58.8話 失ったもの
『彼』が入れられていた牢屋を後にし、それぞれの部屋に戻った私たちは、程度の差こそあれ、少しずつ『彼』の過去を飲み込み、受け入れていきました。
意外にも、一番立ち直りが早かったのは菊澤さんでした。
ただ、ちょっとした弊害があり、時折ぼーっとした後で顔を真っ赤にさせる姿をよく見るようになりました。
もしかしたら、私たちは菊澤さんのとても大事な何かを奪ってしまったのかもしれません。
次に復帰できたのが、私です。
とはいっても、今の訓練を見れば、すべてに折り合いをつけて立ち直れた訳ではないのでしょう。
菊澤さんがあの日の翌日の午前から、私は午後から訓練に参加できるようになりました。かろうじて、ですけれど。
その次が、セラさんです。
普段は強気な態度を崩しませんが、知らなかった『彼』を目の当たりにして、相当ショックだったのでしょう。
三日くらいは部屋から出てこられず、ようやく私たちの前に姿を現したときも、目の下に大きな隈を作っていました。
もっとも状態が酷かったのが、長姫先生でした。
【再生】と『高速思考』と《明鏡止水》で感情を廃しながら、『彼』の過去をすべて確認していたため、一番精神的な負担が大きかったようです。
私たちが見た『彼』の過去は、長姫先生が編集して切り取った内容でしかありません。
先生はそれだけでなく、私たちには耐えきれないと言った、二ヶ月以上にも及ぶ『彼』の地獄や、その他の『彼』の苦痛に喘ぐ姿を目の当たりにしてきたはずです。
生徒を守る教師であることに強い自負があり、生徒の中でも好意を抱いた『彼』の凄惨な日々を八ヶ月も見続けたのです。
大人として、女性として、私たちが感じた何倍、下手をすれば何十倍ものストレスを感じていたはずでした。
その反動か、長姫先生が部屋から出られるようになるまで、一週間もかかりました。
ようやく部屋から出てきたときも、目は赤く腫れ上がり、セラさん以上の隈が出来上がり、食事もまともにとっていなかったためか、頬が痩けて病人のようになっていました。
復帰するまでの間、長姫先生のことは私が体調不良だと申告したり、先生よりも先に出歩けるようになったセラさんの【幻覚】で誤魔化したりしてきました。
イガルト王国に監視されていたとしても、何とか言い訳が立つと思います。
それから、長姫先生は宣言通り、『彼』が残したレポートの解読作業に入りました。私たちはまだ休んでいた方がいいと進言しましたが、強い意志で固辞されてしまいました。
余程、『彼』の過去がショックだったのでしょう。自分が何もしてやれなかった分、『彼』が私たちに残したかったものを、一刻も早く確認したいと聞かず、菊澤さんも同調してその日から部屋にこもってしまっていました。
そうした、あの日以降の出来事を思い出しつつ、しばらく【幻覚】の訓練を眺め、二度目の訓練を始めようかと考えていた頃でした。
『きて。解読、出来た』
「セラさん」
「こっちも聞こえた。行くわよ」
前触れもなく菊澤さんの【結界】による声が聞こえたため、私たちは訓練場を抜け出しました。
ずっと部屋から出てこず、長姫先生たちは解読作業に没頭していたようでした。
手伝いをしていた菊澤さんも同じで、連絡すら今日まで一切なかったのですが、ついにレポートの解読が終わったのでしょう。
私たちはセラさんの【幻覚】をその場に残し、長姫先生の部屋へと急行しました。
「失礼します」
「ちょっと長姫。アンタ大丈夫……」
すぐにノックをし、鍵がかかっていなかった扉を開け、私とセラさんは先生の部屋へと入室しました。
「くんくんくんくん、はぁはぁはぁはぁ、あぁ~、もうダメ。私がんばった。すっごくがんばった。だからもういいの。我慢した分、ご褒美も必要だと思う。だからこれは私に与えられてしかるべき立派な権利なの。ここのところ本当に心が挫けそうだったし、ストレスで心臓に穴が空きそうだったし、あの日からずっと不眠不休だったし、菊澤さんはかわいいし、かわいすぎるし、むしろかわゆすぎるし。荒んだ心を癒すんだったら、やっぱり【再生】で強引にやるより『天然素材』で修復するのが一番よね~。あぁ~、私の疲れが取れていくぅ~」
「ふっ…………っ! …………うぅ、……ぅぇっ! …………ぅぅぅ、……ぁ、……た、…………ぁぅ、………………『た、たすけて…………』」
そこには、背後から抱き枕のようにすっぽりと菊澤さんを抱きしめ、女性として他人に見せてはいけない顔をしていた長姫先生の姿がありました。
しきりに髪の毛やうなじの匂いを嗅いでおり、左手はお腹をしっかりホールド、右手は優しく定期的に頭を撫で回していました。
当の菊澤さんはというと、涙目というか、ほぼ泣いている感じでなすがままでした。
余程長姫先生が怖いのか、プルプルと震えて借りてきた猫のような姿は非常に愛らしく、とても先生が羨ましく思います。
そして、菊澤さんは嗚咽のようなしゃっくりを小さく漏らしながら、入室してきた私たちに【結界】を使った救難信号を送ってきました。
その内容は実に弱々しく、ウルウルしてこちらを見上げる姿と相まって非常に萌えます。
100点、いえ、これはもう、数字などで表すことの出来ない、限界を超えたかわいさでしょう。
もう、ここに何の目的できたのか忘れてしまうほどのインパクトに、私は理性を放棄してフラフラと菊澤さんに近づいていきました。
「ぇ……、……ひぇっ!?」
「ムニュムニュ、プニプニ……」
長姫先生は今まで非常に苦労なされたので、彼女から菊澤さんを引き離すことは出来ません。菊澤さんが身動きのとれない状態を維持するためではありません決して。
私の情熱も抑えきることが出来ず、拘束されて身動きのとれない菊澤さんの赤ちゃんほっぺをモミモミしたりツンツンしたりしました。
相変わらずのエンジェルスキンに、私の頬は自然と緩んでいきます。
赤ちゃんのミルク肌と遜色のない、いえむしろそれを超えた弾力と柔らかさが、指に染み渡って脳を溶かしていきます。
助けてくれると思っていたらしい菊澤さんは、私の行動に目を丸くし、余計に瞳に涙をためていきます。
ほっぺをつつく度に「……ぁぅ」とか「……ぇぅ」とか、小さく泣きそうな声を出してくれるのもたまりません。
久しく忘れていた癒しの大波に飲み込まれ、私たちはひたすら、菊澤さんの愛らしさに溺れていきました。
「うふふふふふ……」
「あははははは……」
「ひっ……、…………ぅぇっ、…………ぅぇぇぇっ……」
それからしばらく、私と長姫先生は菊澤さんから枯渇しかかっていた癒し成分を急速に取り戻すことに専念しました。
「…………何してんのよ、アンタら?」
背後から呆れかえったセラさんの声が聞こえた気がしましたが、気のせいでしょう。
「あ~、よしよし。怖かったわね~。もう大丈夫だからね~?」
「うぅ~、…………ぐすっ」
「この度は、誠に申し訳ございませんでした」
「今後は控えますので、どうか機嫌を直してはいただけないでしょうか」
十数分後。
いつの間にか、私たちがいじっていた菊澤さんは、セラさんの【幻覚】に取って代わっていました。
まさか簡単にスキルの術中にはまっていたとは、なんたる不覚。
慌てて探すと、本物の菊澤さんはセラさんの腰にしがみつき、こちらを怯えた目で見つめていたのです。
それはそれで急所を貫く萌え仕草だったのですが、それを口にしてしまえば菊澤さんとの関係が決定的に崩壊すると直感した私と長姫先生は、即座に彼女に土下座をして許しを請うています。
菊澤さんに対しては一歩引いた姿勢でいたセラさんは、こういう時だけ菊澤さんを独占できてズルいと思います。
いえ、私たちがやりすぎたのは重々承知していますが、それでもズルいと思ってしまいます。
「で、満足した? 話を進めてもらっていい?」
「はいどうぞもう何もしません満足しました」
「え? まだものたりな……冗談ですごめんなさいすみません」
「…………(ぷくぅ)」
しばらく菊澤さんの頭や背中を撫でてあやしていたセラさんが痺れを切らし、強引に本題に持って行きました。
その際、長姫先生は懲りずに正座のまま菊澤さんににじり寄ろうとしていましたが、かわいらしく頬を膨らませながら【結界】の『点』をばらまく菊澤さんにあっさり屈服しました。
というか長姫先生。引き際は見極めてください。下手をすれば命に関わります。
「はいはい、コントはまた別の機会にやりなさいよね。で? アイツが残したレポートってのは、どれ?」
「『これ』」
場の主導権を握ったセラさんが話を進め、菊澤さんが指示に従い長姫先生が翻訳したらしい紙の束を差し出しました。
翻訳し直した紙は私たちがイガルト王国から提供されたもので、『彼』が使用していた物と比べるとかなり質のいい紙です。
日本にいた時の紙と比べれば使いづらく、されど今まではこれを当たり前のように使用していました。
が、支給品一つとっても、私たちがいかに優遇され、『彼』がいかに冷遇されていたのかがわかってしまい、イガルト王国への義憤を募らせてしまいます。
「…………なに、これ?」
一枚一枚めくっていくごとに、セラさんの表情は険しくなっていきます。
内容を詳しくチェックせず、要所を見るにとどめているのでしょうか。セラさんの紙をめくる速度は早く、すぐに手を止め眉間の皺を深くしていきます。
実際に翻訳した長姫先生や菊澤さんはすでに内容を把握しているためか、悪ふざけで見たような雰囲気を一変させ、神妙な顔つきになっています。
「私も、確認してよろしいでしょうか?」
「『うん』」
菊澤さんに許可を取り、まだ内容を知らない私は正座から立ち上がって、セラさんから翻訳レポートを受け取りました。
「…………え?」
冒頭は「ここに記述する内容はあくまで個人の見解であり、事実である保証はない」という注意書きから始まり、そこから『彼』の異世界に関する考察がずらっと並んでいました。
そして、すぐ下の章題を見てすぐ、私は驚愕で目を見開きました。
「まず、原本はこちらに対する読みやすさなど全く考えない、紙の端から端までを文字で埋め尽くされたものでした。
残った白紙が少なく、残せる情報量が限られ、それでも多くの情報を残そうとした結果が、そうしたレイアウトだと思われます」
正座したままである長姫先生の言葉を傍らで聞きつつ、私はすらすらと『彼』のレポートを読み進めていきました。
セラさんと同じように、内容の詳細は後回しにして、章題だけに焦点を当てて、『彼』の残したかったものを確認していきます。
「翻訳したレポートでは、大ざっぱにしかまとまっていなかったレポート原本の内容を整理し、項目ごとに編集しています。
特に、重要度が高いとあの子が考えていた情報ほど、暗号が複雑であったため、翻訳レポートでは重要度が高いものから記述しています」
ページをめくる時間すら惜しんで、私はほとんど間を置かず、ペラペラと読み進めます。
紙の量と比べると信じられないくらいの速度で、無意識に手が動いていきました。
「結果、ある事実が判明しました」
そして、決して長くない長姫先生の話の区切りと、私が読み進めていた数十枚ものレポートがめくり終わるのは、ほぼ同時でした。
「まさか……」
「はい。あの子のレポートに記載されていた内容の大部分は『イガルト王国に対する不信と危険性』についてでしたが、内容のほとんどが『私たちが思いつきさえしなかった考察』ばかりでした」
そう。
私やセラさんが大いに動揺し、タイトルばかりに目がいっていたのは。
私の手にする『彼』のレポートには、全く未知の情報ばかりが載っていることが明らかだったからです。
まず最初に、『契約魔法』と仮称された、異世界人を奴隷化させうる魔法の存在から始まり、『契約魔法』の成功率を上げるためのイガルト王国の長期戦略、『彼』自身の体験から推測される将来的な異世界人の悲惨な扱いについて書いていたようです。
その次にまとめられていたのが、イガルト王国の危険性です。『彼』への対応から推測された帝国主義的思想や、異世界人への厚遇を負債として扱われるだろうこと。そしてここが侵略された土地であり、勇者召喚魔法の所有国がイガルト王国ではない、という章題が掲載されていました。
最後に、私たち異世界人が何故強力なスキルやステータスを有していたのかという考察や、この世界の敵だといわれた【魔王】や魔族に対する考察まで書かれているようでした。
少なからず私たちにも身に覚えのある内容がありましたが、それは『彼』が暗に伝えてくれたから気づけたものでしかありません。
もし、私たちが『彼』と接触できていなかったら、イガルト王国を疑うこともなく、無知なまま暮らしていたでしょう。
誇張でも何でもなく、『彼』が洞察力と推理力だけで暴いたイガルト王国の姿は、どれもこれも私たちにとっては寝耳に水で、思いつくことすら出来なかっただろう内容ばかりだったのです。
「……これほどの内容が、単なる『個人の見解』で終わらせていいはずがありません」
「同感です。しかも、あの子が過去に破棄した日記を参照したところ、あの子はイガルト王国からまともな教育は受けていなかったそうです。
文字の知識すらない状態からこの世界の本を渡され、後はスキルの力と独学ですべての文字を修めた、と。
にもかかわらず、レポートの暗号原本には、私たちも知らないこの世界の文字が多種にわたって使用されていました。それも、この世界の人種が使うだろうすべての言語を網羅している節までありました」
レポートの内容ばかりに目がいっていた私ですが、実際に翻訳した長姫先生には、『彼』が扱う言語からして異質なものを感じていたようです。
口を開いた長姫先生には、どこか、『彼』に対する畏れに近い色さえ、窺えました。
「もし、あの子と同じスキル編成だったとしても、私では一年にも満たない期間でこれほどの言語習得など不可能です。
文字の形と頻度で品詞を分類し、他の文章を延々比較検討して、文字の意味を類推するなど、どうやって思いつき、実行できるというのですか? それも、あの子は複数の言語を、一斉に並列解読していたのですよ?」
長姫先生は机上のレポート原本を手元に引き寄せ、眉間に深い皺を刻みました。
「正直、菊澤さんの【結界】で暗号内容の言語分解がなければ、解読はもっと時間がかかったでしょう。
私の情報解析スキルであった『究理』も、たった半月で《真理》という上級スキルにまで進化し、それでも解読は困難を極めたくらいです。
このレポートは、それほど難解な暗号で構成されていました」
何でも、長姫先生はまず、菊澤さんの【結界】で原本に書かれた文章の内、特徴の似た言語だけを抽出・分類し、一つ一つ『究理』や《真理》のスキルで読みとっていったそうです。
そうした手法も、【再生】の過程で知った『彼』の言語解析方法を参考にしたのだとか。
もし、【再生】でそのやり方を知らなければ、長姫先生では翻訳は無理だったとまで、断言しました。これだけで半月を要したそうです。
そこから、独自の文法で展開される文章を比較し、隠された文法法則を導き出して、ようやくまともな翻訳作業に入れたとのことでした。
この文法解読も半月が消費され、合計一ヶ月もの時間が必要だったということです。
しかし、菊澤さんの【結界】の力を借りてもなお、解読までに一ヶ月もかかってしまったのは、このレポートに『彼』の能力が遺憾なく発揮されてしまったからなのだと、長姫先生は続けます。
「それだけでも驚嘆すべきことですが、このレポートにはこの世界の文字だけではなく、地球の言語も多数織り交ぜて作られていました。
おおよそ日本人の高校生が知り得ないだろう、何十もの外国語を完璧に理解し、使いこなしているようでした」
ラウ大陸言語と、地球言語の独自融合。
そんな離れ業のせいで、長姫先生の解読は至難の極致にあったそうです。
もしも、地球言語の介入がなければ、翻訳そのものは一週間も経たずに終わっていただろうとのことでしたから、難解さは相当のレベルだったのでしょう。
「そして、翻訳したレポートの蓋を開ければ、異世界人にとって重要な情報が収まっていました。情報の根拠も、ほとんどがたった一度の国王との会話で推測したというのですから、もはや言葉も出ません。
こんな物を、『普通』の高校生が、たった八ヶ月で作り上げたなど、冗談にもほどがあります。
これは、単にスキルの力があったから、と片づけられるものではありません。情報解析能力だけを見るならば、あの子の才能は常軌を逸しています。
それこそ、私たちの戦闘能力に匹敵する、突出した異端な能力だとさえ、思えました」
私たちの中でもっとも高い知能を持つ長姫先生の言葉に、私たちは息を呑みました。
『彼』は確かに、ステータスの能力値は低かったのかもしれません。
しかし、記憶にある『彼』の指摘はいつも的確で隙がなく、私たちではまともに反論もできませんでした。
それだけでなく、しっかり準備して私たちを陥れようとしていた国王陛下を、少ない情報からでも手玉に取ってしまうくらいの論理的思考など、『普通』ではありません。
まして、一年も経たずに何十もの言語を習得し、それらを組み合わせて独自の暗号を作り上げてしまうなど、単に頭がいいで済ませられるはずがありません。
私たちの戦闘能力に相当するものが、『彼』にとっては類い希なる頭脳であったという考えに、否定する余地などありませんでした。
「そして、これを私たちに託したということは……」
「彼は、もうこの国にはいない可能性が高い、ということですね?」
最後に、とても言いにくそうに口を開いた長姫先生の言葉にかぶせ、私は翻訳レポートを読み進めて気づいたことを口にしました。
返事は、疲れ切った様子で微笑み、力なく下がった頭が証明していました。
「は? ちょ、どういうことよ!?」
「『あの人が、いないの? なんでっ!?』」
私と長姫先生の会話が理解できなかったのか、セラさんと菊澤さんが顔色を変えて、近くにいた私に詰め寄りました。
「これほどイガルト王国の思考を読み解き、批判した情報を書き残していながら、彼は私にこのレポートの存在を知らせたのですよ?
それはつまり、彼がもうこのレポートを管理しきれない状況になった、と考えられます。
そして一ヶ月前、私たちと最後にあった日の夜、彼は大量のお金が入った袋を担いでいました。おそらく、国王陛下に何らかの交渉をし、お金を融通させたのでしょう。彼が当初から願っていた、この国から逃げ出す資金とするために。
私たちよりもはるかに頭のいい彼のことです。どんなきっかけがあったのかまではわかりませんが、城を抜け出す千載一遇のチャンスを見出したのでしょう。しかも、それをみすみす逃すようなことはしないはず。
あの日、彼の独房がもぬけの殻だったのも、すでに彼がこの城を出立した後だったからでしょう。
違うのであれば、ほぼ一日中あそこにいた私たちが、独房の使用者だった彼の帰還に遭遇しているはずなのです。
しかし、私たちは彼と出会っていないし、あれから姿を見かけたこともありません。よって、彼はもう、この城にはいないと考えるのが、妥当なんです」
「…………うそ」
「『…………そんな』」
お二人が、私の話に納得できたわけでは、ないでしょう。
が、状況証拠からの推測とはいえ、理屈としては、筋が通っているように思えます。
セラさんも菊澤さんも、私の説明に矛盾がないと思ったのでしょう。
それ以上言い募ることもなく、うなだれてしまいました。
「……あの日、彼が私たちに無関心を貫こうとしていたのも、私たちを巻き込まないようにするためだったのかもしれませんね。
彼は悪い意味でイガルト王国に注目され、彼自身そのことに気づいていました。彼と親しい間柄であると示すことで、私たちが『イガルト王国と敵対する勢力だ』と見なされてもおかしくない、と彼は思ったのでしょう。
わざと突き放すような態度をとることで、私たちが彼と繋がりがないことを、イガルト王国に知らせたかったのではないでしょうか? 彼が背負ったこの国の悪意が、私たちへ移ることを、少しでも遅らせるために」
『彼』と言葉を交わした機会は、さほど多くはありません。
しかし、『彼』は私たちに苦手意識を持っていたとしても、会話の中では明らかに邪険にすることはありませんでした。
合同訓練で出会えた日も、私たちが話しかければ応対してくださっていたのです。
ですから、あれほど唐突で、不自然なまでに露骨な無視を、何の理由もなく、『彼』が行うはずがありません。
「それに、最初からイガルト王国と明確に敵対姿勢を見せていた彼が、穏便な方法で国王陛下からお金をいただけたとは、とても思えません。
その件で余計に反感を買い、この国からの敵意を一身に引き受けて、私たちを巻き込まないように、一人、立ち去ったのでしょう。
彼の行動だけを見れば、私たちを見捨てて逃げ出したようにも思えます。しかし見方を変えれば、敵意を自分に集めたまま城を出たことで、イガルト王国の目を異世界人からそらしてくれた、ともとれます。
その上で、このレポートを残してくれていた。彼は彼なりに、私たちを気にかけてくれていた。そして私たちに、自分たちの未来を自分で選べるよう、知識と選択肢を示してくれたんです」
もしかしたら、これは私の希望的観測で、『彼』は本当に異世界人を見捨てたのかもしれません。
ずっと苦境の中にいた『彼』を、先に見捨ててしまっていたのは、異世界人なのですから、当然の報いでしょう。
でも、『彼』の行動と知識が、『彼』なりのやり方で、私たちを助けようとした形だったのだとしたら。
そう思わずには、いられません。
「…………もしかしたら、私たち異世界人は、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのかもしれません」
意気消沈した長姫先生の言葉に、私たちは誰も、否定することができませんでした。
『彼』を、異世界人最高の頭脳を、失ってしまったのですから。
これで、二章は終了になります。
完全な余談ですが、ヘイト君著、残念先生編集のレポート目次を掲載します。()内の文字は本文の概要で、実際のタイトルに表記はありません。
レポートの知識はともかく、レポートそれ自体が本編に強くかかわらない予定ですので、興味がある方はどうぞ。
平渚レポート概要(翻訳順)
自身の検証結果により推察される『契約魔法(仮)』の詳細(発動条件と主要効果など)と、推測される異世界人への運用法(奴隷コース一直線)。
異世界人がイガルト王国に監視されているであろう状況と、『契約魔法(仮)』を成功させやすくするために行うと考えられるいくつかの奸計例(ハニートラップ、異世界人への厚遇による印象操作など)。
前項と絡め、『契約魔法(仮)』を回避できたと想定した時に生じるだろうイガルト王国の行動予測(戦闘に不向きな異世界人を人質にとる、権力乱用で国内における生命活動の妨害等)。
自身の扱いから見える『契約魔法(仮)』の奴隷契約締結後の異世界人の待遇。
他国を下に見ており、暴力で支配していただろう言動から見える、イガルト王国の暴力性と危険性。
前述における思想を根拠に、現イガルト王国が他国を侵略して得た土地である可能性(城内に散見される文字から、獣人国家である可能性を示唆)。
勇者召喚魔法の本来の所有国(ネドリアル獣王国)の考察。
生活保障期間における異世界人の厚遇から見える、イガルト王国への負債と想定される国王からの返還請求内容(返済に上乗せされるだろう推定利率を含む)。
異世界人のステータスの能力が高い理由(日本人の種族には触れず、あくまで自身の魔力が0であったことを根拠とした考察)。
魔族や魔王に対する考察(目的の不透明感と、突然出現し圧倒的な強さを持つという謎)。
魔族や魔王に対し送った戦力が獣人であり、異世界人の役目がそれに相当する可能性(国王の話や兵士・騎士の練度から総合した推測)。
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名前:水川花蓮
LV:12
種族:異世界人
適正職業:勇者
状態:健常
生命力:3800/3800
魔力:3200/3200
筋力:480
耐久力:410
知力:450
俊敏:540
運:100
保有スキル
【勇者LV3】
《異界流刀術LV10》《イガルト流剣術LV10》《異界流弓術LV7》《生成魔法LV10》《属性魔法LV10》《縮地LV7》《虚実LV3》《生体感知LV3》《魔力支配LV2》《詠唱破棄LV2》《連鎖魔法LV1》《未来把握LV3》《鬼気LV4》《千里眼LV1》《刹那思考LV2》
『長刀術LV7』『槍術LV5』『柔術LV5』『暗器術LV4』『範囲魔法LV5』『集約魔法LV5』
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