65話 教育の重要性
俺が止めたのは、ちょうど昼時で入ってきた冒険者グループの精算だ。
このグループは八人で来店し、飯だけじゃなく酒もかなりの量を注文していた。仕事の打ち上げなのか、かなり派手にやってたのを見ている。
会計としてテーブルに向かったのは看板娘だったんだが、向こうが口にした金額であっさり受け取り、色を付けたって言葉を信用して礼まで言ってやがったんだ。
これが、『トスエル』の抱える最大の問題。
何を隠そうこの家族、気が遠くなるほどのどんぶり勘定なんだよ。
はっきり言うと、金を計算できる奴が一人もいねぇんだ。
なんでそんな恐ろしい状態になってんのかは、またまた時間を遡る。
俺の仕事が始まった初日、とりあえず『トスエル』で扱ってるメニューと金額を確認するため、しっかりしてそうだったママさんに聞いてみたところ、こんな言葉が返ってきた。
「え? どうだったかしら? だって、うちは親切なお客さんが多いから、私たちが計算できないのを知ってて、いつも教えてくれるのよ。ありがたいわね~」
目が点になった。
マジか。コイツマジか。看板娘だけじゃなく、ここにも性善説で生きてるバカがいるのか。
雇用の上下関係とか、雇ってもらった恩義とか一気に吹き飛んで罵声を浴びせたくなったぞ。商売舐めてんのか!? ってな。
なるほど、これは新たなトレンドを追求した冗談だな、とそん時はぐっと押さえ、頑固オヤジと看板娘にも話を聞いたところ、まるっきり同じ返答を食らった。
冗談じゃなく、マジだった。
俺の質問を心底不思議そうに聞く一家に開いた口が塞がらなかったが、詳しく事情を聞けたのがどっぷり夜になってからだった。
本当はすぐにでも問いただしたかったが、日中はリネンと戦って体力が削られたから、無理だったんだよ。
で、改めて頑固オヤジ、ママさん、看板娘全員呼び出して聞き出してみると、どうやらこの一家、まともに勉強したことがある奴は一人もいねぇらしい。
まず、頑固オヤジは見立て通り元冒険者で、出身を聞いてみると国外のド田舎な寒村だった。
腕っ節だけは強く、傭兵業で一旗揚げようと冒険者協会に登録し、各地を転々として『黒鬼』級までいってママさんと出会って結婚したんだと。
ちなみに馴れ初めは、ママさんの実家が『トスエル』を経営していて、たまたま拠点を移した頑固オヤジが一目惚れし、猛アピールの末に結ばれたんだと。料理の腕もママさんの両親にしごかれたそうだ。以上。
一方のママさんは、生まれてからずっと家業を手伝っていて、まともに勉強をしたことがねぇらしい。
一応、この世界にも宗教があり、教会も町にあって寺子屋みてぇなことをしてるんだが、休みの概念がねぇサービス業の家はほぼ確実に仕事を手伝わされるそうだ。
しかも、ママさんの両親には一通りの教養はあったらしいんだが、ママさんに読み書きそろばんを一切仕込まなかったそうだ。
子どもの頃から記憶力がよく、客の顔と名前を一瞬で覚えてた優秀さから、教えなくても覚えるって放置してたようだな。
が、ママさんは記憶力は優れていたが、計算はからっきしダメと自己申告があった。
文字は宿泊者名簿と客の名前の音を一致させて、少しはわかるらしいが、数字は硬貨を使ったおはじき遊びみたいなもんでも拒否反応がでるらしい。超絶文系タイプだな。
必然的に、勉強の基礎さえ知らねぇ二人の間に生まれた看板娘に学があるはずがなく。
しかもママさんは両親の教育方針を受け継ぎ(?)、看板娘もまた教会の学校には行かせてねぇ。
幸い、看板娘も頭が悪いわけじゃねぇ。今までの経験から、文字の読み書きはママさんと同程度、計算は硬貨で扱う範囲の数字と簡単な足し算引き算くらいなら出来るらしい。
独学で覚えたにしては大したもんだが、店を回す知識としちゃ浅すぎる。
こんなんでよく店を回せたな、と真顔で尋ねると、どうやら店をきちんと切り盛りしていたママさんの両親が、魔族出現の折りに死んじまったらしい。
そこで初めて、『トスエル』一家全員が旧イガルト王国出身だと気づいたが、それは置いておこう。
それから色々あり、魔族侵攻でレイトノルフに居を構えたのが二年前。ママさん両親の貯蓄で現『トスエル』の物件を賃貸契約し、生活を始めて今に至ると。
全部聞き終えて、リアルに目眩がしたよ。
今までよく生きてこれたなこの家族、ってな。
ママさん両親の経営が相当上手く、かなりの貯蓄があったからこそ保った、いわば砂上の楼閣みたいな生活だと呆れちまったよ。
それからすぐ、俺はこの店の帳簿を見せろと凄んだ。頑固オヤジはいきり立ったが、ママさんは素直に出してくれた。
帳簿って何? とか言われてたら卒倒してた自信がある。そこだけは少し安心した。
で、ママさんに見せてもらった経営収支を確認すると、これまた酷い頭痛がした。
毎月のように赤字出してんだよこの店!
っつか、計算したら軽くねぇ借金してんだよ!
しかも、この二年間ずっと、火の車どころか借金上積み生活続けてんだぞふざけんなよ!
さすがに我慢できなくなった俺は経営方針についてめちゃくちゃ口を出したんだが、頑固オヤジに一蹴されちまった。
入ってきたばっかの俺に、あれこれ口出しされるのが最初から気にくわなかったらしい。これがうちのやり方だ、って聞かなかった。
いや、『トスエル』のポリシーとかどうでもいいから! このままじゃアンタら路頭に迷うから!
それを延々無学一家に演説をすると、とりあえず俺のやり方で利益が上がるか試すという妥協点を引き出した。
説教ついでに全員を床に正座させ、わざと難しい経済用語を連呼し、判断能力を低下させたのが効いたらしい。
そんなわけで、今『トスエル』は俺主導の経営改革が行われている最中だ。
二日目に買い物に同行したのも、市場調査を兼ねて提供する料理の原価計算の材料にするためだったしな。
その際、仕入先の店は全部、『トスエル』には商品を相場よりも高値で売りつけていたことが判明した。
さすがに腹が立ったから、俺が同行する時は限界まで値切ってやろうと決めた。そん時は容赦せず《魂蝕欺瞞》も使用し、相場の半値以下で商品をかっさらってやった。
その時の奴らの顔は傑作だったな。実質、過払い金の払い戻しだし、文句は言わせねぇよ。
その結果、三日目から『トスエル』の料理にきちんと値がつくことになった。
帳簿から計算してみたら、原価割って提供してた料理がほとんどで、途中から背筋が凍るほどの恐怖体験をさせてもらえた。冬に恐怖体験とか、誰得だ?
責任の半分は高値で売りつけてきた取引先の店にもあるんだが、全く考えなしに商売ごっこをしてたコイツらの責任は重い。
したくもねぇ説教をしつつ一つ一つの料理に値を付け、無学一家にゃそれを覚えるように言い含めた。
四日目からは、無学一家に文字の読み書きと簡単な計算を教えることになった。上達具合は、看板娘>ママさん>頑固オヤジの順だな。
まだ始めたばっかだが、ママさんは計算が、頑固オヤジは何もかもが酷すぎた。看板娘に次代の経営を任せるしかない。
五日目からは宿賃を下げた。料金基準が旧イガルト王国のままで、レイトノルフの基準で言えば若干高かったからな。
『トスエル』のサービスや宿関連の経費を考慮し、適正だと言える金額よりも少し下げて様子を見ることにしている。
六日目からは紙とペンの購入を命じ、注文票を作ることを徹底させた。
いくら記憶力がよくても、俺みてぇに全部の客の注文を聞いただけで覚えるとか、ぜってぇ無理だからな。ついでに覚えさせた文字や計算の実践もでき、習慣と習熟も図れる。
七日目から、ようやく客の詐欺会計を監視できるようになった。
今まではずっと一家教育に力入れてたから見逃してきたが、出るわ出るわ誤魔化し会計。ちゃんと払ってくれた客なんて、数人しかいなかったぞ?
そいつらは良客としてきちんとチェックした。今後も長いつきあいになりそうだしな。今度、酒かつまみをサービスしてやろう。
もちろん、頑固オヤジにゃ内緒で。アイツ、俺の行動は逐一文句つけやがるから、事後報告でいいだろ。
にしてもこの様子じゃ、客の間でほぼ百パー金勘定ができないチョロい店、って呼ばれてんだろうな。従業員の教育と同時並行で、客の教育もしなきゃならなさそうだ。
ナチュラルに仕掛けてきた詐欺会計の修正も、客教育の一環だ。同時に、無学一家の間違いを指摘する場でもある。
で、今この状況に戻る。
案の定、昔からの癖が抜けず計算を疎かにした看板娘の間に入り、俺が仲裁に入って下がらせた。お前は後で説教だ、覚えとけ。
また、俺はさっさと逃げようとしていた冒険者の前に立ち、片手を突き出した。
「あ? 何だよ?」
「何だよじゃねぇだろ。あんだけ飲み食いしておいて、銀貨二枚で済むわけねぇだろうが。
アンタらの本当の飲食代金は銀貨五枚と銅貨四十五枚だ。食い逃げする差額の方が多いって、わかってやってんだろ。さっさと出せ。
それとも冒険者協会に名指しで苦情でも入れてやろうか、あぁ?」
こうして本格的に客に注意するのは二日目なんだが、あまりにも大胆にちょろまかそうとする奴が多いから、金額誤魔化す奴への口調はかなり悪くなっちまった。俺、たぶん接客業向いてねぇな。
すると、詐欺冒険者は酔いが回ってんのもあってか、据わった目つきで俺を睨みつける。
「んだとぉ? こっちが大人しくしてりゃあつけあがりやがって! そんなに欲しけりゃくれてやるよぉ!!」
俺の態度にキレた詐欺冒険者は財布にゃ手を伸ばさず、腰に下げた長剣を掴んで引き抜いた。両手でしっかり握りこみ、俺を切り捨てようと振りかぶる。
口調はある程度しっかりしてるが、行動は酔っぱらいそのもの。こういう輩はすでに飽きるほど相手してきたから、今更驚きもしない。
「ちょっ!? ヘイト、危なっ」
「お前がな。下がってろ」
今までは喧嘩になると素手が多かったが、武器を持ち出すのは初めてだったからだろう。
看板娘から悲鳴に近い声が上がったが無視。
俺はそっと足のつま先を詐欺冒険者の足に触れさせた。
「し、ねへえぎゃああっ!?!?」
「……え?」
力をため、俺へ切りかかろうとした寸前、詐欺冒険者は奇妙な叫び声を上げて長剣を取りこぼした。
そのまま肩を押さえ、膝をついて痛苦に耐えるように呻いている。
いきなり苦しみだした詐欺冒険者に目を丸くし、看板娘の間抜けな声も耳に入ってくる。が、俺は詐欺冒険者を見下ろし、思いっきり鼻で笑ってやった。
「おいおいどうした? いきなり座り込んじまってよぉ? まさか、自分の剣で肩を痛めちまったのか?
はっ! そりゃあ傑作だ! 飲んだくれて一般人に手を挙げようとした挙げ句、テメェが勝手に自爆してりゃ世話ねぇなぁ!
どんだけのランクにいんのか知らねぇが、武器もまともに振るえねぇんだったらさっさと冒険者なんて辞めちまえよ!
お仲間にゃ俺がきちんと伝えといてやるからさぁ!? アンタが武器もまともに使えねぇクソ雑魚野郎だったってなぁ!」
「ぐっ、て、めぇ……っ!!」
大げさなくらいバカにしてやると、詐欺冒険者は酒か痛みか屈辱かで顔を真っ赤に染めている。
そらそうだ。店内にはまだ同業者がわんさかいるんだからな。
酒が入ってる奴は肴感覚ではやし立て、同ランクらしい奴らは冷ややかな視線を浴びせ、詐欺冒険者より若い奴らは指さして大爆笑する始末。
公開羞恥プレイの中心に立たされて、血気盛んな冒険者じゃ屈辱を感じない奴なんていねぇだろう。いたら真正のマゾだ。手の施しようがねぇ。
それに、情けねぇ姿を曝すだけじゃなく、一般人に理由なく手を挙げかけたっつうのは立派な規約違反。
こんだけの目撃者がいる中での犯行は言い逃れのしようもねぇ。俺をぶん殴ったハゲ斧と同じく、冒険者協会から罰則を受ける可能性が高い。
今すぐにでも俺を殺しそうな目をしていやがるが、コイツはすでに詐欺と殺人未遂のダブルパンチを犯している。
いくら頭にきているからとはいえ、怒りにまかせて俺を襲えば、さらに立場が悪くなることくらいはわかってるだろう。
あ、もちろん、詐欺冒険者の異変は俺の仕業な。
いやー、やっぱ便利だわ《同調》+《神経支配》。
ちょっと触れただけで、筋肉に痛みを走らせて剣を取りこぼさせた上、まともな思考が戻るように脳に回ったアルコールを抜くこともできたんだからな。
他の奴らの対応も、大体こんな感じで収まったから、非常に助かってる。上級スキルさまさまだ。
周囲からは勝手に自滅したように見えるのもポイントが高い。俺がやった、ってよりも、テメェの不注意でバカやった、って印象が残りやすいからな。
悪目立ちするのは間抜けを曝した詐欺冒険者だけであり、俺はそのお笑い話を引き立てる要素としてしか記憶に残らねぇだろう。
冒険者協会に報告されても、『トスエル』の従業員が襲われたって程度で、すぐ『ヘイト』の存在に直結しねぇはずだ。
何度も同じ手を使い、被害が増えりゃ後々怪しまれるだろうが、冒険者協会に『宿屋の従業員』で通るとすれば、ママさんや看板娘も対象だからな。確証がねぇかぎり、俺だけを対象に突っ込む材料としては弱ぇ。
たとえ、俺が働き始めてからの現象だとしても、罪に問うにゃ状況証拠だけじゃ足んねぇんだよ。本気でしょっぴくなら物証もってこい。あればだけど。
まあそういうわけで、詐欺冒険者を侮辱して少しスカッとした後、しゃがみ込んだ俺は改めて片手を差し出した。
「ほら、さっさと未払いの金寄越せ。うちの店を舐め腐ってっから罰が当たったんだよ。これ以上不幸になりたくなけりゃ、大人しく料金払ってけ。な?」
「……ちっ! 知らねぇよ! どけ!」
俺が最後の慈悲で手を差し伸べたが、結局詐欺冒険者は本来の金を払うことなく立ち上がり、取りこぼした剣を回収して出て行った。
店内は詐欺冒険者と、結局逃げられた俺に捧げた馬鹿笑いが展開された。見せ物じゃねぇよ、ショー代金請求すっぞコラ。
「だ、大丈夫なの!? 怪我ない!?」
「無傷だよ、見りゃわかんだろ。ほら、さっさと片づけて仕事に戻ろうぜ」
「う、うん……」
直後、看板娘が血相を変えて近寄るが、俺があまりにも平然としているからか、勢いはすぐにしぼんでいった。
残念ながら、客の教育はこんな感じが大半で、逃げられることの方が多い。まともに金を払ってもらえるようになるには、もう少し時間がかかるだろう。
別に食い逃げ犯にリピーターはいらねぇし、詐欺冒険者どもが『一生』こなくなっても、別に構いやしないけどな。
心の中で詐欺冒険者らに言えることは、魔物討伐依頼には注意しとけ、ってことくらいか。
知らねぇだろうけど、《同調》ってスキルは、俺が解除しねぇ限り距離とか関係ねぇんだぜ?
もし魔物と戦闘中に『原因不明の痛み』が生じても、『不幸な事故』だよなぁ?
俺の働く店で飯代ケチったツケは、魔物相手に体で教えてもらえや。
それでも運が良ければ、命だけは助かるかもしれねぇし?
ま、せいぜいがんばって生きてくれや。
《神術思考》の片隅で、過去に付与した《同調》対象者の反応がダンジョン内部で消えたことを確認しつつ、俺は食い散らかされたテーブルの後かたづけに勤しんだ。
いやぁ、教育と労働ってのは素晴らしいな!
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名前:ヘイト(平渚)
LV:1
種族:イセア人(日本人▼)
適正職業:なし
状態:健常
生命力:1/1
魔力:1/1(0/0)
筋力:1
耐久力:1
知力:1
俊敏:1
運:1
保有スキル
(【普通(OFF)】)
(《限界超越LV10》《機構干渉LV2》《奇跡LV10》《明鏡止水LV1》《神術思考LV2》《世理完解LV1》《魂蝕欺瞞LV2》《神経支配LV2》《精神支配LV2》《永久機関LV2》《生体感知LV1》《同調LV2》)
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