聞かせるけど、どんどん自信がなくなっていく。
『ヘイト』は、絶対に、悪い人じゃない。それは断言できる。
けど、『ヘイト』が何を考えているかは、わからない。
だって、頭が良すぎて、私じゃついていけないから。
同じ場所に、同じ目線に、立てないから。
私が、『ヘイト』のことを、わかってあげられないから。
時間が過ぎて、『ヘイト』がいないお店になったのが、どうしようもなく寂しくて、不安で、胸が張り裂けそうだった。
「ただいま戻りましたよ、っと」
だから、夕方くらいに『ヘイト』が何事もなく帰ってきてくれて、すっごく安心した。
「あっ! ヘイト……」
「あ、これが約束の補填な?」
「え? あ、わわわっ!」
たまたま入り口付近にいた私が『ヘイト』に近寄ろうとした時、何気なく渡されたお金にびっくりした。
反射的に広げた両手には、いっぱいの銀貨が落とされる。重さからして、本当に『トスエル』一日分の売り上げはありそうだった。
「へ? え!? ちょ、これ、どうやって!?」
「アテがあんだよ。ほら、夜の準備があんだろ? それしまえ」
「あ……」
さすがに無視できなくて問いただそうとしたけど、『ヘイト』に取り合う気は全くなさそうで、私もそれ以上追求できなかった。
『ヘイト』は、逃げてなんてなかった。
それは、純粋に嬉しい。
でも、その『アテ』って、何?
それがあれば、『ヘイト』が欲しがってた旅費も、すぐに稼げるんじゃないの?
私たちが、『トスエル』がなくても、生活できるんじゃないの?
やっぱり、『ヘイト』も、すぐにどこかにいっちゃうんじゃないの?
昼間に抱いた不安は消えたけど、新しい不安が次々とあふれてきて、やっぱり心配が尽きないことには変わらない。
私には、『ヘイト』が何を考えているのか、わからない。
わかるのが、怖い。
「え~、どっかのバカのせいで客は未だ戻ってこねぇが、それでも一年を過ごすことが出来た。それも、ミルダやシエナがいてくれたおかげだ。これからの一年も、家族一緒にがんばっていこう。乾杯!」
『乾杯!』
それからの『トスエル』は、良くも悪くも変化がなく日々を過ごし、新たな年を迎えることとなった。
今は新年の祝いをやろうって私の発案で、『ヘイト』も交えてちょっとした宴会を開いている。
まあ、ちょっとしたやけくそだけどね。
お客さんの足は遠のいたままで、毎日入ってくるお金は『ヘイト』が用意した補填だけ。
私たちとしては不安しかない日々が続いているから、少しでも気分を盛り上げないと落ち込んじゃうし。
お父さんが言うように、お客さんがこなくなったのは『ヘイト』の経営方針が原因だけど、その反面今まで生活できてこれたのも『ヘイト』のおかげだ。
それに、私たちは『ヘイト』が先生になる勉強のおかげで、読み書き計算がすごく上達した。
お父さんは勉強はからっきしだったけど、文字の読み書きが出来るようになった。
お母さんは計算がやっぱりダメで諦めちゃったけど、その代わり堪能だった語学をのばすため外国語の勉強に熱心になっている。
私は、主に暗算を練習している。言葉の壁は最悪お母さんが何とかしてくれるだろうから、『トスエル』の致命的弱点である計算を集中的に、って『ヘイト』に言われたから。
足し算引き算はもう大丈夫で、今はかけ算とわり算を練習している。目標は3桁の計算だ。
皮肉にも、お客さんがいないことで勉強時間は多めに確保できている。
昼間は『ヘイト』が出稼ぎに行ってて自習してるけど、午前中の空き時間はいつも教師役になって勉強を教えてくれていた。
こうして振り返れば、私たちがいかに『ヘイト』に依存した生活を送っているのかがわかる。
最初は、私が『ヘイト』を助けてあげたい、って思ってたのに、いつの間にか立場が逆転していた。
身分がない、っていってたけど、『ヘイト』はそれだけで、本当はこんなところにいるのがおかしいくらい優秀なんだって、気づかされる。
だから、私が食事会をしようって言ったのは、半分は『ヘイト』への感謝の気持ちを示したかったからだ。
お父さんやお母さんにも話をして、了解をもらった。お父さんは、渋々って感じだったけど。
ただ、お祝いを始めたら、肝心の『ヘイト』は大人しく料理を食べたりジュースを飲んだりしていただけで、どこか肩身が狭そうだったのが気にかかった。
何とか『ヘイト』にも楽しんでもらおうって思って、お父さんやお母さんと色んな話をして、『ヘイト』に話を振ったりしてみたけど、相づちくらいしか返してくれない。
「今年はそうねぇ、早くシエナちゃんの花嫁姿が見たいわねぇ。もう今年で十六歳なんだし、そろそろ結婚を考えてもいいじゃない?」
「ぶほっ!?」
「ちょっ!? なっ!? 何言ってるのよお母さんっ!!」
私がちょっと手詰まりになってきたところで、お母さんがまさかの発言を差し込んできた。
お父さんは突然のことで飲んでたビールを吹き出しちゃうし、私も手にした料理を落としそうになったり、一瞬にして顔に熱が集まったりしたのがわかった。
「あら、むしろ今からお話ししておかないとダメでしょう? ただでさえシエナちゃんって、うちの仕事ばっかりしてて無頓着なんだから、このままだと行き遅れちゃうわよ? 私、早くシエナちゃんの子どもの顔が見たいわぁ」
「そ、そんなこと言われても……っ」
……う。実はかなり気にしていることを。
正直、ちょっと焦りもある。
レイトノルフにいる同年代の女の子たちは、ほとんどみんな結婚してたり、婚約者がいたりする。
それに、その、私と同い年の子は、け、経験も豊富だって、お店のおばさんとかが、こっそり教えてくれたりしたし。
対して私は、男の人との出会いそのものが少ないように思える。
お店に来る冒険者の人は、実は結構な割合で既婚者だ。レイトノルフに拠点を置き、家族を養うために日銭を稼いで、余った分でうちに食べにくる、って感じの人が多い。
独身の人もいるにはいるけど、みんな私には見向きもしない。レイトノルフの男の人って、もっと格好が派手な女の子が好きみたいだから、地味な格好ばかりの私は恋愛対象にならないらしい。
かといって、外から来る人も望み薄だ。
基本的に私と結婚するとなったら、冒険者を辞めてもらうのが条件になる。それを引き受けてくれる男の人はかなり少ない。
冒険者は危険が多い分、稼ぎも多いから辞めたがる男の人があまりいないんだ。
とはいえ、私がモテないかというと、よくわからない。
買い出しとかゴミ出しとかで一人でいると、時々ナンパされる。その場合、全員が見た目からして旅人っぽい人だったから、もしかしたら他の町じゃモテてるかもしれない、とは思う。
でも、説明したように、私がここにいる限り、結婚は難しいだろうな。
それは、何とかしなきゃとは、思ってるけど。
「そ、そうだぞミルダ! まだシエナに結婚は早い! それに、半端な男だったら許さんからな!!」
お父さんっ! まだ私に恋人はいないから!
…………自分で言ってて、悲しくなってきた。
「あらあら。それじゃあ、ヘイト君はどう思う?」
「は?」
すると、何を考えているのか、お母さんはこの話題で『ヘイト』に話を向けた。
瞬間、ドクンッ! と心臓が跳ねる。
「……ヘイト」
自然と私の視線が『ヘイト』に移動し、じっと見つめる。
私の一番身近にいる、同い年くらいの、男の子。
見た目は、正直わからないけど、少なくとも悪い人じゃない。
私を怒ってくれたり、ナンパから助けてくれたり、謎の出稼ぎで経済能力もある。
私も、『ヘイト』のことは、嫌いじゃない。
それにお母さんも、『ヘイト』のことは信用してるみたいだから、反対もされない。
条件だけを考えれば、『ヘイト』は結婚相手としてみると、悪くない。
でも、『ヘイト』は?
私のこと、どう思ってるんだろう?
「どう、って言われましても。俺ただの雇われじゃないですか。がっつり経営に口出してますけど、別にこの店の跡取りってわけじゃないんだし、意見を求められても困りますよ」
じっと『ヘイト』の反応を待っていると、口にしたのは私たちをはぐらかす言葉だった。
表情はあまりわからなかったけど、少しも動揺していない声音からして、『ヘイト』にとっては私の結婚話が他人事なんだと思ってることはわかった。
つまり、私は『ヘイト』に全く意識されていないってこと。
…………それはそれで、何かムカつく。
「……ふ~ん?」
「…………ふんっ」
お母さんも『ヘイト』の態度から悟ったのか、ちょっと意味ありげな相づちを打っていた。私は胸でうずいた苛立ちに任せ、『ヘイト』からそっぽを向いた。
気づかれないように横目で『ヘイト』の様子を窺っても、少し首を傾げるだけで大きな反応は見せない。何で私たちがこんな反応をするのかわからない、って感じ。
ほんっと、『ヘイト』って鈍感なんだからっ!
「まあ、それは追々お話ししましょうか。それで? シエナちゃんは何か目標はあるの?」
「私?」
これ以上掘り下げられないと思ったらしいお母さんは、次に目標について聞いてきた。そういえば、あまり考えていなかった気がする。
一年の、目標かぁ……。
色んなことを考えていると、また、視線が『ヘイト』に移った。
「今年は、そうだなぁ……。大人になる、かな?」
「ふぅん? もうちょっと詳しく聞いてもいい?」
「いや、大したことじゃないんだけど、さ」
そう前置きをして、『ヘイト』と出会ってからのことを、思い返す。
「ヘイトの面接の時、私めちゃくちゃ叱られたじゃない? 考えが浅いとか、もっと自分と家族のこと心配しろとか、さ。それまで深く考えてなかったけど、ヘイトに怒られて、私がどれだけ考えなしだったか思い知らされたから、よく覚えてるんだ。
それより前からお父さんやお母さんにも、同じようなこと言われたけど、初めて会った人にまで言われるって、やっぱショックだったんだよね。あぁ、私ってそんなに、危なっかしい子に見られてるんだなぁ、って。
だからさ。もっとこう、内面的に落ち着かないといけないんじゃないか、って思うようになったんだ。これが正しい! って突っ走るだけじゃなくて、一度立ち止まって周りを見てみるとか、大切な人に迷惑をかけないか冷静に考えるとか、そういう、大人らしい自分になりたいな、って」
「…………シエナ」
「そう……」
『ヘイト』に指摘されるまで、私はずっと子どものままだったんだと思う。
『現実』を見ろ、って『ヘイト』に言われて、私と違うものが見えている『ヘイト』と一緒に『トスエル』で働いて、考えて、気づいた。
私が見ていたもの、ううん、見ようとしていたものって、ずっと『過去』と『理想』ばっかりだった。
イガルト王国の王都で、おじいちゃんとおばあちゃんがいて、お客さんが笑ってて、私たちも笑ってるような、『過去にあった理想』の形。
ここはレイトノルフで、おじいちゃんもおばあちゃんもいなくて、お客さんにお金を騙し取られて、お金も全然返せないっていう、『見たくない現実』から、逃げてた。
薄々自分でも気づいていて、それでも見て見ぬ振りをして、一人で何とかしようとした結果、スラムの子たちに裏切られて、『トスエル』に小さくない損失を出してしまった。
そもそも、お父さんとお母さんだって、『トスエル』に戻りたい、っていう私のわがままさえ聞かなかったら、今よりももっと楽な生活が出来ていたかもしれない。
私が、あの日からずっと、『過去』に囚われていたから、家族に迷惑をかけて、苦しませている。
それが、『ヘイト』のおかげで、やっとわかることが出来た。
だから、子どものままじゃ、いられない。
『ヘイト』にも言われたもん。
『トスエル』は、私が守らなきゃいけないんだ、って。
私がしっかりしなきゃ、ダメなんだ、って。
その決意を一言でまとめたのが、『大人になる』ってこと。
すぐには変われなくても、いつかはおじいちゃんとおばあちゃんが作り上げた『トスエル』みたいに、いやそれ以上に素敵なお店にする。
それが、私の目標だ。
「それじゃあ、ヘイト君は?」
「んごっふ!?」
お父さんもお母さんも、すっごく優しい目で見てきて、ちょっと照れくさいなって思ってたんだけど、お母さんはすぐに切り替えて『ヘイト』に水を向けた。
「けほっ、こほっ。ちょっと、いきなり話振らないでくださいよ」
「え~? だって、ヘイト君だけ除け者にしちゃかわいそうじゃない? それに、ヘイト君にもあるでしょ? 今年の目標」
す、すごい。お母さん、なんだか押せ押せだ……。
それに、私もちょっと興味ある。
『ヘイト』って、本当に自分のことを話してくれないから。
これをきっかけに、少しは『ヘイト』の考えていることがわかればいいなって、思う。
「聞いてどうするんですか? 皆さんには関係ないですよね?」
でも、『ヘイト』の反応は鈍かった。
なんだか、私たちと距離を詰めるのを嫌がっているように感じる。
「う~ん、そうかもしれないけど、今は一緒に暮らしてる家族みたいなものじゃない? だから、知りたいな~って思ったんだけど」
「そ、そうよ! それに、私たちの目標だけ聞いて、ヘイトは何も言わないなんてズルいじゃない! 不公平だよ!」
『ヘイト』の冷たい反応にはもう慣れたから、私はお母さんに乗っかって追撃を試みた。
なんだかんだで、『ヘイト』は『優しい』って知ってたから、これくらいだったら大丈夫だって、思ってた。
「だったら余計、俺に立ち入ってこないでくださいよ。俺にとって家族は、嫌悪と憎悪の対象でしかない。アンタたちみたいに仲良しこよしとはいかないんですよ」
だけど、それは勘違いだった。
私たちが、『ヘイト』の『優しさ』に甘えて、気づけなかった。
今まで見たことのない『ヘイト』の雰囲気に驚き、お父さんもお母さんも固まってしまう。
『ヘイト』は、すごく、怒っていた。
「何よ!? そんにきつく言わなくてもいいじゃない!! お母さんだって、悪気があって言ったわけじゃないし、ヘイトのことをもっと知って、仲良くなりたいって思っただけでしょ!?」
私は反射的に言い返しちゃったけど、焦ってたのか、語調が強くなってしまう。
「それはお前らの都合だろ? 俺は最初からお前らと馴れ合うつもりはなかったし、今後も歩み寄ろうなんざ思ってねぇよ。そっちが俺をどう扱おうが自由だがな、俺にも同じことを求めるのは筋違いだ。善意の押しつけは止めろ、鬱陶しい」
これじゃあケンカしてるみたい、いや、ケンカそのものだ。
「善意の押しつけって何!? 私だって、嫌々とか仕方なくとか、義務みたいな感じで思ってないよ!! 私は本当にヘイトと仲良くなりたいって思ってる!! それの何がいけないっていうのよ!!」
違う、そうじゃない。
「悪いとは言ってねぇ。俺が言いてぇのは、『自分が仲良くなりたいって思ってるんだから、そっちも同じ分だけの好意を返すのは当然だ』っつう身勝手な本音を押しつけんな、っつってんだ。そういうの、迷惑なんだよ」
私は、私は、ただ……。
「私はそんなこと、一言も言ってないじゃない!! それこそ、ヘイトの勝手な思いこみの押しつけだよ!! 確かに、私たちはまだ出会って一ヶ月しか経ってないけど、それでも一緒に暮らしてきたんだから、もう少し心を開いてくれたっていいじゃない!?」
謝りたかった、だけなんだ…………。
「ここで居候をさせてもらっているのは事実だが、俺はお前らの『家族』になった覚えはねぇ。俺がここで働いてる理由は、お前らに媚びを売るためじゃなく、旅の資金を稼ぐためだ。俺たちの関係は、あくまで雇用者と労働者。それ以上踏み込むつもりも、踏み込ませるつもりもねぇ」
「それは……っ!?」
私の口が勝手に動いて止まらない口論に、内心でパニックになっていたけど、『ヘイト』が大きな音を立てて椅子から立ち上がったのをきっかけに、ようやく止まった。
でも、もう遅かった。
『ヘイト』が、私に、見たことのない怒りに満ちた目で、睨んできたから。
「俺は一度、『家族』に殺されかけた」
『…………っ!?』
…………え?
「何日も血反吐をはき、何日も地獄を見て、何日も『家族』を恨み、呪った。あの日のことは、俺は死ぬまで忘れるつもりはねぇ。そして、『家族』が俺を殺そうとしたことも、絶対に忘れられるはずがねぇ。
それでもお前らは、俺の『家族』になりてぇ、ってのか?」
喉が干上がる。
冷や汗が止まらない。
何もしていないのに、手が、震える。
違う。
私は。
私たちは。
『ヘイト』に、こんなことを言わせるつもりは。
『ヘイト』の、そんな過去をほじくりかえしたかったわけじゃ。
…………ない。
「……どうやら今日も客はこなさそうなんで、出稼ぎに行ってきます。夜にはまた、帰ってきますよ」
そう、言いたかった、けど。
私たちは、『ヘイト』に何も言うことが出来なかった。
唯一、出来たことは。
お店から出ていく、『ヘイト』の背中を、見ることだけ。
私たちが、無神経な言葉で傷つけてしまった、小さな背中を。
見送ることしか、出来なかった。
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名前:シエナ
LV:15
種族:イガルト人
適正職業:接客業
状態:健常
生命力:120/120
魔力:80/80
筋力:16
耐久力:10
知力:10
俊敏:13
運:55
保有スキル
『接待LV4』
「運送LV2」「斧技LV1」「記憶術LV1」「算術LV5」
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